10
そうやってしばらく外を眺めてから、窓を開けたまま再びテーブルの前に座った。
窓の外で雨が降る風景を見ながら、レストランでもらったデザートと紅茶を交互に口にしていると。
この世に天国という場所があるのなら、今、この瞬間を天国と言うのではないかと思うほど、心は穏やかだった。
その時だった。
ピキピキッ。
指にはめていた無骨な銀の指輪が真っ二つに割れて、テーブルの上に落ちた。
「ひええええええっ!?」
あまりの驚きに、思わず叫んでしまった。
その声が大きすぎたのか、外で働いていた店員が大丈夫かと安否を尋ねてきた。
「お客様、いかがなさいましたか?」
「大丈夫です。何でもありません。」
言葉ではそう言ったものの、私はどうすればいいか分からず、瞳孔が地震でも起きたかのように激しく揺れ動いた。
震える手でバラバラになった銀の指輪を拾い、くっつけようとしてみたが、全く元に戻る気配はなかった。
「これをどうしよう。使い魔さん、大丈夫?」
「……」
返事がない。
死んだのかしら……?
そもそも生きていたのかさえ疑わしい姿だったけれど。
これまで何度も助けてもらったのに、もう二度と会えないと思うと。
さっきまでの浮かれた気分が急速に冷え込んでいった。
誰かにプレゼントをもらったのはこの銀の指輪が初めてだったし。
ずっと身につけていた指輪がもう使えないと思うと、寂しさで高揚していた気分がどん底まで落ち込んだ。
もしかして……直せないかしら?
剣だって刃がこぼれれば鍛冶屋で直すじゃない?
指輪なら小さいから、もっと簡単なんじゃないかしら。
明日になったらすぐに鍛冶屋へ行ってみよう。
私は明日が早く来ることを願いながら、すぐにベッドに横になって眠りについた。
翌日。
クラドには用事があるから今日は一緒に行けないと伝えた。
ちょうどクラドも寄るところがあるからと、今日は各自の用事を済ませることにし、宿の前で別れた。
ガン! ガン!
私は人々に道を尋ねながら鍛冶屋を探した。
鍛冶屋が並ぶ通りに来ると、むせ返るような熱気と焦げ臭い匂いが鼻をついた。
通りを歩きながら、どこで指輪を修理してもらえばいいか探していると、休憩している人が見えたので、彼に近づいて尋ねてみた。
「こんにちは。お伺いしたいことがあるのですが。」
「ん? うちなら昨日、包丁が全部売れちまって一つもねえよ。他を当たってくれ。」
彼は面倒そうに手を振って、私を追い払おうとした。
「そうではなくて、修理をお願いしたいものがあるんです。」
「修理? なんだ?」
ようやく男が興味を示した。
私は布に包んで保管しておいた指輪を取り出して見せた。
「これです。」
「指輪じゃねえか。お嬢ちゃん、うちは指輪なんか扱っちゃいねえ。ここを見てみな、俺がそんな繊細なもんをいじる人間に見えるか?」
彼が指差す壁には、剣や盾などが掛かっている。
一角には、人間に持てるのか疑わしいほどのバトルアックスまで。
確かに、体格が良く筋肉質な体で、顔に濃くむさ苦しい髭を蓄えた男が、小さな指輪を作る姿は想像できなかった。
「それは何だ? お嬢ちゃん、剣を持ってるのか。」
私が持っていた剣に男が目を留めた。
「これも知り合いからもらったものです。」
「お嬢ちゃんに重い剣なんて似合わねえだろ。良い値をつけてやるから、俺に売らねえか?」
「それなりに使い道があるので、それは難しいですね。」
丈夫だから、意外と使い勝手がいいのだ。
断ると、彼は残念そうな顔をして言った。
「なら仕方ねえ。その代わり、後で売る気になったら真っ先に俺のところに来るんだぞ。」
「そうしますね。」
そんな予定はないけれど。
一度試しに聞いてみただけだったのか、断るとあっさり諦めた。
「だが、見たところ指輪なら新しく買った方が安上がりじゃねえか? 一つ買ったらどうだ?」
「知り合いからの贈り物なので、直せるものなら直したいんです。」
「そうか。指輪を直すなら貴金属の工房街へ行ってみな。あっちの方にあるはずだ。」
「あっちの方ですね? ありがとうございます。商売繁盛をお祈りしています。」
お礼を言って貴金属の工房が立ち並ぶ通りへと向かうと、後ろから大きな声が聞こえてきた。
「あと、宝石をいじる奴らには詐欺師が多いから気をつけろよ!」
そしていくらも行かないうちに、鍛冶屋の男が言っていた貴金属の工房街に到着した。
どうせ外から見てもどこが良い店なのかなんて分からないので、私は直感で良さそうな店を探して入った。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか。」
先ほどとは違い、小綺麗な服を着た店主らしき人物が、明るい微笑みを浮かべて迎えてくれた。
「これを……」
私は指輪を差し出し、修理したいと伝えた。
「状態を一度拝見いたします。少々お待ちいただけますか。」
「はい。」
何の確認をするのかは分からないけれど、店主のすることを見守った。
おかしな器具を片目に当てて、それで指輪をじっくりと観察しているではないか。
専門家らしい姿に、私はここなら指輪を修理できるかもしれないと期待に満ちた視線で、彼が作業する様子を見つめた。
しかし、聞こえてきたのは、私の期待を大きく裏切る言葉だった。
「銀ですが不純物も多く、このまま修理するのは難しいでしょう。いっそ溶かすしかなさそうですが、今日の相場の最高値でお客様の銀の指輪を買い取らせていただきますので、こちらで新調されてはいかがですか?」
「結構です。」
私は彼から銀の指輪を返してもらい、他の店を訪ねた。
けれどそこでも修理は難しいと言われ、最初の店と同じように、高値で買い取るからうちの店で新しいものを買わないかと言われた。
未練があってその後も何軒か回ってみたけれど、大した収穫はなかった。
どうせ銀の指輪を売ったところで、不純物が多いなら大した金にはならないだろうし、それなら売らずに持っておくことにした。
銀の指輪は修理できないという小さな収穫を得た私は、沈んだ気分を晴らそうと美味しいパンでも食べたいと思い、パン屋に寄って両手いっぱいのパンを買い込んで店を出た。
パンを食べることを考えて、いくらか軽い足取りで宿へ戻る途中、昨日見かけた男の子が、しょんぼりとした様子で近づいてくるのが見えた。
ふと、昨日の様子からして、事がうまく解決しなかったのではないかと心配になった。
もしここで声をかけたら、私が余計なお節介を焼くことになるのではないかと思ったけれど。
あんなに小さな子供が痛々しい姿を見せているのに、見て見ぬふりをして通り過ぎることはできず、男の子を呼び止めた。
「ぼうや。」
足を止めて私を振り返る男の子。
その時、ようやく私は男の子の顔をまじまじと見た。
顔に陰りがあり、食べていないのか、ふっくらしているはずの頬がこけていた。
「……誰?」
「あ、いや……その、これ食べる?」
私はパンの袋の一番上にあった、宿に着いたら真っ先に食べようと思っていたパンを掴んで、そっと差し出した。
「おばあちゃんが、知らない人のくれるものは食べちゃダメだって言ってたから。」
よく教えられているわね。
知らない人がくれるものは食べちゃダメよ。
口ではそう言っているけれど、その目は私が持っているパンから離れなかった。
そうくるわけね。おまけに、お腹から『グゥ〜』という音が聞こえるのを見ると、相当お腹が空いているようだけれど……
ただあげるだけでは受け取らないだろうと思い、私はパンを一口かじって言った。
「こんなに美味しいものを断るの? 見て、焼きたてだからこんなに美味しいのに。」
そして手に持っていたものをそっと差し出すと、彼はそれをひょいと受け取り、私が渡したパンをその場で美味しそうに食べ始めた。
美味しそうに食べる姿を見て、私はパンをもう少し分けてあげようと、近くのベンチへと男の子を連れて行った。




