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姫の路  作者: 枕川うたた


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第七話

千姫が耳にした淀殿と秀頼の会話は、彼女の心を大きく揺さぶった。

秀頼がただの「政略結婚の相手」ではなく、自分と同じように孤独と重圧を抱えていることを知ったからだ。

この日から、千姫は秀頼への見方を変えた。


それは、ただの夫となる人への興味ではなく、同じ境遇にいる者への共感と、かすかな、しかし確かな愛情が混じり合ったものだった。


大阪城での日々は、千姫にとって驚きの連続だった。

江戸城の質実剛健な雰囲気とは異なり、大阪城は活気に満ちていた。


城内には、身分を問わず様々な人々が行き交い、学問や芸術が奨励されていた。

千姫が暮らす御殿も、豪華絢爛な調度品で満たされていたが、その中に、秀頼の父である豊臣秀吉が愛用したという、素朴な竹製の茶器や、朝鮮半島から渡来したという色鮮やかな陶器がさりげなく置かれていた。

それらは、豪奢な中にも、文化を重んじる豊臣家の気風を感じさせた。


秀頼は、忙しい政務の合間を縫って、千姫の元を訪れた。

最初のうちは、二人の間にぎこちなさが漂っていたが、日を重ねるごとに、その距離は縮まっていった。


ある日、千姫が御殿の庭園で一人、池を眺めていると、秀頼が静かに隣に座った。


「姫、何を見ておられるのですか?」


秀頼の声は、いつもと同じく、穏やかだった。

千姫は、池の中に泳ぐ、鮮やかな錦鯉を指差した。


「この魚たちは、どこの国から来たのですか?」


「これは、父上が全国から集めた珍しい鯉だそうだ。…色とりどりで、見ていて飽きぬな」


秀頼はそう言って、千姫と同じように池を眺めた。

二人の間に、静かな時間が流れた。


「秀頼様…このお城は、とても…広いですね」


千姫が呟いた。


「ああ、広いな。迷ってしまうほどだろう」


「はい。…私、このお城に来るまで、世の中は、江戸城だけだと思っていました」


秀頼は、千姫の言葉に、ふっと微笑んだ。


「それは、徳川の姫として、当然のことでしょう。…だが、この大阪は、江戸とは違う。多くの人と物資が行き交う、天下の台所だ。父上が、この国の豊かさを示すために、この城を築かれたのだ」


秀頼の言葉には、彼の父である秀吉への深い尊敬の念が込められていた。千姫は、その言葉に、秀頼が背負う豊臣家の重みを改めて感じた。


「あの…秀頼様は、お城を出て、外の世界を見てみたいと思ったことはありませんか?」


千姫が、恐る恐る尋ねた。


「…ないな」


秀頼は、少し間を置いて、そう答えた。

千姫は、その意外な答えに、目を見開いた。


「どうしてですか?」


「私には、この城を守るという使命がある。…外の世界には、私の居場所はない。この城こそが、私のすべてなのだ」


秀頼は、そう言って、静かに池の鯉を見つめた。

その瞳の奥に、千姫が以前感じた、深い孤独の影が宿っているように見えた。


千姫は、秀頼の手が、かすかに震えていることに気づいた。

彼女は、彼と同じように、この巨大な城に閉じ込められた、小さな鳥なのだ。


千姫は、そっと、秀頼の手に、自分の小さな手を重ねた。

秀頼は、驚いて千姫を見た。千姫は、微笑んだ。


「大丈夫です。…私も、このお城が好きになりました。秀頼様と一緒なら、このお城は、きっと私の家になります」


千姫の言葉に、秀頼は、何も答えなかった。

しかし、彼の顔には、安堵の表情が浮かんでいた。

彼は、千姫の手を、優しく握り返した。


その日以来、二人は、言葉を交わすことが増えた。

秀頼は、千姫に、父秀吉の天下統一の物語を語り、千姫は、秀頼に、江戸での穏やかな日々や、母からの手毬の物語を語った。


ある日、二人は、城内の庭園を散策していた。

秀頼は、千姫に、庭園の隅にある、苔むした小さな石を指差した。


「千姫、この石は、ただの石に見えるだろう。だが、これは、太閤様が自ら拾ってこられた、天下統一を願う石なのだ」


千姫は、その石を、じっと見つめた。

その石は、他の豪華な庭石とは違い、何の変哲もない、ただの石だった。

しかし、その石には、秀吉の、天下への壮大な夢が込められているのだ。


「…私には、ただの石にしか見えません。でも、秀頼様には、そうは見えないのですね」


千姫が呟いた。


「ああ。…私の目には、この石が、天下を支える、巨大な礎に見える」


秀頼は、そう言って、静かに石を撫でた。千姫は、秀頼の言葉に、深い感銘を受けた。

彼は、ただの少年の姿をしていながら、その心の中には、天下を背負う、巨大な責任感と、夢が宿っているのだ。


二人は、その日から、この石を、二人の秘密の場所にしようと決めた。

そして、何か心に迷いや不安が生まれた時、この石を訪れ、互いの心の内を語り合うことにした。


千姫は、この小さな石が、二人の心を繋ぐ、大切な架け橋になることを、信じていた。


彼女は、この巨大な城の中で、秀頼と共に、ゆっくりと、しかし着実に、進んでいくのだった。

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