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姫の路  作者: 枕川うたた


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第六十四話

三代将軍・徳川家光は、長きにわたる激務と心労がたたり、ついに病に倒れた。

江戸城内は、将軍の病状が深刻であるという噂で瞬く間に騒然となり、緊迫した空気に包まれた。

千姫の心にも、深い不安と暗い影が落ちた。

彼女にとって、家光はただの将軍ではなく、かけがえのない弟だった。


千姫は、医師や奥女中たちが慌ただしく出入りする家光の病床を訪ねた。

家光は、かつてないほどにやつれ、その顔は蒼白だったが、千姫の姿を認めると、弱々しくも微笑んだ。


「姉上、心配無用。私は、まだ死ぬわけにはいかぬ」


その言葉とは裏腹に、家光の病状は悪化の一途を辿った。

千姫は、かつて大阪夏の陣で秀頼と別れて以来、多くの悲劇を経験してきたが、この家光の苦しむ姿を見るに耐えられなかった。

彼女は、ただ静かに彼の隣に寄り添い、家光との思い出を胸に、彼の回復をただひたすらに願っていた。


家光は、千姫にとって唯一心を許せる相手だった。

千姫が秀頼との不幸な結婚から解放され、大御所秀忠によって江戸城に迎えられた後も、家光は彼女の心の傷を誰よりも深く理解し、支え続けた。

彼は千姫の弟であり、将軍であり、そして、最も信頼できる友でもあった。

政務に疲れ果てた家光が、千姫の元で安らぎを求めることも少なくなかった。

二人は、将軍家という重圧の中で、互いにとっての心の拠り所だった。


千姫は、病床で静かに眠る家光の顔を見つめながら、彼の歩んできた道を思い返していた。

家光は、徳川家の歴史の中で、もっとも苛烈な幼少期を過ごした将軍かもしれない。

母・お江の方に溺愛された弟の忠長と比べられ、その立場は常に揺らいでいた。

しかし、家光は乳母・春日局の支えのもと、将軍家の嫡男としての自覚と誇りを胸に、見事に将軍の座を継承した。

その苦難が、彼の強固な意志と、徳川の天下を磐石なものにしようという決意を育んだのだろう。


千姫は、家光の治世を振り返った。

武家諸法度を改訂し、参勤交代を制度として確立。

また、鎖国政策を推進し、外様大名を厳しく統制し、キリスト教の弾圧を徹底することで、徳川の支配を絶対的なものにした。

彼の治世は、強権的な手腕で知られ、多くの者から畏れられたが、千姫は知っていた。

その厳しさの裏には、父・秀忠が築き上げた平和な世を、未来永劫守り抜こうとする家光の並々ならぬ覚悟と愛情があったことを。

彼は、個人的な情よりも、徳川家全体の安寧を優先したのだ。


病床の家光は、千姫の手を弱々しく握り、かすれた声で語りかけた。

「この世の定めから逃れることはできぬ。だが、そなたはまだ、生きねばならぬ。徳川家を、そして、そなた自身を、守り抜くのだ」

その言葉は、まるで千姫に未来を託すかのような重みを持っていた。

千姫は、溢れそうになる涙をこらえながら、力強く頷いた。

「はい、家光様。わたくしは、この身を捧げます」


家光は病に伏したことで、諸儀礼を嫡男である家綱に代行させた。

そして、翌慶安4年(1651年)4月20日、家光は江戸城内で静かに息を引き取った。

享年48(満46歳没)。

千姫は、最愛の弟の死を深く悲しんだ。

家光の死は、千姫の心に大きな穴を開けたが、同時に、彼女をより強くした。


千姫は、家光の遺志を継ぎ、徳川家の安泰のために尽力することを誓った。

彼女は、家光が築き上げた平和な世を守り、次世代に引き継ぐために、自身の生涯を捧げる覚悟を決めた。


家光の墓前で、千姫は静かに手を合わせた。彼女の心の中には、悲しみだけでなく、新たな決意が宿っていた。

「家光、平和な世を築くために、わたくしの生涯を捧げます」


家光の死後、千姫は、将軍家や大名家からさらに敬意を払われるようになった。

その存在感は、もはや単なる大御所の娘というだけでなく、徳川家全体の精神的な支柱となり、絶大な権力を持つ存在へと変わっていた。

千姫は、将軍の姉であり、弟の遺志を継ぐ者として、その影響力を強めていくことになる。

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