第四十四話
姫路の空は、千姫がこれまで生きてきたどの場所とも異なる、深く澄み渡った青だった。
冬の冷たく清らかな空気が肌を刺し、その下に広がる純白の城は、まるで空の光を一身に浴びて輝いているかのようだった。
それは、今にも大空へ向かって羽を広げ、優雅に舞い上がろうとする一羽の白鷺を思わせた。
その神聖なまでの美しさは、まこと「白鷺城」と称されるにふさわしく、千姫は息をのむほどだった。
忠刻と千姫を乗せた駕籠が、静かに城門をくぐった。
城内に入ると、そこはまるで複雑な迷路のように、曲がりくねった道が続いていた。
この「縄張り」と呼ばれる構造は、敵の侵入を阻むために幾重にも張り巡らされた防御網だという。
道すがら、本多家家臣たちの姿が見えた。
彼らは千姫の駕籠が通り過ぎるたびに、一様に膝をつき、深く頭を下げていた。
その静かで厳粛な出迎えは、江戸や大坂での華やかな歓迎とは対照的だった。
忠刻が千姫の過去を慮り、過度な喧騒を避けるよう命じたからに他ならない。
しかし、その静けさは、千姫の心をかえって孤立させるような、張り詰めた空気をもたらした。
城の壮麗な美しさは、千姫の心を奪うと同時に、過去の悪夢を鮮明に蘇らせる。
大坂城の燃え盛る天守から、命からがら逃げ出したあの日の光景が、まるで昨日のことのように脳裏をよぎる。
白く輝く漆喰壁は、池田輝政が築城した際に防火の目的で施されたものだと聞かされていたが、その白さが、千姫には燃え盛る炎から立ち上った、あの白い煙のように見えた。
どこまでも広がる青空は、あの日の血に染まった空を思い出させ、千姫の胸に拭い去れない不安が押し寄せた。
駕籠が城の中庭に差し掛かったところで、忠刻は千姫の異変に気づき、静かに声をかけた。
彼の声は、他の者には聞こえぬよう、静かで、しかしその言葉には強い意志が込められていた。
「千姫様、お疲れのようですな。顔色がすぐれない」
忠刻は、千姫の手をそっと握った。
千姫は忠刻の目を見つめ、ごまかすように微笑んだ。
「はい、忠刻様。あまりの美しさに…少し、気が動転してしまいました。この城の白さが、まるで…」
千姫が言葉を濁すと、忠刻は深く頷き、千姫の手をぎゅっと握りしめながら、言葉を続けた。
「存じております。姫様が何を思われているか、すべてお見通しです。大坂城の、あの日のことでしょう。しかし、ご安心ください。この城は、あなた様にとって、過去を塗り替えるための、新たな出発の場所でなくてはなりません。過去の記憶を呼び起こすようなものであってはならぬ。だからこそ、私は家臣たちに、簡素な入城の儀を命じました」
忠刻の深い配慮と、その言葉に込められた温かさに、千姫の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「忠刻様…」
千姫の震える声に、忠刻はさらに力を込めて千姫の手を握りしめた。
「千姫様、どうぞご遠慮なく。この城は、あなた様をお守りするための城でございます。私が、必ず、あなた様をお守りします」
忠刻の優しくも強い眼差しが、千姫の心を深く包み込む。
彼の言葉は、燃え盛る炎によって傷ついた千姫の心に、そっと寄り添うように響いた。
この美しい白い城が、過去の悲劇を思い起こさせるものではなく、忠刻と共に築き上げていく新しい人生の出発点となることを、千姫は涙を拭い、密かに願っていた。




