第二十九話
大坂城の周囲に、轟音と地響きが鳴り響いた。
それは、何千、何万という数の徳川兵が、まるで巨大な津波のように押し寄せる音であった。
日の本全土から集結した大軍勢は、瞬く間に城を完全に包囲し、城壁を埋め尽くすように陣を敷いていった。
それぞれの旗印が風にたなびき、あたかも一面の森が移動してきたかのようであった。
徳川の本陣には、重厚な甲冑をまとった家康と、その横に秀忠が静かに座していた。
彼らの顔には、この戦の勝利を疑う影は微塵もなかった。家康の視線は、城壁に築かれた無骨な出丸に向けられていた。
それは、豊臣方の総大将、真田幸村が築いた「真田丸」であった。
その砦は、一見すると何の変哲もない小さな出丸に見えたが、家康は、その存在が不気味に思えてならなかった。
「真田幸村め、何を企んでおる…」
家康は静かに呟いた。
「父上、真田丸など、我らの大軍の前には取るに足らぬものです。まずは、この出丸から攻め落とし、大坂城の守りを崩しましょう。」
秀忠が自信満々に進言した。家康は頷き、前田利常と松平忠直に、真田丸への攻撃を命じた。
「申し上げます!真田丸への攻撃を開始いたします!」
前田利常と松平忠直の軍勢が、鬨の声を上げながら真田丸へ殺到した。
彼らは、徳川の誇りをかけて、一気に真田丸を陥落させようと意気込んでいた。
だが、彼らが真田丸の射程圏内に入った瞬間、静寂を破る轟音が響き渡った。
「火を放て!」
幸村の号令一下、真田丸から一斉に火が噴いた。
それは、まるで豪雨のような銃弾の嵐であった。
真田丸の城壁には、いくつもの隠し狭間が設けられており、鉄砲隊が次々と銃弾を放った。
徳川兵は、敵の姿が見えないまま、次々と倒れていく。
さらに、真田丸の城壁からは、無数の弓矢が降り注ぎ、徳川軍の進軍を阻んだ。
前田利常は、混乱する自軍を叱咤し、先陣を切って馬を駆った。
「怯むな!真田丸など、一歩も引かぬ!」
利常は、自ら槍を手に取り、部下たちを鼓舞した。
彼の奮戦に、前田軍の兵士たちは再び士気を取り戻し、真田丸の城壁に梯子をかけようと試みた。
しかし、その瞬間、城壁の上から熱湯と油が降り注ぎ、多くの兵が悲鳴をあげて転げ落ちた。
一方、松平忠直は、真田丸の正面突破を試みていた。
彼は、徳川家康の信任厚い家臣であり、その意気込みは並々ならぬものがあった。
「我らは、家康公の御為に、この真田丸を落とさねばならぬ!続け!」
忠直は、馬を降り、自ら先頭に立って真田丸の城門へと向かった。
しかし、その先に待ち受けていたのは、幸村の精鋭部隊であった。
彼らは、徳川軍が疲れ切った頃合いを見計らって、突如として城門を開け放ち、打って出た。
「者ども、続け!徳川の兵に、日の本一の兵の戦を見せてやれ!」
幸村の鋭い声が響き、真田の兵たちが鬼神のごとく徳川軍に斬りかかった。
徳川軍は、まさかの反撃に驚き、一気に混乱に陥った。
真田の兵たちは、徳川軍を深追いすることなく、頃合いを見て砦の中へと引き上げていった。
徳川軍は、何度攻撃を仕掛けても、真田丸を突破することができず、多くの兵を失った。
この真田丸の奮闘は、大坂城内の将兵たちの士気を大いに高めた。
「真田殿は、やはり日の本一の兵であるな!」
「我らが城の守りも、真田殿に負けてはおられん!」
城内に満ちる熱気を、しかし、ある男が冷めた目で見ていた。
「これでは埒があかんな…」
徳川軍の陣営で、家康が重い口を開いた。
彼の視線は、遙か遠く、海を渡って運び込まれた巨大な物体に向けられていた。
それは、ポルトガルから輸入された、当時の日本には存在しない最新鋭の西洋式大砲、通称「大筒」であった。
その砲身は、人の背丈ほどもあり、黒光りする鉄の塊は、見る者に威圧感を与えた。
「持ってまいれ!あの『大筒』を!」
家康の号令に、徳川の兵たちが巨大な大筒を運び込んできた。
その重さは、数十人でも動かすのが困難なほどであった。
大筒は、真田丸を射程に捉える場所まで運ばれ、厳重に固定された。
砲兵たちが、慎重に火薬と鉄の弾を装填していく。
「装填よし!放て!」
轟音と共に、巨大な鉄の弾が火を噴いた。
それは、これまで聞いたこともないような、天地を揺るがす咆哮であった。
鉄の弾は、風を切るような高音を立てながら空を駆け、大坂城の堅固な城壁に命中し、大きな土煙を上げた。
「なんという威力だ…」
秀頼は、城壁から上がる土煙を見て、思わず息をのんだ。
これまで、大筒の噂は聞いていたが、これほどの威力だとは想像もしていなかった。
大筒の攻撃は、城壁を少しずつ、しかし確実に削っていった。
そして、その衝撃は、城内にいる者たちの心にも深い恐怖をもたらした。
大筒が撃ち込まれるたびに、大坂城全体が揺れた。
城壁にひびが入り、瓦が飛び散り、土埃が舞い上がる。その衝撃は、城内の建物にも及び、屋根の瓦が剥がれ落ち、壁に亀裂が走る。
女中や子供たちは、耳を塞ぎ、恐怖に震えながら身を寄せ合った。
「あれでは、いつ城壁が崩れてもおかしくない…」
豊臣の将兵たちは、大筒の圧倒的な威力の前に、恐怖を隠すことができなかった。
しかし、秀頼は、怯むことなく、将兵たちに語りかけた。
「皆の者、恐れることはない!確かにあの筒の威力はすさまじい。だが、我らが守るのはこの城壁だけではない。我らが守るのは、この大坂城に暮らす民の命、そして、父上太閤殿下が築かれたこの国の平和だ!大筒の攻撃は、確かに我らの城壁を壊すかもしれない。だが、我らの魂まで壊すことはできぬ!皆、心を一つにし、この城を守り抜くのだ!」
秀頼の言葉は、将兵たちの恐怖を打ち消し、再び彼らの心に闘志の炎を灯した。
彼らは、大筒の攻撃に怯むことなく、それぞれ持ち場に戻り、決戦に備えた。
大筒の咆哮は、夜になっても止むことはなく、大坂の空に、不吉な音を響かせ続けていた。




