第二十六話
大阪城に集結した浪人たちの存在は、徳川に揺さぶりをかけるには十分な数だった。
家康は、豊臣が自ら滅びの道を選んだと判断し、ついに軍勢を大阪へと向けた。
慶長19年(1614年)10月、いよいよ天下を二分する大戦が始まろうとしていた。
大阪城では、淀殿を中心に、来るべき戦への準備が進められていた。
評定の間には、真田幸村、長宗我部盛親、後藤又兵衛、毛利勝永、明石全登といった歴戦の猛者たちが顔を揃え、さらに大野治房、木村重成といった豊臣恩顧の武将たちも加わっていた。
彼らは、それぞれの得意とする戦術や戦略を淀殿に献策していた。
「城は、この上なき要害にございます。籠城にて、徳川の大軍を迎え撃つのが上策かと存じます」
そう進言したのは、木村重成だった。
彼は秀頼の乳兄弟であり、豊臣家への忠誠心は誰よりも強かった。
重成は、大阪城の堅牢さを信じていた。
堀は深く、石垣は高く、城壁には鉄砲が並び、容易に落とせる城ではない。
重成は、徳川軍が力攻めに出れば、多大な犠牲を払い、やがて兵糧が尽きるか、冬の寒さに耐えかねて撤退するだろうと予測していた。
しかし、その提案に異を唱えたのが、豪胆な後藤又兵衛だった。
「いや、それは愚策。徳川は籠城策を敷く我らを、外からじわじわと攻め立てるであろう。城に籠もるばかりでは、兵の士気は下がり、やがて城内は混乱に陥る。ここは、兵を城外に出し、機を見て徳川本陣を突き崩すべし!」
又兵衛は、己の経験から、籠城の限界を知っていた。
彼は、豊臣に味方する兵たちが、戦に飢えた浪人たちであることを理解していた。
彼らを城内に閉じ込めておけば、その力が腐り、やがては内側から崩壊するだろうと危惧していた。
又兵衛の意見に同意したのは、真田幸村だった。
彼は立ち上がると、一幅の地図を広げた。
「又兵衛殿の申される通り、籠城のみでは勝ち目はありません。徳川の大軍に正面からぶつかるのは得策ではございません。徳川は、この大阪城の弱点を突いてくるでしょう。この城は三方を川と湿地に囲まれ、自然の要害となっておりますが、唯一、南側だけが台地続きで平坦な地形となっており、守りが手薄です。家康は必ず、この南側から主力の大軍を差し向けてくるに違いありません。」
幸村は地図の南側を指差した。
「そこで、わたくしが城外に出城を築き、徳川の陣を撹乱します。この出城の名を真田丸と申します。」
淀殿をはじめ、諸将の間にどよめきが走った。
城壁の外に自ら進んで砦を築くという幸村の発想は、誰も考えつかなかった奇策だった。
「真田丸は、城の南側に突出させるように築きます。半円形に土塁と空堀を巡らせ、鉄砲や大砲を多数配備します。徳川の大軍は、正面から城を攻めるために、この真田丸を避けて通ることはできません。もし攻めかかってくれば、我が真田丸がすべての攻撃を引き受け、城壁からの援護射撃と合わせ、徳川軍に多大な損害を与えましょう。そして、この混乱に乗じて、又兵衛殿には遊軍として徳川本陣を奇襲していただきます。この二つの策がうまく噛み合えば、徳川の態勢を崩し、勝利を掴めるはずです。」
幸村の言葉は、その場にいるすべての者に、彼の天才的な戦略眼をまざまざと見せつけた。
彼は、九度山での蟄居中に練り上げた策を淀殿に披露したのだ。
彼の眼差しは、静かでありながら、燃えるような情熱を宿していた。
彼は、徳川家康という稀代の狸を欺くには、常識を超えた奇策が必要だと考えていた。
淀殿は、幸村の意見を聞き、深く頷いた。
「皆の者、よう聞いてくれ。徳川家康は、武士の世を終わらせ、武力によって天下を支配しようとしておる。そのような世を、秀吉様が望んでおられたと思うか?いや、断じて違う。秀吉様は、この日のためにこの大阪城を築き、そしてこの大阪城に豊臣の未来を託されたのだ。もはや、徳川との和議などあり得ぬ。我らは、秀吉様の遺志を継ぎ、この世に平和と安寧を取り戻さねばならぬ。そのためには、皆の力が必要なのだ。幸村、そなたの策、見事である。真田丸、築いて見せよ!又兵衛、そなたも思う存分、徳川の陣を掻き乱すがよい!」
淀殿は、力強く檄を飛ばした。その言葉には、もはや迷いはなかった。
彼女は、秀頼と豊臣家を守るため、すべてを賭ける覚悟を決めていた。
その表情には、自らの運命を受け入れ、戦に身を投じる一族の長としての覚悟がにじみ出ていた。
淀殿の言葉に、諸将の顔が引き締まった。
彼らは、それぞれの持ち場へと戻り、来るべき戦に備えた。
「盛親殿、全登殿、そして勝永殿。皆、わたくしに続くがよい。この戦、我らの手で、徳川の牙城を崩して見せるぞ!」
又兵衛がそう叫ぶと、長宗我部盛親と明石全登、毛利勝永も力強く応じた。
彼らの顔には、再び武士として戦えることへの喜びと、戦場で散ることへの覚悟が入り混じっていた。
大阪城下では、戦の準備が急ピッチで進んでいた。
真田丸の築城には、幸村自らが指揮を執り、浪人たちが力を合わせて土塁を築き、堀を掘った。
城内では、武器や食糧が運び込まれ、兵士たちが慌ただしく行き交っていた。
その様子を、千姫は静かに見つめていた。
彼女の心には、幸村の言葉が深く残っていた。
「戦は、避けようとすればするほど、深みにはまるもの」。
その言葉の意味を、千姫は今、身をもって感じていた。
戦は、避けられなかった。
そして、この戦が、豊臣家の運命を決定づけるだろうことを、千姫は予感していた。
大阪城に吹き荒れる冬の風は、開戦の狼煙を告げていた。




