第45話 誘拐と洗脳はヒロインの特権
家中を包み込む、この嫌な気配は、あの時と全く同じだった。
忘れたくても忘れられるはずがない。
寄生虫がスルリと入り込んでくるような不快感と、ヘドロのような臭さが混じったような、人のメンタルをいじめることに特化した空気。
母親の死に顔とともに、俺の脳細胞すべてに刻み込まれている。
「親父ッ!」
「明麻絵ちゃんは?」
「俺の部屋だ!!! すぐに行くぞっ!」
早く。
早く早く早くッ!
一刻の猶予もない!
一秒も勿体ないっ!
一瞬でも無駄にするな!!!
奴は明麻絵を狙っている。
だけど、なぜ今なのだ。
今日いきなり、というのは違和感をおぼえる。
何かきっかけが――
だからッ!
時間を無駄にするな、俺!!!
明麻絵の元にたどり着くことを考えろ!
もうすぐだ!
俺の部屋!!!
引き戸を開く時間も惜しい。
扉を蹴破り、部屋の中へと入ると――
「明麻絵……」
頭が真っ白になり、動けなかった。
「……いない」
もう、手遅れだったのだろうか。
つい数分前には、ここで眠っていたのだ。
はっきり思い出せる。
彼女がいた布団に触れると、温もりが残っていて、それが現実感となって俺の脳をひどく揺らした。
ああ。
夢ではないのだ。
ここで寝ていた明麻絵は、幻ではない。
だけど、彼女は今、ここにいないのだ。
きっと、もう――
「……そっか」
「親父」
「そんな泣きそうな顔をしなくても大丈夫だよ」
その言葉を聞いた瞬間、真っ白に染まっていた頭に煮えたぎった赤色が入り込み、染め上げた。
「何が大丈夫だっ!!!」
「落ち着いて」
「どこだ、どこにいる!? まだ追いかければっ!」
「御手」
「とにかく外に行けばいいか!? とにかく手がかりを――」
「落ち着くんだ」
「落ち着いていられるかっ! 明麻絵が――」
「まだ家の中にいる。あいつの性格上、絶対」
親父の揺らぎの一切ない瞳を見て、ハッとした。
いつのまにか肩を掴まれていることにも、気づいていなかった。
俺はどれだけ取り乱していたのだ。
「まだ、いる……?」
「今は説明をしている時間はない。ついてきて」
「あ、あぁ」
奴については親父が一番詳しい。
今は信じてついていくのが最善だ。
親父が向かっているのは、家の中央にある客間か?
……いや、そうか。
あのガラスが割れたような音は、結界が破られたことを示している。
親父の結界は外から悪意を持つ妖怪を弾くものであり、外からの破壊はほぼ不可能。
しかし、内側からなら容易だ。要になっている物を壊せばいいだけだ。
ヤツはなんらかの方法で家の中に侵入し、結界を破壊した。
つまり、結界を壊せる要所――客間に奴はいる。
「いくよ、御手」
「……ああ」
覚悟はとうにできている。
客間に入ると、最初に人影が目に入り、俺は呆然とした。
「……明麻絵」
「御手くん、どうしたんですか?」
明麻絵だ。
目の前に明麻絵がいる。
だけど、具体的ではない違和感をおぼえているせいで、近づけない。
「……それ、なんで壊した?」
明麻絵の足元にある、引き裂かれたダルマ。
それが結界の要だったのだ。
「だって、わたしは最初から嫌いだったんですよ」
彼女の唇は紫色で、卑屈に歪んでいて、見ているだけで胸が苦しくなる。
「この家も、人間も! なにもかも! 全部全部壊したかったんです!」
なんで。
なんでだ。
「ああ。ずっとだましていた甲斐がありました。これで、やっと彼の元にいけます。愛おしい愛おしい、あの人の元へ」
明麻絵は恍惚と頬を赤らめたうえに蕩けた瞳で虚空を見ていて、 そのあまりにも演技がかった所作に俺の心がさらにざわめいた。
「……明麻絵」
違う。
何もかも、違う。
「お前は誰だ」
こいつは明麻絵じゃない。
乗っ取られているのか、それとも化けているのかはわからないが、表情も仕草も、まるで別人だ。
「人形遊びはそれぐらいにして、出てきたらどうだい?」
「ふひっ。ふひひひひひィ」
奴は明麻絵の後ろから姿を現した。
それだけ小柄で、一見すれば細った老爺。
しかし、後頭部が異常に発達しており、まるでいびつな金槌のようになっている。
そしてなにより、吐き出す息すら嫌悪感を掻き立てる、邪悪な雰囲気。
その姿を見た瞬間、フラッシュバックした。
母親の死に顔。
あの時の悲しみ。絶望。
俺の母親を、俺の目の前で殺した怨敵。
親父が追い払った、百鬼夜行を起こした張本人。
「ひさしぶりじゃのぅ。陰陽師」
「ぬらりひょん。君は相も変わらず、気色悪い笑みを浮かべるのが好きだね」
そして今、自らの子孫である明麻絵をさらおうとしている、妖怪の総大将でもある。




