第39話 亜音速で揺れる腹肉
負けた方はなんでも相手の言うことを聞く。
明麻絵がそう提案してきて、俺は快諾した。
場所は校庭の端。
時間は朝。
始業前であるが、すぐに決着がつくため、問題はないだろう。
明麻絵は天才くのいちと呼ばれていて、白雪さんの父親を行動不能にした実績をもっている。
それだけの情報ならば、凡人の俺に勝ち目はないように思われることは必至だろう。
だがしかし、俺は普段の明麻絵を知っているのだ。
いつもぐ~だら過ごしていて、毎日ゲーム三昧。ご飯は常に完食し、運動をするそぶりがなければ、痩せる熱意がまったく一切ない。
あんな生活をしている人間が、鍛錬を欠かさない俺に勝てるわけがないのだ!
「言っておきますけど、手加減はしないでくださいよ? 後で負け惜しみを言われたくないので」
「ははは。そんなわけがなかろう」
いくら好きな相手だからといって、弱いと言われては引き下がれないのだ。
たしかに俺には才能はなければ、特別強大な力を有しているわけではない。
持っているのはせいぜい、妖怪の力を受け付けない体質のみ。
だが、これでも島田家の末席に座る者であり、男としての意地がある。
「姐さん、がんばれー」
む?
なぜ白雪さんがいるのだ?
いや、それだけではない。
いつの間にか周囲に野次馬が集まっているではないか。
誰にも決闘のことを伝えていないはずなのに、何が起きているのだろうか?
「じゃあ、行きますよ。参ったと言った方が負けです」
「了解だ」
さて、まずは様子見だ。
「……なんだと」
一瞬。
ほんの一瞬で、俺の視界から、明麻絵の姿が消えた。
透明人間が見えるメガネはしっかりかけている。透明になったわけではない。
「なるほどな」
周囲に立ち込めている土煙で、ようやく理解できた。
明麻絵は目にもとまらぬ速さで疾走したのだ。
たしかに、日常生活で彼女の素早さの片鱗を見せていた。
お菓子の奪い合いでは一瞬でかっさらい、つまみ食いは刹那の間に済ませる。その能力はすべて空腹ゆえのパワーだと思っていたが、彼女の素のスペック自体も相当だったようだ。
「どうですか?」
「移動しながらなのに、やけに綺麗に声が聞こえるな」
「そういう忍術です。恐れ入りましたか?」
なんという技術の無駄遣いだ。
いや、それだけの余裕があるということだろう。
「舐めてくれるな」
「実際、御手くんは目で追えてもいないじゃないですか」
「そうでもないぞ」
「……え?」
土煙の動きから、明麻絵の動きを予測しているが、かなり単調で直線的。おそらくは速度を重視している動きだ。
ならば、
「……すごいな」
この光景、周囲の人間には見えていないだろう。
明麻絵は透明人間だから、制服が高速で動いているように映っているだろう。
しかし、俺の目はしっかりと捉えている。
彼女の素早く、流麗な動き。
そして、動くたびに揺れる太ももと腹肉を。
その揺れっぷりは、まるで大地震。いや、世界を丸のみにする大波。
あまりの迫力に、唾を飲み込むほかなかった。
いや――
「隙あり!」
「――っ!」
息を呑む暇などないっ!
「むっ。全然ひるみませんね」
「来るとわかっていれば、いくらでも耐えられる!」
俺はいつも、そのような鍛え方をしているのだ!
しかし、明麻絵の攻めは非常に厄介だ。的確に急所を狙ってくる。
体の使い方も、技術も、タイミングも、なにもかもが極上。
普段から訓練していないのにこのレベルを維持できているのだから、確かに『天才』と呼ばれるだけはある。
わずかな隙を見つけるしかない。
「これならどうですか?」
「くそっ」
突如、縄が俺の脚に絡んでいた。
ミスディレクションか、何かの忍術か。
考えている余裕はない。
こいつが縄を取り出してきた時点で、捕まったら最後。
大勢の前で亀甲縛りにされてしまう!
「ふん!」
「…………え?」
縛るのが目的とわかっているなら、縛られないように縄を抑え込めばいい。
そして――
「これで決まりだ」
「あ、ちょっ、まっ!」
縄を引っ張れば、その先には明麻絵がいる。
あとは捕まえてしまえばいい。
「俺の勝ちだ」
「……参りました」
紐を使わずに、飛び道具で攻められれば俺に攻め手はなかった。
明麻絵は自分の技術を過信していて、なおかつ予想外の出来事に弱いようだな。
周囲から拍手が聞こえるが、今は明麻絵にキズがないか確認しておきたい。
「……あー。ダメでしたか」
「これでわかったか?」
「たしかに、御手くんは強いですね。わたしに何を頼みたいんですか?」
もう決まっている。
「一緒にハンバーグでも作らないか?」
「え、もっとエロいことでもいいんですよ?」
「女の子がそんなこと言うなっ!」
「え、でも――」
「彼女の手料理を食べたいと思うのは当たり前だろう」
ずっと俺が料理を作っている現状に、少し不平が溜まっているのだ。
たまには他人の手料理が食べたい。
好きな人が作ったものなら、なおさら。
「……ぁ。そ、そうですね……」
おい、照れるな。
照れるところが違うだろ。
「ちなみに、お前が勝ったら俺に何をお願いするつもりだったんだ?」
「亀甲縛り状態で、肛門日光浴してもらおうかと。みんなの前で」
「……どういう性癖だ」
健康法として肛門日光浴の知識は持っているが、あれは人前で行うものではないだろう。
さすがにドン引きするぞ。
「ち、違いますよ! ただ、御手くんの醜態をみんなに見せたいだけで」
「お前、本当は俺のことが嫌いなのか?」
「……だって、御手くん、あんなにモテてたじゃないですか」
「…………」
つまり――
「だって、御手くんの魅力はわたしだけが知っていればいいじゃないですか。みんなカエル化しちゃえばいいんですよ」
「お前、意外と嫉妬深いんだな」
野次馬を集めたのは、明麻絵本人だったのか。そう考えれば、辻褄があう。
忍者には偽りの噂を広め、相手の軍を混乱させる技術があるという。
その応用なのだろう。
「嫉妬深いのは嫌いですか?」
「いいや、それぐらいを受け止められずに、なにが男だ」
「へへへ。そうですか」
ああ。
彼女の揺れる腹肉を見たせいか、抑えがきかない。
「あの、いきなりイチャつかないでよ、姐さんたち……」
白雪さんは呆れているが、我々がキスをする瞬間を、ぜひとも見てもらいたい。
彼は一応、明麻絵と最も仲のいい、俺以外の異性だからな。




