第36話 キスをしたということは、付き合うということではないのか!? 後編
「……寝る」
「はい。わかりました。ちょっと準備しますね」
それからすぐに、明麻絵の部屋へと向かったのだが、ドキドキが止まらなかった。
いつも通り散らかっていて、全然素敵な空間とも思えなかったのに、明麻絵が普段生活している空間だと思っただけで、落ちている下着すらも直視できなかった。
なぜだろうな。
キスをしただけで――粘膜接触をしただけで、人の心は簡単に変わってしまうものだったのだろうか。
……いや、わかっている。
きっと、俺は元々――
「どうですか?」
「……ああ」
後頭部に感じる、柔らかくて、温かい感触。
明麻絵のお腹。
俺は今、許婚のお腹の上に頭を乗せて、眠ろうとしているのだ。
「これ、すごいことをしてないか?」
「今更言いますか?」
たしかに、先日までの俺は何も感じていなかった。
しかし、今は違う。
心臓が高鳴りすぎて、どうにかなりそうだ。
なぜ過去の俺は安らかな気持ちでいられたのだ……!
「あれ、いつもより寝つきがわるくないですか? もう寝てもおかしくないのに」
「……お前、」
「え?」
お腹の中から、内臓が動く音がすごく聞こえたぞ。
「御手くん、意識してるんですか?」
「……するに決まっているだろ」
「キスをしたから、ですか?」
「それに、もうお前は、その……彼女、だろ?」
「え、彼女……ですか?」
なんだ、この、素で驚いた反応はっ!
「えっと、キスは確かにわたしからしましたけど、恋人になったわけではないですよ……?」
「キスをしたら、恋人になったということだろ!?」
恋人同士でなければ、キスをしてはならない。
なら、キスをしたなら恋人ということだろう!?
「えっと、その……御手くんは、わたしが彼女でもいいんですか?」
「キスをしたらのだから、そうなるべきだろう」
「そうじゃなくてですね……その」
「なんだ?」
「御手くんはわたしのこと、好きなんですか? その……付き合いたいぐらい」
「それは……」
……そうか。
好き同士だから、付き合う。
そういうものだったな。
…………明麻絵が好きかどうか、か。
はっきりと聞かれると、返答に困ってしまうし、俺自身も答えを出せていない。
「俺には、憧れの女性がいるのだ。小さい頃に心を救ってくれた人が……」
「知っていますよ」
「俺はずっと、彼女の横に立てるような男になるため、努力をしてきた。だから、今の俺はお前のための俺ではないのだ」
もし、彼女が今の俺を好きなら、それは彼女のための俺が好きだということだ。
不誠実になってしまうのではないのか?
「ねえ、御手くん」
「なんだ?」
「わたしの声を聞いて、思い出しませんか?」
「なにを……?」
意味がわからない。
彼女が自信にあふれた表情をしている理由も。
「じゃあ、これはどうですか?」
「なにを……」
突然、頭全体を覆う、温もり。
俺は今、抱きしめられて、頭を撫でられているのか?
「大丈夫ですよ。わたしは今の君が好きですから」
この言葉、どこかで――
――大丈夫ですよ。わたしは悩んでる君も好きですから。
なぜ、幼いころの、憧れの彼女に掛けられた言葉を思い出すんだ。
…………いや、そうか。
そういうことなのか。
この感触。
この温かさ。
何もかもが、教えてくれている。
「明麻絵が、あの時の……」
「……やっとですか?」
ああ、そうだったのか。
「……そうか」
明麻絵は透明人間。
俺が彼女の顔を覚えていないのも、そういうことなのか。
なんで、俺は今まで気づかなかったのだ。
そして。
「なんで教えてくれなかったんだ」
「本当は御手くんから気付いてくれるまで、黙っておくつもりだったんですよ。でも、もういいかなって……」
「なんでだ?」
「思い出が無くても、わたしのことを好きになってくれたから」
「……ああ」
そうだ。
俺はなんて情けないんだ。
女の子に、自分の気持ちを代弁させるなんて。
「好きだ、明麻絵」
「……本当ですか?」
「ああ。好きだ。好きになってしまったんだ」
もう、何も気にする必要もない。
なにもかも自覚してしまった。知ってしまった。
「あの、聞いてもいいですか?」」
「なんだ?」
「わたしのどこが好きなんですか?」
どこ、か。
「……どこ、なんだろうな」
「なんですか、それ」
不満そうな顔の明麻絵もかわいいと思ってしまうんだな、俺。
「だけど、なぜか好きと言いたくなったんだ」
ははは。
自分のことながら、なんとも幼稚な答えだ。
「俺って、子供だったんだな……」
「今更気づいたんですか?」
「……明麻絵は、俺を最初から子供だと思ってたのか?」
「背伸びしてる子供だなー、とずっと生暖かい目で見ていましたよ」
背伸び、か。
たしかに、ずっと理想の自分を――益荒男を目指してきた。
ずっと夢に向かって邁進しているのだと思いこんでいたのだが、外からは背伸びに見えていたのだろうな……。
「子供っぽく思ってても、その……」
キスしたのか?
そう言いたいはずなのだが、俺の口はどうしてしまったのだ。まごまごするしかできない。
やはり、子供だ。
「ええ。そういうところも好きですよ」
「……ああ」
子供っぽいところも好きだと言ってくれる。
それが、どれだけ嬉しいことか。
自分の全てを肯定して、包み込んでくれるような、魔法の言葉。
「これから、よろしくな」
「ええ」
「恋人として」
「わざわざ言わないでください。無粋ですよ」
「……すまん」
「悪いと思っているなら、御手くんからキスしてください」
「……え?」
それは、話が違わないか?
「まだ御手くんから一度もキスされていませんから。してくれないと、許しません」
「……わかった」
男として、覚悟を決めるしかないだろう。
そう意気揚々とキスしようとしたのだが――
彼女の顔を直視できなくて、肌に触れるのもドキドキして、羞恥心で心がはち切れそうで――
頬に軽く触れるのが、限界だった。
「かわいいですね。これもまたいいです」
「……やめてくれ」
かわいいと言われて、どこか嬉しく感じている時点で、俺はもうダメなんだろうな。




