第18話 腹の弾力がまるで高反発枕のよう 後編
まあ、細かいことはいい。
色々考えようとしても、頭がうまく働かない。
ああ、今はとにかく。
巣穴の雛のように眠りたい。
さっきまで気を張っていたが、限界みたいだ。
眠れないというのは辛い。
頭の中に石を押し込まれたように、痛い。
動くだけで吐き気がする。
鼻の中で、ずっと血のようなタバコのような、奇妙な匂いがこもっている。
全身がロウソクのように溶けていって、確実に、着実に、命の炎を燃やしている感覚がある。
そろそろ気絶してしまいそうだ。
なんで俺がこんな目にあわないといけないのだろう。
母親があの日、死ななければ……。
とてもかわいらしい人だった。
常に笑顔を絶やさなくて、誰よりも愛情深い人で、いっぱいいっぱいほっぺにキスしてくれるような親バカだった。
だけど、もうキスの感触を思い出せない。
お母さんが死んだとき、スライムのようなドロドロした感触に塗りつぶされたから。
遺影を見るたびに思い出す。足元に転がってきた、目玉。
お母さんは、僕の目の前ではつぶされた。
原型が残らないほどに、ぐちゃぐちゃに。
目をつむると、血の匂いが脳の奥底から湧き上がってきてしまう。
「…………あ?」
俺はどこに向かっているんだ?
ああ、そうだ。
紙透明麻絵だ。
彼女の部屋に向かっている。
寝かしつけてくれるらしい。
風呂に入る気にもなれないし、別にいいよな?
「……来たぞ」
「あ、御手くん」
メガネを掛けていないが、紙透明麻絵の姿が見える。
今は見えるモードなのだろう。
きちんとパジャマを着ているが、なぜか少し物足りなく感じるな。
ん?
部屋の様子がおかしいな。
「片付いてる……」
「がんばりました」
「やればできるんだな」
「そうなんですよー。わたし、やればできる子なんです」
「ああ、その調子だ。それで、どこに座ればいい?」
立っているのも辛い。
倒れてしまいそうだ。
「辛いんですね」
「……ああ、一気にきた」
「じゃあ、ここに頭を置いてください」
……ん?
紙透明麻絵、自身の太ももを叩いているな。
まあ、いい。
考える気にもなれない。
「あれ? 素直ですね」
「やわらかい。あたたかい」
「それは上々です。かわいい」
これだけでも、少し胸の中がスーッとする。
人の肌というのは、いいものだな。
「じゃあ、頭を撫でますよ?」
「……ああ」
撫でられている。
温かい手の感触。
ゆっくりと呼吸する音。
「うまいな」
「わたしのパパも、うまく寝つけない人だったので。ママの真似をしているうちに」
忍者ゆえに、いろいろとあるのだろうな。
撫でられていると、心が落ち着いていく。
眉間がほぐれていくのを実感する。
しかし――
「……ダメですか?」
「いや、大分よくなってはいる」
だが、あとひと押し。
なにかが足りない気がするのだ。
「お腹を枕にしてもいいですよ。パパも好きなんです」
「……そうか」
ああ。
ふとももよりも柔らかい。
それに、聞こえる。
体の中の音。
少しだけ不規則な、内臓が動く、温もりの音。
ああ、この人は生きているのだ。
生きて、俺の頭を撫でてくれている。
それだけのことが、なぜか嬉しい。
「小さい頃、ある女の子に助けられたんだ。抱きしめられて、俺は一心不乱に泣いていた」
「……そんなことがあったんだ」
「今でも、あの日のことは忘れられない。いいや、生きている限り、忘れることはないだろう。それほどに、俺の心は救われたんだ。今日まで生きていられたのは、彼女のおかげなんだ」
「……はい」
「だが、なぜだろうな。彼女の顔はまったく思い出せない。いや、違う。理由はわかっている」
「…………」
「きっと、幼いながらも、怖かったのだろうな」
あの頃は、お母さんが死んであまり経っていなくて、親父との関係も最悪だった。
「大切な人の死に際を、絶対に見たくなかったんだ。だから、大事な人を作りたくなかった」
なぜこんな話をしているんだ、俺は。
許婚とはいえ、もっと中を深めてからすべきではなかっただろうか。
でも、いいか。
こいつなら受け入れてくれる。
そんな予感がする。
「……わたし、パパに聞いたことがあるんです。透明人間は死んだらどうなるのか、って。透明なまままで死ぬのが恐ろしかったんです」
「そうか」
「なんと、死体も透明らしいんですよ」
それはなんとも、うつくしいことだ。
「よかったですね。わたしが許婚で」
「ああ、そうか……」
それは安心できる。
こいつのことが好きになっても、怖くない。
「あの、御手くん」
「なんだ?」
あ、もう……。
安心したら……。
「わたしの声で、何か思い出しませんか?」
「……んぁ?」
どこか母親の話し方に似ているか?
いや、違う。
別のところで聞いたような――
「あの、その……。御手くん。実はですね――」
…………ああ。
落ちていく。
何も考えられない。
こんなにも安らかな気持ちで意識が沈んでいくのは、いつ以来だろうか。
もしかしたら、お母さんが亡くなった時以来か?
プツンと意識が切れるのではない。
ゆっくりとゆっくりと、体が温もりにとけていく感覚。
そうだった。
眠るというのは、こんなに心地いいことだったな……。
おやすみ。
お母さん。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
ここから恋愛感情に発展していくかも……?
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