血が一滴
修正箇所が多々ありましたので、上げ直させていただきました。
半月ほどかけて、僕は全ての場所に針を置き終えた。
子供でも行ける場所ばかりだったので、心底ホッとした。
水恩に伝えると「ありがとう!」と抱きしめられた。
ふわりと、いい匂いがする。
頭をぐしゃぐしゃと撫でられ、髪がボサボサになった。
「暑い中、ご苦労様。大変だったでしょ?」
「い、いや、そんなこと、なかったよ」
実際は大変だった。
後からあとから、汗が噴き出てきたから。
一番大変だったのは、汗が目に入った時だ。
あまりの痛さに、自転車を止めてその場で蹲ってしまった。
でも、そんな事をいちいち伝えたくない。
だって、恩着せがましい感じになるから。
「お礼をしないとね」
「えっ、いいよ」
「駄目よ。こういうのはタダでやるとね、ロクなことが無いわよ」
「そうなの?」
「『安い奴』『都合のいい奴』って思われる」
「……そういうものなのかな?」
「そういうものです!」
「でも……」
躊躇う僕に、水恩は「じゃあ、もう一つお願い」と言った。
スマホを出して、と言われたので、カバンから取り出す。
「……うーーん、ここと、ここ。それから、ここ。この場所に生えている木の葉っぱを、三枚ずつ今から伝える形に切ってくれる?」
三角形を少し丸くしたような、奇妙な形だった。
木の種類はなんでもいい、と水恩は言う。
「どうして、葉っぱを切るの?」
「説明するとなると難しいわね。ザクッと言えば、結界の為……かな」
「結界……」
漫画やアニメで時折耳にする言葉だ。
詳しいことは分からないけど、何だかカッコいい。
その『結界の為』の手伝いができるんだ……!!
「山の中とか湖の底ってわけじゃないから、大丈夫だとは思うけど、暑い季節だし、変な人もいるかもしれないから、十分気を付けてね」
「うん!わかった!!」
心配されることが嬉しい。それだけで、頑張れる。
水恩は、すっと林の奥を指差した。
日当たりは悪く、暗闇から禍々しい何かが飛び出してきそうだ。
「この先に、私とはまた違う神様の住む祠があるから、そこに行って手を合わせてくるといいわ。……あっ、何を思うかは自由だけど、『世界征服』なんて事を考えるのはナシよ?」
コクリと頷き、僕は歩き出す。
捨てられた古い空き缶や、使用用途不明の錆びた鉄の棒なんかが落ちていて、危うく足や腕を切りそうになる。
(こういうので怪我をすると、破傷風になるかもしれないんだよね。気をつけないと……)
注意を払いながら進んで行くと、小さな石でできた祠が見えてきた。
水恩の祠と同じくらいの大きさだ。
誰かがいる気配はない。
湿気と草木の匂いが嫌で、一刻も早く離れたかった。
僕は急ぎ足で祠に手を合わせると、さっさと水恩の場所へと戻る。
暑さに意識をとられていた所為で、何も願ってはいない。
戻ると、水恩が「お疲れー」と手を振ってくれた。
僕に向かって「どんなことが起きるかは、お楽しみよ」と笑う。
ちなみに効果が出るまで、少し時間がかかるらしい。
僕は、期待せずに待っていよう、と思った。
×××
家に帰ると、お父さんもお母さんもいなかった。
何処かに出かけているのだろう。
風呂場から、唸るような声が聞こえる。
また、お姉ちゃんがカッターでお腹を切っているんだ。
これでもう、十回は確実に超えている。
初めて見た時は、ビックリした。
×××
シャツのお腹のあたりを洗濯バサミでまくり上げ、スカートに血がつかないように新品の雑巾を傷口に当てていた。
あまりに混乱しすぎて、「手当しないと」じゃなくて「どうして切ってるの?」と聞いてしまった。
「……さあ、私にもよく分かんない」
あっけらかんとそう言われ、僕はポカンと口を開けて固まった。
「強いて言うなら、認識できる痛みがあると落ち着くから、かな?」
「……よく分からないよ」
それでいいよ、と笑いかけられる。
お姉ちゃんは、言葉を選びながら、僕に話してくれた。
「何て言ったらいいのかな。もうね、胸が苦しくて、痛くて仕方がないの。でも、それって目に見えない痛みだから、なんで痛いのか分からなくってまた痛むの。だから、こうして『痛みの出どころ』を作って、気を落ち着けてるの」
神様や妖怪と同じよ、とお姉ちゃんは言った。
昔は、災害を科学的に説明できなかった。
分からない、得体が知れない、というのは恐怖でしかない。
だから、『理由』を作った。
妖怪がいたずらで荒波を起こしている。
神様を怒らせたから、日照りが続いている。
どのみち、対処できない事ではあるけれど、まだ『理由』があるだけ納得できるし、その所為にすれば、諦めもつく。
「『普通』の人がヤバい犯罪を起こしたら、絶対に趣味や過去を探るでしょ?『普通じゃない部分を見つけよう』って躍起になるでしょ?」
変わった趣味でもいい。
悲しい過去でもいい。
とにかく、『普通』『一般』とかけ離れた理由が欲しい。
そういうものなのだ、とお姉ちゃんは続けた。
「……私がこんなことしてるって、お父さんやお母さんには内緒よ?バレないように、手首じゃなくて見えにくいところを切ってるんだから」
「……?うん」
いきなり『手首』が出てきて、僕は首を傾げる。
でも、お姉ちゃんの目が怖かったから、約束を守った。
そしてその約束は、今も続いている。
×××
風呂場から出てきたお姉ちゃんは、少し上機嫌だった。
服の下にはきっと、赤い線が走っているのに。
僕は何も知らない風を装って、「どうしたの?」と聞いた。
そしたら「今日、お金を拾ったの。千円」と返ってきた。
それで、宝くじを買ったらしい。
ますます上機嫌な理由が分からない。
まだ、当たってすらいないのに。
そう言うと、「まあ、そうなんだけどね」と更に笑う。
「でも当たったら、冷房つけれるし、もし一等が出たら、お父さんと縁が切れる。『養ってやってるんだ!』って言われなくなる。もう、嫌味を言われながら走らなくてもいい」
俺の子なのに、どうしてそうも運動ができないんだ!
性別や体格差に甘えるな!!
全く、今時の子供はすぐにヘバる。
俺が子供の頃なんかは、もっと厳しくて――。
一緒に走る時は、決まってそう言われるそうだ。
お母さんに相談しても、「言う通りにして」それで終わり。
あの人をイライラさせないで。
仕事が忙しいから、ストレスが溜まっているのよ。
責任重大な仕事だから。
上にも下にも気を遣わないといけないし。
今はちょっと、荒れているだけ。
きっと、昔のあの人に戻ってくれる。
「お母さんとも、縁を切りたい。あんな悲劇のヒロインと一緒にいたら、こっちの頭までおかしくなる!……こっちのストレスは、どうなんのよ」
ギリッと嫌な音が聞こえた。
お姉ちゃんが、歯を食いしばる音だ。
「責任重大な仕事をして、上にも下にも気を遣って、自分のお金だけで家族を養えたら、どれだけ傷つけてもいいのかな?それなら、私も将来、そんな感じの会社に就職しようかな。バリキャリになって、結婚する。そして――」
「ストレス発散の為に、家族を作るの?」
「……ははっ、最低なこと言ってるわね。私」
リビングに行くと、テーブルの上に数枚のチラシが置いてあった。
お姉ちゃんは一枚のチラシを手に取ると、はん、と鼻で嗤う。
『もしかして虐待かも、と思ったら迷わず連絡を!皆で守ろう!救える命!!連絡先は――』
「これって、家に帰されたりしたら、どうなるんだろうね。……私たちみたいな半端は、きっと守ってもらえないよね?『まずはご両親と話し合って――』って言われて終わり。その後の展開がどうなるかなんて、ちょっと考えたら分かるのに」
お姉ちゃんは「まっ、しょうがないか」と投げるようにチラシを置く。
「連絡先の人たちは、もっと酷い親の対処で大変だろうし。人死にが出たら、『何をしていたんだ』って叩かれるしね。……法とかで、踏み込めないのにさ」
そう自分たちは『マシ』な人生を歩んでいるのだ。
寒空の下に放り出されたことも、痣ができるまで殴られたこともない。
「そう言った人からしたら、私なんて『甘ったれ』よね」
吐き捨てるようにそう言うと、お姉ちゃんはテレビをつけた。
少子化を憂うニュースが流れている。
「……この間も似たようなニュースが流れてて、それ見たお父さんが、私を見て『プレッシャーだな~~』ってニヤニヤ笑いながら言ったんだよね。……はっ、誰がお前の血が入ったガキなんか産むかよっ!!大切な人との愛の結晶?反吐が出るっ!!そうやって笑うお前が、原因を作る一人だとも気づかずに、本当、高学歴な癖に頭悪いなっ!!!」
『お金の問題が――』と話す人たちを見て、お姉ちゃんは笑う。
「案外、私みたいな理由の人って多いんじゃないかな。……でも、そう思わせる人にも人権があるから、あんまりテレビで強く言えない。言ったところで、どうしようもないし。それは『個人の問題』だから」
神妙な顔をして話す女の人を見て、お姉ちゃんは「死ね」と呟いた。
「『今は何でも個を全と捉える人が多くて』……だぁ?お前だってたくさんの信者を誘導した一人だろうがっ!!自分の影響力を知らないわけでもないクセに、よくそんな言葉が吐けたもんだな。『私個人の意見なので』『あくまでも割合の多さを述べている』って言ってれば、何言っても許されんのかよっ!!?」
お姉ちゃんは「しかも、ここに出演してる連中、全員家族持ちじゃねぇか!!」とテーブルを苛立たし気に叩く。
「まあ、『勝ち組様』は何言ってもいいわよね。社会に貢献したんだし。後の世代がどうなろうが、『気にしてますよ~』って言っておけばいい。……なんか、奴隷を戦わせて楽しんでいる大昔の人と、そんな変わらないわね」
これがドラマの中だったら、お涙頂戴の展開にできる。
しかし、現実だと対処できない、蓋をしておくべき『モノ』でしかない。
ただ面倒なだけの代物だ。
輝けるのは、お話の中だけ。
ブツブツと、お姉ちゃんはそう話す。
テレビを見る目が、どんどんきつくなっていく。
「下手につついたら、各方面から叩かれて、それこそテレビに出られなくなるだろうし。……アンケートを受ける側にも、それを感じて無難に『お金』にしている人もいるだろうし。ぶっちゃけ茶番よ」
テレビは離婚率の内容に話が飛んでいた。
円グラフを見て、色んな人が色んな事を言っている。
お姉ちゃんは僕を見て「……いいな。子供産む必要が無くて」と呟いた。
それを聞いて、僕はかなりイラっとした。
この前、親戚のおばさんに『いくら多様性の世の中って言ってもねぇ、やっぱり男の世界は競争社会なんだから、もっとしっかりしないと。そんな性格じゃ――』と言われたばかりだったから。
そりゃあ、おばさんが産まれた時は、そういう風潮だったんだろうけど、『最近の子は、弱々しくて頼りない』『男の子がそんなことでどうするのかしらねぇ?』『やっぱり男は、家族を養って、普段は家にいないのが一番よ』なんて話も目の前でされた。
便利な財布みたいな言われようだ。
実際、それを聞いていたおじさんは、嫌そうな顔をしていた。
お姉ちゃんだって、言える側に回れるじゃないか。
僕が怒っているのが分かったのか、お姉ちゃんは「ごめん……」と謝った。
「どっちも、辛いわよね。こうして好き勝手に、全国放送で言われまくられないといけないんだから。……あーあ、なんで人間なんかに生まれちゃったんだろう」
膝に顔を埋め、か細い声でそう言った。
ばっと顔を上げ、またテレビを見る。
「データを見るのも大事だけどさ。……ああでたよ。心理学の人。この数分間の話だけで全部わかるんなら、誰も苦労しないっての。馬鹿がっ!!」
口がどんどん悪くなっていく。
こういう所は、お母さんと似ている気がする。
「……ほら、男女問わず『暴力』『暴言』とかの部分、サラッと流したじゃん。そういう事よ。『価値観の違い』だったら、まとめやす――」
その時、玄関から物音が聞こえた。
いつものチャンネルに合わせ、いつもの場所にリモコンを置く。
こうしておかないと、機嫌が悪くなるから。
ドアが開いて、お母さんが入ってきた。
お姉ちゃんは「ちっ」と舌打ちをして、自分の部屋へと戻っていった。
「お帰りなさい」も何もなく。
お母さんも、それについて何も言わない。
きっと、負い目があるのだろう。
僕は「お帰りなさい」とだけ言って、自分の部屋へと向かった。
床を見ると、血が一滴落ちていた。
お姉ちゃんの傷口から漏れた血だろう。
そっと浮かすと、開け放たれた窓から外へと投げた。
×××
今にも消えてしまいそうな、細い月が浮かんでいる。
夜だというのに、木々を揺らす風は温く湿っていた。
「ごめんなさいね。もうすぐ神の国に帰るのに、余計な力を使わせてしまって。この埋め合わせは、必ずするからね。しかし、せっかく水を取りに行ってくれたのに、あの子が来たから必要なくなっちゃったわね。それも重ねて謝るわ……」
「――、――――、――――――!」
「そっか、ありがとう。……はてさて、どうなることやら。今のところは、まだ謙虚だけど、あの手の子は、すぐに『当たり前』になっちゃうからなあ」
「――――」
「ああ、分かる?そうよね。最初のウチは、簡単なことをすれば恵みが貰えることに喜ぶのに、最後には簡単なことをするのさえ面倒くさがるのよ。恵だけを欲してくるの。そして、拒否すると怒る」
「―――――?」
「うーん、まだ私は人間界にいるつもり。せっかく移動できる範囲が広がったんですもの。おまじないが良く効いているわ。よかったよかった」
誰かと話をしていた水恩は、すっと手をあげる。
それに応えるように、近くに池の水が浮かび上がった。
自分の周りをクルクルとさせた後、また元の場所へ戻す。
思っていたよりも、力が戻っている。
「……嬉しいわね」
小さな呟きは、夜に吸い込まれていった。