AさんとDさん
クラスメイトのAさんが死んだ。
正義感が強くて、明るくて、サバサバしていた人だったのに。
公園で友達と遊んでいて、虫に驚いた拍子に転んで。
転んだ先にあった石に頭をぶつけて、それっきり。
髪飾りのリボンが、真っ赤に染まって――。
人って、あんなにあっけなく死んじゃうんだね。
×××
青い蛇の神様から力を授かった夜。
僕はなかなか寝付けなくて、布団の中で寝がえりをうっていた。
クリクリとした、金色の瞳。
神様に対して失礼なことかもしれないけど、顔が熱くなる。
……?どうして『失礼』だなんて思うんだろう?
顔が熱くなっただけなのに。
僕自身、よく分かってはいなかったけど、なんだか悪い気がした。
ザーザーと雨が窓を叩く音が聞こえる。
その音に混じって、お父さんがお母さんの頬を叩く音が聞こえた。
僕たち姉弟が寝た後は、だいたいこんな感じだ。
「……お母さんも、余計な事を言わなきゃいいのに」
僕と同じでオドオドとしてはいるけれど、お母さんは時々反抗する。
内容はいつも同じで『私も働きたい』だ。
子供たちも大きくなったし、いいでしょ、って。
でも、お父さんはその話題を嫌う。
だって、マウントが取れなくなるから。
『俺の金で、そんな無駄な物を買って』
『俺の金で、こんなセンスの悪い物を買ってきて』
『俺の金があるから、生活できているんだぞ!』
『今のご時世、専業主婦ができて有難いと思えっ!!』
繰り返し繰り返し。
僕は布団の中で「俺の金……かぁ」と呟いた。
そんなに言うなら、何で結婚なんかしたんだ?って思う。
まあ、お父さんの『時代』ってやつなんだろうな。
ただでさえ、周りよりも結婚が遅くて焦っていたって話だし。
まあそれは、お母さんも同じだけど。
「……無理矢理パズルのピースを嵌めようとするから」
合うはずのないモノを、歪に、強引に、形にした結果がコレだ。
僕らに聞かれないように……というよりも、近所迷惑にならないように声を潜めて、二人のバトルは続く。
きっと、隣の部屋にいるお姉ちゃんも聞いているのだろう。
時々、声を殺した泣き声が聞こえてくるから。
何はともあれ、お母さんが自由に使えるお金を持ってしまったら『私のお金で買い直します』『私のお金で買った鞄です』って言われて、ストレスがたまる。
ただでさえ、人前では『いい人』でいるお父さんだ。
それは非常に困る。由々しき事態だろう。
「……僕も、いつかはあんな風になっちゃうのかなぁ」
誰かと結婚して、夜中にひそひそ声で喧嘩して。
「嫌だなぁ……」
一時間ほど経った頃、ようやく喧嘩は終了した。
×××
「……ったく、馬鹿のクセに調子に乗りやがって」
ブツブツと何かを言いながら、お父さんが階段を上がって自室に入った。
僕はこっそり廊下に出て、まだ明かりがついているリビングを見下ろす。
すりガラスの所為で良く見えないけど、扉越しにお母さんの影が見えた。
今にも死んでしまいそうな、すすり泣く声が聞こえてくる。
そっと部屋に戻った時、お父さんが乱暴に扉を開けて下におりて行った。
「……おい!いつまでも、そんな惨めったらしくメソメソとっ!!」
ドスッと、なにかを蹴る音と、ウグッと、誰かの呻き声。
すぐに二回目の「ドスッ」が聞こえた。
もう呻き声は上がらなかった。
「……空気を読めばいいのに。子供じゃないんだから」
何年も夫婦をしているのなら、相手のことを少しは分かりそうなものなのに。
よく『今時の子は、国語の読解力が足りていない』『○○を理解できない子供たち』なんて言われているけど、『場を読む空気』『察する力』は大人を凌ぐ子も、それなりにいるんじゃないかな?
だって、群れから弾き出されてしまったら大変だもん。
目立ちすぎも、目立たなすぎもダメなのだ。
大人の顔色を窺って、眉の上げ下げ一つに神経をとがらせる。
それが、『今時』の僕がやってきたことだ。
逆に、どうして『今時の子は、相手の気持ちが――』って言う『今時じゃない人たち』は、話を聞いた『今時の子供』が嫌な思いをするって言うのが理解できないんだろう?
全員がそうって言っているわけじゃないから。
そこまで気にしていたら、何も発信できなくなるから。
自分の話を曲解して広める奴が悪い。
そうは言っても、『事実』だから。
そう言っておけば、許されるのかな?
本当は『この程度で、嫌がる奴が××××』って思っていそうで怖い。
全員がそうじゃないっていうのなら、この間、『これだから警察は――』って、とあるロべチューバ―の人が言っていたのは何なんだろう?
そりゃあ、今はドラマでも漫画でも、警察を取り扱った作品はいっぱいある。
それでも、大多数の人にとっては『お巡りさん』だ。
『本当、××警察署の○○課はこれだから――』とはならない。
『おのれ!お巡りめっ!!』ってなる。
読解力のある、他者の気持ちが分かる世代に生まれておいて。
ははは、……傑作だな。
「はあ……。この力がもっと強かったらなぁ」
そしたら、…………いや、言葉にすると本当になりそうだからやめておこう。
勉強机に置いてあるペットボトルの水を、数滴、額に落とす。
当たり前だが、水が垂れてきて気持ちが悪い。
窓ガラスに、水を一滴ぺちっと当てる。「ぺちん」ではなく「ぺちっ」だ。
ガラスに穴が空くことも無ければ、割れることもない。
こんなんじゃ、アニメや漫画によくある『不良に絡まれている人を助ける主人公』なんて、出来そうもない。
「僕の頭がもっと良かったら、いい案が浮かんだのかな……」
そんなことを考えていたら、急に睡魔が襲ってきた。
明日からまた学校だ。勉強は嫌だけど、家にいるよりはずっといい。
…………………………ペチャ
×××
「Tさーん、そっちの国の言葉で『おはよう』って、なんて言うんだっけ?この間教えてもらったのに忘れちゃってさぁ」
昼休み。
自分の席でぼうっとしていると、揶揄うような声が聞こえてきた。
ようなではなく、ほんとうに揶揄っているのだが。
振り返らなくてもわかる。いつものことだから。
それに、この後の流れはだいたい分かる。
「…………えっと、『おぶっしゅりだれむ』だよ」
それを聞いたクラスメイトのDさんは「ありがとう!」と笑った。
「ねぇ、『おぶっしゅりだれむ』だって!!」
変なイントネーションで飾り付けた言葉を、皆に聞こえるように言う。
「『おぶっしゅりだれむ』!」
「『おぶっしゅりだれむ』!!」
数人の男子が、Tさんを取り囲むようにして囃し立てる。
Tさんは、暗い目をして黙って俯いていた。
「世界には色んな国があるわけだし、言葉が違うのだって知ってるけど、それでも、何度聞いても変わってるって思うなぁ。『×××××』だなんて!」
「……………………」
「どうしたの?」
「………………う、うん。そう……だね」
「だよね!張本人のTさんも、そう思うよねぇ~!!」
慣れ親しんだ言葉を、暗に貶される。
きっと、僕には想像することもできない悔しさだろう。
最初のうちは嫌がっていたけれど、今は……。
こんなのイジメだ、って思うけど、僕にはどうしようもない。
だって僕は男子だから。
庇ったりしたら『お前、Tのこと好きなのかよ』って言われる。
かといって女子が庇ったら、『いい子ちゃんぶって』って言われる。
最悪、自分が標的になるかもしれない。
だから、みんな興味がないふりをするか遠巻きにしかみない。
女子グループの中には、クスクスと憐れみを籠めて嗤う人もいる。
孤立無援。助けはこない。
Tさんの国って言っても、Tさんは帰国子女じゃないか。
小学校に上がる前に、両親の都合で海外に行ってしまった。
そして、ちょっと前に戻ってきた。
だから、この町に戻ってきただけなのだ。
揶揄っているDさんだって、幼稚園の時は仲が良かったって――。
(そりゃあ、長い間離れていたら、幼稚園の時の印象とかは違うのかもしれないけど、だからって、あんな風に揶揄うだなんて……)
少し前までは、「誰かTさんを助けようって人はいないの?」って教室を見まわしたりしたけど、今はもうしていない。
それこそ、僕よりもずっと『周囲に目を配っている人』に気づかれでもしたら大変だ。……チクられたら、酷い目に遭うのは目に見えている。
(……これでTさんが、少し前に炎上した芸能人みたいに『まったく、これだからこの国は――』とか『私が暮らしていた国では、コレが常識!こっちの方が正しい!』って言って、強引に自分を押し通したりしていたら。…………なんというか、アレだったんだけど)
見知らぬ相手から(見知っていてもアレだけど)さも全員がそうみたいに言われたら、誰だっていい気はしないだろう。
しかしTさんは、何も言っていない。
多少感覚に違いはあったけど、それだけだ。
それだって、流行っているモノや、言葉の勘違いと言った些細なもの。
誰かに迷惑をかけたとか、馬鹿にしたとかではない。
それでもダメなんだ。
みんなと……『違う』から。
そっちの国では、そうすんの?
何かあるたびに、Tさんが言われている言葉。
「馬鹿にしないで」と言えない、微妙なラインの言葉。
問いかける声は、明らかに嗤っているのに。
あの『呪文』のせいで、特に気にする必要のないことにまで、過剰にビクビクして気にする様になってしまった。
毎日のようにこんな事が続けば(安全地帯からなら言えるかもしれないが)、「気にするな」「言わせておけ」「心を強く持て」なんて言えないだろう。
心を強く持ったところで、それを凌駕する力に押しつぶされる。
それに、悲しいかな。Dさんたちの方が言葉が達者だ。
そうすんの?って聞いただけじゃん。
言われたくないなら、こっちに合わせたらいいのに。
揶揄われているなんて、自意識過剰だよ。
…………ちょっと外国に行ってたからって威張ってるよね。
今の状況だってそうだ。
Dさんたちは「おはよう」を聞いただけ。
発音が変なのは仕方がないし、復唱しただけだ。
それに、言わなかったら『ケチな奴』認定をされてしまう。
そうなると、行きつく先はやっぱり地獄だ。
進も止まるも、横道も地獄。……そして、現れる救世主は悪魔。
「……はあ、みっともな」
さほど大きくもない溜息に、教室内が少し静かになった。
きゅっと目を吊り上げて、カツカツとDさんに近寄る。
「Dちゃんさぁ、そうやってTさんを揶揄うのやめなよね!」
「Aちゃん、嫌な言い方しないでよ」
よかった、Aちゃんがきた。
Aさんがきたなら、大丈夫だよね。まとめ役だもん。
安心したようなヒソヒソ声が聞こえてきた。
Tさんも、ホッとしたような顔でAさんを見上げている。
何度も助けてもらったことがあるから、当然と言えば当然か。
Dさんも男子たちも、白けたとばかりに去って行く。
「……Aさん、あり、がとう」
Tさんが礼を言うと、「謝る必要ないよ!」とニカッと笑う。
これで今日の『揶揄いノルマ』は終わった筈。
僕も、張り詰めていた緊張を解く。
情けない、なんて思わない。
これが、僕の『一日を無難に過ごす術』なんだから。
それに、僕はAさんの本性を知っている。
あの、歪な『正義ごっこ』の正体も。
×××
Tさんが転校して来て直ぐの時。
ランドセルにつけているお守りを、Dさんの友達が嗤った。
「なぁに?そのキモいデザインの人形!呪われそう!!」
それを聞いたTさんは、前にいた国に伝わる『水の神』だと言った。
確かに、色は派手だが全体的に青っぽくて『水』って感じだ。
Dさんは「神様ぁ?このキモいのが?」と大声で言った。
通りすがりの男子が「マジだ。キモッ」といい、遠巻きに見ていた女子が「……いくら神様って言ってもさ、よくつけられるね」と目を逸らす。
Tさんも、皆と仲良くしようと必死だったから凄く困っていた。
これが原因でハブられたらどうしよう、と顔に書いてある。
同時に、だからといって、ランドセルにつけている『水の神様』を悪く言うなんてこともしたくない、と思っている感じだった。
まあ、嫌いだったらつけてこないよね。
Tさんが固まっていると、Dさんはすっと目を細めた。
嬲りがいのある玩具を見つけた、子供の様だった。
Tさんもそれを察したのか、更に顔を青ざめさせる。
そんな時に割って入ってきたのが、Aさんだった。
あの時も、Dさんたちはつまらなさそうに去って行った。
「……あ、Aさん。その、……ありがとっ!」
Tさんは、少しまごつきながらも、感謝の言葉を伝えた。
僕も、「Aさん凄いな」と、その時は思っていた。
違うと分かったのは、放課後だ。
「『……あ、Aさん。その、……ありがとっ!』だってさぁー!!」
「っあはははは、似てる似てる!完コピ!!」
「マジで吹き出しそうになったわぁ!なにあの『っ!』……思い出しただけで、お腹痛いって!!プルプル震えて、チワワかよって感じ」
「チワワに悪いって!Tさんそんなに可愛くないじゃん!……てか、あのキモい人形、あんなの神様として祀ってるとか、ちょっとヤバくない?」
「言えてるー!」
「だよね!」
二人して「ありがとっ!」「ありがとっ!」と笑い合っていた。
そう、AさんとDさんはグルなんだ。
下げて上げて、落として助けて、そんな事を繰り返している。
そしてそれは今も変わらない。玩具が壊れるまで続く。
夕日で伸びた影が、僕には化け物のように映った。
×××
(あの時は、Tさんに何か恨みでもあるのか、なんて思ったりしたけど、別にないんだろうな。『ちょうどいい獲物』を見つけたってだけで……)
きっと、大人になったら『やった側』のアイツらは、綺麗さっぱり忘れているんだろうな。もしかすると『いつまでも根に持って、陰険!』『そんな思いで、今まで生きてきたの?人生無駄にしてるぅ』なんてことになるのかも。
された側はずっと、嫌な記憶に苛まれながら生きていかないといけないのに。
学校からの帰り道、僕は「ふうっ」と溜息を吐く。
また、家に帰らないといけない。
頬を伝う汗をアスファルトの地面に向けて放る。
数滴どかしたところで、次から次へと流れてくるんだけど。
汗の粒を、目の前でフヨフヨと浮かす。
……あっ、砂が数粒混じってる。
ま、どうでもいいか。
この先の公園で少し遊んでいこうか、なんて事を考えながら歩く。
もう少しというところで、笑い声が聞こえてきた。
AさんとDさんの声だった。