優しいだろう?
「……うっ、うぅ……」
また、あの子が泣いている。
人の目から逃れるように、陰に隠れてこっそりと。
俺が声をかけると、無理して笑顔を作る。
でもその前に、ビクッと肩を跳ね上げるんだ。
……なんで、こんなに怯えないといけないんだろう?
お母さんに、お婆ちゃんを心の片隅に感じずに、笑みを向けてほしいだけなのに。……お父さんに、純粋に愛してほしいだけなのに。
「……でも、でもね。もう、私に『愛してほしい』なんて言う資格は無いんだ。だって、自分の子供を、殺しちゃったんだから。ちゃんと、気をつけていたはずなのに。……はは、何やってんだろうなぁ。もう、地獄に堕ちるしか道は無いんだぁ。はは、ははは。自分で、……手放しちゃった」
最後の言葉は、俺にはよく分からなかった。
でも、そんなことない、とはっきり言える。
「お前がそうなっちゃったのって、お父さんとお母さんの所為だろ!?だったら、怒ってやったらいいじゃんかよ!誰も何も言わねぇよっ!!」
俺がそう言うと、あの子は黙って首を横に振った。
俺はすぐ感情的になってしまうのに、すごく冷静だな……。
「言えないよ。だって、怖いもん。テレビみたいに『スカッとして終わり』じゃない。その先、ずぅっと続いてゆくのよ。それに、……それでも、お父さんとお母さんだから。傷つけちゃ、いけない。申し訳ないよ。ここまで、育ててもらったんだし。……感謝、感謝しないと」
こんな風に考えてくれているのに、両親は何をやってんだ!?
なんで、こんな子が涙を流さなきゃいけないんだ?
「……そういやさ。その怪我どうしたの?」
「ああ、ムカつく先輩ボコって、ちょっと」
頬を掻く俺に、あの子はハンカチを渡してくれた。
こんなかすり傷より、よっぽど痛い思いをしているのに。
それでも、他人を思いやれる優しい人。
こんな、乱暴者の俺にすら、気遣いを向けることができる人。
自分を追い詰めて、(理由は分からないが)腹は傷だらけなのに。
それでも――。
ああ、この世に『相応の理由があれば、人を殺してもいい』『ただ殺すだけじゃなく、苦しませても構わない』って法律があればいいのにっ!!
そうしたら、とっくの昔にあの子は解放されていた!!
いや、あの子だけじゃなく、弟も。
考えれば考えるほど、憎くて仕方がない……!
なんでそんな奴が、大手を振って生きていられるんだよっ!!
この子は、笑顔で毎日を送っていい人間だっ!!
そんな子を苦しめるお前らなんか、親失格だっ!!!
《死んでしまえ、と思うか?》
何処からか、そんな声が聞こえてきた。
驚いて辺りを見回すが、俺とこの子以外、誰もいない。
気のせいかと思ったとき、また聞こえてきた。
《許せないだろう?》
《相応の報いを受けるべきだと思うだろう?》
ああ、全てにおいて同意だ!
何の償いもせずに死ぬなんて、あってはならないっ!!
《全て、お前がしたことだ》
「……………………え?」
×××
ハッと我に返った俺を、銀髪の優男が見下ろしていた。
いつものように、気色の悪い何かが入った金魚鉢を持って――。
冷静になった頭で、俺は周囲を見回す。
真っ暗な空間が広がっている『いつもの場所』だ。
電気も何もついていない筈なのに、どういう訳か、優男の顔はハッキリと見える。そして、自分の手足も、同じようにハッキリと見えている。
ありえないくらいに異常な空間。だが、もっと異常なことが立て続けに起こっているせいで、俺の感覚は麻痺しきってしまっていた。
「……もう、これで何度目だ?いい加減、彼女に謝る気になったか?」
「お前こそ、なんべん俺に同じことを言わせりゃ気が済むんだっ!?」
俺の言葉を聞き、そいつは憐れむような目を俺に向ける。
そのことが、俺をさらに苛立たせた。
「はぁ、義憤や正義を向けるのはいいが、いざそれが己に向けられるとそんなに不満か?……そうやって、畜生のように歯をむき出して」
優男が言い終わる前に、俺の目の前に鏡が出現した。
アイツの言う通り、歯をむき出して威嚇する俺が映っている。
……これは『人』の姿なのだろうか?
カッと頭に血が上り、俺は鏡を殴りつけた。
だが、「ぱこん」と間抜けな音がしただけで、傷の一つもついていない。
くそっ!どこまでも俺をバカにしやがってっ!!
「これも、何度も言ったことだけどなぁっ!こんなやりかたズルいだろ!?俺だって、毎日毎日、仕事で疲れてんだよ!それを、ガキの頃の精神に戻した状態で『どうです?酷いでしょ?』みたいに言いやがってよっ!それなのに、なんで俺が謝らなきゃいけないんだよ!?ふざけるのも大概にしろっ!!!」
優男は、これ見よがしに溜息を吐く。
ああ、俺がこんなに説明してやってるのに、なんて頭が悪いんだ!
「あーあ、本当、女は得な生き物だよなぁ!どんな奴でも、ちょっと足開けば、お前みたいな奴が寄ってくる。俺は、男に生まれたってだけで、どれだけ努力しても、あんなメンヘラ気質のゴミしかいなかったって言うのによっ!!不公平じゃねぇかっ!!」
「……なら、俺の力の全てを使って、お前を女に生まれ変わらせてやろう。ただし、父親はお前みたいな存在で、力も弱く、お前にとって『味方』だった者たちから、今のような言葉を吐かれ続ける人生だ。そして、嫌気が頂点に達したときに、前世を思い出させてやろう。蛇蝎に嫌う体を引きずり、その先を生きろ」
そう言われると、何も言えなくなってしまう。
だが、「ほらみろ」とでも言いたげな優男に、一矢報いたい。
「だ、だいたいなぁ、お前だって、他の連中だって、俺と同じことをされたらこういう反応になるっ!それを、自分は大丈夫って高を括りやがってっ!!」
「……なりはするだろうな。だが、己を顧みることもすると思うぞ。もちろん、俺だけじゃなく、多くの者たちが」
っち、綺麗事しかはけない奴には、話しもろくに通じやしねぇ。
なんで、なんで俺だけが、こんな目に遭わないといけないんだっ!?
「……はぁ、今回で終わると思ったんだがな、時間だ」
「えっ、ま、待ってくれ!」
「安心しろ。次は彼女の人生を追体験するだけだ。楽でいいだろ?」
その言葉に、どこかから寒気が這い上がってきた。
「お、おい、それはもうやめておくって……」
「『玄関マット』と同じだ。……気が変わった」
俺から暴言と暴力を受け続け、息の詰まる毎日を送る。
思春期特有の反抗期は抑えつけられ、息を殺す毎日――。
「い、嫌だ嫌だ嫌だ……っ!!」
「自分で蒔いた種だ。諦めろ」
急速に意識が薄れてゆく。
優男は、嗤うでも睨むでもなく、ただ無表情で俺を見つめていた。
×××
「縁哭さんの言葉、漫画とかであろうものなら、絶対に『この漫画の作者、女だろ』って言われそう」
「どうして?」
僕の言葉に、水恩はくりくりとした目を瞬かせる。
「前に、ロべチューブでそういうの上げている人がいてさ。縁哭さんに近いセリフを言ったキャラに対して、『男にああいうセリフ吐かせるなんて、作者のお気持ちを代弁させんなよ!』『理解ある彼君乙でーすww』ってコメントされてた」
まぁ、その作者さんは女の人ではあったけど、そのコマだけを切り出されて「やいのやいの」言われるなんて気の毒だな、と思ったものだ。
だって、中には僕のようにお姉ちゃんがいたりして、色々と聞ける人だっているだろうし。まぁ、考えたって、仕方がないことではあるけど。
「……逆もあるんだよね。『男には、こういった繊細な感情表現なんてできっこないから、作者は絶対に女性!』みたいなヤツ。いろんな意見があるのは分かるけど、なんだかなって感じ。見たくもないのに、何故か出てくるときがある。どんなに、こっちが注意していても」
世の中には、色んな人がいる。
それでも、許してもらえるかは別問題だ。
ああやって殴り合う人たちも、どこかの神様の御力で、縁哭さんが言っていたみたいに、『嫌気が頂点に達したときに前世を思い出す』ってなったらいいのに。
「……ごめんね。私たちには、そこまでできる力はないわ。縁哭のあの言葉だって、ただの張ったりでしかない」
僕の気持ちを察し謝る水恩に、僕は慌てて首を横に振った。
今の状況だって、とてつもなく凄いことなんだから。
「さて、と。一応、塗り終わったけど、こんな感じでいいの?正直、図画工作ってあんまり得意じゃないから、全然自身が無いんだけど……」
「そんな風に、自分を卑下するものじゃないわよ?すごく綺麗じゃない!!」
水恩の言葉に、僕はホッとして筆を置いた。
筆の横には、『ラメ入り絵具・赤』みたいな液体の入った瓶がある。
水恩と縁哭さんの血に、今まで殺してきた人たちの魂を砕いて混ぜたもの。
これを、僕は一ヶ月ほどかけて、杭に塗ってきた。
その数、百本。
多いと言えば多いけど、(かなり長い)休憩時間をはさんだり、水恩と遊びに行った日もあったから、かなりのんびりと塗らせてもらった。
縁哭さんの神域であり、縁哭さんたちが暮らしている和洋折衷の御屋敷で、というのもあって、なんというか『有閑マダム?』みたいな気分を味わってしまった。
「お疲れ様!一週間ほど、月の光で欲したら完成よ!!」
「ありがとう、干すのは俺たちに任せてくれ」
別室から戻ってきた縁哭さんが、笑顔でそう言った。
あれ?縁哭さんが手に持っている肉塊が、いつも以上に動いている。
「ああ、母親だった者の魂を、玩具代わりに与えてみたら、とても気に入ったみたいでな。体の中に取り込んで、咀嚼しているんだ」
……よく分からなかったけど、クリオネの補色シーンを思い出した。
ま、お父さんへの『制裁』が終わるまでの間らしいけど。
「ええっと、痛いの?」
「そりゃあそうよ!全身の骨を砕かれる感じ!!」
水恩の言葉に、僕の口から他人事みたいな「ふーん」って声が出た。
いや、実際、もう他人事だ。なんの感情も湧いてこない。
「…………僕も、干すの手伝うよ」




