萌す
「やっと帰ってきたっ!!まったく――」
「これ見て」
旅館に泊まった次の日、家の玄関。
怒りを滲ませるお母さんに、僕は肉塊を見せた。
理由は、僕が水恩に「お母さんのことだけど――」と言ったとき、お姉ちゃんが少し蠢いたような気がしたから。
もしかしたら、お姉ちゃん的には、お母さんのこと許したいのかなって。
だから、僕は金魚鉢をこうして掲げている。
「ちょっと、なによそれ!?気色悪いっ!!……まさか、生き物じゃないでしょうね!?え、動いてる?なに?なんなの!?猫でも犬でもなさそうだけど」
……あーあ。
今のが『楽に死ねる』最後のチャンスだったのに。
「お初にお目にかかります。母上様」
いつの間にか僕の隣にいた縁哭さんが、形だけの挨拶をする。
「は?えぇ、ははうえさま?」
お母さんは、金魚みたいに口をパクパクとさせた。
でも、目の前のイケメンを見て、顔を赤らめる。
僕はそれを、冷めた目で見つめていた。
これから起こる嵐の、僅かな間とも知らないで。
お母さんは、手櫛で髪を整えると、来客用の笑顔を作った。
扉は閉まっているのに、「どうやって入ってきたの?」とか「あなた誰よ?」とか「母上って何よ?」とか、そんな質問は全然しない。
僕の持っている肉塊のことも…………僕も見ていない。
『神の力』なんだろうけど、僕はがっかりした。
「あ、どうぞぉ、少々、散らかっていますけどぉ」
お母さんが、背筋がぞわっとするような猫なで声を出した。
「……ねぇ、お母さん。何か言うことはないの?」
「え?……ああ、後で色々という事があるから、出かけたりしないでね」
面倒くさそうにそう言うと、お母さんは肉塊に視線を移す。
なんというか、三角コーナーの生ゴミでも見ているような目だ。
「それ、この人が帰るまでに捨てておくのよ」
縁哭さんに聞こえないように言ったみたいだけど、ばっちり聞こえている。
すごく冷たい目で、縁哭さんはお母さんの胸倉を掴み上げた。
お母さんは、小さな悲鳴を上げて、足をバタつかせる。
縁哭さんの見た目からは、想像もつかない怪力だ。
水恩は、楽しそうに目を細めて、事の成り行きを見守っている。
「……お前に少しでも、『子を思う気持ち』があれば、肉塊の姿が見えたはずだ。そうなるよう、呪いをかけていたのだから」
僕の前で言わなくてもいいじゃないか、と思ってしまった。
僕だって『子』なんだから。
でも、仕方ないか。
縁哭さんからしてみれば、一番はお姉ちゃんだ。
僕だって、縁哭さんよりも水恩を優先するし。
何を言われているのか、分からないのだろう。
お母さんだった人は、ただただ困惑している。
そして、救いを求めるように僕を見た。
「僕やお姉ちゃんがそうしたときは、何もしなかったくせに」
自分のときだけ助けてもらおうだなんて、……甘すぎるよ。
でも――。
いざ、目の前で巨大な黒い鶏の姿に戻った縁哭さんに、片目を抉られたり、頭皮ごと髪をむしり取られたりするお母さんを見ると、憐みが芽生えてしまう。
いくら、絶望した魂の方がいいからって、やりすぎな気もする。
まあ、気がするだけで、止はしないけど。
どれだけ叫んでも、お母さんの悲鳴が誰かに届くことはない。
水恩たちが、家の周りに結界を張っているから。
「痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い………………っ、ねぇっ!私、ここまでされるような事、何かしたぁっ!?そりゃあ、褒められた人生を歩んできたわけじゃないわ!でも、私以上に悪い奴なんて、そこら中にいるじゃないのよぉっ!!!」
お母さんは、カッと左の目を見開いて叫んだ。
ギラリとした目が、僕たちに向けられる。
「私は、……私なりにっ、一生懸命生きて来たわよっ!!子供二人産んで、少子化にだって貢献した!何を言われようと、奢られたことだってないっ!!自分の分は、きっちり払ったっ!!ママ友とランチにも行かずに、家でひっそりと過ごしてきた!殴られても、蹴られても、耐えてきたっ!!……そうしていれば、いつかは、昔みたいにいい人に戻ってくれると、……信じて、いたからぁっ!!」
どことなく、お姉ちゃんと似ているな、と僕は思った。
お母さんの体が、どさり、と床に落とされる。
「そんな私でこうなら、他の連中も酷い目に合わせなさいよぉっ!!『クロ●ッサン症候群さんww』って、言えるお立場の連中や『私は違うんですオバサンだ。ああはなりたくないわね』『古いって言われるかもだけど、やっぱ愛嬌って大事よねぇ』とか陰口叩く職場の連中!都合が悪いとすぐに『堕ろせ』って、こっちの気持ちも考えずに口にできるお立場の奴らっ!!『私の孫は息子に似ず、あなたに器量も頭も似てしまったのね』って言いやがったあの婆ぁっ!!全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部、こうしろよぉっ!!!……なんで、なんで私だけが、こんな目に遭わなきゃなんないのよ。悪い人は、いっぱいいるじゃないのよぉ……」
お菓子売り場で駄々をこねる子供のように、お母さんは手足をバタつかせる。
血で滑るのか、べたんべたん、と滑稽な音が耳に届く。
まぁ、気持ちが分からないと言えば嘘になる。
でも、僕知ってるんだ。
……お母さんが、SNSで誰かの悪口を書いてるの。
それも、引いてしまうくらい過激なヤツ。
ネットで、誰かが『悪』と断じた人の家を特定したり、会ったこともない、……真偽も不明な段階なのに叩く。顔写真をどこかから見つけてきて晒す。
しかも、やらかした所業を叩くのみならず、自分ではどうにもならないことをつついて、面白おかしくあげつらう。
正直、僕からしてみれば『同じ』だよ。
加えて、僕と別ベクトルに質が悪い。
きっと、バタフライエフェクト……っていうと語弊があるかもしれないけど、自殺しちゃった人もいるんじゃないかな。
まっ、「気にするやつが悪い」を免罪符にするんだろうけど。
……その人の言葉が届かなかったように、お母さんの声だって、届かないよ。
「安心して、その人たちも、お母さんみたいにしてもらう予定だから」
外様の余裕をもって、僕はお母さんにそう言った。
まぁ、嘘だけど。
その人たちがいる場所は、縁哭さんや水恩の手が及ばないから。
ただ、そこの土地神様的な人が、水恩たちみたいに、大きな事を起こしたい、と思ったときは、どうなるか分からないけど。
縁哭さんと似た力を持った存在なら、罪悪感と縁結びをされるかもしれないし、そうじゃなかったら、別の絶望を与えられるのかも……。
言ってしまえば、『人それぞれ』ならぬ、『神それぞれ』。
お優しい神様なら、一瞬で殺してくれるかもね。
お母さんは、相も変わらず喚いている。
僕に向かって「恩知らず!」「アンタはいいわよねっ!!」と叫んでいる。
……罪と罰、という言葉があるけど、どうなんだろう。
この状況は、釣り合いがとれているのかなぁ?
でも、僕たちなんて、『罪』そのものがなかったんだよ?
今は、罪まみれになっちゃたけど。
最初の最初は、何も悪いことなんてしていない。
なのに、物心ついたときから――。
…………それでも、僕たちだって『上澄み』な存在なんだよな。
僕ら以上に不幸な人なんて、いっぱいいるんだから。
くだらない。
何の慰めにもなりはしない。
さらなる『地獄』に落ち込むだけだ。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、お母さんの声が消えた。
縁哭さんが、鋭いくちばしで喉を突いたから。
カエルの潰れたような音が、リビングに響く。
えげつない光景のはずなのに、なんの感情も浮かんでこない。
強いて言うなら、「ああ、死んじゃったな」くらい。
そのくらい、僕は慣れてしまった。
映画で見るような『アレな人』みたいに「はははは、なんて芸術的な死なんだ!!」「美というものは――」みたいに、感動することもない。
ああ、お腹が空いてきた。
水恩に確認すると、「任せて!」と返ってきた。
水恩は、僕の周りを水の膜で包む。
これで、この場でスマホを使っても、向こうの人に音は聞こえない。
「あっ、水恩と縁哭さんは、ピザどうするの?期間限定のヤツとかもあるし、この店の、一番人気のやつも美味しいよ。そうだ、サラダも頼まないと」
僕は、テーブルの上に置かれている積み重ねられた郵便物の中から、折れ曲がったピザ屋のチラシを引き抜くと、水恩に渡した。
水恩に「貴方は、どれを食べるの?」と質問され、僕は「どれでもいいよ。あっ、フライドポテトも欲しいかな」と返した。
「ええ~、どうしよっかな♪……あっ、このお餅が入ってるやつ、凄く美味しそう!!でも、これもいいな、うう~ん、迷う」
「全部頼めばいいじゃないか。俺も水恩も、かなり食う方なんだから。…………今日は、ある意味では『記念日』だ。盛り上がろうじゃないか!」
事が済み、人間の姿に変化した縁哭さんは、笑顔でそう言った。
彼の足元……いや、リビング全体が血で汚れている。
「ああ!心配しないでね。掃除はちゃんとするから」
眉をハの字にした水恩が、僕に「ごめんね」と両手を合わせた。
「別にいいよ。この家に、特に思い入れもないし」
いっそ、清々しささえ感じていた。
「では、俺は、これとこれとこれを頼もう。他は二人に任せる」
縁哭さんは、ピザの幾つかを指さすと、手に持った何かを小瓶に入れた。
「母親の魂だ。……父親の魂は、君と水恩のお陰で、地獄から呼び寄せられる。俺だけでは、ここまでできなかった。本当に、ありがとう」
恭しく頭を下げられ、僕は「別に」と首を振った。
ただ、疑問に思うことがある。
「お父さんの魂は、とっくの昔にあの世に到着しているんじゃないですか?死んだの、もう随分前だし……」
「あの世とこの世、時間の流れが違うのさ。父親の魂は、……まぁ、『目的地』まであと少し、と言ったところにいる。なら、まだ間に合う」
正直、縁哭さんの言っていることは、よく分からなかった。
でもまあ、そういうものなんだろう。
「それと、『記念日』がピザで良かったの?」
「構わないわよ♪むしろ、現代っぽくていいじゃない!!」
水恩の言葉に、縁哭さんも笑顔で頷く。
堅苦しい感じにならなかったことに、僕はホッとした。
「ピザ屋がくるまで、まだ時間はあるな。それまでに済ませるか」
縁哭さんの言葉に、僕は首を傾げた。
「この家の、残留思念を集めるのよ♬」




