肩が痛む
鼻先をツンツンと指で押されて、僕は目を開ける。
楽しそうに目を細めた水恩が、僕を見下ろしていた。
まだ、日が昇るには時間があるようで、窓の外は暗い。
上半身を起こすと、水恩が僕にもたれかかってきた。
いつもなら、僕を見上げる甘い瞳に応えるんだけど、今日は……いや、一ヶ月ほど前から、純粋にその気になれないでいた。
別に、水恩がどうという訳じゃない。
朝目を覚ますと、僕の肩が異常に痛いからだ。
痛いというか、怠いというか。
隣で水恩が寝ていても、そうでなくても関係ない。
何度も言うけど、とにかく肩が痛い。
だから、それがノイズになって、何となくのれない。
始まったら気にならないんだけど、それまでが問題だ。
そして、今日の肩の痛みは、特にひどい。
それとセットのように、首も痛い。
おまけに頭も。
「大丈夫?」
水恩が、細くてきれいな手で、僕の肩を撫でてくれる。
「私も、いつもぐっすり寝ちゃってて、全然気がつかなかったんだけどね。貴方、肩を上にして眠っていたわよ」
何を言われているのか分からなくて、僕は首を傾げた。
徐々に覚醒してきた頭で、ぼんやりと考える。
「肩を上、ということは、『バンザイ』みたいな感じ?」
「ううん。『前ならえ』みたいな感じ」
天井に、両手を突き出すようにしていたらしい。
横になったキョンシーみたいに。
「一度戻したんだけど、気がついたら上を向いてて」
眼を瞬かせる水恩を見て、僕は「なるほど」と納得した。
この肩の痛みは、それなのか、と。
確かに、毎晩毎晩そんな体勢だったら、痛くて当然だ。
痛みが取れない状態で、更に痛みを追加するようなことをしているんだから。……ただ、分かったところで、という思いもある。
「……もしかして、何かの呪い?」
「『視て』はみたんだけどね。何の気配も感じなかったわ」
僕は、怠い肩に溜息を吐きながら、スマホに手を伸ばす。
『運動不足』『疲労』『ストレス』……そんな単語が出てきた。
「あー、久しぶりに、お父さんの夢を見たからかな」
「そうなの?」
「……うん、女々しい奴、いい時代に生まれたな、これだから今どきの子供は、軟弱者、男なら、……蔑んだ眼と一緒に、いろんなことを言われた」
そして、ソレを見て見ぬふりするお母さん。
なのに、僕のことを「大事だ、大事だ」と頭を撫でてくる。
大事なのに、助けてはくれない。
でも、お婆ちゃんのチクチクが減るから、……大事。
続いて、ソレを羨ましそうに見つめるお姉ちゃん。
何度も口を開閉指して、最後は下を向いた。
「…………そっか」
水恩は、ポツリと呟くと、肩をもんでくれた。
「うわぁ、滅茶苦茶こってる。これは嫌な夢の一つや二つ見ちゃうわよ。……というか、その若さでこうなるなんて、大人になったら大変よ」
試しに、肩をぐるぐると回してみる。
回す度、骨が軋むような、嫌な音がした。
できることなら、早く解決策を見つけたい。
でももし、『ストレス』が原因だったらどうしよう?
メンタルクリニックに行くにしても、なんて説明すればいい?
というか、言ってもいい内容なのかな?
それに、お母さんにバレたら、涙声でなんか言われそう。
「私が悪いの?そうなのね!!」とか「なんでなの?」って。
「私だって――」とかもありそうだ。
……はぁ、想像するだけで、ストレスが溜まってきた。
「なんか、縁哭さんが言っていた『歯が痛くて命を絶った僕』と似たような感じがする。……僕も、どうにかなっちゃうのかな」
肩や頭の痛みに苦しんで、耐えきれなくなって自殺。
嫌な未来を想像していると、水恩が抱き着いてきた。
「……あの世界になくて、この世界にあるものは?」
そう問われ、僕は、水恩を無言で抱きしめる。
「…………今日はもう、この部屋で休んでいたい」
「そうしましょ!神様パワーで何とかしちゃうからっ!!」
水恩は、目を輝かせると、縁哭さんたちがいる方向を見た。
きっと、テレパシー的な何かで伝えているんだろう。
「うん、了解だって!」
親指をグッと立て、水恩は笑った。
「縁哭の方も、心の準備とか、別の準備があるから都合がいいみたい。……あっ、別の準備の件は、明日話すわね!今日はもう寝ましょう」
水恩は「手を上げないように、私が抱きしめておいてあげる」と言った。
彼女の腕が、蛇のように僕の体に絡みつく。
大きくて柔らかな胸に顔を埋め、僕は目を閉じた。さっき起きたばかりなのに、優しい温度と匂いが、僕を眠りの世界へと誘ってくる。
(……お母さんから、凄く連絡が着ていたな)
僕は、平日なんだから当然と言えば当然か、と思った。
最近は、学校なんて気が向いたときにしか行っていない。
一応、何かしらの連絡は入れていたけど。
でも、今回は面倒くさくて何もしなかった。
だから、ついにバレてしまったようだ。
まあ、お母さんはそれ以上のことはしないけど。
でも、帰ったら大目玉なのは確実だ。
…………ああ、面倒くさい。
×××
「ちょっと、母親に連絡も入れずに、どこをほっつき歩いてるの!?」
次の日の正午。あまりにうるさいから、電話に出たらコレだ。
まあ、僕に非があると言えばあるけど。
……安堵の息とかは、吐いてくれないんだね。
僕は肩を擦り、「はぁ」と溜息を吐いた。
それを耳ざとく拾って、「聞いているの!?」という怒鳴り声。
うるさいなぁ。僕の肩が痛む原因の一角を担っているくせに。
水恩のお陰で、肩の痛みはマシになったけど、まだ痛む。
頭痛は、縁哭さんが買って来てくれた薬でなんとかなっている。
……でも、言ってしまえば、薬で抑え込んでいるだけ。
根本的な解決はしていない。
ああ、お母さんの金切り声が頭に響く。
気まぐれで出たりするんじゃなかった。
しかも、なんか叱り方が、お父さんに似てきた気がする。
……やっぱり、性格は違えど似たもの夫婦なんだな。
僕とお姉ちゃんは、そのサラブレッド。
はは、傑作だ。
「…………はぁ、お願いだから、あんたはお姉ちゃんみたいにならないでよ?せっかく、道を踏み外したのがお姉ちゃんの方で良かった、と思っていたのに」
……は?なんだそれ?
正直なところ、僕には『親の気持ち』は分からない。
でも、何が言って良くて、何が言って悪いかぐらいは分かる。
さっきのは、明らかに後者だ。
僕は、縁哭さんの言葉を思い出す。
お姉ちゃんが元に戻るまで、親の魂を預かりたい、って言っていた。
預かってどうするのか、僕は知らない。
でも、そのために魂を集めていたみたい。
朝、話を聞かされた時は、ちょっと迷った。
だって、どんな人であれ、肉親であることに変わりはない。
そりゃあ、お姉ちゃんを生贄に差し出しはした。
でも、一瞬で食べてもらえると思っていたからだ。
魂を預かるとなると、一瞬では済まないだろう。
お姉ちゃんみたいに、肉塊にされるかもしれないし。
それ以上の、僕が想像できないくらいのことをされるかもしれない。
だから、迷っていた。……迷っていたのに。
ガンガンと頭に響く、お母さんの言葉。
タガが外れて狂いに狂った人間の声。
…………さようなら、お母さん。




