一線を越える
「………………え?」
思いがけない水恩の言葉に、僕は固まった。
せいぜい、『どこそこの枝を折ってきて』『コレを置いて来て』くらいの事を言われるんだろうな、なんて楽観視していたから。
それがいきなり、『小動物を殺せ』だなんて――。
戸惑っている僕に向かって、水恩は首を傾げた。
「できないの?」
「だ、だって……」
「じゃあ、貴方の家の近くに……ぷらんたーって言うのかしらね。綺麗なお花を沢山植えている家があるでしょう?そこの花を全部燃やして欲しい、だったらどう?あそこに花があると、少し厄介なのよ」
厄介とは、どういう事だろう?
でも、理由を聞いても教えてはもらえないような気がした。
「こんな寒い時期でも、咲くヤツは咲くのよね」
「まあ、花にも色々あるからね」
花を燃やす、それならできそうだ。
油を飛ばしたりして、火をつければ。
「相手は、その場所から逃げられない存在なのよ。貴方が知らないだけで、高い知能を持っているかも、意思があるかもしれないのよ?」
「種も全部燃えちゃうから、子孫だって残せない。一生懸命、何の落ち度もなく咲いているのに。関係ないことの為に殺される」
できそうだ、と思った僕の心を、水恩は容赦なく抉ってくる。
そうは言っても、小動物よりはマシに感じてしまう。
「まあ、『かもしれない』ってだけで、実際は違うかもしれないしね。血だって流れない。同じ様なモノは、ちゃあんと持っているのに」
うっと言葉に詰まる。
まるで、食育の授業を受けているような気分だ。
責められているような気持になり、どうにも居心地が悪い。
それを察してか、水恩は「ごめんごめん」と笑う。
「判断は貴方に任せるわ。催促だってしないから、決心がついたらやって頂戴。期待してるわよ!」
期待してる。
きっと、小動物を殺す方を望んでるんだ。
その事実に、ゾワッと何かが体を這いあがる感覚を覚えた。
恐怖のような、嫌悪のような、嫌な感覚。
なのに、僕は少しワクワクしていた。
どうしてかは分からないけど、心臓はドキドキと脈打っていた。
頭の中では、花なんてそっちのけで小動物のことばかりを考えている。
水恩はそんな僕を見て、ふふっと笑った。
「私、これから半月ほど留守にするから、その間に決めておいて」
「…………うん。分かった」
水恩に手を振り、秘密基地の前を通って帰る。
夏の雨と湿気の所為で、中はカビだらけになっていた。
「もう、必要ないか……」
ポツリと呟き、僕は早足で家に向かった。
×××
「……とは言ったものの、どうしよう」
冷静になって考えてみると、どうしても躊躇ってしまう。
でも、水恩の言っていた『半月後』は、もう残り三日になっている。
それまでに、覚悟を決めなければならない。
小動物を殺すにしろ花を燃やすにしろ、それなりのリスクがあるのだから。
部屋で頭を抱えていると、玄関からお母さんの声がした。
どうやら、仕事から帰ってきたようだ。
……正直、今のお母さんと一緒にご飯を食べたくない。
原因は四日前に、お母さんが働いている会社の人と食事に行ったからだ。
少し遅くなったけど、歓迎会だと言って――。
お母さんの他にも新人さんが二人いて、上司の人が『奢るよ』と言ってくれたらしい。
その人は、お母さんよりも三、四歳年上の男の人で、お洒落な、今風の居酒屋に連れて行ってくれたそうだ。
ただ、他の二人が『ありがとうございます!!』と頭を下げたのに対して、お母さんだけは『いえ、払います!奢られるだなんてとんでもない!!絶対にっ!!払いますからっ!!!』と断固として譲らなかったらしい。
お母さんにとって、『奢られる』という事は決してあってはならないのだ。
お金を払われる=貸しを作る、と同じだから。
『それに、男に奢ってもらう、なんて、今の時代なんて思われるか分からないのよ?もしかしたら、二人のうちどちらかがSNSに書き込んで、その場でどんなやり取りがあったかなんて関係なく、奢る、の単語だけが独り歩きするかもしれないし。そうなったら、ここぞとばかりに言ってくる奴もいるのよ!……本当、あの二人はどうしてそこまで頭が回らないのかしら』
『きっと、そこまで頭を使う必要のない、ぬくぬくとした甘えたな日々を過ごしてきたんでしょうね。……お前らみたいな連中がいるから、世の中に攻撃的な連中が増えるのよっ!!』
お母さんは『こっちがどれだけ気を遣っても、意味ないじゃない。ちょっとは私の苦労も考えてよっ!!!』と子供心に『勝手だなぁ』と思う事を言っていた。
兎にも角にも、相手が何度も『いいよいいよ、歓迎なんだから』と言っているのに、それを拒み続けたせいで、場の空気は最悪だったらしい。
『上司の人もあの人よ。奢り奢られ論争、って言葉を聞いたことが無いのかしら?……なんで、私の所為で空気が悪くなったみたいな感じになるのよ!!』
リビングのソファーに鞄を放り投げ、金切り声で喚いていた。
それ以来、腫れ物に触るような扱いらしい。
『私は間違っていないっ!!』
『ただ当然の事を言っただけなのに、非常識な連中っ!!』
そればかり。
こんな言葉を聞くくらいなら、部屋で一人でご飯を食べた方がいい。
そんなことを考えていると、お姉ちゃんが帰ってきた。
中学校には行かずに、いつも何処かをブラブラとしている。
「ああ、いたんだ」
「お帰り」
フワッと漂ってくる香水の匂い。
なんというか、お姉ちゃんはどんどん『派手』になってゆく。
でも、ガラの悪い人たちと一緒にいる訳じゃない。
僕が知っている限りでは、いつも一人だ。
「……あのさ、聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「なに?」
「どうして、当たったお金を自分のことに使わないの?」
宝くじで当てた二千万。その殆どはお母さん預かりだ。
お姉ちゃんは二十万、僕は十五万貰ったけど。
正直、使い道がなくて持て余している。
ただ、僕はともかく、お姉ちゃんはもっと主張してもいい筈だ。
そう伝えると、お姉ちゃんは少し考え込んだ後、口を開く。
「……なんて言えばいいのかな。何も思いつかないのよ。この香水だって、何となく買って何となくつけてるだけだし」
友達と遊びに行っても、どこか自分だけ取り残されたような虚しさを感じる。皆のように、声を上げてはしゃげない。
何を見てもモノクロで、何を聞いても響かない。
自然と、一人になることが増えた。
「…………お父さんが死ぬ前ね。頭の中でずっと妄想してたことがあるの。言いたいことを全部言って、ショックで呆然とさせる妄想」
謝ってもらおうとは思わない。
理詰めで追い詰めて、自分のしてきたことの恥ずかしさを思い知らせる。
「もう死んじゃったからさ。叶うことはないんだけど。……てか、生きていたって叶わない夢だってことは、分かっているんだけど」
それでも、心の片隅で、ほんの僅かに思っていた。
反省してくれるのでは、思いは伝わるのではないか、と。
例え、何兆分の一の可能性であろうとも、生きていれば……。
「馬鹿なこと言ってる自覚はある。でもね、ある種の心の支えだった。……でも、支えにしていた妄想もできなくなっちゃった。だって死んじゃったんだもん。『優しいお父さん』のまま」
対象が現実にいなければ、どれだけ妄想しても無意味。
心の支えにだって、できはしない。
他の何かを見つけるにしても、これ以上の支えが見つからない。
残されたのは、杖を失った不安定な自分だけ。
「……本屋に置いてある『若い世代に大人気!』『SNSで話題沸騰の――』みたいな本を読んでも、白けた思いしか抱けない。シャインモールのゲーセンに行っても、コメディ映画を観ても、何もかもが虚しいだけ」
お姉ちゃんは「ははは……」と渇いた笑いを漏らした。
そして、苛立ったように髪を掻き上げると、震えた声でこう言った。
「…………何にもないのよ、私には」
物事を楽しむだけの熱量は、父とのランニングや、不快にさせないように、という思いにすべて使ってしまって、もう残っていない。
補充するにしたって、どうすればいいのか分からない。
補充しよう、という気持ちすら湧かない。
「最初の頃は、さ。必死に立ち上がろうとしてきたわよ?でもね、すぐに足の骨を砕かれるの。元凶が家にいるから、逃げられない存在だから、逃げてはいけない存在だったから、どうしようもない」
砕くだけ砕いて、骨が歪にくっついた足。
当の本人は、あの世に逃げてしまった。
「……もう、ほんっとうに、なんにもないの」
ほんの数日だけは、解放された、と喜んだ。
ただ、日を追うごとに、そんな解放感は無くなっていった。
残されたのは、罵詈雑言でボロボロになった『何か』しかない。
それも、大人になったら『いつまでもそんなことで』なってしまう。
お姉ちゃんは「でも、贅沢な話なのよね。前に、学校に苦労話をしに来た人に比べたら。家があって、お金があって、治安もよくて、食べるのに困らなくて、法律もしっかりしていて……」と虚ろな目で話す。
「甘えなのは分かってる。話をしに来た人に比べたら、私なんてお貴族様で、幸せになる努力をしていない馬鹿なんだって。お腹を切る事が悲劇のヒロインごっこでしかなかったって、自己責任で、努力不足で、怠けものなんだって分かってる。……でも、でもね、もう無理なのよ」
そこまで話すと、お姉ちゃんは「ごめん」と僕を見た。
そして「他にも聞きたいことがあるんじゃない?」と問う。
僕は水恩のことは伏せたまま、やんわりと説明した。
「……あんまり詳しくは話せないんだけど、えっと、宝石がたくさん入った箱を貰う為に、何かを傷つけないといけないとしたら、お姉ちゃんはどうする?」
「……傷つけなかったら、貰えないの?」
「うん。選択肢は二つあって、どっちも何かを傷つけるんだけど、重い軽いはある……かな。ただ、軽いを選ぶと、そんなに宝石はもらえない……と思う」
重いは『小動物を殺すこと』で軽いは『花を燃やす』だ。
お姉ちゃんは、少し考え込んで言った。
「…………後悔のない方にしなよ」
×××
結論から言うと、僕は小動物を選んだ。
言い訳をするなら、少し時間が経ったせいで花が枯れてしまったから。
選択肢が勝手につぶれてくれて、少しだけホッとした。
水恩の前で、対象に向かって思いっきりシャベルを振り下ろす。
悲鳴と、何かが潰れる音。
一回では、なかなか死んでくれなかった。
さっきまで、僕を信じるように見上げてきていた目の光はもうない。
あるのは、どうにかして逃げようという思いだけだった。
(早く終わって……!!)
そう願う僕の口元は、もしかしたら笑っていたのかもしれない。
×××
「お疲れ様」
肩で息をする僕に向かって、水恩は優しい声をかけた。
目の前の小動物は、もう動かない。
赤い血に白い骨。それから、何か分からない黄色のグチュグチュ。
月明かりに照らされている細い紐は、腸だろうか?
吐きそうになるのと同時に、何かがプツンと切れたような気がした。
水恩はぐちゃぐちゃになった肉片を拾い上げると、祠の周りに置いた。
それが何を意味しているかなんて、どうでもよかった。
「ありがとう」
そう言って僕の頬や頭を撫でる水恩の手に、血はついていない。
僕は、頭の中で何度も「ありがとう」を反芻する。
その度に、胸がじんわりと苦しくなった。
でも、嫌な苦しさじゃない。
どちらかというと、涙が出るほど嬉しかった。
(こんな事を考えちゃうなんて……)
壊れてしまったんだな、と僕はどこか他人事のように思う。
水恩は暫く僕を撫でた後、「手を出して」と言ってきた。
言われた通りにすると、水恩は僕の手の平に文字を書いた。
初めは、何かの絵かな、と思った。
しかし、確認する間もなく、文字はすうっと消えてしまった。
「文字は文字でも、私や、それに近い神だけが使える文字よ!これで、貴方は500mlくらいの水を操れるようになったわ!」
いきなり跳ね上がった、と僕は驚いた。
水恩は「でも、気を付けてね」と目を細める。
「使える水の量が多いってことは、それだけ目立つってことなんだから。誰かに見られたら、ごまかしがきかないわよ」
「うん、気を付けてるよ……」
厳しい口調で言われ、僕はコクリと頷いた。
この力も、以前と同じように、移動させたり飛ばしたりできるらしい。
ちなみに、飛ばせる距離は約十メートルだそうだ。
「まあ、ぶっつけ本番も不安でしょうから、ここに来て練習したら?銃だって、持っているだけじゃ駄目でしょう?使いこなせる技量がなくっちゃ」
確かにそうだ。
僕は「じゃあ、次に休みの日に」と水恩に頭を下げた。




