99.集団転移なんてチートは絶対にいらない(3/5)
もー、領都の中を移動するのがこんなに大変だとは思わなかったよ。
通りには人がいっぱい歩いていて、道の真ん中は荷馬車も走ってるから、みんなよけながら連結した大八車を引いていくのは大変。
次はあそこ、次はあそこと、遠くを確認しながら、まるで縫い針で刺繍をしてるみたいに、人の間を縫っていかなければならない。いや刺繍なんて実際にはやったことないから同じかどうかは知らないけど。
ときどき横に並んで話に夢中になってる買い物途中の奥さん集団に出会ったりすると、これは最悪だ。隙間なんて全くないから、集団ごとそっくり道の端に連れて行かなければならない。
さらに最悪なのは、みんな恰幅が良くて、女性にこんなことを言っちゃいけないんだけれど重たそうってこと。それに女性だから、持ち上げるときに触れていい場所が限られてるから、それも大変そうだ。
みんな素敵な瞳に綺麗な髪の毛の美人さんばかりだけど、今の僕にとっては、あのダンジョンのゴブリン集団とたいして変わりないくらい厄介な集団に感じる。いやいや、考えるだけでも失礼すぎるから、それはやめよう。
後ろに回って腰のあたりに手を回すと、よいしょと持ち上げてみた。
「あれ? 超軽い。」
これってもしかしたらブレスレットを回しているときって、みんな軽くなるのかな。大八車もすごく軽く引っ張れるし。
考えてみたら貸車屋からアジトに戻るときも、通りを歩いている人をどかしたけれど、あのときは夢中で気がつかなかったけれど、あのときも人は軽かったよね。
神の国の番人のセシルフォリアさんは、時間が止まるんじゃなくて、僕が活性化するんだって言ってたけど、物が軽くなるのも僕が活性化しているからって事かな。
理屈はわからないから考えても無駄なので考えるのはやめよう。それより、おばさんが軽くて僕は嬉しいよ。
ひとりひとり道の端に後ろから抱えて移動させたけれど、一番厄介だったのは高く足を上げて歩いている最中だった奥さんを移動させたときだ。片足でしかも体は前に出ているからバランスが悪い。
それでも、そっとその場に置くと、なぜかバランスが悪いまま倒れずに立ってる。不思議だね。僕が動かす分には動くけど、僕が触らないとその場でみんな動かない。空中に置いておくことも出来る。
やらないけれどね。ブレスレットを元に戻したとき、落ちて大けがしちゃうもの。
やっと買い物途中の奥さん集団を取り除いて道が空いたので、大八車の移動を再開した。奥さん集団は元の位置に戻した方がいいんだろうけれど、この際、勘弁してもらおう。一瞬で自分のいる場所が変わったら混乱するかもしれないけれど、だからといって大きな問題になるようなことじゃないだろう。
広い通りを行った方がいいと思ったので南外門に続く一番広い中央通りを通ったけれど、もしかしたらこの選択はまちがいだったかも。一番人通りの多い通りだから、邪魔な人をどかす作業がずっと続いて、なかなか前に進めない。
やっとのことでパン工房エルの店の前までたどり着いた。時間の感覚がよくわからないけれど、体感ではここまで五時間はかかった感じがする。それでも太陽の位置は全く変わっていなくて、午後の日差しは高いままだ。
疲れてはいないけれど、ついでなので家に戻って少しだけ休憩することにした。
「ただいまー」
お店のドアをあけたらお客さんでいっぱいだった。
かき分けるのも大変だし、ほんの少しでも移動させたら、お店の中だからパニックがおきてしまうので、ドアを閉めて井戸端の方から中に入った。
ここまで歩いてきてわかったのは、時間は止まっているように見えても僕にとっては普通なので、トイレには行きたくなるし、おなかもすくって事。
トイレ、トイレと、家のトイレに入った。
汚い話だけれど、大も小も僕の体から離れた瞬間に空中に止まるんじゃないかって心配になった。でも心配はいらなかったようで、「勢い」があるから、普通にできたみたい。むしろ勢いが強くて、便器の下には下水が流れているけれど、そこからの跳ね返りが少し強いので気にしなければならない。
それと下水の水は流れてないので、排泄物はその場に止まっているのが、何とも不愉快だ。ブレスレットを戻せば一気に流れていくから大丈夫なんだけれどね。
お尻を拭いたスライムの皮も、そのままでは空中に浮いているので、少しだけ下に向かって捨てたらゆっくり下水に落ちていった。これも放っておけば落ちるんだから気にしなくてもいいんだけど、気持ちの問題だからね。
井戸端で手を洗ったら、面白い光景になった。桶で水を汲んだら、汲んだ場所の上水道の水が、まるでスプーンでプリンをすくい取ったみたいに、その場所がへこんでることだ。
桶の水で手を洗っても、洗った水が下に落ちていかない。あまり勢い付けて洗わない方がいいね。ブレスレットを戻したとき、この水が四方八方に飛び散って、ひどいことになるからね。
厨房にあった焼きたてパンを一個だけもらって、バターピーナッツを塗って食べた。美味しいけれど、誰も一言も話をしないおうちの中って、ひどく寂しいんだね。やっぱり食事は皆で笑いながら食べた時が一番美味しいって実感した。
お父さんもお母さんもエルもいるのに、ブレスレットを使っているときの家の中は、まるで誰一人いないみたいな寂しさがある。
そうだエルを見かけないけれど、どこかに出掛けたのかな。
二階に上がって、子供部屋をノックしてから、そっと開けてみた。でもエルはいなかった。
「うわなんだこれ!」
びっくりしたのは、僕が知ってる子供部屋と全く違ってしまっていたことだ。いろいろな装飾で部屋が飾られていて、色がピンクに統一されているから、ピンク色の部屋になってる。
そして奥の方のハンガーラックにはエルの服と一緒にマルグリットのものと一目でわかるお嬢様ドレスがいっぱい掛けてある。
ここだけみると、姉妹がひとり増えた実感がする。マルグリットにとっては、もうすっかり我が家なんだね。
そういえばマルグリットが来るようになってからエルは結構おしゃれになってる。ドレスが買えるわけじゃないけれど、自分の服に刺繍したりアップリケを付けたりと、マルグリットと一緒に楽しんでる様子で、テーブルの上には刺繍道具が置いてある。
そういうものに目覚めたのかも。男の兄弟しかいなかったから、今まではそういう楽しみができなかったんだろう。
「お邪魔しました」と、ちょっとレディの部屋を覗いてしまった後ろめたさを感じながらドアを閉めて、自分の部屋に入った。
「エルどうしてここにいるの!?」
呼びかけても返事しないことを忘れて思わず声を掛けてしまったけれど、エルが僕の部屋にいた。
しゃがんでいるのでのぞき込んでみたら、なんと川トカゲのお腹のあたりを指でつついているところだった。
僕がペットみたいにしているので近づけないのを気にして、何とか慣れようとしているんだろうか。けなげな妹だね。困らせたくないから、早めにドナ川に連れて行って放そう。
そうだお父さんに川トカゲの食事の世話をお願いするのを忘れてたから、メモを残しておかなきゃ。ついでにパンも少しもらっていくことも書いておこう。普通にお腹が空くことがわかったからね。途中の食事の心配もしなきゃならない。動かないみんなは、たぶん食事はいらないんだよね。
ああ水も持っていこう。旅先の生水はお腹を壊すもの。意外と軽く運べるから、桶に汲んで持っていこうかな。
すこしだけ増えた荷物を、皆の荷物の脇にはさんで、再び南外門に向かって連結した大八車を引きはじめた。
「うわっ、これは最大の難関だ!」
思わず大きな声をだしてあわてて口元を押さえたけれど、誰も聞いていないんだから、いくら大声を出しても良かったことに今頃気がついた。
南外門に商隊の荷馬車と思われる長い列が出来ていて守衛が検査をしているところだった。
しかも悪いことに門のところで荷馬車は二列になって検査を受けているので、完全に門がふさがってる。
どうしよう……
しばらくは途方に暮れて何も出来ないでいた。
いまから西外門に移動するなんて絶対に嫌だな。ここまでの倍は時間がかかる。領都で一泊になっちゃうよ。
考えた結論が、「あの主婦軍団でさえ軽く持ち上げられたんだから、荷馬車だって持ち上げられるかもしれない」という、奥さん達が聞いたら真っ赤になって怒り出しそうな結論だった。
恐る恐る荷馬車に近づいて、ヨイショと持ち上げてみたけれど、びくともしなかった。大八車をひくのと、重い荷馬車を持ち上げるんじゃ、全然違うのかもしれない。これが活性化した僕の筋力の限界なんだろうか。活性化したからと言って、力持ちになったわけじゃないのだろうから、しかたがないのかな。
いや、もし軽く持ち上げられるなら、大八車も、ひくんじゃなくて持ち上げて空中を滑るように引っ張ったほうが楽かもしれないなんて考えてたんだけどね。このブレスレットのチート能力って、いまひとつよく理解が出来ない。
「そうだ、荷馬車から馬を外したらどうだろう。馬がつながってるから動かせないって思ってたけど、馬を切り離せば普通にゴロゴロと僕でも動かせるかもしれない。」
そんな独り言を言いながら、荷馬車と馬の連結をはずそうしたけれど、これが一筋縄ではいかなかった。
荷馬車からは二本の棒が馬の両脇に伸びていて、それが胴体に二ヶ所と首輪の所につながっている。胴体のつなぎは簡単にはずせそうだけど、首輪の方はどうやるんだろう。いや棒を外すんじゃない、この引くための革製のベルトの方を外せばいいんだ……
試行錯誤しながら一時間くらいかかってしまったけれど、なんとか切り離すことができた。多分、ふたたび取り付けるのは僕には無理だと思うから、このままになっちゃうけど、商隊の皆さんご迷惑をおかけします。
荷車だけを馬の反対方向に力を込めて押してみたら、なんとか動いてくれた。
このまま外門の脇を大八車がすり抜けられるくらいまで、外に押し出したら、馬の脇を通って、ようやく大八車は領都の外に出られた。よくやったよ僕。誰も褒めてくれないから自分で自分を褒めた。
荷車を元の位置まで戻すと、馬の連結部分を軽く重ねただけにしておいた。ヘタに素人が連結したら、大事故が起きるからね。だったら最初から連結しておかない方がいい。なぜだか連結が外れてしまった程度で事故にはならないだろう。
一歩領都の外に出たら、もう街道には人も馬車もなくて、快適に歩くことができるようになった。一仕事した後みたいにぐったりした気分になった。
日は高く昇ったままで、時間の感覚がまったくつかめなかったから、疲れたら休み、お腹が空いたら食べ、眠くなったら寝るという、時間に追われない、まるで駄目人間の生活みたいに過ごすことになった。
これがもしかしたらセシルフォリアさんの考える「のんびり過ごす」ってことなのかも……と、不思議な気分で考えながら、長い道のりをひたすら西に向かって大八車を引いていった。
みあげると、空を飛ぶ鳥も、空の上で止まっていた。
道沿いの小川の流れも止まっている。時々顔を洗おうと両手で水をすくってみると、相変わらず、すくった場所の水がへこんだ。
やがて両側がブナの林のような木漏れ日が気持ちいい場所にさしかかったので、領都を出発してから三度目の夜ということにして、今日はここで寝ることにした。日は高いので、夜の感覚は無かったけれど、体は確実に眠くなっているので、今が夜の時間だと実感できる。
僕のためにアゼリアが用意してくれていたシートを林の中の草の上に広げて、その上に布団を敷き、家から持ってきたザックを枕にして寝た。おやすみなさい、みんな。
……ちょっと寂しいな。




