95.川トカゲと友情の剣(3)
自分のサーベルをあらためて眺めているマルグリットに、「おめでとう」と言って手を差し出して握手しようとしたら、その手に自分の手をふわりと乗せてきた。ああ、そうだマルグリットは貴族の令嬢だったね。
そうじゃなくて、こうだよと、その手を思い切り握って強く握手した。一瞬ピクリと驚いたような反応を見せたけれど、次の瞬間には、マルグリットにしては精一杯の笑顔でその手を力強く握り返して「ありがとう、テムリオ」とつぶやいた。
「しかし、今の剣を避けたときのテムリオは、まるで物語に出てくる転移魔法を使ったみたいに全く見えなかったけれど、本当に凄いんだな。」
マルグリットは変なところで感心しているけれど、「逃げ足が速いな」と言われないだけいいかな。
せっかくつかんだ感触をもう少し体に教え込みたいからというので、素振りを始めたマルグリットと、リュミちゃん小屋のそばにつないである川トカゲを置いて、ダイニングのほうに戻っていった。いくらブレスレットがあると言っても、あの鋭い剣は受けられそうにないからね。
「あれ? マルグリットさんは?」
「裏で素振りをしているけれど、真剣でやってるんだから、危ないから行っちゃだめだよ。それに川トカゲも裏にいるからね。」
そう注意したら、「お兄ちゃん方が、エルシェよりよっぽど危ないのに……」と不満そうだった。
「お兄ちゃん、それ何してるの?」
マルグリットにも相手にしてもらえなくなって暇を持て余したエルが、テーブルの上で麻紐を編んでるところを覗き込んできた。
「川トカゲの口にこれをはめて、首の後ろにこの紐をかければ、川トカゲは口が開けなくなるだろう? こうしておけば火炎魔法が使えないから家の中に置いても大丈夫になるかなって思って。」
食事の時や、誰かが相手してやれるときだけ外せばいいように、本人じゃ絶対に外せないけれど、人間がやれば簡単に外せるように作りたかったんだ。元の世界で大型犬を散歩させてる人が犬の口につけてたのを思い出しながら作っていた。
「お兄ちゃんって、そういうところが器用だよね。これもお兄ちゃんが作ったんでしょ。あとでエルシェにも作り方教えてね。」
そう言うと、お店で作っていた経木の折り紙の箱を机の上に乗せて、まじまじと見つめていた。
本物の紙なら折り鶴を折ってあげられるのに、貴重な紙を使って、そんな贅沢な遊びはできない。お湯で柔らかくした経木で折るなら箱程度の物が限界だろう。
「あれから薪拾いにも一緒に行けなくてごめんな。なんだか冒険者ギルドに行くようになってからめまぐるしくて、お兄ちゃんも驚いてるんだ。あとでまた中央市場に一緒に行こう。」
誘ってみたけど、微妙な反応だった。前なら飛び上がって喜んでくれたのに、ほんのわずかな期間で、こんなに成長したのだろうか。
「お兄ちゃんはマルグリットさんが好きなんだよね。本当はマルグリットさんと一緒に市場に行きたい?」
いやいや、おませなことをいうなぁエルは。
「うん、好きだけど、川トカゲを捕まえたり、剣の相手をしたり、男の友達と同じような感じで好きなだけだよ。一緒に市場に出かけても、エルと行った時みたいには楽しくないと思うな。」
エルは、ふうんと、折り紙を転がせながらつぶやいた。
「そういえば、お兄ちゃんがいないときに、お兄ちゃんの友達の三人が来たよ。まだ三人と遊んでいた頃のこと思い出せない?」
ええと三人って……。ポケットのなかの、自分ではカンニングペーパーと呼んでいるメモ用紙を取り出して、「ティオとバルとラシュのことだよね。なにか言ってた?」と聞いてみた。
ラシュとはエルと一緒に薪拾いに行ったときにあっただけだし、ティオとは初めて冒険者ギルトに行った時に道ですれ違ったことがあっただけ。ふたりとももう顔も思い出せない。こんな状態で三人にあったら、僕が昔のテムリオじゃないことなんて、たぶん一瞬でわかってしまうから、なるべく会いたくないんだよね。
「うん、冒険者で大成功したお兄ちゃんが、友達のことを忘れちゃったのかもって、すごくさみしがってた。」
そういうつもりじゃないんだけどね。
「お兄ちゃんが昔の記憶がないって話したら、わかってもらえるかな……」
「たぶん大丈夫だと思うよ。嘘をつくようなお兄ちゃんじゃないって、一番良く知ってる三人だから。エルシェだって知ってるからこうやってお兄ちゃんのこと守ってあげてるでしょう?」
うん、そうだね。エルが守ってくれなかったら、異世界で僕の居場所はどこにもなかったと思うよ。
「エルのおかげだよね。じゃあ三人にも、きちんと話してみようかな。エルがそういうなら、たぶんわかってもらえるよね。どこに行けばあえるの?」
「前はよくバルの所にみんなで集まってたみたいだよ。バルの家は道具屋さんで、エルシェも時々お店のお手伝いで道具屋さんに買い物に行くことがあるから、今度行くときにお兄ちゃんを連れてってあげるよ。エルシェがいないと、何処にも行けないものね、お兄ちゃん。」
ううっ、その通りだけに情けない。
「ティオの家ならすぐ近くだよ。ティオは警備隊に入ったんだよ。ティオも凄いけど、黒猿を倒したお兄ちゃんには適わないね。お休みの日がいつなのかわかんないから、行くならいつもお店番してるバルの家の方がいいと思う。」
「ラシュの家は遠いの?」
「知らない。ラシュはおうちに遊びに来てたから顔は知ってるけど、どこに住んでるのか全然知らない。成人の儀式のあとで、どこで働きはじめたのかも聞いたことがないよ。」
まあとにかく会って正直に自分の事を打ち明ければ、いろいろとわかってくるだろう。正直と言っても、転生者だってことだけは言えないけれどね。全然正直じゃないか。
「できた」
エルと話してる間に川トカゲの口輪が完成した。エルはやっぱり川トカゲが苦手らしく、一緒に裏へ行こうと誘っても、行かないと言ってお店の方に行ってしまった。
裏のドアをあけて燃し木の間から覗いてみたら、マルグリットはまだ素振りをしていた。納得できるまでやっているつもりなんだろうからそっとしておいて、早速完成した口輪を川トカゲにつけてみた。
スポッと入ったけれど、自分じゃ取れないみたい。前足で取るだけの力もなさそうだから、これで火炎魔法問題は解決かも。思ったよりおとなしいので、次にドナ川に行くまで、僕の部屋でペットとして飼おう。
「マルグリット、あまり頑張りすぎるのも良くないよ。筋を伸ばしたりすると、しばらくサーベルを触れなくなるからね。こういうのは持久力じゃなくて瞬発力だから、短時間に集中してやるのがいいと思う。」
元の世界で、一度だけ行ってやめてしまったフィットネスクラブのマッチョさんが言ってた言葉だけどね。
そうだなと、あっさり受け入れたマルグリットは、サーベルを鞘に収めて僕と川トカゲと一緒に家の中に入って行った。
エルに逃げられると悲しいので、川トカゲは僕の部屋に連れて行った。
「そろそろお夕飯にするわね。」
お母さんの号令で、マルグリットも一緒にみんなで夕食の支度を始めた。
「マルグリットは家でも食事のお手伝いしてるの?」
聞いてみたら、小さい頃から面倒をみてくれている乳母に、いろいろと教わってはいるけれど、いつも馬車でお店まで来ているメイドは、元々はとても厳格な上級貴族の屋敷にいた人で、貴族がキッチンに入るなんて、はしたないことだと言って、なかなか入れてもらえないとこぼしていた。
「だからエルシェちゃんのおうちでこうやって一緒にキッチンに入れるのがとても楽しみ。」
マルグリットの言葉は本心のようだ。我が家は仕事をしているお父さんを除いて、いつも全員でキッチンに立つのが当たり前になってるから、マルグリットも、まるで当たり前にキッチンでお母さんを手伝ってる。お母さんも、マルグリットをお客様扱いにしないで、普通にお手伝いをお願いしてるし、細かな家事の仕方を丁寧に教えてあげている。
ごく自然に家族がひとり増えた感覚だ。マルグリットは、お母さんのことは「お母さん」って呼ぶようになって、エルのことは「ちゃん」付けで呼ぶようになってる。
「そういえば、お母さんが新作のケーキを作ってるって、ルシアのお母さんが言ってたけど、完成したの?」
お母さんに聞いてみたら、「あまりよくできなかったけれど、一応できたわよ。夕食の後で試食会しましょう」だって。楽しみだね。
黄色いお花が一輪飾られた食卓で、賑やかな食事が始まって、マルグリットは、懸命に今日覚えた剣さばきの話をしていたけれど、正直剣のことは誰もわからないので、適当に相づちを打つだけで、誰も話に入っていけなかった。
とくに「テムリオはすごい」という話になったときは、みんな苦笑して聞いていた。白色ギルドカードの僕にはあり得ない話だものね。それでも僕のことを自慢げに語ってくれるのは耳に心地いいらしく、信じないまでも、全員がなるほどと感心したような顔で頷ずいていた。
「はい、これが新作ケーキよ。」
お母さんが出してきたケーキは、僕も見たことはないケーキだった。たぶん僕の記憶ある手作りケーキは、元の世界の叔母さんが作った物ばかりなので、叔母さんが作ってないケーキのことは全く知らない。もしかしたら元の世界にもあったのかもしれないけれど、やっぱり知らない形のケーキだった。
スポンジケーキよりも、もっと粗いスポンジ状で、ドーナッツのように真ん中が穴になってる。デコレーションは全くなかったから、素材を味わうケーキみたいだ。
「名前はシフォンケーキよ。バターのかわりに植物油を使うのが特徴なの。スポンジケーキに作り方は似てるけど、お母さんにはこっちのほうが難しいわ。」
「ふんわりしたパンみたい」
エルが、ちょうど僕が思ってたのと同じ事を言った。
卵と砂糖と油と小麦粉という、材料もバターから油に変わった以外はスポンジケーキと一緒。たぶん分量や作り方が違うんだろう。
丁度いい大きさにカットして、試食会が始まった。
食べてみたら、少しだけレモンの香りがする。
「美味しいね。レモンが入ってる?」
「そうよ、レモンの皮を少しだけいれたわ。レモンゼストって言うのよ。形も残して混ぜるときはレモンピールだけれど、シフォンケーキは混ぜ物にデリケートだから、これにはレモンゼストを少し混ぜただけ。」
うーん、説明がケーキ職人過ぎてよくわからない。見た目と違って食べてみたらスポンジケーキよりしっかりした食感だった。
「見た目が綺麗だから、これも人気が出そうだね、お母さん」
お世辞を言ったわけじゃないよ。本気でこれは美味しい。マルグリットも言葉はなかったけれど、うっとりしながら食べてる様子を見ただけで、どんなに美味しいと思っているかはよく伝わってくる。
「じゃあこのシフォンケーキもメニューに追加ね。でもお店に出せるまでは、すこし時間がかかりそうだけど。」
「それじゃ、俺のピザと、どっちが先にお店に出せるようになるか、競争だな。」
お父さんもピザ頑張ってね。
久しぶりに落ち着いた一日だった。こういう毎日を過ごすのが異世界に来て一番やりたかったことなんだよね。




