94.川トカゲと友情の剣(2)
「ただいま」
ふたりともちょっと履き物が汚れているので、家の中には入らずに、井戸端のドアを開けたところからダイニングの奥にある窓の方に声を掛けたら、お店の方からお母さんがすぐに来てくれた。
「おかえり。テムリオは手と足を洗ったらこれに履き替えてからお部屋の中に入りなさい。マルグリットさんは、私が手伝ってあげるから、井戸端でブーツの外側だけ簡単に洗って、そのままエルシェのお部屋に行くのよ。」
すると困った顔をしたマルグリットが、
「あのう、私もひとりで井戸のそばで履き替えますから大丈夫です、お母さん。」
と申し訳なさそうに言った。
「だめよ、お母さんなんて嬉しいこと言ったって。あなたは成人した貴族のお姫様なんだから、人前でブーツなんて脱ぐものじゃないわ。」
「へえ、マルグリットって、いつも短いスカート履いて生足を見せてるけど、そういうのは良くても、人前でブーツを脱ぐのは良くないんだね。」
そういうものなんだろうな……。よくわかんないけど。
「こういう会話に男は入ってくるな。」
マルグリットに怒られてしまった。
履き物も綺麗に洗って軒先につるすと、お母さんが用意してくれた草履みたいな履き物に履き替えて家の中に入っていった。
「ギャーッ、お兄ちゃん何それ!」
マルグリットがブーツを脱いでいる間、部屋を追い出されてダイニングに下りてきたエルが、恐怖の悲鳴を上げて川トカゲを指さした。
首と胴に細い麻縄を巻いてその両方を束ねて縛り、ハーネス状態にしてそこから長い麻縄を延ばして、ダイニングの床を這わせ、僕はイスに腰掛けてその紐の先を持っていた。
「川トカゲという魔物だよ。火も吐くから見てると面白いよ。」
と言ってみたけれどエルには通じなかった。
「お父さん! お兄ちゃんがね……」
と逃げるように厨房の方に走っていって、入れ替わりにやってきたお父さんに、食事をする場所にそういうのを放しちゃだめだと散々叱られてしまった。井戸端でしっかりと鎧を洗ってあげたから清潔なんだけどね。
仕方なく今は井戸端につないでおくことにした。僕の部屋に置こうかと考えたけれど、火炎魔法に気づかずに家が燃えたら大変なので、外を選んだのだ。
お母さんがマルグリットと子供部屋に行ってしまったので、お店と厨房を忙しそうに行ったり来たりしているお父さんに、「手伝うよ」と言って、厨房に行ったら、ピザを焼いているところだった。
「いまお店の方が忙しいから、手伝ってくれるなら、あっちを手伝ってくれ」と追い払われてしまった。ピザ焼きたかったのに……。
「ルシアのお母さん、今お菓子の方は何が一番売れてるの?」
「おばさんでいいよ、テムリオちゃん。今は『ベイクドチーズケーキ』と『マルグリット・スポンジケーキ』がほとんど同じくらいに売れてるねぇ。
みんな両方買って行くからね。それでほとんどの客が次の新作はいつ頃になるのかって聞くもんだから、ベルタは張り切って何か作ってたみたいだよ。」
へぇ、またお母さんの新作ケーキが食べられるみたいだ。
お客さんは次々とやってきて止まることがない。そのほとんどはパンを買いに来たお客さんだけれど、その中に、結構な人数の貴族の館のメイドや執事が混じっていて、お目当てはお母さんのお菓子だ。
デリケートな商品だったので、こっちは手慣れているルシアのお母さんに任せて、僕はパンを買う客の相手に専念した。
「あのう、ラズベリーのスプレッドはありませんか?」
真っ白にピンク色のお花の模様が入ったエプロンをかけた可愛らしいメイドにラズベリーのスプレッドのことを聞かれた。僕と同じ年くらいの子だな。
ラズベリーのスプレッドは、『マルグリット・スポンジケーキ』を作るときの素材のひとつだけれど、スプレッドとしても売ってる。
朝食のサラダサンドイッチには、この酸味のきいたスプレッドの爽やかさがよく似合う。知っている人にはとても人気のあるスプレッドだ。
「入れ物は持って来た?」
そう聞くと「あっ」と小さな声を出した。
「じゃ、ちょっと待っててね。」
と言うと僕は包装紙代わりにしようと思ってお店の隅においてあった経木を一枚手に取って、ハサミで正方形にカットすると、折り紙の要領で箱を二つ作った。ゆであげた経木はしっとりしていて折っても割れたりしなかったので、作り方はちょっとごまかしたけれどね。
気持ち大きさの違うふたつの箱の小さい方に注文通りに量ったラズベリーのスプレッドを入れて、もうひとつの箱を逆さまに乗せたら、ぴったりと収まって持ち帰り用の容器の完成だ。
自分でも満足しながらメイドにそれを渡して、「この容器は使い捨て容器だから、使い終わったらお屋敷の焚き木にしてね。」と言っておいた。そう言わないと、きっと洗って返しに来るからね。それがこういうお店で貸しだした容器の返却ルールだから。
これで容器を忘れたあのメイドがメイド長に叱られずに済むだろう。いいことしたね。
お店を見回して驚いた。ルシアのお母さんも、近くにいたお客さんも、僕の方をあっけにとられたような顔で見ていたから。
「テムリオちゃん、いまのどうやって作ったんだい。おばさんに作り方教えておくれよ。」
お客さんの一人が言い出したら、みんなウンウン頷きながら僕に迫ってきていた。もちろん、その中にはルシアのお母さんも混じっている。
しかたがないので、もう一度実演して見せた。折り紙なんて誰でもやってると思ったけど、異世界じゃ生まれて初めての体験みたいに、僕の手元を食い入るように見つめて、完成すると、ため息までもれてきていた。
気がついたら、お店の中は身動きが取りにくくなるほどお客さんが詰まってしまったので、あわてて買い物のお客さんをさばいていった。
お母さんとマルグリットが二階から下りてきたので、お母さんと交代してマルグリットの所に行った。
マルグリットは、いつもの貴族の令嬢のようなドレッシーな格好じゃなくて、どことなくチロル風のフォークロアファッションに着替えていた。モデルみたいに全身着替えたんだね。
「それすごくマルグリットに似合うね。胸の刺繍や背中の編んだような紐が素敵だよ。」
本音だ。清楚でドレッシーな服装より、僕にはこっちのほうがマルグリットの個性を引き出していて断然いいって思えた。
「剣の相手をしてくれたテムリオに特別サービスだ。」
恥ずかしさをごまかすように素っ気ない冗談を言うマルグリットだったけど、冗談も普通に言えるようになったんだね、すごい進歩だ。
早速井戸端に縛り付けてあった川トカゲを持って僕の部屋に二人で向かった。何かとうるさいエルが、川トカゲのおかげで近寄ってこない。今は楽でいいけど、川トカゲと僕をワンセットで嫌いになると困るので、市場に行く約束でもして機嫌をなおしてもらわなくちゃ。
「それで早速だけれど、アルケジ宰相が書き記していた喉の急所を探そう。」
そういうとテーブルの上で川トカゲをひっくり返して、喉のあたりを探してみたけれど、全くそれっぽい場所が見つからなかった。
「種類が違うってことはないよな。それに種類が違っていても、蒼龍の仲間には違いないから、必ず喉に急所があるはずだ。」
ふたりで交代しながら必死に探したけれど、やっぱりどうしても見つからなかった。
「何かわかるかもしれないから、もう一度本を読んでみようか。」
僕の提案で、アルケジ宰相の記録から、該当する場所をもう一度読んで見ることにした。
やはり本を広げていくと、距離感を失ったマルグリットが、どんどん顔を近づけてくる。親友宣言をしたおかげで、全く警戒心がなくなってるから、なおさらひどくなってるけど、僕もあえて注意しないことにした。水くさいものね。
「あったこれだ!」
興奮したマルグリットが、本に指を載せたとき、ちょっとだけ僕の頬にふれたけど、全然気にする様子もなかった。
「『動く物に反応する鎧トカゲの性質を利用して、頭の上に餌になる蜘蛛を吊り下げると、鎌首を上げるので、その瞬間に喉の下の隙間が現れる。』これだ。首を上に上げるよう仕向ければいいんだ。無理に上げようとしても、堅くてあがらないけど、餌で釣ればいいんだ。」
お昼の時、肉を夢中で食べていたのを思い出して、一階に下り、燻製肉を細切れにして持って上がってきた。
本に書いてある通りに肉の欠片を糸で縛って頭上にぶら下げてみたら、すぐに首を真上に向けてそれを食べようとした。
そうしておいて首の下を覗いてみたら、あった。鎧のように見えたものはうろこ状で、首を持ち上げると、その一枚一枚の隙間から地肌がみえていた。
その地肌の真ん中辺が白くなっている部分があった。多分これがそうだ。
マッチの軸で押してみたら、他は金属のように堅い地肌なのに、白いところだけは押すと軟らかい感触があった。
川トカゲも、そこが自分の急所だと知っているらしく、いきなりボッと僕に向けて小さい火炎魔法を打ってきたので、手に持っていたマッチに火がついてしまい、慌てた。
それを見ていたマルグリットが満面の笑みを浮かべた。
僕と交代して僕が肉を吊り下げて川トカゲの顔を上げさせている間、マルグリットも、マッチの軸を使ってツンツンとやっていた。
「蒼龍にもこんな柔らかな急所があるなら、頑張れば私にでも蒼龍が倒せるんだろうか。」
「たぶん出来ると思うよ。アゼリアの場合は、そのための入念な打ち合わせと訓練と、なによりも、『威圧』の力を信じてくれる仲間を集めることに全力で頑張ったんだ。」
遠くを見つめるような目をしていたマルグリットが、今度は訴えるような目をしてこっちを見つめてきた。ああ、これは僕に無茶なことを言うときのいつもの目だ。最近はすっかり覚えてしまった。このキュートな瞳で見つめられたときは絶対に赤信号がともっている。
「テムリオ、いまからもう一度剣の稽古相手をしてくれないだろうか。こんどはドナ川のときみたいに、むやみに剣を振り回すなんて事はしない。この川トカゲの急所を、たった一撃でしとめたアゼリアさんみたいな剣の名手になるには、しっかりと相手を見定めて、一点を集中して攻撃しないと駄目だって気がしてきた。私は自分の剣のスタイルを変えようと思う。」
まあ、いいんだけどね。志は素晴らしいと思うよ。でも僕が相手にしなきゃならないんだよ。そこだけは何とか考えを変えてもらえないだろうか。
「マルグリットのお屋敷なら剣術指南の教えを請うことだって簡単にできるんじゃないか? 少なくとも素人の俺を相手にするより何倍も勉強になると思うけどなぁ。」
でも「テムリオじゃなくちゃだめだ」の一言が嬉しすぎて、簡単に僕は玉砕した。
「貴族と違って平民の俺は、お城の内側で剣を振り回すことは禁止されてるんだ。だから裏にある太い燃し木を使うけどいいか。」
こうして、チロリアンな格好でサーベルを構えるマルグリットと、太い燃し木を両手に構える僕という、実に奇妙な組み合わせのふたりの剣の稽古が裏庭で始まった。
もちろん僕は今度こそ隙のなくなったマルグリットに簡単に成敗されてしまいそうだったから、少しだけきつめにブレスレットを回した。
迷いがなくなったマルグリットのサーベルは、芯をとらえて左右のブレはほとんど無くなった。それでもブレスレットを回した僕には、ゆっくりした動きの中で、時々自分で切った風に自分であおられるかのように微妙に左右に揺れる剣がみえるので、そこをすかさず燃し木で払うと、マルグリットは簡単にバランスを崩した。
今日の稽古は、揺れがなくなって、丸太では払えなくなり、僕自信が横に逃げるしかなくなるまでだね。
ゆっくりだから感じないけれど、たぶん剣と燃し木がぶつかる、カキンカキンという音が周囲に聞こえてたんだろう、近所の人が裏木戸越しに、心配そうに見つめていた。
まずいな、暴漢に襲われているなんて勘違いされては困るので、笑顔で手を振って、「遊んでいるんだよ」アピールをした。
その間もマルグリットは容赦なく剣を振り下ろすので、もう片方の手で、その剣を振り払っていた。
「あれ?」
突然燃し木に伝わるサーベルの感触が変わったような気がした。あわてて見つめ直したら、燃し木がサーベルに弾き飛ばされていた。えっこれはまずいよ、切られちゃうわけにはいかないから、横っ飛びして安全な場所に避難してからブレスレットを元に戻した。
ブンという音がしてマルグリットの剣が真っ直ぐ振り下ろされるところだった。
「あっ!」
悲鳴に近い声をマルグリットが出した。
そこに僕がいたら真っ二つというタイミングだったから、燃し木をはねのけて剣が真っ直ぐ下に振り下ろせたことで、マルグリット自身が驚いてしまったのだろう。
「ごめんごめん、ちょっとよけちゃった。あんなすごい剣は燃し木じゃ受けられないからね。」
しばらくぼう然と立ちすくんでいたマルグリットが、一言「できた」とつぶやいた。
うん、たしかに出来たよマルグリット。僕が証人だ。あの剣はきっと誰にも負けない。




