91.経木(1)
日曜日なのに今朝はいつもと少し違う。
僕がなにげなく話したウェディングケーキの話を、お母さんが買い物に来た貴族のお屋敷の執事に話したら、今日の結婚式でぜひ採用したいという注文があり、お父さんにも手伝ってもらって、ほとんど寝ずに『マルグリット・スポンジケーキ』を作っていたらしく、お店は数え切れないほどのケーキの山になっていた。
その中に一個だけ何段にも重ねられたケーキがあって、これがケーキカット用のケーキらしい。
箱がないと言ったら、貴族の執事の人が、どこからか木箱をたくさん持ってきて、今日の結婚式用のケーキを入れる程度なら支障がなくなった。
「お母さん、これ全部一晩で作ったの?」
エルと一緒に箱詰めを手伝いながら聞いたら「そうよ」と誇らしげに言った。
「お父さんと一緒にね。作り続けていたら腕が上がって時間短縮できて、しかも失敗もなく作れるようになったわ。」
お母さんは、やり遂げた感の満足そうな顔をしている。約束の時間にはどうにか間に合ったようで、朝早くに貴族の執事は馬車でやってきてケーキの入った箱を持っていった。
「こういうときに大きな冷蔵庫付きのケーキ工場があると、本当に便利だよね。作り置きできるから、前の日に慌てなくても済むものね。」
お母さんは、「そうね。」と、いかにも欲しそうな声で返事をした。
でも、たぶん冷蔵庫じゃなくて冷凍庫が必要だと思うけどね。元の世界のクリスマスケーキは、できたてを急速冷凍庫で急冷して一ヶ月くらい保存してるって聞いたことがあった。
たとえ魔力を使った大型冷凍庫があったとしても、たぶん魔力で冷やすには、大きな魔物退治ができるくらいの魔力が必要なんじゃないかな。異世界じゃ無理みたいな気がする。
軽く後片付けをしたら、皆で神殿にでかけた。
「テムリオも偉いわ。前はいくらお小言を言っても、なかなか神殿にお参りに行かなかったのに、最近は外に出かけていない限り必ずいくようになったもの。」
お母さんは、盛んに褒めてくれてるので、少し後ろめたいけれど、僕は全く信仰心の欠片もない。だって祭られてるのは同じ世界からやってきた転生者だよ。神様じゃないんだから、お祈りする気にはなれないよ。
本音を言えば、図書館に行く口実ができるからついてきているだけ。まだまだ異世界のことでわからない事が一杯あるから、少しでも図書館で知識を身につけておかないと。
あのパルテノン神殿に賽銭箱が置いてあるような光景は、いまだに吹き出しそうになるけど、ぐっと我慢して、みんなとお祈りしている振りして手を胸にあてた。
今日は少しだけ遅かったので、日曜学校は僕だけ休ませてもらって、皆と別れて神殿の正面から見たら反対側にある図書館の方に向かった。
「ソレイヌさんお久しぶりです。よっ、マルグリット。」
ふたりに挨拶したけれど、なぜか図書館ではいつもマルグリットの態度が素っ気ない。きっとソレイヌさんの護衛騎士に徹しているから、友達に気を許す余裕がないんだろうね。神聖な職場なんだからしょうがない。でも何とかアゼリアのことを話すことができないかな。
「お久しぶりね、エルシェさんのお兄さん。今日は皆さんは?」
ああ、僕ってまだソレイヌさんに名前を覚えてもらってないんだ。この前は確か名前を呼んでくれたような気がするけれど、マルグリットが僕の話題を出すので一時的に覚えただけかな。
「日曜学校の方に行ってる。俺はどうしても、マルグリットに逢いたくて、先にこっちに来た。」
「えっ!」とマルグリットの声がひっくり返った。ソレイヌさんも、「まあ!」と、広げた手を口に当ててる。なんかデジャブっぽく感じるのはなぜだろう。
「マルグリット、ここはいいから、エルシェさんのお兄さんを閉架図書室に御案内して差し上げなさい。なにかきっと相談したいことがあるでしょうから、ゆっくり相談に乗ってあげなさい。閉架図書室は貸し切りで、他の人が来てもお断りするわ。あなたは司書補なのですから、お仕事ですよ。」
えっと、ソレイヌさん、気を利かせてもらえるのは嬉しいけれど、かなり外れた気の利かせように感じるよ。まあいいか、マルグリットに話があって来たのは間違ってないし。
いつものようにギルドカードをマルグリットに渡したら、識別機の上で浮かび上がっている僕のステータスを、マルグリットはしばらく不思議そうに首をかしげながら眺めて返してくれた。
閉架図書室に入ると、やはり今日も図書室の中は僕達だけしかいなかった。この部屋に入ると途端にマルグリットの言葉が乱れるのもいつもの通りだ。しかも今日はまるで久しぶりに会えた恋人に飛びつくみたいな感じで僕に大接近してきた。ち、近い。相変わらずマルグリットの距離感は変だよ。
「テムリオ、本当に蒼洞のアゼリアさんたちのパーティに参加して黒洞の黒猿を倒してきたんだよな。それなのにどうしてステータスが前と全く変わってないんだ? 冒険者ギルドでもランクアップしていないのは何でだ? あれはどう考えたっておかしいだろう。普通なら一発でSランクじゃないのか?」
うわ、顔のすぐ近くで矢継ぎ早の質問だよ。唾を飛ばすような勢いって形容があるけれど、本当に唾が飛んできて顔にかかる経験なんて生まれて初めてだ。まあ、マルグリットだから、全然構わないんだけど。
「すこし落ち着こうか、マルグリット。識別器にそう表示されたって話だよね。でも当然なんだ。白色ギルドカードは『属性なし』って意味だって知ってるよね。属性がないってことは、当然ながら属性に見合った能力もないし、スキルに応じて付与されるランクもないってことなんだ。一なら重ねれば次は二になって、次は三になっていくけれど、ない物をいくら重ねたって無いままだろう?」
そんな説明じゃ納得しないだろうけれど、僕にはたいした話じゃないから、このくらいで勘弁してもらおう。
「それで『威圧』の力について、アゼリアに直接聞いてみたんだ。そうしたら、俺とマルグリットで真剣に考えた話とアゼリアの話が完全に一致してね、『威圧』の正体は、マルグリットの考えで間違いなかったみたいだよ。蒼龍を倒したのだって、特別な力なんかじゃなくて、事前に研究と実験と実戦訓練を重ねた結果の成果であって、それを総称して『威圧』の力と呼んでいるみたいだった。」
マルグリットは益々僕に顔を近づけて「そうなのか、そうなのか」と感激している様子だった。困ったな、近づいてる女性から、顔を引くのもかなり失礼な気がするけど、もうほとんど限界だよ。
「それでね、マルグリット、ちょっと近いから落ち着こうか。」
「ああそうか、ごめん、落ち着かないとな。」
マルグリットが適度に離れてくれたので話がしやすくなった。
「『威圧』の力を発揮するには、魔力はかえって邪魔になるというのも、アゼリアも同じ事を言ってた。」
「やっぱりそうか。じゃあ私の剣も魔力のことを忘れて精進すればいいな。ところでこの間の話にあった鎧トカゲだけれど、どの本にもなかったから、広く領都にいるトカゲについてひとつひとつ丁寧に調べていったら、川トカゲの説明の中に、昔は鎧トカゲと呼ばれていたという記述を見つけた。ドナ川の川辺にいる、特に珍しいトカゲではないみたいだ。」
おお、マルグリットは自力で川トカゲにたどり着いたんだね。その努力はアゼリアと全く一緒だよ。
「そうなんだね。頑張ったねマルグリット。図書館の休みの日に俺も冒険者ギルドを休むから、一緒にドナ川に行ってみないか?」
「うん、一緒に行きたい。図書館は毎週星曜が休みだけれど、明日でいいのか?」
ええと星曜日とは日曜日の次の日だった。あ、そうか。元の世界でも図書館はたいてい月曜日が休みだった。
「わかった、じゃあ明日は貴族の令嬢みたいな格好できちゃだめだよ。マルグリットの家のメイドさんに、俺がまた睨まれちゃうからね。」
「ああ、じゃあ今日は屋敷のメイドに着替えを持って来るように伝言して、テムリオの家に泊まりに行く。お母さんに私の分の夕飯も頼んでおいてくれ。」
また泊まりに来るのか。どっちが自分の家なのかわからなくなるんじゃないか?
それにいつの間にか「お母さん」って呼んでるし。
閉架図書から出たら、もう家族はみんな来ていて、エルはソレイヌさんと話しに夢中だった。
「あ、お兄ちゃん、本読み終わった? じゃあソレイヌさん、またこの次ね。社交ダンスのステップこの次はもっと詳しく教えてね。」
皆と合流したら、いつもの食堂に向かった。お母さんにマルグリットが来る話をしたら、いつでもマルグリット分の食事を作ってるから、断らなくても大丈夫なのにと笑っていた。
食事の後は、みんなと別れてクランのアジトに向かった。日曜日だったけれど、ちょっと用事があった。
「こんにちは。」
いつもの門番がいないので、真っ直ぐ玄関に向かった。アゼリアの指図でアレックは早速マダムのお屋敷の警護に向かったようだ。
いつもなら飛び出してくるアゼリアはいなかった。
「おう、テムリオか。」
トラヴィスが応接室で、暇を持て余すようにくつろいでいた。
「丁度良かったトラヴィス。顔が広いところで、木工ギルドに知り合いはいない?」
お母さんが困っているケーキを入れる箱や、お父さんも困ってるピザを入れる箱を注文したいから知り合いの木工職人を紹介してもらおうと思ってアジトに来たんだ。
「木工職人か? どんなものを作ってもらいたいんだ? 家を作る職人も、彫刻を作る職人も、いろいろ知ってるぞ。」
「それじゃ、お願いしてもいい? 俺の家で売ってるお菓子なんかを入れる箱が欲しいんだ。」
「ああ、それなら腕のいいのを知ってるぞ。普段は神殿に頼まれて板碑なんかを作ってるが、鏡のように磨かれた見事な板を作ってる。きっと気に入ると思うぞ。早速行くか?」
トラヴィスは、よっぽど暇を持て余していたと見えて、これ幸いとばかりに、僕を連れて木工ギルドに向かった。
「おおいギルド長、オルヴェンはいるか。」
木工ギルドの中は、木くずが待っていて、木の香りや、カンナの音が独特の場所だと感じさせる。
木工ギルドに入るとトラヴィスはいきなりギルド長を呼びつけたのでびっくりした。ギルド長は、よほどトラヴィスに頭が上がらないようで、ぺこぺこしながら、オルヴェンのところに案内した。
「今忙しいんだ。何の用だ。」
オルヴェンは、ギルド長と違って、トラヴィスを邪魔者扱いしている。面白いね、職人のところって、みんな個性豊かだ。
「うちのテムリオだ。家がパン屋をやっていて、お客用のお菓子箱が欲しいんだそうだ。」
「そんなもの、俺じゃなくても作れる職人はいくらでもそのへんにいるだろう。経木職人の俺にわざわざそんなものを作らせるな。」
口悪っ。「そんなもの」を連発してるよ。少しムッとしたけど、いや、そのまえに、なんか聞いたことのある言葉が出てきたね。
「あの、経木って、薄く削るあの経木のこと?」
「なんだ小僧、経木も知らないのか。いま目の前にある、これが経木だ。神殿で、神の教えを書くための板だから経木って言うんだ。神聖な物だから、傷ひとつあっても許されないものだ。」
みると表面が磨いたように光っている長細い板があった。
「表面が綺麗ですね。磨いてるのですか?」
「いいや、最初はみんなそう言うが、これは大型のカンナで削った物だ。一気に削ると、表面が磨いたように綺麗に削れる。これができるのは、この木工ギルドの中じゃ木工スキル50を超えた俺だけだ。」
おお、自慢なんだね。でも僕が知ってる「経木」はこれじゃない。でも多分ここには必ずあるって予感がした。
「そのカンナで削った削りくずはどこにあるの?」
「これのことか。まるで紙みたいに綺麗に削れてるだろう。どうだ。」
やっぱりあったよ。これだよこれ、元の世界でおじいちゃんに見せてもらったことのある「経木」。おじいちゃんの言うことには、和菓子の包装には、昔は経木がつかわれていて、吸湿性が良くてとても人気があったのだとか。納豆も経木に包まれて売ってたってきいた。
うわっ、これはうちのお店でも使えるんじゃない?
箱もこれだけ光沢のある木工品で作った箱なら、箱だけでも人気が出そう。
今日は大収穫だ。




