89.治療院の孤児(3)
ようやく気持ちが落ち着いてきたので、改めて部屋の中を見回してみたら、ここがマーガレットが言っていた治療院のようだった。
異世界の治療院に来たことはないけれど、この独特の空気感は、元の世界でも何度も味わったことがある病院の待合室の雰囲気そのものだ。
同じ方向を向いた椅子が無造作に並べられていて、座った先にあるのは受付のカウンターとその奥には、棚に並んだたくさんの薬箱のようなものが少しだけ覗いている。カウンターの横にはドアがいくつかあって、それぞれ「診察室」、「透視検査・手術室」、「処置回復室」という看板が掛けられている。
床はこの辺の建物では珍しい大理石のような白い石材で、部屋は全体に白く塗られ、掃除も行き届いていて清潔感が溢れている。
子供達がサリと無邪気に絡み合って遊んでいる一角は、待合用の椅子が置いていない広い空間になっていて、十人ほどの子供達が遊び回るのに充分な広さになっている。
開いた窓の外はよく手入れされた小さな庭園のようで、ここが領都の下町とはとても思えない優雅な異空間だった。
「はいはい、みんな、奥に行くわよ。お夕飯の支度の途中だったでしょう。戻って三人分増やしてね。」
マーガレットが手をパンパンと叩きながら指示すると、子供達は全員が聞き分けのいい返事をして、奥の方の開いたドアから別の部屋に移動していった。まるでここの子みたいにサリは皆と手をつないで入っていった。
子供達は男の子も女の子も、皆ファッション性豊かでカラフルな生地の服を着ていて、さすがファッションにうるさそうなマーガレットが面倒をみている子供達だ。ただし男の子のカラフル生地は、近所の男友達と遊ぶときに、ちょっと可哀想かもしれないね。
奥の部屋はダイニングキッチンだった。長いテーブル席が二列並んでいて、テーブルの奥がアイランドキッチンの調理台になっている。
ダイニングテーブルには白いテーブルクロスがかけられ、椅子の前にはそれぞれの青い色のランチョンマットが敷かれ、お揃いの模様入りの高級そうなカトラリーが整えて置かれている。
キッチンの上には既に完成したと思われる料理の入った寸胴がいくつか並べられていて、なにやら美味しそうな香りがただよってきている。その前には絵柄の素敵な食器が積まれていて、料理を盛ってテーブルに持って行けばいいだけになっているようだった。
部屋は殺風景な白壁だったけれど、人物画や風景画の小さな油絵がいくつか掛けられていてセンスの良さを感じさせる。それはまるで貴族の館の晩餐の間を覗いている気分だ。
窓の外は、先ほどの続きの庭園風になっていて、何やら水の音が聞こえる。ちょっと覗いてみたら小さな噴水があった。あれどうやって吹き上げてるんだろう。ぷくぷくストローの大きいのみたいなのがあの中にあるのかな。
子供達がキッチンに並ぶと、まるで「今日の当番」のような三人の子供が白いエプロン姿で手に持ったトレイに、パンや、スープを盛った容器や、お肉や野菜の載った小皿を手際よく乗せていく。アゼリアが、それが当たり前のように自分も並んでいたので、あわてて僕もそれを真似てトレイを手にすると最後尾に並んだ。
当然顔で「ここよ」と言うのでアゼリアの隣に座ると、目の前にはマーガレットが座った。
年上の子供と思われる子が「始まりの王の威圧の恵みに感謝します」と祈りの言葉を告げ、他の皆がそれに続くと、食事が始まった。
「ここじゃ、威圧に感謝するお祈りをしてるんだね」
アゼリアに小声で聞いてみたら、「そうね、私たちには当たり前の言葉だったので考えたことなかったけれど、そういえば珍しいわね」とにこやかに話した。
「え、ウソ、これってコーンポタージュじゃん!?」
サリの声が聞こえてきた。確かにこのスープの見た目はコーンポタージュそのものだけれど、どこかトウモロコシっぽくなくて、食感は小豆に近いから、別の豆を使ってるのかな。サリはダンジョンでポタージュ風スープを作ってくれていたくらいだから、知ってはいるのだろうけれど、宮廷料理も作れるサリが驚くくらいだから、きっと珍しいものなんだろうね。
「そうよ、よく知ってるわね。おちびちゃんは貴族のメイドなの? コーンは王都から時々届いているの。領都じゃ多分貴族でもなかなか口にできないはずよ。」
「あの子は蒼の誓専属メイドのサリだ。あれで正式なクラン員だ。かなり高い料理スキルがあるから、コーンポタージュも知っていたんだろう。」
アゼリアは、少しだけ得意そうにサリを紹介していた。コーンって言ってるから、この異世界ではこれがトウモロコシなんだ。まあそうだと思えば思えなくもない味だ。
「アゼリアはね、騎士になりたいって、こーんな小さなときからずっと言っててね……」
マーガレットの手は、卵くらいの大きさを示していたから、アゼリアは親指姫でもあったのかな。まさかね。
「でも女の子が騎士になれるのは騎士爵のお姫様だけで、それも栄誉礼などでお手伝いするくらいの仕事しかないって知ってから、自分のクランを作って冒険者になるって言い出したのよ。本当に夢を実現してしまうなんて、姉として誇らしいわよアゼリア。」
まあ、アゼリアの過去は大体想像してた通りだね。
だけど僕としてはマーガレットのことも聞いてみたい。本当は触れちゃいけないような気もするけれど、ずっと疑問のままというのも、仲間に入れないさみしさを感じるから思いきって聞いてみた。
「マーガレットは、子供の頃からその名前じゃなかったよね。どうしてマーガレットなの?」
すると、嫌がる様子もなくマーガレットはその経緯を話してくれた。
それによると、マーガレットは幼い頃から女の子の格好をするのが夢で、自分の体に違和感を覚えていて、成人の儀式の日に、付き添ってくれた治療院の先生に思いきってカミングアウトしたのだそうだ。
そうしたらその先生はとても嬉しそうな顔で、いつ打ち明けてくれるか待ってたと言って、「あなたは自分らしく生きなさい」と、この名前を授けてくださったということだった。
「先生のおじい様が、大好きだった花の名前なんですって。先生が癒術士になることを許してくださったおじい様なのだそうで、きっとこの名前でいれば、おじい様の加護があるっていってくれたのよ。だからこの名前は、私には命の次に大切なものなの。」
「姉、お代わりもらっていい?」
元気そうな男の子が、お皿を持ってマーガレットの所に来た。
「まあ、もう食べちゃったの? おかわりは一皿だけよ。」
マーガレットって子供達にはすごく優しいんだね。
「治療魔法師じゃなくて癒術士なの? その先生は」
「癒術士」と聞こえたので不思議に感じて聞いてみた。
「あらどうしてテムリオ坊やは治療魔法師と癒術士の違いを知ってるの?
領都には先生以外に癒術士はいないから普通の人は知らないはずよ。ここでお仕事していたときも、患者が先生のことを治療魔法師って呼ぶのを否定していなかったから、治療院の子供以外には先生のことを癒術士って呼ぶ人はいないはずよ。」
うん、僕は癒術士どころか、治療魔法師も知らないけれどね。
「その先生って、アルフェルド伯爵婦人の事じゃないの?」
話を聞く限り、たぶん間違いないんじゃないかなと思って聞いてみた。
「あら! テムリオ坊やが、どうしてナタリア先生の事を知ってるの?」
マーガレットが椅子から跳びはねて驚いたように聞いてきた。
「うん、知ってるよ。冒険者ギルドで伯爵邸にお掃除に行く依頼を受けたからね。伯爵婦人はご自身のことを王立癒術士って言ってた。優しかったお祖父さんがマーガレットの花を好きだった話も聞いたよ。」
「そうだったの。縁とは不思議なものね。それで私のテムリオちゃん、先生は元気にしてた?」
アゼリアは最近会っていないのかな。
「アゼリアお姉ちゃん、このひとだあれ?」
はにかんだ顔の女の子が、アゼリアにもたれかかって、僕を指差して聞いてきた。
「お姉ちゃんのいいひとよ。あげないわよリシアには。早くご飯をたべちゃいなさい。」
「えーっ、お姉ちゃんだけずるーい。」
ただのペットの取り合いだね。
「婦人は元気だよ。驚くほど美味しい食事を作って振る舞ってくれた。それを食べるのが依頼だなんて、おかしいよね。少し足が不自由な様子だったけれど、それ以外は健康そうだったよ。」
「そうなの。元気そうなら良かったわ。魔力が枯れたと言って治療院を閉じてからは、一度もお会いしていないのよ私たち。治療院の孤児達を育てるための運営資金援助や、王都からの物資援助はいつも届いてるけれど、それだけのつながりになってしまってるの。
平民の私たちが高位貴族のお屋敷を訪ねていくわけにもいかないから、伯爵様が亡くなられたときも、ただ遠くから祈っているだけしかできなかったわ。」
神妙な顔のマーガレットって、初めて見た気がする。それほど大切な人なんだね、ふたりにとっては。
「行ってあげればいいのに。喜ぶと思うよ。全く知らない俺が行っただけでも、大歓迎してくれたほどだから、我が子のように見守っていた治療院の子供が訪ねてくれたら、泣いて喜ぶと思うよ。いまは伯爵婦人は広いお屋敷で一人住まいで守衛もいないから、平民だからって遠慮はいらないと思う。」
「えっ! お屋敷で先生が一人暮らし? 伯爵邸だぞ。身分から言ったら領主の次の身分だ。この領都で二番目の身分のお方が、お屋敷にひとり暮らしで衛兵もいないなんて、どういうことだ。」
アゼリアの『蒼洞のアゼリア』モードのスイッチが入っちゃったみたいだね。ほら隣の女の子がびっくりして泣きそうな顔になっちゃったから、少し押さえようか。
マーガレットも感じたのか、イエローカードが出されたみたいだった。
「これ、アゼリア。ここじゃあなたは孤児のアゼリアよ。勇者じゃないの。言葉遣いには注意しなさい。妹や弟の前で恥ずかしい言葉は使わないの。」
「……はい、ごめんなさい、姉。」
マーガレット姉さんに怒られると、こんなにもシュンとしてしまうんだね。
「伯爵婦人の言うことには、昔からご夫婦と庭師とメイドの四人暮らしで、他には誰もいなかったらしいよ。そういう自由なのが好きなんだって。だから今も自由に過ごせていて、幸せそうにしてたよ。」
「そうか。それなら早速あしたからアレックを守衛として行かせよう。あいつは本物の貴族の館の守衛ができると聞けば、飛び上がって喜ぶはずだ。あいつの夢だったからな。領都に出没する賊程度なら、アレックひとりでも大丈夫だろう。あいつも貴族の身分だから伯爵邸に出入りしても問題ないし。」
えっ、あのヴァルッカに『ぼこぼこさん』にされたアレックで本当に大丈夫なの?
というか、アレックが貴族だなんて聞いてなかったんだけど。僕の周りにいる貴族って、みんな平民と普通に接してるけど、これって絶対に異常だよね。
そもそもうちのお母さんからして、元貴族なのに平民のパン屋と結婚して店先でパンやケーキを売ってるし。
「よし、来週になったら、先生に世話になった昔の仲間を招集して、治療院の子供達と一緒に先生のお屋敷に行ってみましょう。掃除道具を持って屋敷の大掃除よ。」
マーガレットが宣言すると、子供達が嬉しそうに「お屋敷の大掃除だ」とはしゃいでいる。
「えぇ~、やだぁ~。サリ、お掃除とかマジ無理~。行きたくな~い」
サリは孤児じゃないよ。もうすっかり治療院の孤児に溶け込んでしまったみたいだ。
「『蒼の誓』も全員でいくから、サリも行かなきゃダメだ。」
ほら、そんなことを言うから、ヤブヘビになった。
「えぇ~」
サリのぼやきはしばらく続いた。




