83.ダンジョンに行こう――黒猿と『威圧』の決戦(7)
「あの黒猿の手ってぇ、パームクッキーみたいだよね~。」
突然何言いだすのサリ。
「パームクッキーはね、手の形のお菓子って意味。お砂糖を広げた上にパイを乗せて、その上からもお砂糖をまぶして、少しだけめん棒でならしたら、四つ折りして、最後は棒みたいにたたんで寝かせるの。それをスライスしてオーブンで焼いてバターを塗って焼き色を付けると、ザクザクに焼き上がるんだよ。」
サリは、料理の話の時だけは、普通の女の子のしゃべり方になるね。
……じゃなくて、今は戦闘中だよ、サリ。マイペースすぎる。
『鶴翼の陣』は防御フェーズだってアゼリアが言ってた。
相変わらず「フェーズ」って何の意味かわからないけれど、たぶん黒猿の強烈な土魔法攻撃の直撃は防がなければならないから、攻撃は一旦中止して防御態勢に移るって意味だと思う。
でも防御態勢なのに、むしろここが黒猿を倒す最大のチャンスらしい。
エルヴィローネの指示で全員が黒猿攻撃を中止して逃げるように散っていく。
中央の左にはアゼリア、右にはハンマーのヴァルッカが散っていく。中央にいたタンクのトラヴィスも、後方に下がり、むしろ左右の二人よりも後ろに下がった。
そのトラヴィスのすぐ後ろには槍のセルディオが控えて、トラヴィスを援護する位置にいる。
大きく左後ろに移動した弓のアルフェリードは、まるで戦闘から離脱したかのような位置まで下がっていた。右後ろに移動したイグナスもそうだった。イグナスは本来なら火魔法で攻撃する魔法攻撃の戦士だけれど、いまはアゼリアの指示でヒーラーに徹しているから、アルフェリード同様、黒猿の土魔法攻撃の直撃を避ける位置に移動したようだ。
一番後方に移動したのはエルヴィローネだった。攻撃指示の要だから、絶対に土魔法の直撃を受けるわけにいかないんだと思う。
決まった位置にまで下がった全員が地面に両手を付いた。
確かにエルヴィローネの判断は正しかったようで、目をこすってよく見たら、黒猿は両腕を左右に広げて拳を握り、胸を反らせて、まるで体中からエネルギーを放出しようとしているかのような格好になった。
次の瞬間、その両腕を高く掲げて、グワーッと一度叫ぶと、全身から現れた大きな石の塊のような物が四方八方に飛び散った。
それは低く伏せっている全員の頭上をもの凄い勢いで通り過ぎていく。頭を低くしていたおかげで全員が直撃を避けられたように見えた。
「行けっ」
アゼリアの絶叫が聞こえたのは頭上を石が通り過ぎると同時だった。
アルフェリードが、なんと矢を三本まとめて黒猿の首筋めがけて放つと、同じ場所にアゼリア、トラヴィス、セルディオ、ヴァルッカの四人が同時に飛び上がって黒猿の胴体を這い上がるようにして首筋まで近づくと、アルフェリードの矢が当たった付近に全員が同時に攻撃した。
「仕留めた!」
僕は思わず叫んだ。それほど全員の呼吸はそろっていて鮮やかだった。たった一撃で黒猿を倒すというアゼリアの作戦勝ちだ。
魔法攻撃で全身の力を放出した直後の黒猿は、次の行動に移るのに時間がかかるから、首筋に隙が現れるというアゼリアの作戦なんだろう。
「ん? 勝っちゃった~?」
僕に抱っこされたサリが、緊張感のない声で僕に尋ねると、黒猿と戦っている皆の方を振り向いた。
「そうかも……」
と言いかけたとき、黒猿の全身から、黒い液体が噴き出して、首付近に取りついていた四人が吹き飛ばされるのが見えた。その黒い液体はそのまま後方で支援魔法を掛けていたイグナスとエルヴィローネをも吹き飛ばして、僕の方にまで飛んできた。
「うわっ、まずい。」
あわててブレスレットに手を伸ばしたけれど間に合わなかった。頭の上から黒い液体が、僕とサリの上にどさっと降りかかった。さすがにここまでは勢いが続かなかったようで、ふたりとも頭の上からかぶるだけですんだ。
『魔灯』に照らされた黒い液体は、ただの土砂だった。でも小石混じりの土砂は、直撃されたら大変なことになる。
「わっ、わっ、メイド服よごれちゃった~!」
アゼリア達、どこ?
黒猿の周りは土砂にまみれて、『魔灯』も見えなくなっているから、皆がどうしているのか全くわからない。
グワーッと、再び黒猿の叫ぶ声か聞こえた。
みんなやられちゃったみたいだ。僕達も逃げないと危ない。逃げるときくらいブレスレットに頼ったっていいよね。
僕はしがみついているサリを抱っこするように両手をサリの背中に回した。
「やだー、泥だらけでぎゅーとか、どんなシチュ!? そーいうの、吊り橋効果とか言って勘違いだからね、テムリオ兄~!」
相変わらずうるさいなサリは。もう、思いっきり抱きしめないと腕まで手が届かないんだから勘弁して!
ようやく届いたので、ブレスレットを急いで回したら、腕の中のサリがようやく静かになってくれた。
一瞬このまま逃げようと思って階段のほうを向いたけど、そればダメだとすぐに気がついた。最強メンバーだから、放っておいて僕だけ逃げても、何の問題もないけど、アゼリアには「ずっと離れてていいから、ボス部屋の入り口あたりで、必ず全員が見える場所にいてね。何もしなくていいけど、そこに私のテムリオちゃんがいることが、一番重要なの。」って言われていたんだった。
黒猿に近づくのは超怖いけれど、みんなの無事だけでも確認しに行かなきゃ……。
サリを首に巻き付けたまま、恐る恐る黒猿の方に歩いて行った。もちろん黒猿もブレスレットの効果で、まったく動いてはいないんだけどね。動いていないってわかっていても、怖い物は怖い。それに今、僕以外に動いてる人は一人もいないから、心細さもマックス状態だし。
最初に一番後ろにいたエルヴィローネを見つけた。泥の中にうつ伏せになってるから、これじゃ呼吸できなくて死んじゃうよ。
よいしょと持ち上げてみたら、意外と軽い。サリよりはちょっと重いかな。……いけないいけない、レディの体重を比べるなんて言語道断。
「ごめんね、荷物みたいに持っちゃうけど、勘弁してね。」
多分聞こえないと思うけど、エルヴィローネに謝りながら肩に担ぎ上げて、ボス部屋の外まで運んだ。いくら軽いと知ってもサリと荷物も持ってるから結構重い。
あ、サリと荷物を下ろせばいいのか。
でもサリの手と足は僕にしっかり絡みついてるし、無理に剥がしたら怪我させそうなのでやめた。背中のポーター用の荷物もサリの足が絡みついてるみたいだから、無理に下ろすのはやめよう。
口の中に泥が入っちゃったかな……。でもどうすればいいんだろう。チューして口の中の物を吸い出してみる? いやいやそれは無理。助かってもエルヴィローネに一生恨まれる。
取りあえず、ここにうつ伏せにしておいて、他の人を探そう。
ふたたび戻って、途中でアルフェリードを見つけた。顔に泥はあまり架かっていないから、こちらは大丈夫そう。
大きくて担げなかったので、ズルズルと引きずっていってエルヴィローネの横に寝かせた。
こうやって何往復かして、アゼリア以外の全員をボス部屋の外に運び出した。
汗をかくほど運動したせいで、服にかかった泥がだいぶ乾いてきたけれど、サリが僕にびったりくっついたままなので、その場所だけは濡れていて気持ちが悪い。一瞬「ヤバッ、ちびりそう~」といったサリの言葉を思い出してしまい、あわてて首を振った。
でもアゼリアは何処に行ったんだろう。いくら泥をかき回してもアゼリアが見つからないので、少し焦ってきた。もっと遠くに飛ばされたのだろうか。
この黒猿の泥攻撃はすさましかったな。石の攻撃だけで終わりだとみんな思って攻撃しかけたから、直撃を受けてしまった。
とひとりでつぶやきながら、やっと怖さに慣れてきたので、顔でもみてやろうと、見上げてみたら、「あっ、いた」と叫んでしまい、思わず口に手を立てた。
いや叫んでも黒猿には聞こえないからいいのか。
なんと黒猿の手にアゼリアが握られている。あの手で潰されているところを想像して、青くなってしまった。あわてて黒猿の体毛を握りながら体を登っていった。夢中で登ったので、とんでもない高さだって気づかなかった。
腕を伝ってようやくアゼリアが握られている手の場所まで到着した。握っている指を開こうとしたけれど、固く握られていて全く開かなかった。
アゼリアは握られながらも戦っていたと見えて、剣を黒猿の手に突き刺していたので、アゼリアが持っている剣の指を開いてみたら、こちらは簡単に開いて、剣を取りあげることができた。
「こいつ、こいつ、アゼリアを離せ。」
と叫びながら黒猿の手に剣を突き刺してみたけれど、石を叩くようなカチンカチンという音がするだけで、刺さりもしない。
「そうだ、急所だ。アゼリアが言ってた右の頸動脈。攻撃が当たってたはずだから、あそこなら剣も刺さるんじゃないかな。」
ひとりでブツブツつぶやきながら、サリを抱いたまま黒猿の腕を移動して首の方に近づいた。
アルフェリードの三本の矢は刺さったままだった。そこから黒血が出ていた。ウェッ気持ち悪い。とても見ていられないので、横を向いたまま、ふたたび「こいつめ、こいつめ」といいながらアゼリアの剣をつき立てた。
いや、この剣は長くて扱いにくいな。お母さんからもらったダガーならどうだろう。
剣は黒猿の広い肩の上に置いて、腰に手をやってダガーを抜こうとして、おっとサリの足がすぐ近くだから気をつけなきゃと、サリの足を一度持ち上げてからダガーを抜いた。
時間が経って少しだけ気持ちが落ち着いてきたような気がした。生き物を殺生するなんてとてもできない、なんて少し前まで思っていたことが嘘みたいに、黒猿に刃物を刺しても何も感じなくなっていた。きっとアゼリアを助けるためなら、何でもできるんだよ、僕は。
ダガーを何度も刺して、そのたびに黒い血が吹き出して、それを何度繰り返しただろう。相当長いことやっていた気がするけれど、突然足元に何もなくなって慌てた。
「うわっ、落ちる!」
思わず叫んでしまったけれど、僕の体は落ちなかった。何だろうこれは。足元をみたら、僕は黒猿の形をした砂の塊の上にいた。
驚いた。これって魔物が死ぬときの一瞬にして砂のように崩れるあれだよね。えっ、じゃあ僕は黒猿を退治したの?
でも驚いている場合じゃないよ。これ次はどうしたらいいんだろう。しばらく考えていたけれど、どうしていいかよくわからない。
そうだ、ブレスレットを試しに少しだけ戻してみるってどうだろう。一気に戻したら、たぶん僕はここから落ちて、大けがじゃ済まなくなるから気をつけて回さないと。
あ、でもブレスレットを回すには、またサリをぎゅっと抱きしめないとならない。絶対またサリが勘違いして大騒ぎするパターンだ。
僕はしがみついているサリを、また強く抱っこするようにして両手をサリの背中に回すと、ブレスレットを少しだけ戻してみた。
おお、ゆっくり落ちていく……。
僕とサリは、崩れていく黒猿の形の砂と一緒に、ゆっくりゆっくり地上に降りていった。
あ、僕はいいけど、アゼリアにはブレスレットの効果が効かないから、地上に落ちる前にアゼリアを回収しないと……。
もう少しで地上に到着する寸前で、またブレスレットを止めると、僕は空中を泳ぐようにしてアゼリアの方に行こうとした。でも空中を泳ぐ必要もなく、足をバタバタさせただけで、僕はストンと地上に降りることができた。
アゼリアは地上から1mくらいのところで止まっていたので、そのままアゼリアをサリと一緒に抱きかかえて、皆を寝かせておいたほうに連れて行った。
よかった、ようやく全員救出に成功した。
あらためて落ち着いて確認してみたら、エルヴィローネの口の中に入った泥はほんの少しだけだった。ブレスレットを回した瞬間だけ泥に顔がついていただけだったみたい。他の全員は全く口の中に泥は入っていなかった。
たぶん怪我をしていても、エルヴィローネが治癒魔法ですぐに治すだろうから、心配いらないよね。
僕は、一呼吸入れてから、ブレスレットを元の位置に戻した。
「え、なになに、なんでみんな寝落ち? 休憩タイムとか聞いてないし! てかテムリオ兄、ぎゅー長くない? サリ的にはOKだけど?」
またうるさいサリが戻ってきて、ゲホゲホいいながら、皆が立ち上がった。よかった全員無事だよ。
しばらく全員が、何が起きたのか理解できない顔で茫然としていたけれど、トラヴィスが大声で、「あっ黒猿はどうなった!」と叫んだのを合図に全員が跳ね上がって、ボス部屋に走り出した。
少ししてから、状況が飲み込めない様子で全員が戻ってくると、全身泥だらけのアゼリアが、僕に向かって笑顔を見せた。
「私の、ゲホッ、私のテムリオちゃん。『威圧』の力を使った?」
うっまずい。怒られるよ。でもこの状況で嘘はつけない。僕は神妙な顔で、黙って頷いた。威圧じゃなくてブレスレットだけど。
「うおーっ、やっぱりすごいな、テムリオ。それで黒猿は死んだのか?」
ヴァルッカが、感激したような顔で聞いてきた。そんな感動するような話じゃないんだけどね。
「……あ、ああ、このダガーで。でも凄い時間がかかった。俺にはこういうのは無理だよ。」
ちょっと情けなかった。みんなは一瞬で倒せるって言ってたけど、たぶん僕の場合、時間的には1時間くらいかかったもの。
「えー、なになに、 テムリオ兄が魔法で倒したの~?、ひとりで倒せるならさ、みんなで来る必要なくない? テムリオ兄だけでよかったんじゃん。ま、サリはごはん作るから必要だけど~!」
えーっ、まさか。絶対無理。
コホンと、わざとらしい咳をしたヴァルッカが、「サリ、黙っとけ」と注意して、その話はそれで終わった。なんだか僕のブレスレットの話になると、みんなが腫れ物に触るみたいに、黙ってしまう。




