82.ダンジョンに行こう――黒猿と『威圧』の決戦(6)
「前回は領主の依頼で状況確認に来ただけなので、ここまでしか進んでいない。この先は冒険者からの情報だけだが、四階にはホブゴブリン、リザードマン、ブラッドモンキーが出るらしい。」
そうなんだね。ここから先はアゼリア達も行ったことのない場所なんだ。
相変わらず、どうやればこんな状況でこれだけ美味しい朝食が作れるんだろうと、驚きながらサリの作った朝食を味わっていたら、アゼリアの恒例の「朝礼?」が始まった。
「いずれも大した相手ではないが、それに油断して最奥まで進み、黒猿に命を奪われた者もいる。逃げ帰った冒険者の証言だけが頼りだが、正確さは不明だ。」
そうだろうね。逃げるのに必死な人じゃ、観察なんてできないもの。
「ここからは、四階の魔物は一切相手にしないで力を温存し、一気に五階入り口まで走る。そこまでの陣形はこれまで通り。五階は通路なしのエントランスで、その奥がボス部屋ということだ。黒猿はそこにいる。他の魔物はいないという情報だから、入り口のところから接敵フェーズ『方円の陣』でボス部屋まで警戒を緩めずゆっくり移動。」
「接敵フェーズ」なんてかっこいい言い方だね。意味はわからないけど。
「あとは訓練通りだが、最終確認をしておく。
まずは『方円の陣』で黒猿の動きを見定める。
その間に、エルヴィローネの鑑定が完了次第、その合図を待って攻撃集中フェーズ『魚鱗の陣』に移行。」
本格的攻撃開始って意味だろうね。『方円の陣』も『魚鱗の陣』も全然わからないけれど、教えてもらってもわからないから聞かないでおこう。
「エルヴィローネの連続鑑定で黒猿の攻撃が予想されるときのみ防御フェーズ『鶴翼の陣』を取る」
ん?『鶴翼の陣』って、どこかで聞いたことがあるような……。
「そして鑑定による攻撃のタイミングを逃さず、黒猿が倒れるまで右の頸動脈付近を集中攻撃する」
なんで右側なんだろう。頸動脈って両側にあるよね。どちらかに決めておかないと混乱するって意味かな。
「そしてこれが最も重要だが、後方危機の際の退避フェーズ『雁行の陣』。これだけは1秒たりと遅れないこと。以上だ。」
えっ、黒龍を倒すより重要な後方危機ってなんのことだろう。まあいいか。どうせ僕は作戦に参加するわけじゃないから、ほとんど意味がわかってないので、少しくらいわかってもしかたがないし。」
すると、隣で聞いていたサリも、僕レベルの質問をした。
「あのさー、それってサリも一緒に黒猿やっつけるってこと? それともサリはさ、みんなが戦ってる横でお昼作ってればいい感じ?」
さすがのアゼリアも、テキパキとした指示の言葉が止まってしまった。サリって最強だよね。
困り顔のアゼリアに代わって、エルヴィローネが振り返って冷たく言った。
「サリはな、テムリオにだっこされて後ろで待っとき。昼ごはんは黒猿倒してからでええ。うちは守ったれんけど、テムリオにだっこされとったら絶対だいじょうぶじゃけぇ。」
その「絶対」には、何の根拠もないよね。まあ僕もサリを抱っこしてた方が気持ちが落ち着くってわかったからいいけど。
「打ち合わせはそれだけだ。なにか質問はあるか?」
僕は恐る恐る手を上げた。
「あのー」
途端にアゼリアの声が猫なで声に変化した。
「なあに? 私のテムリオちゃん」
「俺って、どこにいればいいの?
いろんな陣形でエルヴィローネも前に出たり後ろに引っ込んだりするんでしょう?
今まではエルヴィローネの横にいれば良かったけど。」
するとアゼリアは満面の笑顔で答えてくれた。
「ずっと離れてていいから、ボス部屋の入り口あたりで、必ず全員が見える場所にいてね。何もしなくていいけど、そこに私のテムリオちゃんがいることが、一番重要なの。」
僕は縁起物のお守りか何かなのかな。
確かに大変な戦いの時は、縁起担ぎする人って必ずいるね。
食事が終わって身支度すると、今日は珍しくトラヴィスの合図で五階入り口を目指して全員が走り始めた。サリは、もうすっかり僕に抱っこするのが当然の体制みたいに、ピョンと飛び乗ってきて、両手を首に、両足をウエストに巻き付けてきた。
元の世界の自宅にもこんなビニール製の人形があったな、などと考えていた。コアラの人形だったけれど、親が子供の頃は黒い人間の子供の形をしていたそうだ。
四階の魔物は、今までより比較的大きい魔物で、まともに戦っていると疲弊しそうなのばかりだった。
相変わらず緑色したゴブリンの親戚のホブゴブリンは、背の高いセルディオやアルフェリードでさえ見上げるような大きな魔物だった。
リザードマンを見たときは、生物の進化は、異世界じゃどうなってるんだろうって思ってしまった。立ち上がったオオトカゲというより、トカゲ顔の人間の戦士としかみえなかった。体格は、ほぼ哺乳類の特徴を持っていて、何より驚いたのは、ベルトをして鎧をつけて剣も手に持っているって事。そんな事ってありえないよ。
間抜けな顔で驚いていたらしく、見ていられないって顔をしたエルヴィローネが、あの武器は倒した人間のものを、人間の真似してまとっているだけで、自分たちで作った訳じゃないと教えてくれた。
ブラッドモンキーは、真っ赤な猿で、大きさはゴリラほどもあるから、やっぱり人間よりは大きかった。
大きい魔物の特徴で、それほど早くは走りよってこないから、全員が、その横をすり抜けるようにして、一切戦わずに通り過ぎた。それほどの数もいなかったので、集団で攻撃される心配がなかったのも幸いしたみたい。
1時間くらいで一気に四階を走り抜けたら五階の広い階段が出てきた。
「さあここから一気に行くぞ。この先、指示を出すのはエルヴィローネだ。」
アゼリアがそう言うと、アゼリアがいきなり『方円』と叫んだ。
すると、全員が一糸乱れぬ動きで円を描いてならんだ。
先頭をタンクのトラヴィス。その左後方を剣のアゼリア、右後方をハンマーのヴァルッカ。中央トラヴィスの後ろを剣のセルディオ。
アゼリアの後ろの方を弓のアルフェリード。ヴァルッカの後ろの方を火魔法のイグナス。セルディオの後ろのほうを要のエルヴィローネ。
僕とサリはその後ろからついていく。
方円って「四角と丸」って意味だと思うけど、どこが四角で何処が丸なのかよくわからない。もしかしたら形の話じゃないのかも。
そのまま後ろからゆっくり付いていったら、大きなドアのない部屋の入り口にたどり着いた。ここが黒猿のいるボス部屋で間違いなさそう。
僕は打ち合わせ通り、この場所で待機した。僕が待機すると、もれなくサリがついてくる。
休憩した場所にもあったけれど、天井付近が緑色に輝いていて、それなりに明るかった。でもそれだけでは奥の方まで見渡せない。『魔灯』があるおかげでかなり明るくみえた。
陣形そのままで奥に入っていくと、奥から大きな黒い塊が、ゆっくりと皆の近くに近づいてくるのが見えた。
「グアーッ」という大きな雄叫びが聞こえてきたかと思ったら、突然黒い塊が突進してきた。『魔灯』に照らし出されたその姿は、確かに黒い猿だったけれど、10mもありそうな巨大な猿だった。
『蒼の誓』のパーティメンバーが、まるで大猿に挑む小さなアリの群れみたいに見える。
「ヤバッ、ちびりそう~」
サリが、僕にしがみつきながら叫んだ。
「馬鹿、馬鹿、その格好でちびるんじゃないよ。」
あわてて小声でサリに注意した。
とうとう戦闘が始まった。大きく両腕を組んで振り下ろす黒猿の攻撃を受けるトラヴィスが、逃げるでもなく盾でその衝撃を受けると、その瞬間を狙って、左右からアゼリアとヴァルッカが、両足めがけて攻撃を仕掛けていった。足を攻撃するんだね。
それと同時にトラヴィスの後ろからセルディオが、その長い槍でトラヴィスに振り下ろした両腕めがけて突いた。
イグナスは、黒猿の直撃を盾で受け止めたトラヴィスに、たぶんあれはヒールを掛けているんだと思う。
アルフェリードの弓からは、黒猿の目をめがけて矢が放たれた。
よく訓練されているらしく、全員の連携がとても綺麗に見える。
そんな皆が必死に黒猿に向かっているのは、エルヴィローネの鑑定をやりやすくするためなんだろう。エルヴィローネは、長い杖を黒猿のほうに突き出したまま、その場から一歩も動かない。
次の瞬間、黒猿が、うっとうしいハエを追い払うかのような仕草で両手を振り回した。
トラヴィスを覗く他のメンバーが一斉に元の陣形に戻って黒猿の攻撃をかわす。トラヴィスはその場でしゃがみ込むことで、やはり黒猿の直撃を避け、そこをすかさずイグナスがヒールを掛けていた。
黒猿は、全員の攻撃にまったくひるんでいる様子がなかった。剣も槍もハンマーも弓も、まったく黒猿には通じていないらしく、こんどは右左と交互の手による攻撃が、容赦なく正面で黒猿と対峙しているトラヴィスに襲いかかってきた。そのたびに盾で防いでいるトラヴィスは、防戦一方だ。
『魚鱗!」、それまで身動きひとつしなかったエルヴィローネが突然全員に指示を出した。
黒猿が土魔法攻撃を開始するパターンを読み取り終えたという合図なんだと思う。本格的攻撃態勢に移るという合図だ。
タンクのトラヴィスはそのままの位置から動かなかったけれど、そのすぐ後ろに、アゼリアとヴァルッカが移動してきた。三人体制で正面から攻撃するんだね。
槍のセルディオも、そのすぐ後ろに移動し、そのすぐ後ろにエルヴィローネも移動した。ヒールやバフを掛けるために後方支援ポジションでより近接する場所に移動したみたい。
イグナスとアルフェリードは、その後ろから、他のメンバーの補助に入った。矢でメンバーへの攻撃が直撃するのを避けるのと、エルヴィローネが間に合わない回復魔法をイグナスが補助するようだ。
正面攻撃は熾烈を極め、さすがの黒猿もあとづさりを初めた、攻撃していた両手は血がにじんでいるから、結構攻撃が効いているみたいだ。
「鶴翼!」、突然エルヴィローネが指示を出した。
黒猿が土魔法攻撃を開始するのを鑑定魔法で察知したんだと思う。これを察知するために、最初に鑑定して読んでいたんだ。
アゼリアは黒猿を仕留めるのは一発勝負と言っていた。黒猿が土魔法を仕掛けてくる一瞬のタイミングを狙って頸動脈を狙うんだろう。
……でも、何だろうこの気持ち。
いままさにクライマックスを迎えようとしているのに、巨大な黒猿を倒しに行くアゼリア達を眺めるときの冒険者としての高揚感は、正直言って僕には全くなかった。
元の世界は平和そのもので、こんな光景なんて多分一生見ることはなかったと思う。目の前で、生きている魔物狩りをしている人達を見て、その不快感で食べたものを戻してしまうような、嫌な胸のむかつきが込み上げてくるだけだった。




