79.ダンジョンに行こう――黒猿と『威圧』の決戦(3)
さすがに外の景色も飽きて、馬車の中も何も変化がないので、昼間からずっと空いた席の長いソファで寝ていた。時々アゼリアが来て「はい、膝枕」といって僕を膝枕してくれたけど、あまりの心地よさに、5分も持たずに必ず寝てしまう。アゼリアの膝枕だよ。こんな贅沢な枕なんて絶対にないのに、味わう前に眠ってしまうなんて、恨めしいよ、10歳の体。
今までで一番賑わっている駅に到着した。
アゼリアの話では馬車に派手に描かれている領主の紋章は、あれが通行証の意味があるのだそうで、領主の紋章の入った馬車が駅に入ったら、村人は最優先で最高の待遇で持てなす義務があると決められているのだそうだ。
駅に到着するたびに馬を変えることができるのも、食事や宿泊の世話を焼いてもらえるのも、この紋章があるからで、だから大急ぎで討伐に行くのには、あまりふさわしくないけれど、こんな派手な馬車で来る必要があったみたい。
「ちょっとこの村で買っていきたい物があるのよ。私のテムリオちゃん、一緒に来てね。」
いつもアゼリアは突然僕を誘う。足の速いアゼリアの後ろを付いていくのって結構大変。しばらく歩くと、数十件の出店が並ぶ、小さい市をやっている一角があった。
「ここよ」
みると、大小たくさんの壺が並んでいて、壺の前にサンプル用と思われる、パンのようなお菓子のような、楕円形で平べったい物がたくさん置いてあった。
うーん、見た目は叔母さんが時々作って持ってきてくれたビスコッティに似てる。
「ビスコッティみたい……」
思わずつぶやいたら、アゼリアが驚いた顔をした。
「私のテムリオちゃん、どうしてビスコッティ知ってるの? もしかしてエルちゃん工房でも売ってるの?」
『エルちゃん工房』か。悪くない呼び方だね。でも、なんて言い訳しようかな。
「いいやお店じゃ売ってないよ。俺もなんで名前を知ってるのかわからない。」
こんなインチキな言い訳じゃ納得してもらえないか。でも絶対に深く追求しないところがアゼリアのいいところだ。
試食用っぽいのを、一口食べてみようと、口元まで持っていったら、アゼリアとお店の人に同時に「食べられないよ!」と止められた。でももう間に合わない。口に入れちゃったもの。歯に当たってガキッという音がした。あー、痛くてしばらく口を閉じることができない。固くて石みたい。……えっ、これ石で作ったサンプルなの?
いや、石じゃない。何となく味がするし、香りもする。僕が知ってるビスコッティそっくりだ。歯が欠けていないか確認してみたけれど、大丈夫そうだった。
「固いのは、もしかしてベーキングパウダーを使ってないとか?」
お店のおばさんに聞いてみた。
「なにその、ベーなんとかっていうの。」
「あ、ごめん、重曹は使ってないのかって意味だよ。……いや重曹も違うか。そうだ『リュミちゃん』だ。『リュミちゃん』を使えば柔らかくて食べやすいビスコッティが作れるよ」
さすがに、『リュミちゃん』は知っていたと見えて、納得顔になった。
「ビスコッティはあまり膨らませないのが原則だ。そうしないと日持ちしないからね。坊やは領都から来たお客さんかい? 領都じゃビスコッティにも『リュミちゃん』を使ってるのかい?」
知らないんじゃなくて、わざわざ石みたいに固く焼いてるんだ。
お店のおばさんは、僕の家がパン屋だと話したら、聞いてもいないのに作り方を延々としゃべり出して止まらなくなった。
まず卵と蜂蜜を混ぜて、泡立て器で泡立てる。膨らみはこのときの泡立てのみ。ここに小麦粉と少しだけ塩を混ぜる。さらにナッツとレモンの皮を加えて棒のように丸める。
これを一回オーブンで、表面が乾くまで焼いてから冷ます。
次に、これを1.5cmくらいに斜めにスライスする。
そうしてから、切り口を上にして並べて、オーブンで裏表しっかりと焼く。
水分がなくなって乾燥したような感じになれば出来上がり。
うーん、そこまで詳しく説明されたって困るよ。パン屋の息子だけど、パン屋になるわけじゃないんだし……。
要するに水分が抜けてカチカチになるパンって説明だよね。
「へえ、二度も焼くんだね。固くなるはずだ。」
とりあえず、長い説明になにか一言反応しないといけないと思って、相槌だけ打っておいた。
「そもそもビスコッティって、二度焼きって意味らしいぞ。王都から来た商人から聞いた話だが。」
お店のおばさんは、なかなかの博識だね。僕も思い出したよ。叔母さんが同じ事を言ってた。「……それなのに、今のお店で売ってるのは一度しか焼かない。あんなのはビスコッティじゃない」って怒ってたっけ。
「ダンジョンに入るときは、このビスコッティを一杯持って行くのよ。軽くて日持ちするから、何日も潜るときは重宝するわ。スープを温めて、浸けて食べるの。」
そう言って大きな壺ふたつ分のビスコッティを買った。ひとつは僕が持つことになったけれど結構重い。
「壺が重いのよ。ダンジョンに入るときは麻袋に入れ直すから大丈夫。結構軽いのよ。」
そういうとアゼリアはもうひとつの壺をひょいと担いで馬車が止まっているほうに歩き出した。
「ダンジョンには気をつけていくんだよ。生きて帰ってきて、空の壺を持ってくれば、壺代は返すからね。」
お店のおばさんに変な感じで励まされた。
二日目の夜は、この少し大きめな駅に貴族も泊まれる宿があったので、少し早めだったけれど、ここで泊まることになった。その分、明日は早く出発するみたい。
この村でも村長が宿に挨拶に来たけれど、特に接待するわけでもなく帰って行った。村によって扱いが違うね。
「おーい、テムリオ。お客さんを連れてきたぞ。」
セルディオが、見知らぬ女の子を連れてきた。知らないよ。こんな田舎に知り合いなんていない。勘違いだろう?
「やほ、テムリオ。朝はマジごめん。ほんとガチ反省してるから許して?」
えーっ、なにその軽い反省。今朝僕のブレスレットと一緒に飛んできたメイドの子だよね。
「ど、どうして、お前がここにいるんだ?」
「サリだよん。あそこにいられなくなっちたから、荷馬車の中に隠れてついてきちった。テヘ?」
あの、こういう子の扱いって僕全くわからないんですけど。
目でアゼリアに助けを求めたら、皆と一緒に腹を抱えて笑い出した。
「おう、サリ、腹が減ってるだろう。テムリオ兄ちゃんなんか放っておいて、こっちに来て一緒に食べるか?」
「うん、お腹ぺったんこだよー。」
サリはセルディオに呼ばれて飛ぶようにテーブル席に行って、さっそく皆が食べてる夕食を、普通に食べ出した。僕はまだ手と足を洗っていないのに。いやここじゃ誰も洗ってないか。
そんなわけで討伐隊のメンバーが一人増えて、サリは今夜はエルヴィローネと一緒の部屋で寝ることになった。
「あんたは床に毛布でも敷いて寝ときゃええんよ。わしゃ知らんけぇな。」
エルヴィローネに冷たく言われたのに、「じゃんけん!」などと陽気に答えてた。
「うう、あやつホンマにわしゃ床で寝さして、自分だけベッドで寝よったんじゃわ。」
次の朝、エルヴィローネが大荒れだった。でもきっとエルヴィローネがサリにベッドを譲ってあげたんだよね。優しいものエルヴィローネは。
「ここから先は駅はあるが、まともな村はないので、お昼は弁当を買っていく。それとその先の食料も少し追加で調達して、夜や朝は調理しながらいくことにする。寝るのはテントだ。」
アゼリアの説明に、いよいよ領界が近いことを感じた。
「サリ、この先にサリがいられるような村はないから、ここで住むところを探して暮らしてはどうだ?」
サリに聞いたけれど、
「ひやーっ、ひとりムリムリ!生きてけないっ。みんなといくしかないっしょ。」
といってエルヴィローネにしがみついてしまった。
「あのなぁサリ。皆はダンジョンに魔物狩りにいくんだぞ。連れて行けるはずないだろ。」
ヴァルッカはちょっと言葉が冷たい。男なら『ボコボコさん』にしてしまうくらいだから、これでもかなり優しく言ってるんだろうけど。
「やだ」
どうにもならずに、どこかの駅で待たせて帰りに拾ってやるか、ということになって、結局サリも一緒に行くことになった。
三日目の夜は野営できそうな場所を選んで、野営することになった。遠くで狼の遠吠えが聞こえてきて、サリはすっかり泣きべそをかいていた。
夕食は皆で手分けして牛肉の赤ワイン煮を作った。ビーフシチューとまではいかないけれど、結構贅沢な料理だ。野趣たっぷりの料理になるのかと思っていたから驚いた。
四日目の朝。いよいよ今日はダンジョンに到着する日だ。
最初の駅に着いたとき、アゼリアがサリに諭すように話しかけた。
「ここから先に駅はないから、サリを置いていく。帰りにまた馬車に乗せてやるから、ここでおとなしく待っていろ。」
「やだー、ここ置いてかれたらムリムリ、ひとりとかマジこわいんだけどー!」
「御者がいるだろう。あれも騎士団の騎士だから安心していい。」
「やだー、あのおじさん顔ガチこわなんだけどー。サリも一緒行きたいんだけどー!」
何だか、超めんどくさい女の子だ。
「だってさ、テムリオだってあんなチャラいダガー下げて行くんじゃん。サリだって行けるっしょ。サリの方が料理とかできるし、マジ、テムリオより役立つし!」
サリが僕をライバル視して、必死について行く宣言をはじめた。ダンジョンが怖くないんだろうか。僕は怖いから、なんだったら、交代してもいいんだけど。
無理に置いていこうとしても「やだ」といってエルヴィローネにしがみついて離れない。
エルヴィローネも妹ができたみたいで、まんざらでもない顔をしているので、エルヴィローネが責任を持つということで、しかたがないので一緒に行くことになった。
ようやく目的地に到着した。
うっそうとした洞窟を想像していたのに、何だか人工的な四角い入り口だった。
「ここって、炭鉱の跡とか何か?」
雰囲気的にこういう場所に詳しそうなヴァルッカに聞いてみたけれど、昔からこうなので知らないと言われた。古代の遺跡ってところなのかな。
「よし、では荷物を持ったら予定通りの順にダンジョンに入っていく。サリは御者と一緒に、皆が帰ってくるまでおとなしく馬車の中で待っているように。」
「やだ。置いてかないで。ひとりじゃこあーい。」
サリはここでも大騒ぎして、結局途中まで連れて行けば、ダンジョンは怖いところだってわかるから、そうしたら途中で連れて帰るということにして、一緒にダンジョンに連れて行くことにした。
えっそんなのでいいの? お試しで連れて行くにしては、超危険な場所なんじゃないの?
でも、まあ『蒼の誓』のクラン員が勢揃いしているんだから、考えようによっては、これ以上安全な場所はないのか……な?
サリは後衛の僕と一緒ということになった。
セルディオは、念のためと言って予備に持ってたショートダガーをサリの腰につけてあげていた。いつもセルディオって、こういうところが紳士なんだよね。
ダンジョンの中では光魔法を使えるメンバーがいないので、携帯用の『魔灯』を持ってきていて、各自持たされた。魔力を充填しなくても1週間くらいは持つのだそうだ。みんな『魔灯』を首から提げていたので、僕も真似した。
天井にコウモリがたくさんいるところを想像していたけれど、天井も人工的な天井で、生き物は全くいなかった。やっぱりここって古代の地下神殿といった感じの場所だ。
「そろそろゴブリンがでるから後衛の二人に注意。」
先頭のアゼリアの声が聞こえた。僕は緊張感マックスになった。まだ最初に襲われたときのゴブリンが目の前に迫った顔が浮かんでくる。
それなのに、……え? なに? 他のメンバーの緊張感のなさは。
まるで気にならないように、陽気に雑談しながらのんびり歩いてる。まあゴブリンなど敵のうちにも入らないんだろうけどね。
さすがに怖くなってきたのか、サリは、頼りないはずの僕にしがみついてきた。これじゃ僕が怖くてちょっと震え気味なのがバレちゃうよ。
いよいよ、本物の魔物討伐がはじまる。




