77.ダンジョンに行こう――黒猿と『威圧』の決戦(1)
「こんにちは……」
未だに『蒼の誓』クランアジトの正面玄関からエントランスに入るときは、おそるおそる小声で挨拶しながら緊張して入っていく僕だ。
『蒼の誓』クランのクラン員になったことが、未だにピンと来ないのが一番の理由だけど、我が家に帰ってきたみたいに、明るい声で「ただいま!」とでも言えるようになる日は来るのだろうか。
最近僕が来るのは珍しい出来事じゃなくなっているので、門番のアレックは、アゼリアを呼びに二階に行ってくれることはなくなった。かといって、どうしてもよそのお宅って感覚が抜けないから、呼ばれていないのに、二階の、たぶんアゼリアのプライベート空間にいくのは気が引ける。
「あ、やっぱりテムリオだ。そんな声がしたから来てみたら当たってたね。」
代わりに出てきたのは『赤い約束』パーティリーダーのライクだった。
どうしてここにいるのって聞きかけて、自分から誘っていたことを思い出した。
危ない、危ない……、自分の事じゃないとすぐに忘れてしまう。
「やあライク、どう? パーティアジトは。気に入ってくれた?」
って、僕が提供してるわけじゃないけどね。
「うん、快適すぎて、まだ皆で本当にいいんだろうかって戸惑ってるよ。それに、ここが蒼洞のアゼリアさんのアジトだったなんて知らなかったから、いきなりアゼリアさんに挨拶されたときは、全員椅子から転げ落ちて驚いたよ。ベラスなんて、ちょっとおしっこをちびってた。なんで教えてくれなかったのテムリオ。」
えっ、普通の冒険者はそういう反応になるの?
多少は驚くだろうと思ったから、最初から遠慮されないように黙っていたけど、アゼリアって、やっぱり凄いんだね。
「きゃー、私のテムリオちゃーん。」
でも僕には、こんなアゼリアの何処が凄いのか全くわからない。あっという間にアゼリアの鎧の堅い胸の谷間に捕まってしまいながら思っていた。ほらライクがドン引きしてるよ。
「私のテムリオちゃん、明日から西の領境にあるダンジョンに黒猿の討伐に出掛けるから、おうちの方には10日くらい帰れないって言ってきてね。」
「そうなんだね。気を付けて行ってきてね。でも、どうして俺の家族に言う必要があるの?」
今日は簡単にギブしないで、胸の谷間からもがきながら聞いてみたけれど、やっぱりアゼリアから逃れることは出来ない。
「テムリオちゃんも一緒だから。」
「へっ?」
思わず気が抜けたような声を出したら、するりとアゼリアの胸の谷間から抜けることが出来た。力を抜けば良かったんだね。
「どうして俺が一緒に行くの? 討伐なんてとても無理だよ。黒猿なんて、名前を聞いただけでも恐ろしそうな魔物を見たら、皆を放って真っ先に走って逃げ出す自信があるよ。」
「どんな自信だ」と笑うライクの声が聞こえた。
「『赤い約束』のパーティにはポーターで行ったんでしょう? 『蒼の誓』のパーティにもポーターで行ってくれなきゃアゼリア泣いちゃう。」
アゼリア、そんな女の子モードで言っても似合わないから。確かに可愛いけど。
「でもランクの差が大きいとパーティ組めないって冒険者ギルドの案内に聞いたけれど、大丈夫なの?」
「うん、何の問題もないわ。そもそもギルドのランク評価なんて、『蒼の誓』クランの中では何の意味もないの。それにギルドじゃ『威圧』の評価はできないでしょう。全員でひとつの動きをするのに、上も下も関係ないわ。」
エントランスで、アゼリアとそんな話をして遊んでいたら、何やら話し声が聞こえる、などと言いながら、クランメンバーが続々と集まってきた。
「座って話そうぜ」というハンマーを軽々と手に持ったヴァルッカの提案で、僕専用の個室兼、『赤い約束』の仮アジトにぞろぞろと移動したけれど、全員が入っても狭く感じない。アジトの部屋の中では一番狭い部屋らしいけれど、それでこの広さなんだ。
「ごめん、ライクとエノとベラスとドナルド二世。少し騒がしくなるけど。」
『赤い約束』のパーティメンバーに頭を下げたら、みんな激しく首を横に振った。
こういう時に中心になって話をまとめる役はトラヴィスのようで、このときもトラヴィスが話を始めた。
いつの間に用意したのか、今回の討伐には参加しない一般メンバーのラギが、アゼリアになにやら小さい声で耳打ちして「あんこ玉」を渡していた。たぶん打ち合わせながら僕の口に放り込むんだろう。
「ラギなんて言ってた?」と隣にいたドナルド二世に聞いてみたら、「なんとかの餌って聞こえた」と答えた。
「初めて聞くメンバーもいるから、あらためて説明するが、このところ急に西の領界にある黒洞ダンジョンから黒猿が時々地上に出てくるようになったという報告が領主のところに届いてるらしい。」
うんうん、話の内容がよくわからないけど、なんとなく問題が発生しているらしいのはわかる。
「近くの村が被害を受けているので、被害が少ないうちに、ダンジョンから出られない対策を取るか、若しくは討伐せよという領主の依頼だ。」
討伐は領主からの依頼なんだね。
「これまでの黒猿の研究成果に従い、今回は右の頸動脈付近を集中攻撃することが決まった。その攻撃方法については繰り返し訓練した通りとする。黒猿は土魔法を駆使してくるので、今回も人間の魔法は対抗できないと判断し、魔法攻撃は封印する。各自の魔力は、全てヒール用に使用すること。」
やっぱりマルグリットと一緒に考えたとおり、アゼリアの強さの秘密は敵の研究をしっかりしていたことだ。これが『威圧』の正体なら、討伐についていけば、実際の『威圧』がみられることになる。
続いてアゼリアが討伐パーティについて話し出した。
「それで明日からの予定だけれど、行くのは中核メンバー全員と、私のテムリオちゃんの合計八名、それに御者四名とする。移動は全員が乗れる馬車と、荷馬車の二台になる。馬の負担が大きいから駅ごとに馬は交代する予定だが、その場に合わせて判断する。」
「……あのー。」
僕が、おそるおそる手を上げたら、真顔で話してたアゼリアの顔が急にほころんで、「なあに?私のテムリオちゃん」と、別人のような甘い声を出した。僕は、みんなが当然顔で話している内容で、たぶんこれを知らないと、まずいんじゃないか思えるキーワードについて聞いてみることにした。
「ええと……ダンジョンって何?」
緊張していた皆から、ドドッと崩れる音が聞こえたけれど、馬鹿にすることなく、セルディオがちゃんと説明してくれた。
「主に自然の洞窟のような場所のことだ。大昔の人が掘って作った地下要塞という場合もある。今回のように魔物の巣になっている場合が多く、厄介な存在だが、高級魔石を取るのに上位冒険者がよく行ってる。迷路のようになっていることが多いので迷宮と呼ばれることもある。」
だいたいイメージがわかったので、話の腰を折ってしまったのを謝って、打ち合わせを進めてもらった。
「ダンジョンは五階層。黒猿は通常なら最下層にいるが、出てきている可能性もあるので、その場合はただちに討伐配置につく。それまでは、前衛がアゼリア、トラヴィス、セルディオ。中衛がヴァルッカ、イグナス、アルフェリード。後衛がエルヴィローネと私のテムリオちゃん。」
僕と『赤い約束』のパーティメンバーは、緊迫したような打ち合わせの場面を、ただぼう然として眺めるだけだった。
でも、僕は多分、まだ参加するとは言ってないよね。どうして行くことが決まってしまっているんだろう。
しばらく打ち合わせが続いたあとで、アゼリアが僕のダガーのことで話を始めた。
「そのダガーは、貴族の女性が護身用に持つ宝飾品の部類で、実用的な物じゃないから、今回のダンジョンではそれでも大丈夫だけど、帰還後の領主への報告の時は、実用的な武器を下げていた方がいいかも。どこかの武器屋に知り合いはいる?」
「うん、一軒だけアテがあるから、この後、ちょっと行ってみるよ。」
中央市場のマーガレットのところだけどね。というか、領主に挨拶って、いきなり平民の子供にはハードルが高すぎるよ。マルグリットに貴族式の挨拶のしかたを教わりに行かなきゃ。それよりお母さんの方が詳しいかな。
メンバーがみんな出て行ったので、ようやく『赤い約束』のメンバーと話が出来た。
「四人は、今回の討伐でランクがあがったの?」
「ああ、全員が1ランクあがった。冒険者ギルドの受付は、テムリオだけはランク評価の対象外なので、上がらないって言ったので、そんな理不尽な扱いはおかしいって皆で抗議したんだ。でも認められなかったごめんテムリオ。」
「いや、俺は知ってたから大丈夫。それより、ランクが離れているとパーティ組めないから、俺は『赤い約束』のパーティを抜けるね。元々そういうつもりだったんだ。でもパーティには参加しないけれど、これからも『赤い約束』のメンバーの一人でいたい。いいかな。」
そういうことで納得してもらった。ここのアジトをこれからも使って欲しいから、そういう提案をしたんだけどね。
それにしても、いきなりダンジョンの魔物討伐にGランクの僕が行くって、やっぱり変だよね。
早めにクランアジトを出て、中央市場のマーガレットの所に行って、事情を話した。
「あらまあ、それじゃ急いで知り合いの鍛冶屋に話しておくわ。既製品は貧相だから駄目よ。テムリオが領都に戻るまでに完成するようにって言っておくから、凱旋したら真っ直ぐここのお店にいらっしゃい。お値段は任せてね。手持ちで払えなけりゃ、分割払もできるようにしてあげる。」
マーガレットに任せておくと大丈夫な気がする。値段がちょっと怖いけど。
家に帰って皆に話したら、全員ひどく驚いたけれど、僕の役目はポーターと言ったら納得してくれた。
でもダンジョンで魔物討伐って、どんな準備をすればいいんだろう。着替え持っていってもダンジョンじゃ洗濯できないよね。……など、ちょっと的が外れたようなことで悩んだ。




