76.異世界転生者と、マルグリット令嬢(3)
その後も、三人で手分けして書写本を読んでいたけれど、さすがに全然意味もわからず読んでいたエルは、早々に脱落して子供部屋に戻った。
お父さんとお母さんも、特に本には興味がない様子で、明日の仕込みなどしている。特にお母さんは張り切ってスポンジケーキをたくさん作りはじめた。ラズベリージャムも毎回使いたいと、マルグリットに卸問屋を聞いていたけれど、マルグリットは知らないということで、家の人に聞いてもらえることになった。
ダイニングには、僕とマルグリットの二人だけになったけれど、二人で一緒に本を読みたいから、マルグリットは、ずっと僕のすぐ横にぴったり寄り添っていた。この風景だけ見たら、とても仲のいい兄妹か、幼い恋人同士だ。
「それで私には『威圧』の力とは、転生者の元の世界にあった、魔力とは別の力のことだ、という事しかわからなかったけれど、テムリオにはそれ以上のことがわかるのか?」
「うん、そうだね。転生者の元の世界の力のことを、『威圧』と呼んでいるのは確かだけれど、この世界にも『威圧』の力は元々あるんだと思う。でも『威圧』より『魔法』のほうが便利だと思っていて、みんな使わないだけなんだよ。ほら燃し木に火を付けるのにマッチを使うだろう。」
そこまで言ってから、あ、マルグリットは令嬢だって思い出した。台所でマッチなんて使ったことないよね。でもいいや、「マッチって何?」って聞かれたら見せてあげることにして、話を続けよう。
そういえば、元の世界では逆にマッチは廃れかけていて、ブラック企業の同僚でもマッチを知らないのが何人もいた。「マッチって何?」って聞かれたときは本当に驚いた。国の中でマッチを作っている会社は確か三社くらいしかないって聞いたから、知らない人がいても不思議じゃないってそのとき気がついた。
「マッチは、火魔法を使うより簡単だから使うってお母さんが言ってたけど、マッチで火を付けるのが『威圧』の力で、火魔法で火を付けるのが『魔法』の力ってことなんだと思う。『威圧』と『魔法』は正反対の力で、威圧のほうが便利に思えるようになると、魔法は使わなくなる。
たぶん転生者の元の世界は、マッチのような便利な道具があふれていたから、誰も魔法を使わなくなって、魔法は廃れたんじゃないかな。だから転生者は魔法が使えなかったんだよ。使う必要が無い生活をしていたからね。」
「たぶん」という言葉を付けないと、僕も転生者だって名乗らなければならなくなるからね。ちょっとまどろっこしいけれど、マルグリットには、そういうことで納得してもらうしかない。
「うちのお父さんなんか、風魔法が使えるくせに、暑い時はうちわでパタパタとやってるけど、あのうちわで扇ぐ力だって立派な『威圧』の力だと思うよ。風魔法を使うと魔力を大量に使うから、むしろよけい暑くなるんだって。」
うーん、マッチとうちわじゃ、説明にならないか。
「馬車も魔法で動かしてるわけじゃなくて、馬が引いてるよね。その馬が楽に引けるように工夫された車輪や車軸なども『威圧』の力で発明されたものだと思う。魔力を持っているってだけの人が、魔力でポンと馬車を作れるわけじゃないし、たとえそれっぽいものが作れても、精巧な仕組みで軽く動く車輪が作れなければ、まともには走れないよ。」
僕の中じゃ、すでに『威圧』とは、『文明』とか、『文化』とか、『科学』って言葉でおきかえられている。マッチなんて『科学』の勝利みたいな道具だものね。マッチの前じゃ火魔法なんて、不便すぎる原始時代の道具に過ぎない。
「だから、蒼洞のアゼリアのように『威圧』が使える人というのは、『魔法』に頼らずに、『道具』や『知識』を使って戦う人って意味なんだよ。今日行った伯爵婦人も同じような事を言ってた。手術のとき、『魔法』に頼ると上手くいかない手術でも、医術の知識を使って道具と指先で手術をすると上手くいくんだって。これも『威圧』の力だよ。」
マダムの場合は『威圧』とは『医学』ってことになるんだけれどね。
「そうか。なら私にも『威圧』が使えるのだろうか。私は成人の儀式で、いくら努力しても魔力で戦うスキルはあがりそうにないことを悟って、かわりに幼い頃から続けていた剣術を磨こうと思ったけれど、これも限界を感じている。だから蒼洞のアゼリアさんが持つ『威圧』の力をどうにかして身につけて、アゼリアさんのような本物の剣士になりたいんだ。テムリオは、もし私が『威圧』の力を身につけるとしたなら、何をすればいいと思う?」
「俺にもよくわからないな。でも『威圧』が知識を身につけることで使えるようになるなら、魔法に頼らないで敵を倒す方法を、学問として学ぶしかないんじゃないかな。アゼリアが図書館で学んでいたように。」
『威圧』とは『科学』の事だという確信は持ったけれど、じゃあ、具体的に何をすれば『威圧』が身につくのかという肝心の所がよくわからないままに、二人だけのダイニングでの読書会のような静かな時間が過ぎていった。
「あっ」
僕が突然声を上げたので、一瞬マルグリットがビクッとして、自分が手にしていた本から顔を上げて僕の方を見た。
「たぶん見つけたような気がする。マルグリット、ここを読んでごらんよ。アルケジ宰相の備忘録って書いてある。日記のような物だよ。」
その部分を見せたら、マルグリットが僕にぐっと近づいて顔を寄せて、のぞき込んで読み始めた。うわっ、顔が近すぎるよマルグリット。
前にもおなじ様なことがあったね。あのときは、あまりに顔を近づけるものだから、あぶなくチューしてしまう事故を起こしかけたけど、マルグリットの僕に対する距離感って、やっぱりよくわからない。
「あの化け物の大トカゲの事を村人は蒼龍と呼んでいる。ほとんどの蒼龍は大砲の音でダンジョンに逃げ込んだが、一匹だけ森の中で大暴れしていた。
魔力で人に勝る蒼龍は、人の魔力では倒せない。皮膚が固い鎧のようなもので覆われていて、鉄砲も大砲も効かない。かといって剣士が戦っても刃が立たず、目もつぶられたら刺すことができない。
あれを退治する方法を研究するのに、骨格が同じと思われる小さな鎧トカゲを捕まえてきて、解剖して弱点を探した。その結果、喉のすぐ下に、鎧のような皮がほんの一ヶ所だけ、隙間がある場所を発見した。しかもそこは心の臓の真上だ。
動く物に反応する鎧トカゲの性質を利用して、頭の上に餌になる蜘蛛を吊り下げると、鎌首を上げるので、その瞬間に喉の下の隙間が現れる。そこを針で刺したなら、針一本で鎧トカゲは血しぶきを上げて絶命した。
蒼龍の場合も同じように麻縄で縛った大蜘蛛を、蒼龍の背に乗ったつわものが頭上に吊り下げ、鎌首をあげた瞬間を見逃さずに、急所に剣を突き刺したら一刀で倒せた。倒した者は全身に血しぶきをあびるので、命中したことを確認できる。
急所を少しでも外せば剣が折れ、剣士は命を失う。だが鎧トカゲでしっかりと急所の場所を覚えていれば、確実に剣を命中させることができる。何事も研究の成果だ。」
「どう思う?」
読み終えたマルグリットに感想を聞いてみた。
「図書館に同じ本の書写本があるかどうか、もう一度探してみる。もしあったとしたなら、蒼洞のアゼリアは、たぶん蒼龍を退治する方法をこれを読んで見つけたんだと思う。」
マルグリットは、納得したような顔で話を続けた。
「巨大な魔物を退治するのに、同じ骨格の小動物で研究するというのは、驚きの方法だ。何も知らずにむやみに突撃していった騎士団の多くが全滅したのに、しっかりと研究して対策を練ってから討伐に向かった蒼洞のアゼリアさんには倒せたって事なのか。」
その話に、僕も大きく頷いて答えた。
「そうだよ。蒼洞のアゼリアは領都一の剣士ってことになっているけれど、剣の力で倒したんじゃないんだ。研究を重ねて敵の弱点をしっかりと頭に入れて、同じく研究熱心な仲間を集めて、綿密な打ち合わせを行い、たった一回のチャンスに掛けて蒼龍を倒したんだよ。それを総称して『威圧』の力と呼べばいいんじゃないか?」
剣士になりたいと夢見てきたのに、魔力も足りなくて、剣の実力も伸び悩んで苦しんでいたマルグリットが、明るい顔になった。
「一度俺達も鎧トカゲを捕まえて確認してみないか。アルケジ宰相やアゼリアがやったことを俺達もたどってみるんだ。俺も協力するよ。カエルの解剖とか、マルグリットにはできないだろう?」
「カエルって、どんな生き物だ? でも確かにそうだな。むやみに生き物を殺生するのは私にはできないかもしれない。別の方法がないだろうか。」
「実は俺もそうなんだ。初めてゴブリンを殺めたときは、とても気持ちが悪くなった。退治したほうがいい魔物でも、ああいう気持ちになるのに、なにも悪いことをしていない生き物を研究目的に殺生するのは、気持ちがついていかないかもしれない。」
そういう問題も克服しなければならないけれど、鎧トカゲを捕まえて、急所を確認するだけで解放すればいいだろうということになり、マルグリットの図書館の休みの日に、二人で鎧トカゲを捕まえに行く話がまとまった。
「ところで鎧トカゲって、どこにいるんだろう。マルグリットは鎧トカゲってみたことあるの?」
「いや知らない。そもそも鎧トカゲなんて初めて聞く名前だ。図書館の資料にあると思うから調べておく。」
そこからだよね、調べるのは。アゼリアに聞けば簡単だと思うけれど、マルグリットに自信をもってもらうことも目的なんだから、できるだけマルグリットに頑張ってもらって、僕は友としてサポートするだけにしたい。なんだろう、このわくわくする気持ちは。
ふたりの読書が一段落したらしい雰囲気を察したのか、お母さんが「夜食よ」と言って、パンとスープを出してくれた。
「すっかり遅くまでお邪魔しまして大変申し訳ありませんでした。テムリオのおかげで、とても有意義な時間を過ごすことができて感激しています。剣士になりたいという私の夢を正面から受け止めて、一緒に悩んでくれる友がいるのは、本当に心強いです。」
「まあ、それは良かったわね。テムリオも素敵なお友達ができて良かったわ。御者の方が外でお待ちなので聞いてきましたら、もし泊まりたいと願ったら、許して戻ってくるように仰せつかっています、とおっしゃってましたよ。信用があるのね。どうかしらエルシェと添い寝になるけれど、それで良かったら泊まってらっしゃる?」
お母さん、なんてことを言いだすの。貴族の令嬢に、平民との添い寝を勧めるなんて!
たぶん元貴族のお母さんにとっては、格下の貴族令嬢を家に泊めるのはごく普通の感覚なんだろうけれど。でも、よく考えてよ、いまは平民の家なんだよ。そんなの、まずいに決まってる。
でも、えっ? マルグリット、即答で断らないって、まさか迷ってる?
「あの……、ええと……」
ほらやっぱりマルグリットは困ってるよ、お母さん。貴族の令嬢に平民のしかも男の友達の家に泊まれって勧めるなんて常軌を逸してるよ。
お母さんのことを上位貴族だと思ってるから断りにくいんだよ。せっかくできた大事な友人なのに、困らせたらもう来てくれなくなるよ。
「もし良かったらもう少しだけテムリオと本の続きを読みたい気持ちです。お言葉に甘えて、泊まらせてもらえますでしょうか。母からもお誘いがあったらお受けしてよいと許可をもらっていて、着替えも持ってきています。」
えーっ、まさかの同意?
まあいいけど……いいのか?
僕とマルグリットは、それからの時間も夢中で書写本を読み、意見を交わしていった。
でもお互いに10歳の体ではどんなに頑張っても、それほど遅くまで起きていられない。ほどなくマルグリットが船をこぎだしたので、そろそろ寝ようと話し合った。
「明日の図書館へは、ここから行くの?」
「ああ、そういうことになるな。たぶん馬車が迎えに来てメイドも一緒だと思うから、問題はない。」
「じゃあ朝ご飯も一緒に食べられるね。これからも、時々泊まりに来てよ。エルが喜ぶと思うから。」
「あ……ああ、考えておく。」
ちょっと意地悪しちゃったかな。マルグリットの困ったような顔の隠れファンだよ僕は。
翌朝二階からエルが慌てたようにバタバタと階段を下りてくる音が聞こえて目が覚めた。結局僕は厨房にある仮眠用のベッドで寝た。徹夜でオーブンに火入れをすることも時々あるので、少しだけ横になれる場所が厨房には用意されてる。種火があるので、昨日は少し暑苦しかった。
「お父さん大変、お兄ちゃんがマルグリットさんになっちゃった!」
厨房に入ってきたエルはお父さんが仮眠していると勘違いして僕に声を掛けてきた。
「あれ、お兄ちゃん、昨日はここで寝たの?」
エルは、となりにマルグリットが寝たのを知らなかったみたいだ。
「そうだよ。マルグリットは昨日お泊まりしたんだ。遅くまでお兄ちゃんと本を読んでいたから、もう少し寝かせてあげてね。」
「そうなんだ! マルグリットさんは、お兄ちゃんのお嫁さんになったの? ずっとおうちにいる事になったの?」
「違うよ。そんなことマルグリットに言っちゃだめだよ。お兄ちゃんがマルグリットに腰のサーベルで退治されちゃうから。」
僕の冗談を真に受けたのか、エルは慌てて口を押さえた。
「皆様おはようございます。昨日はお言葉に甘えて宿泊させていただき、感謝申し上げます。」
朝食の時間になったらエルと一緒に少しだけ眠そうなマルグリットが階段を降りてきた。低血圧なのかな。朝は弱そうだ。それでもきちんと着替えて、そのまま出勤できる格好になってる。
「おはようマルグリット。昨日は遅くまで付き合わせてごめんね。凄く楽しかったよ。」
僕も挨拶を返した。
朝食もひとり増えただけで倍も楽しくなるってわかった。
今日は午前中クランの方に顔を出す予定にしていたので、ゆっくりできるから、マルグリットを見送るまで家にいた。
「また来てくれると嬉しいな。」
僕が握手をしようと手を前に出すと、マルグリットはその手の上に自分の手を優しく乗せて、「ご機嫌よう」と軽い会釈をした。おお、貴族モードに切り替わってるよ。
「はい、マルグリットさんにあげる。」
エルが、リュミちゃんをマルグリットにプレゼントした。マルグリットは、「まあ、かわいい」といいながら受け取ったけれど、大丈夫だろうか。一週間後に木の枝になってショックを受けなければいいけど。
家の前に止まった馬車が気になるのか、近所の人が集まってきた。マルグリットは店先でもう一度挨拶をすると、「キュイ」と鳴くリュミちゃんを手に乗せたまま、悠然と馬車に乗り込んで去っていった。こういうときは「マルグリット令嬢」という呼び方が本当によく似合う。
荷物を取りに来たメイドは、終始不愉快そうにしていて、僕達家族には挨拶もしなかったから、たぶんお母さんのことは知らないメイドなんだろうな。貴族に仕えるメイドなら、平民に対する態度は、これが正常なんだと思う。むしろ、丁寧な挨拶なんかしているマルグリットのほうがよっぽど異常なんだろう。
入れ替わりに、今日が初出勤のルシアのお母さんがお店にやってきた。
お店の新作コーナーには、今日から「マルグリット・スポンジケーキ」が並ぶのだろうか。
皆、少しずつ前に進んでいるんだね。僕も少しだけ前に進んでみようかな。のんびり過ごすのが異世界に来た目的だけれど、だからって進歩が全くないというのもね……。




