75.異世界転生者と、マルグリット令嬢(2)
「再びお招きいただき、ありがとうございます。」
マルグリットは、前回同様、少し早めに到着すると、両手でスカートをつまんで、片足を引いて膝をしっかりと曲げる本格的なカーテシーで挨拶してくれた。いやむしろ、白のレースの上に赤く透き通った生地を重ねた大人っぽいカクテルドレスをまとった今日のマルグリットの挨拶は、前回よりはるかに優雅だ。深紅の髪の毛もドレスに良く似合っていてため息が出るほどだ。
「丁寧なご挨拶ありがとうマルグリットさん。でもこのあいだも言いましたけれど、平民相手にそんな深めの挨拶はだめよ。家格というものがあるんですからね。」
「いえ、これは両親からも命じられておりますので……。エルシェさんの家にお邪魔するときは、貴族の娘として決して恥ずかしくない挨拶をするようにと。」
マルグリットは相変わらず、「テムリオの家」じゃなくて、「エルシェの家」って言ってる。
そしてたぶんマルグリットのご両親も、僕のお母さんの実家のことを知っているんだよね。だから、平民になったお母さんではなく、マルグリットの家にとっては上位貴族のお母さん扱いなんだ。だからそのつもりの挨拶をしなさいとマルグリットに命じているんだと思う。
「両親からもくれぐれもお招き感謝申し上げますとお伝えするよう申しつかっております。こちらは領地の特産品のラズベリーのジャムです。もし良かったらお使いください。」
ラズベリーって、僕が知ってるものと同じなら、木イチゴのことだよね。特産品なんだね。パン工房エルではスプレッドもいくつか棚に並べて売ってるけど、ラズベリーは置いてないから、きっと珍しい物なんだろうね。
それにしてもマルグリットの家って騎士爵家だって聞いたけれど、騎士爵家でも領地をもってるんだ。マルグリットが僕に貴族の爵位についていろいろと教えてくれたとき、自分の家は名ばかりだなんて謙遜していたけれど、謙遜しすぎだよマルグリット。領地まである家が名ばかりなんてありえないもの、すごいことだよ。
前に来たときに、お父さんは第二騎士団の副騎士団長って言ってたから、出世して領地を賜ったのかも。
「あらあら、貴重なジャムをこんなにたくさんありがとうマルグリットさん。丁度良かったわ、今日お出しする試作品には、ぴったりのジャムだもの。早速使わせていただこうかしら。」
お母さんは、嬉しそうにマルグリットから壺に入ったラズベリージャムを受け取って、中を覗いていた。
まずは夕食にしましょうかというお母さんの合図で、家族みんなにマルグリットを加えて、いつも以上に楽しい笑いが聞こえる夕食になった。
なぜか今回も僕とマルグリットは隣り合わせで、他の家族三人がその前に並んで座るという不思議な座り方だった。
「今日のお花も綺麗ですね。」
マルグリットが、夕食の前にお母さんがテーブルの中央に飾った一輪挿しの花を眺めながらつぶやいた。
「ハツユキソウよ。白いのはお花じゃなくて葉の色だけど、お花みたいに綺麗でしょう?
マルグリットさんのように清楚で、好奇心旺盛な人によく似合うかと思ったのよ。」
そう聞いてはにかんでうつむくところは、確かにハツユキソウがよく似合うよマルグリット。……そんなことを僕が口にすると、絶対に睨まれるから黙ってるけどね。
食事をしながら、僕はエルにせがまれてマダムの家の中庭を綺麗にした話をしたけれど、マダムの物語については話すのをやめておいた。楽しい食卓の話題には少し重たいかなと思ったし、10歳の子供に聞かせるような話じゃないのに、話すマダムって変な人だって思われるだけだもの。
「お母さん、そのアルフェルド伯爵婦人がね、お母さんの作った『魔鳴猫の巻き舌』を勧めたら、元の平らなときの『魔鳴猫の舌』のことを知っていたんだよ。驚いちゃった。」
そう何気なく話したら、お母さんの口から衝撃的な話がでた。
「当然よ。だってお母さんが作るケーキもお菓子も、みんな伯爵婦人から教わったものですもの。」
「えーっ、お母さんはアルフェルド伯爵婦人と知り合いだったの!?」
びっくりした。お母さんどうして言ってくれなかったの。僕はお母さんの作ったお菓子を、その師匠に自慢しちゃったよ。どうしてくれるの!
心の中でお母さんを責めてしまった。
「そうね、お母さんの子供の頃のお話はテムリオにもエルシェにもお話していないものね。ごめんなさいね。今度お話しするわね。お母さんの実家は伯爵婦人のお隣よ。」
「伯爵婦人のお屋敷の両隣って、どちらも同じくらい大きなお屋敷だったよ。今度ちゃんと教えてね。マルグリットだって知ってるのに、お母さんが内緒にしてるから、気を遣って俺には絶対に教えてくれないんだから。」
するとマルグリットが、「……いや……教えないというか……話していいかどうかわからなかったから……」と、ひどく動揺したように言い訳を始めた。
「ごめんなさいね、マルグリットさん。気を遣わせて。子供達にはちゃんと教えておくわね。」
マルグリットは、冷や汗をかいているようだ。いつも冷静沈着なマルグリットが、そうやって慌てたふためいているのも、何だか可愛いな。と、考えながら眺めていたら、ちょっとにやけてしまったらしく、突然マルグリットの視線がこっちに向いた。しまった、またゴミを見るような目をされてしまう。
「それでねマルグリット。その伯爵婦人から、王都の王立図書館にあった始まりの王と、アルルジ宰相の書物を書写した物を今日お借りしてきたんだ。伯爵婦人のお話では、『威圧』については、これを読めばわかるんだって。食後時間があるなら一緒に読んでみないか。」
ゴミを見る目を防止したい一心で、話題を変えてみた。
「ぜひお願いしたい! 父にはきっと遅くなると言って許可をもらってある。」
マルグリットが全身で僕のワナにかかってくれたよ。ああ良かった。ゴミ目防止作戦大成功。
「えーっ、お兄ちゃんもマルグリットさんもずるーい。エルシェも一緒に読みたあい。」
うんうん、ありがとう。エルもついでに釣れた。
「いいよ、エルも一緒に読もう。」
お母さんの考えで、夕食は特別な物は用意しないで、いつもの我が家の夕食をマルグリットにも味わってもらおうと用意したけれど、優雅に食べる様子を見ると、まるで高級レストランの食事を楽しんでいるのではないかと錯覚しそうだった。普段より少しだけ味や香りが整っていたけれどね。
食事が終わると、お母さんの新作ケーキの試食会になった。エルは作っているところを見ていたらしく、待ち遠しくてならない様子だった。
「お兄ちゃん、今度の新作ケーキはね、真っ白で凄くきれいなんだよ。それでね、エルシェが、このケーキの名前は『マルグリット・スポンジケーキ』がいいよって言ったら、お母さんが大賛成してくれた。」
「えっ、スポンジケーキなの?」
驚いた。いやスポンジケーキは知ってるよ。何に驚いたかというと、「スポンジ」という名前。これ海綿という意味だよね。海がない領都で、どうして「スポンジ」をお母さんが知っているんだろう。あ、いやこれもきっとマダムから名前を聞いてるんだ。医療器具の中に海綿があっても不思議じゃないもの。
僕とは違う驚き方でマルグリットも驚いていた。
「私の名前を!?」
夕食の後に、お母さんが『冷蔵ホイロ』から出してきたケーキは、全体を真っ白くホイップ生クリームが塗られているように見えて、僕にはショートケーキとしか思えなかった。思わず「ショートケーキ!」と叫びそうになってしまった。危ない、危ない、ここは異世界だよ。
「お母さん、いい匂いがするね。これは本当はなんていう名前のケーキなの?」
「特に名前はなかったような気がするわ。私はショートケーキって呼んでいたけれど、ショートケーキというのは別にあって、これは本当はショートケーキじゃないの。」
ショートケーキで、いいんだ!
これはさすがに驚くよ。このままウェディングケーキに使えそうな程見た目が鮮やかだ。
でもどこがショートケーキと違うんだろう。
これに最後の仕上げみたいに、マルグリットのお土産の赤いラズベリージャムを薄く塗ったら、気がついてしまった。これ白のレースの上に赤く透き通った生地の、今日のマルグリットのドレスそのものだ。
「うわあ、本当に『マルグリット・スポンジケーキ』になったねお母さん!」
エルが感激の声を出したけれど、僕もあぶなく同じ事を言うところだった。エルが言うと天使の声みたいだけれど、僕が言ったら悪魔の声みたいで、マルグリットが「絶対そんな名前はいやです」といいそうな気がした。本当に危なかった。
カットしてもらっても、勿体なくて食べられないほど綺麗だ。切ってみたら気がついたけれど、スポンジケーキの間にもクリームの層があって、ここにはフルーツがちりばめられていた。
一口食べてみたら、ん?……少し知っているショートケーキの味と食感が違う。何だろうこれ。
「お母さんこの白いバターみたいな味のは何?」
「バタークリームよ。バターを溶かしてお砂糖を混ぜたらしっかり泡立てて白くするの。」
そうか。ホイップ生クリームのショートケーキしか食べたこと無かったけれど、バタークリームだったんだね。
「お母さん凄く美味しい。これきっとお店の看板商品くらいに人気になると思うよ。貴族のパーティとか結婚式なんかには絶対に必要になるよ。」
エルも口の周りにバタークリームを付けながら激しく頷いていた。
「そう? マルグリットさんはどうかしら、何か気になるところはある?」
「いいえ、素晴らしいです。見た目も味もこのスポンジケーキのふわりとした食感も、いままで一度も味わったことのないものです。きっと人気が出ると思います。ただ、そうなると、この名前が……。」
「じゃあこれも商品化決定ね。ただ日持ちが悪いのが難点よね。」
「日持ちが悪いんじゃ、フルーツはなくても大丈夫だと思うよ。貴族なら自分たちで豪華盛りするはずだもの。」
そんな話で盛り上がっているときに、次の僕の一言で、試食会のパーティは大混乱になった。
「結婚式に、このケーキを用意して、『新郎新婦の初めての共同作業』なんて司会が紹介して、ふたりでケーキカットをして、来賓に配るなんていいよね、マルグリット。」
最後に「マルグリット」って付けたのがいけなかった。もう完全にうちの家族全員が、結婚式の打ち合わせをふたりで始めたなんて勘違いして、エルもお母さんも悲鳴を上げて、お父さんはオロオロとその辺を歩き出して、マルグリットは真っ赤になってうつむいてしまった。
しまった、この家族って、すぐに何でも先走って勘違いする、「早合点ドジ家族」だったのをうっかり忘れてたよ。
誤解だってわかってもらうのに、かなり時間がかかったけれど、マルグリットには、もう土下座するくらい何度も謝って許してもらった。
こうして僕のせいでメチャクチャになった楽しい試食会が終わってから、僕はマダムから借りてきた書写本をテーブルの中央で開いて、マルグリットとエルと僕でその本をのぞき込んだ。
始まりの王オダルティの書いた書物の書写本は、元の世界の文字がほとんどだった。僕はだいたい読めるけれど、エルの前で読んだら、どうして読めるのかという説明をしなければならなくなるので、黙読するだけにした。
アルケジ宰相の書いた書物の書写本のほうは、かなりの部分異世界の文字で書かれていた。
「お兄ちゃん、これエルシェでも読めるよ。『わしが授かった鉄砲や大砲を作れる能力はたいしたものだった。いくらでも村の鍛治師に作らせればいいだけだから、わしに魔力など不要だ。
鉄砲はすでに村の若者全員に持たせて周辺の村を次々と制圧している。国中を征服して、ここにオダルティ王国を建設するのだ。大砲は空砲を鳴らすだけでも巨大な魔物達はみなダンジョンの奥深くに逃げていった。
村の民はわしが鉄砲や大砲が作れる能力や、オダルティ王が民を率いて集団で戦う作戦を立てる能力のことを魔力に頼らずに力を示す能力という意味で、威圧と呼ぶようになった。』だって。お兄ちゃん、鉄砲とか大砲って何の事?」
エル凄いね。スラスラ読んでる。さすが日曜学校と図書館にいつも通ってるだけあるよ。
でもとりあえず鉄砲と大砲は知らない事にしておこう。そのかわりに別のところにあった文章を読んで、鉄砲と大砲の話にしておこう。
「こっちに鉄砲と大砲について書いてあるよエル。『鉄砲とは鉄の筒に火薬という火を付けるとはじける薬を込めて、その上に鉄の玉をつめ、火を付けて飛ばす道具の事だ。火薬がはじけるときの大きな音に驚いてひるんだ敵に、飛んできた鉄の玉があたって、矢が当たったようになり敵を蹴散らす道具だ。鉄砲の前には、敵のどんな魔力も通じないので、一方的に我が軍の大勝利となった。大砲は鉄砲をさらに大きくして威力を増した道具で、一発撃っただけで木と藁でできた敵の城は瞬く間に崩れ落ちた。』とある。」
「ぜんぜんわからないよ。今も鉄砲とか大砲はお城に行くとあるの?」
エルは少し不安そうに聞いてきた。意味はわからないけれど、とてつもなく恐ろしい物だというのは感じたみたいだ。
「お城にあるかどうか、俺は知らないな。マルグリットは知ってる?」
マルグリットも初めて聞く名前だと言った。
「そんな魔法も効かない恐ろしい武器があるなら、騎士団にいる父が知らないはずはない。きっと今は存在しないんじゃないか?」
今度アゼリアに聞いてみよう。お城に出入りしているアゼリアならきっと何か知っているだろうから。
すると、別の書写本を読んでいたマルグリットが別のところを読み出した。
「こっちも読めるな。『村人は、王の転生前の名を呼びにくいらしく、また二文字の家名など威厳がなさ過ぎるなどと言って勝手にノヴェナータ・オダルティなどと付けたが、王は結構気に入っているらしい。同様にわしの名も元の名は威厳を感じないとして、ミティーデ・ド・アルケジなどというふざけた名をつけおったが、まあ悪くはない。』と書いてある。でもなんの話なのか全く理解できないな。」
ああ、こっちの名も少しだけ思い当たるけれど、やっぱりわからないふりをしよう。




