73.マダムの物語―貴族の娘が切り開いた運命―(7)
診療所は少しの間ベルナに任せることにしました。
ベルナは助手としてではなく、もう立派にひとりで診療のできる治癒魔術師でしたので、任せても大丈夫と私は判断しましたが、それでも勉強熱心なベルナは、診療を終えてお屋敷に帰ってからも、私の部屋に来て、新しい患者の治療法について必ず相談しておりました。
そして「これが私の本当のお仕事なので」と言っては、メイド服に着替えると、私のお世話もしているのでした。無理しないでねとお願いしても、「王立治療院にいたときよりはずいぶんと楽な仕事ばかりよ。なによりも私が楽しいの」と、言って聞きませんでした。
セドリック様はお姉様のようなことにならないようにと申しまして、風通しの良い場所に新しい産褥室を作られました。それはこれまで私が見たこともないような清潔感のある広い産褥室で、産室は別棟に建て、また乳母やベルナ用のメイドの部屋まで隣接して建てられていて、広い産褥室には私が療養所から持って参りました医術書などが書棚に並び、もはや産褥室など名ばかりの私専用の華やかな書斎のようでした。
「いっそ産褥室など廃止して出産直後から夫婦の寝室で過ごせるようにしたかったのだけれど、母やばあや達に猛反対されてね。それなら産褥室の方を変えてしまえばいいんだと思ったのですよ。」
セドリック様は、いたずらなジルと一緒にいるときのような顔ですまして言うのでした。
「わたくし、次の出産は里帰り出産にしますわ。」
セドリック様のお姉様まで、この産褥室を気に入られてそうおっしゃいました。この後、王都の貴族のお屋敷の産褥室は、貴族達がこぞって豪華さと清潔さを競うようになり、産褥熱で苦しむ褥婦は激減したとのことでした。
季節が変わる頃に、私は無事に男の子の母親になりました。産後の肥立ちもよく、もちろん産褥熱に苦しむこともありませんでした。男の子の名前は当主のお義父様がお決めになるのが普通でしたので、お義父様がフィリベールという男の子の名前にしてはとても可愛らしい名前を考えてくださいました。
「愛されしものという意味だよ。」
その言葉に込められた、お義父様の優しさに、私は嫁に来てからずいぶんと幸せな涙腺が緩んでしまっていて困りました。
「若奥様、先日診療所に来た患者だけれど、背中の膿瘍がひどくて、私の浄化魔法ではとても治療しきれないの。排膿手術が必要かもしれないわ。でも私には無理。そもそもあの狭い診療所では手術なんてとてもできそうにないわよね。どうしたらいいと思う?」
ベルナは、私が結婚したあとでは、私のことは他のメイドにならい『若奥様』と喚ぶようになっておりましたけれど、そのわりに、話し方は古くからのお友達のままの話し方でした。メイド長からはいつもお叱りを受けているみたいでしたが、私が「いやよ、ベルナは変わらないでちょうだい。」とせがむので、一向にあらたまりませんでした。
変わらないと言えば、最近庭師見習いとしてお屋敷勤めを始めたジルも、「おい強欲女先生」なんてたまに呼ぶものですから、こちらは庭師頭に痛いげんこつをもらっているようでした。
「一度私がその患者を診察してみようかしら。」
もうそろそろ診療所の仕事を再開しようかと思っていたところでしたので、頃合いかなと感じました。子供は乳母に任せておけるので、不都合なことは何もありませんでした。
セドリック様に相談してみましたら、診療再開に賛成してくださった上に、「ではあの近くに、手術室も備えることができる程度のもう少し広い建物を探そう。」と言ってくださいました。
翌日、その患者の容体を確認しに、結婚してから初めて下町に向かいました。今までと大きく違うのは私とベルナとジルが一緒に馬車に乗って診療所に行くことでした。
「なんでジルも一緒なの?」
不思議がる私に、ジルは当然顔で、「俺は強欲女先生の専属庭師なんだから当然だ。」と胸を張っていいました。専属庭師なんて聞いたことないわ。
「ジル。お屋敷に奉公に上がって、台所には山のように卵があることを知ったでしょう?
あなたもアルフェルド家に仕える身になったのですから、もうその呼び方はやめて、これからは若奥様とお呼びなさい。」
乱暴者で口の悪いジルでしたが、ベルナの説教にだけは反発したことが一度もありませんでしたので、このときも「はい」と小さく返事をするだけでした。
診療所の前の狭い道に、いきなり伯爵家の馬車が来たものですから、皆さん通りに出てきて大騒ぎになりましたが、馬車の中から私が降りると、騒ぎはいきなり大きな拍手に変わりました。
「ナタリア先生、男の子だって? おめでとう。うちらはありがたいけれど、もう診療所に来てもいいのかい?」
食堂のおかみさんが祝福の一方で心配顔で尋ねました。
「はい、もう大丈夫です。子供は乳母に任せておけば、安心なので、また診療所に戻ってきました。よろしくお願いします。」
わたしが頭を下げると、「それは反対じゃないか。お願いするのはわたしらのほうだよ。」と笑われてしまいました。
診療所を開けるのももどかしく、わたしは早速膿瘍の患者をつれてきてもらいました。
看ると確かに背中に大きめな膿瘍があって、触れると少し柔らかめでした。
「このくらい柔らかければ切開して排膿することができるわね。無理すればここでもできるかもしれないけれど、清潔が保てないわね。排膿した後の傷口はなかなか塞がらないから、清潔な場所で排膿しないと、再び化膿する心配があるの。」
考えましたが、どうしても妙案がでてきませんでした。
「だったらお屋敷の産褥室で手術したらどうだ、……若奥様。あそこは清潔なんだろう?」
「『若奥様ぁ』だってさ、あのジルが」
ジルの言葉を聞いて、一緒にのぞき込んでいた近所の人達が爆笑してジルの真似をしました。
「そうね、その手があったわね。まだ馬車は帰っていないわよね。」
私はすぐに御者を呼び止めると、患者を乗せてお屋敷に向かいました。
「若奥様は、また考え無しに! 若旦那様は、若奥様のすることに駄目と言ったことは一度も無いから大丈夫でしょうけれど。」
確かにセドリック様は、私のすることは何でも許してくださいます。このときも一緒になって手術台をつくるお手伝いを当然のようにしてくださいました。
患者の膿瘍の周りを丁寧に消毒してからベルナと交互に浄化魔法を使って傷口の清潔を保ちながら、昔から助手として何度も行ったことのある膿瘍切開手術をはじめました。太い血管を切らないよう慎重に切開し、布で圧迫しながら、膿を取り残しのないように絞り出し、少し強めの水魔法による浄化魔法を掛けてから、縫合はせずに清潔な布で傷口を押さえてから包帯を巻きました。
「縫合はしないの?」
ベルナが心配そうにいいましたが、私は、はいと笑顔で答えました。
「膿瘍はまだ出てくるから、綺麗になくなるまで縫合はできないの。縫合しなくても、清潔にさえ気をつけていれば、自然の治癒力で塞がるわ。私がいないときでもベルナが診療所にこの方を呼んで、毎日布を交換したり洗浄魔法を掛けたり、排膿したりして様子を見てあげてね。」
私は、この産褥室を手術もできる治療院に改造できないかしらと別のことを考えておりました。もちろんそれは産褥室という特別な意味を持つ部屋なので無理でしたが、手術室についてはセドリック様が急いで探してくださり、広い待合室や診察室や手術室や、時には緊急入院できるベッド付きの部屋などを持つ本格的な診療所を下町に作ってくださいました。
「ここで私は能力はあるのに癒術士になれない平民のための癒術士養成所もやってみたいわ。」
私のひとことで、新しい診療所は、診療施設だけでなく、癒術士養成所としての機能も持つことになりました。
診療所のお仕事と、乳母に任せているとは言え私も母親なので子育てにはそれなりに参加して、お屋敷の奥向きのこともお義母様と話し合いながらこなしていくという、忙しい毎日を過ごしておりましたら、気がついたらそれから二年ほど経っておりました。
癒術士養成所出身の平民癒術士は、わたしの予想通り王立癒術士に匹敵するほどの実力をつけ、王都に名の知れる癒術士が何人も巣立ちました。
これでようやく私もゆっくりできるかしら。
可愛い盛りのフィリベールは、お屋敷の皆さんから親しみをこめて「フィル」と呼ばれておりましたが、ひとつ違いの弟のアルマンの面倒もよく見る優しい兄に育っておりました。
「ジル、またフィルに剣術を教えていたの? 乱暴者にならないよう、ほどほどにしてね。」
庭師の仕事をしながら、剪定した枝を使ってフィルに剣術のようなものを教えていたジルに注意しましたが、「貴族の男は剣を使えて一人前になるんだよ」と、私の注意など聞こうともしませんでした。
そんなある日のこと、実家で隠居した父の後を継いで立派に当主の仕事をしていた弟が、セドリック様と私を訪ねてきました。
「セドリック様、姉上、実は今日は是非にとお願いに参りました。フィリベールを我が家の養子として、いただけないでしょうか。もう長いこと我が家には子ができません。妻もフィリベールはとても気に入っており、セドリック様と姉上に誠実にお願いしてほしいと頼まれております。例えこの先、私に子ができたとしても、フィリベールは我が家の家督を継ぐ者として決してないがしろにしたりはしません。どうかお願いを聞いては頂けませんでしょうか。」
いつかはそういう相談に来るのではないかという予感はしておりました。弟や、義妹が、しょっちゅう我が家に来てはフィリベールをかわいがる様子を見ていて、そういう気持ちなのではないかと感じていたのです。
セドリック様ともそのことは何度か話し合っておりました。
「はい、いつかはそういうご相談があるのではと、ナタリアともよく話し合っておりました。私の父は正直申しまして、我が家の跡を継ぐ者は血のつながったアルマンという希望のようでしたので、いつかフィリベールにつらい思いをさせるようなことになるのではないかと危惧していたのです。あなた方ご夫妻もそのようにお感じになって、お話ししてくださったのでしょう。これからのことは、前向きに考えてみましょう。」
つらい決断ではありましたが、弟の優しさは、姉の私がよく知っておりましたので、弟のところでフィリベールは幸せに育つだろうことは容易に想像がつきましたので、私も異存はありませんでした。
フィリベールが母親のように慕っている乳母も一緒に行くことを条件にセドリック様と私はフィリベールを弟の養子に出すことを承諾しました。
養子となったフィリベールは、名もフィリップと改め、愛称はフィルのままでしたが、新たな人生をスタートさせたのでした。
フィリップは、弟の元ですくすくと育ち、王城からよく遊びに来る姉の子と、連日剣術に明け暮れていると聞きました。ジルに木の枝で教わっていた剣術が大好きな子にそだったようでした。
それから何年も経ちましたが、義妹を実の母と慕うフィリップの心を乱さないよう、私は実家にはよほどの用事でもない限り行くことはありませんでしたから、少し寂しくはありましたが、時々は遠くからその姿を眺めて満足しておりました。
「よく咳をしていますね。一度診察してみましょうか。」
このところセドリック様は夕刻になるとよく咳をするようになりました。心配した私が透視魔法で診察しましたところ、軽い肺炎にかかっていることが判明しました。
「肺炎は軽くみてはいけません。長い療養になる場合もあります。セドリック様もしよろしければ、私と二人だけで、田舎の方に療養にいきませんか?」
思いきってセドリック様に転地療養を勧めてみました。
セドリック様は、とても嬉しそうに、「病気はしてみるものですね。ナタリアにそんなふうに言ってもらえるなんて。とても嬉しいです。ぜひ二人だけで田舎暮らしをしましょうか。」と、お話しくださいました。
つてを頼って王都からは大分離れた自然豊かな田舎の領都に来たのはそれから半年後のことでした。一緒にいたのは、当然のことのようについてきたメイドのベルナと、庭師のジルだけでした。
静かな田舎で、四人だけのお屋敷暮らしは、それからセドリック様がこの地で亡くなるまでずっと続きました。王都のお屋敷は、すっかり大人になったアルマンが立派に継いでいてくれました。
弟のところに養子に行ったフィリップは、出世した弟の家でやはり次の当主として立派に成長してくれていました。




