7.パン工房で のんびり人生計画(1)
パンは結構砂糖がいっぱい使われていて、食べ過ぎると糖分取り過ぎになります。
うどんは結構塩がいっぱい使われていて、食べ過ぎると塩分取り過ぎになります。
お気をつけください。
異世界での初めての朝、目が覚めるとパンの焼ける甘い香りが二階の子供部屋にまで届いてきていた。
エルはもう階下にいったらしく、ベッド脇に、僕の着替えの服とズボンと下着が並べて置いてあった。なんておしゃまな妹だ。
のんびり階段を下りると、そこはエルから聞いていたとおり広いテーブルに椅子が6脚あるダイニングだった。隣がキッチンと、その奥がパンを焼く仕事場で、ダイニングから窓越しにこじんまりしたお店の中が見えた。
お店には、焼きたてのパンが並び、朝の光に輝いて見えた。おなかの空く甘い香りがそこかしこに漂っている。
「お父さんお母さんおはよう。元気になったよ。ごめんね心配掛けて。」
「おう、元気そうだな。良かった良かった。」
「元気になって良かったわ。顔を洗ってらっしゃい。」
お父さんとお母さんは、まだ暗いうちからパンの仕込みをしていたらしく、朝食の時間には開店準備は終わって一息いれる時間になっている。
エルは先に起きて朝食の準備の手伝いをしていたみたい。僕は手伝わなくても大丈夫だよとエルに言われていたので、裏庭にでて井戸端で顔を洗い手ぬぐいで拭くと、朝食が並べられているテーブルのところに戻って、ちょこんと座った。
朝ご飯を食べながら、お母さんに話しかけた。
「今日はエルと一緒に薪拾いに行ってきていい?」
「いいわよ。エルシェはまだ森の奥は無理だからドナ川の辺りまでにしてね。」
本当は僕が連れて行くんじゃなくて、エルに僕が案内してもらうが正しいんだけどね。何処に行けばいいのかも、どんな薪を拾えばいいのかも知らないから、ひとりでなんて行けるわけがない。
食事の後、お店の前の掃除と水まきは僕の仕事みたいだったので、簡単に掃除して、軽く水を撒いて、エルに目で合図したら、「そのくらいで大丈夫」と言われた。
ふと気づいたら、お店の前を忙しそうに歩く人々は、みんないろんな色のカラコンと、鮮やかな色に毛染めしている。パステル調が多くてパステルピンク、パステルブルー、翡翠色、ホワイトブルー………、家族だけじゃないんだね。
もしかしたら、僕の家族はぶっ飛んでいる家族なのかもって心配したけど、この異世界じゃこれがデフォルトらしい。これは順応するしかない。
「おやテムリオ、おはよう。もう良くなったのかい。」
恰幅のいいおばさんに声を掛けられた。たぶん近所の人だろう。
「おはよう。元気になったよ。」
そういいながら見上げた空には小鳥のさえずりが響いていて、気持ちのいい朝だ。
お店の前の通りは街の中心部にある南城門から一直線に続く石畳の道で、中央通りと呼ばれているそうだ。
エルとふたり背負子を担いで薪拾いのため、中央通りを南外門に向かった。
南外門は門番の詰め所があって門番が何人かいたけれど、町人の出入りをいちいちチェックしている様子も無く、子供でも自由に通り抜けることができた。大きな商隊などの出入りだけを監視している様子だ。
おいおい、門番まで毛染めして、あれって上司から身だしなみ規則違反を問われないんだろうか? いやこの分だとたぶん上司もやってるか。
元の世界じゃ美容室で『カラーリング』してたけど、あれよりも何倍もあざやかに毛染めしてる。
そんな事を考え、門番のほうをチラ見しながら歩いていたら、凝視しすぎて門番と一瞬だけ視線が交わった。鋭いわけでもないのに、刺さるような、鍛錬した兵士の目を感じた。
南外門から出ると街の雑踏から風景は一変して広い田園風景になった。
道ばたの雑草の穂先についてる白い小さな玉が、目の錯覚だろうか、風もないのに上下に揺れていて、楽しそうに踊っているように見えて幻想的だった。植物なのに。
歩きながらエル先生が南外門について講義してくれた。昼間でも非常時には外門が閉められる場合があるから、さすがに親に無断で外門の外側に行く子はいないみたいだけれど、親の許しをもらって僕達みたいに家の手伝いで外側に行く子供は多いみたいだ。
エルが背負ってる背負子って、本格的ではないけど、8歳の子供にしてはちょっと大変そうな大きさの背負子だ。8歳でもしっかりと家の労働力になっている。これで毎回南外門を通って薪を拾いに行くのは結構大変だ。
ドナ川についても聞いてみたら、森の奥から森の入り口付近を沿うように流れ、そこから領都の北側を半周して反対側に向かって流れている小川で、領都内の水はドナ川から引いているようだった。
トイレの中を水が流れているのには驚いたけど、要するに水洗便所だよねあれ。トイレの臭いがなかったから、あれはありがたかったな。
突如雑草の間から道にリスが飛び出してきた。よくみると小さな角が生えてるし、少しだけ毛の色合い違うけれど、まあ見た目はリスだ。
「リスだ。お兄ちゃんこんなとこにリスなんて珍しいね。」
あ、リスでいいんだ。
植物も小動物も、みんな初めて見るものばかりで、すごく面白い。
おとなしくしているので、頭をなでられるかもしれないと、そっと手を伸ばしたら、いきなり歯をむき出しにして威嚇してきた。口の中が真っ赤で、こんな小さいのに、確かに魔物って呼び方がふさわしいような怖い顔になった。慌てて手を引っ込めたら、エルが小さく「ぷっ」と笑った。
「大丈夫だよ。魔物と言っても攻撃はしてこないから。お兄ちゃんがびっくりするとこ見たかったから黙ってた。領都の近くには怖い魔物はいないよ。狼はいるけどね。」
薪を拾う森は、城下町の西の方角に広がっていて、僕たちは南外門から出ると西の方に歩いて行ってドナ川沿いに少し歩いた森の入り口あたりで薪拾いを始めた。それほど遠くないあたりに西外門と西外門から延びた道の先にあるドナ西大橋が見える。
ああ有名な画家の絵に、こんな田舎町の風景画があった気がする。絵心なんてないから思い出せないけれど、城壁と森と木製の大橋と川のコントラストがヨーロッパの田舎の風景画のようだ。
「あれっ、水車があるのかな。」
大橋の向こうの方に少しだけ水車の羽が回るようなのが見え隠れしてる。
「のどかだねぇ。」
おじさんっぽい口調でつぶやいた。
このあたりに自然に落ちている薪に使える枝は広葉樹がほとんどで、たくさん落ちているから拾うのは簡単だけれど、まっすぐな枝は少ないので、なたで枝落とししてまとめるのが結構大変。
森の奥まで行ける人は奥の方にある針葉樹のあるあたりまで行って、高い木の枝下ろしをしながらまっすぐな薪を束ねて効率よく大量に運べるし、ヒバと呼ばれる火付け用のよく燃える枝も持って帰ることができる。
けれど、僕とエルの二人では非力すぎて、まとめられる量も少ない。
どうせ効率よくまとめても、僕らには重すぎて持ち帰れないから、このくらいがちょうどいい。
「きょうのお兄ちゃんは、おじさんみたいだねぇ」
エルがクスクス笑いながら、へっぴり腰の僕を面白そうに見ている。
どうしても動きが23歳のイメージになってしまう。10歳の体に慣れてないんだから仕方ないって。
子供が拾ってきた程度の薪ではお店で使う薪には到底足りず、足りない分は「燃し木屋」と呼ばれる燃料屋から定期的に購入していて、つるで縛ったものが家の裏の壁沿いにたくさん並べて立てかけてあるそうだ。
薪を拾う間にもエルの授業は続いていた。
「お兄ちゃんの仲の良い友達は、ティオとバルとラシュだよ。ティオは警備兵のお父さんの跡継ぎでいま警備隊の見習いをしてる。バルは道具屋の三男で今は家の手伝いをしているけれど将来は行商をやりたいんだって。ラシュのことはエルシェはよく知らない。」
そうか、三人か。多くも少なくもなくてちょうどいいな。
でも街中を歩いていたらいろんな人から声を掛けられたので、その三人だけ知っていてもだめかもしれないけどね。
きのうエルからもらったメモ用の紙に、堅い炭を削っただけのペンで、ポイントになるような固有名詞を書いていった。紙は普通の生活をしている平民でも手にできる程のもののようだ。トイレットペーパーぽい四角い透き通ったのがトイレにあったけど、あれは紙じゃなかった。なんだろうあれ。
「エル、あのトイレにあったのは紙じゃないよね。」
「えーーっ、お兄ちゃん、紙は高いものトイレには置かないよ。あれはスライムの皮をなめしたものだよ。」
「スライムって動物?植物?」
「魔物動物の一種。でも手づかみで捕まえられて無害だから、農家で育てて、紙みたいに薄く皮をなめして売ってるみたい。なめしたのは水に溶けるし、汚れたのをよく吸い取るからトイレに置くとちょうどいいのでたくさん売れるみたいだよ。皮を剥がしてもすぐに再生するからいくらでも取れるみたい。」
『スライム』とメモ書きしながら、突然思い出した。
気づけば異世界の文字を書いていたけど、どうして書けるんだろう。そもそも言葉だってなんで元の世界の言葉と一緒なんだろう。
この体に入った瞬間に、この世界の言語がネイティブになったのに、自分が気づいていないだけなのかもしれないな。ネイテブ言語なんてそんなものだ。生まれて初めて言葉を覚えた子供が、この言葉は何語かなんて意識して話してないよね。あれと一緒って事かな。
野生のスライムはいるのか聞いてみたけど、エルはみたことないらしい。いたらちょっと捕まえてみたい。
「あっ、あれモンガだ。」
エルが突然上空の木を指さした。
「えっモモンガに羽が生えて飛んでる?」
「モモンガじゃないよ、モンガ。あれ焼き鳥屋さんで売ってるけど、すごく美味しいよ。」
鳥なんだ。まるで天使の羽を持ったモモンガだよ。異世界を感じさせる今日一番の出会いだった。
するとモンガが飛び立ったあたりの林の中でゴソゴソと笹藪をかき分ける音がした。
「きゃっ!狼」
エルが飛び上がって驚き僕の後ろに隠れた。
「なんだ?」
普通の僕なら、まっしぐらに逃げる場面だけど、エルがいるのにそんなことはできない。あわてて手に持ったナタを握りしめた。
「おいそんな物騒な物で構えるなよ。俺だよ。」
「あ、なんだラシュ」
エルがさっき説明してた僕の3人の友達の一人の名前を呼んだ。
「なんだはないだろう。狼の方が良かったのか?」
ラシュは軽口を叩いてエルをからかった。
「そうか薪拾いか。テムリオ元気になったみたいで良かったな。心配してたんだぞ。ヴィロルドなんか、ごめんなさいごめんなさいって、家に帰ってからもずっと泣いてたそうだから、あとで元気になったところを見せに行ってこいよ。」
ヴィロルドが階段から突き落とした相手かな。適当に相づち打っておかないとな。
「そうするよ。ところでラシュは何しにここに来たんだ?」
「ああ、お袋に頼まれてな、カオリンを掘りに来たんだけど、このあたりには残ってないな。もう少し山の方に行かないと。これ以上奥は危険だから引き返してきたところさ。」
じゃあ先に帰るなといって、身軽なラシュはポンポンと跳ねるように帰って行った。カオリンって何とエル先生に聞いても知らなかった。
「お兄ちゃん、だいたいいつもこんなもので帰るから、もういいと思うよ。」
エルにそう言われたので、背負子を背負って、エルが担ぐのも手伝ってあげてから、僕達も早めに帰ることにした。




