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マジェスティア・アエラ ~希望したチートアイテムはレベル1から上がらない異世界でのんびり過ごせるブレスレットひとつだけ~  作者: 園之野希乃路


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69.マダムの物語―貴族の娘が切り開いた運命―(3)

それからの毎日もテオフィールの助手としての忙しい日々が続き、より高い知識を求め一切の妥協がないテオフィールの期待を裏切らないよう、医術書や癒術書を学び、難しい手術の時には、時には助手の立場を超えて、テオフィールの三番目の手のように、医術道具を直接患者に使用することさえありました。


テオフィールは王立治療院のそうそうたる癒術士達が、口をそろえて難しいと言う虫垂腫の治療でも、「虫垂は切除しても体の機能に影響はもたらさない」と主張し、切除術を提案していました。そしてその難解な切除術を自ら率先して行うのでした。


「ナタリア、開腹手術で最も重要なのは時間だ。出血量を限りなく少なく抑えるには、可能な限り開腹時間は十五分以内に抑える必要がある。元々病気で体力が弱っている患者に、それ以上の時間の出血は命取りになる。止血を任せるナタリアに全てがかかっていると心得て望め。」


テオフィールは王立治療院でも最近取り入れられてきた癒糸という術後体内に残しても癒着などの心配の無い縫合糸を積極的に使います。虫垂に通じる主血管を癒糸で縛ることで、出血を最小限に抑えるのです。私の役目はこの重要な結紮(けっさつ)と呼ばれる仕事でした。


開腹手術には、手術中に麻酔の魔術を使い続ける治療魔法師や、透過魔法や鑑定魔法を駆使して常に患者の状態を確認し、逐一伝える治療魔法師や、洗浄魔法を使う治療魔法師や、患者の体力を保つためと術後の回復を早めるための回復魔法を使う治療魔法師など、たくさんの治療魔法師が助手として働いており、テオフィールは決して魔法の力をないがしろにはしておりませんでしたが、執刀の際にテオフィール自身は魔法の力は一切使用しませんでした。繊細な手術に魔力は向かないという持論があったからです。


それは止血を担当する私にも要求しておりましたから、魔法に頼ろうとする治療魔法師より、魔法がろくに使えない分、日々指先の鍛錬を怠らない私に向いていると、事もなげに言い、最も重要な役目を私に任せるのでした。


「テオフィール先生、虫垂腫の患者の術後投薬は、感染封じ液を一日三回、腹部の痛みには霧散痛草液を夕方処方ということでよろしいでしょうか?」


つい先ほどまで、学会報告に匹敵する大手術を終えたばかりとはとても思えない日常の患者治療に戻っていたテオフィールに、私もごく日常の助手に戻って尋ねました。


「ああ、それでいい。強い痛みを訴える場合は、念のため透過魔法で確認してほしい。それとナタリア、その『先生』と呼ぶのは今日限りとして欲しい。君はもはや、誰もが認める優秀な癒術士だ。その君が私に『先生』を付けるのは、もはや蔑称でしかない」


テオフィールが申しますには、真に先生と呼ばれるのにふさわしい者は、人徳に優れ、人の上に立って導く者でなければならないのだそうです。テオフィールはまだその域には到底及ばず、そのような人物を先生と呼ぶのは、相手がそう呼ばれると喜ぶだろうと見下げている態度だというのがテオフィールの考えだったようです。


「他の者が私のことを何と呼ぶのも勝手だが、ナタリアだけは私のことをテオフィールと呼び捨てして欲しい。これは私の心からのお願いだ。」


テオフィールは、片膝を付けて、私にそのように乞うのでした。


その日から、私は愛情を込めてテオフィールと呼ぶようになりました。ぎこちないテオフィールの精一杯のプロポーズと気づいたからです。


それからの私は、テオフィールの高度な要求に常に応えられる助手になりたくて、さらに勉強を重ねておりました。


両家の親も異存は無く、二人は晴れて婚約者の立場になりましたが、その後の生活は何も変わることなく、ふたりとも充実した医療活動を続けておりました。


私は基本的にいつも私服で出勤しておりましたので、血しぶきを浴びた服で帰りましたときは、ばあやはその場で気を失い、父と母からはこんこんと説教をされ、助手の自覚をもちなさいという父の命で、それからは治療院で白衣に着替えて仕事をするようになりました。


不思議なもので、テオフィールの専属助手にふさわしい格好をするようになりましたら、テオフィールが嫌っておりました先生の呼称を患者が私に使うようになりまして、自分は治療魔法師ではないことを毎回説明しなければならなくなりました。


こうしてテオフィールの助手になりまして、二年も経ちました頃に、テオフィールが興奮した様子で診療室に入ってまいりました。


「ナタリア、ついに女子にも王立癒術士の道が開けたぞ!」


貴族の令嬢でも社会での活躍の場を与える機運が高まって来ていることで、このたび、王の発案による改革で、その年の王立癒術士試験は、貴族の令嬢にも門戸を開くことになったということなのだそうです。


貴族の令嬢が社会で活躍する場面を演出したい王室が、ここのところ貴族の間で噂の高い王立治療院の女性助手の活躍に目を付けて、王国初の女性王立癒術士誕生と、諸侯の前で大々的に紹介しようということになったみたいだとテオフィールは笑いながら申しました。


「宣伝に使われることを承知の上でも、ぜひ受験した方がいい。貴族の女性は、男性の癒術士に患部をみせたり、肌に触れられるのを忌避し、平民の女性治癒魔術師も、身分故に近づけさせないので、それが原因でたくさんの貴族女性が命を落としている。君が正式な王立癒術士になることで救える命がきっとある。」


私も願ってもない好機到来に歓喜いたしました。テオフィールの助手として厳しい修行に耐え抜いた成果が、これでようやく社会に認めてもらえるのですから。


試験の日まで、私はテオフィールの助けを借りて、苦手な癒術理論の勉強に集中いたしました。実地試験に関しては申し分なく、推薦状も王立治療院の院長とテオフィールのふたりの推薦状に勝るものはないということで、万全の準備が整いました。


王立治療院で働く全ての人達が私を応援しておりました。

特に私が訳ありの貴族の令嬢と勘違いしていた同僚の助手の皆さんは、よくここまで頑張りましたねと、まるで家族のごとく涙して喜んでくださいましたので、まだ合格しておりませんのよと、苦笑してしまいました。


そうして、明日が試験当日という日のことです。私は明日が試験日だからと、特別な事は何もせずに、いつもの通りテオフィールの助手を続けておりましたが、この日、その後の私の運命に大きく関わることになる出来事がございました。


別の癒術士がテオフィールのところにやってきて、貴族の女性で産後の肥立ちが悪く、今日か明日が山場の命に関わる女性がいるので、手伝ってもらえないかと相談にいらしたのです。


王立癒術士といえど、貴族女性に直接触れることが許されずに、診断が遅れたため、緊急を要する事態に陥ってしまったと苦しそうに訴える癒術士に、テオフィールが無言で私の方をみました。


私はそのとき既に診療道具を鞄に詰め終えようとしていたところでした。テオフィールが診察を断るはずが無いことを、一番よく知っている私には当然のことでした。


「しかし、明日が試験のナタリアには……。」


私はテオフィールにそれ以上は言わせませんでした。


「参りましょう」


そう簡単に告げると、癒術士の案内で、テオフィールと一緒に貴族のお屋敷に向かいました。


二人の癒術士が幕の向こうに控える中、私は患者である褥婦(じょくふ)の元にひとりで向かい、その状態を二人に伝え、その指示で処置を行うという連携で患者の治療は始まりました。私が女性の助手だということで患者は心をひらいてくださり、治療は進みました。


この連携方法は、実はもうこの二年間テオフィールとの間では何度も繰り返してきたことでした。幕の向こうのテオフィールは、意見を述べることはあっても、私の治療法に異を唱えたことは一度もなく、実質上は全て私が治療をおこなっていたのです。


テオフィールを呼びに来た癒術士も、そのことはよく心得ていて、実はテオフィールを呼びに来た体ではございましたが、本当は私を呼びに来たのです。


他の女性助手が簡単な処置はしておりましたが、診断するまでもなく、患者は産褥熱で命を落としかけておりました。


「テオフィール、これは重度の産褥熱よ、どうしたらいい?」


「ナタリア、君はここで私にどうしたらいいか聞いてはいけない。君は我々と対等な癒術士だ。君が指示してくれ。われわれは君の指示に従う。」


緊迫した言葉が産褥室に響きました。


「ではテオフィール、あなたは幕の向こうから手を伸ばして、私の背に手を当て、私に回復魔法をかけ続けてください。私には洗浄魔法が使えませんが、テオフィールの魔力を使って、いまから洗浄魔法を学びます。」


私は必死でした。使ったことのない洗浄魔法を、この緊急の場面で、学ぶところから始める決心をしたのです。


貴族のしきたりは厳しく、産褥室には女性しか入れません。たとえこの女性の命と引き換えにしてでも、貴族の掟は絶対でした。私以外に産褥室に入れる人がいないのですから、そうするしかありません。


「ナタリア、脳裏に静かに水が流れる様子を想像するんだ。その水の流れが、ありとあらゆる穢れたものを洗い流すことを思い浮かべながら、水魔法を使ってみてくれ。」


私はテオフィールの言葉に、一切の疑問を持たないよう心からの信頼の心で、静かに水の流れを想像しました。背中にあてられたテオフィールの手からは、愛情の込められた熱いものが流れ込み私の全身を包んでいました。


実際の水は流れませんでしたが、確かに指先に全てのものを洗い流す水の力がたぎってくるのを感じました。


「テオフィールできたわ。もう少し強く回復魔法が掛けられないかしら。」

「ナタリアこれ以上は危険だ」

「大丈夫。指示を出すのは私と言ってくださったでしょう。これは私の指示よ。」


産褥室に静かな二人の声だけが響いていました。


テオフィールの回復魔法が少しだけ強まったおかげで、私の指先から洗浄魔法が患者の腹部に吸い込まれていくのを感じました。


「上手くいってるわ、テオフィール。このまま産褥熱が治まるまで続けたいけれど、大丈夫?」


「ああ、私は大丈夫だが、ナタリアの体がたぶん持たない。そういう無謀は到底認められないから、少しでも疲れを感じたらすぐに言って欲しい。あまり集中しない方がいいので、なにか気をそらすような話をするといい。」


テオフィールは、そう言ってくれましたけれど、いまの私には目の前の患者を助けたいという必死な気持ち以外、なにも浮かびませんでしたから、しかたがないので、医術に関する話をすることにしました。


「産褥熱の治療で魔法に頼らない方法があればいいのにね。」


「ああ、医術の進歩は激しいから、いつかは必ず方法が見つかるだろう。今はこれしかないからしかたがないけれど、何でも魔法に頼る治療は反対だ。魔法に頼ってばかりでは、どうして治療効果があるのかという肝心の医術証明ができない。証明できない治療法では医術は進歩しない。」


「魔法に頼らない方法って、どのようなものなの? 私には想像が出来ないわ。」


「ああ、私にも想像はつかない。だが、いつか、始まりの王の書物を読んでみるといい。始まりの王は、魔力が全くなかったけれど、『威圧』の力で国を治めたのだそうだ。私が思うに『威圧』とは、魔力とは真逆の、しっかりとした知識に基づき、理屈で説明のつく力の事だ。私は医術に関する知識のことを仮に『医学』と呼んでいる。医術の世界の『威圧』とは『医学』の事だ。」


「医学」初めて聞くその言葉を、私は何度も繰り返しました。医術は学問で解決して初めて進歩するという考え方はとても共感できました。


「ごめんなさい。続けられそうにありません。」


どれほどの時間が経ったでしょうか、私は激しい脱力感で、そう告げると、その場に倒れ込んでしまいました。


次に目が覚めたときは、深夜になっていた様子で、心配したテオフィールの手は、まだ私の背中に乗せられたままでした。


ゆっくり体を起こすと、真っ先に患者の腹部に触れてみました。


「テオフィール、熱が下がってきたみたいよ。」


「そうか、山場は超えたみたいだな。」


「できたら全身に洗浄魔法を掛けてみたいのだけど、いいかしら。もしかしたら産褥熱って、産褥室が不潔だから起きるんじゃないかなって、ずっと考えていたの。もしこの考え方が正しかったら、産褥室のあり方を変えるだけで患者が救われるんじゃないかしら。」


テオフィールも私の考えに概ね賛成してくれました。


ではせめて新鮮な空気を入れるよう、屋敷のものに伝えようと、私たちに助けを求めてきた癒術士も賛同して腰を上げ、幕の向こうから離れていく足音が聞こえました。


患部の洗浄魔法から、全身の洗浄魔法に移った頃には、ずいぶんと慣れてきました。まだテオフィールの回復魔法がなければ、少しの力も出せませんが、訓練を重ねることで解決できそうな予感がしました。


そのまま、どのくらいの時間、患者の全身に洗浄魔法をかけ続けたでしょうか、部屋の隙間から、外の明かりが入ってきた気配がして、そのうちに産褥室の締め切った窓がようやく開けられ、朝の陽光が部屋の中をいきなり強く照らし出しました。


もうこんなに時間が経っていたとは思ってもいませんでしたので驚きました。

驚いたのはテオフィールも一緒だった様子で、幕の向こうから慌てたような声がしました。

「ここまで落ちつけば、あとは僕でも何とかなるから、試験会場に急いで行って欲しい。」


テオフィールの慌てながらも優しい声に、私は思わず笑顔になりました。この人は、とても不器用な話し方なのに、本当にどこまでも優しい人です。でも、私はきっぱりと断りました。


男の人が入れない産褥室で、テオフィールがひとりで何かをできるとは到底思えませんでしたから。


「自分に助けを求める人がいるのに、助けない選択肢はないとおっしゃったのは、あなたではないですか。わたしはそういうあなたの一番弟子ですよ。患者が安全な状態になるまで、私がここを離れられるとお思いですか?」


私は幕の向こうにいるテオフィールに、笑顔ではっきりと伝えました。


「まあ……ナタリアには無理だろうな。」

幕の向こうから苦笑交じりの不器用で優しい声が聞こえてきました。


自分の助けを必要としている人が、すくなくともふたり、ここにいるのです。

ひとりは患者。そして、もうひとりはテオフィール。

私はこの瞬間、これ以上ない、とても幸福な気持ちで満たされていました。


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