67.マダムの物語―貴族の娘が切り開いた運命―(1)
翌朝、お母さんには、今日はどんな予定になるかわからないので、お弁当は外で買うからいらないって言ったら、おやつ代わりにと、紙に包んだ『魔鳴猫の巻き舌』を二本渡された。
革製のウエストバッグに『魔鳴猫の巻き舌』を入れ、左の腰にはお母さんからもらったキラキラのダガーを下げ、ほんの少しだけ冒険者っぽい格好になった僕は、いつもの道を冒険者ギルドに向かって歩いた。『蒼の誓』クランのアジトには、もし早めに依頼が終わったら行ってみよう。
冒険者ギルドに到着して、エントランスから掲示板に向かおうとしたら、いつものGランク受付の部屋の前で、受付担当が手招きしていたので、何事かと身構えた。
「おお、テムリオ。お前が絡むと、いつも騒ぎになるみたいだな。昨日もお前が参加したEランクのパーティが二日で四十匹もゴブリンを倒したって大騒ぎになってたぞ。」
「そんな騒ぎになるような事だったの? その件で俺に何かお咎めとか?」
僕は、少し醒めた口調で相手をした。
「いや、そういうことじゃない。呼び止めたのは別の話だ。テムリオに指名依頼が来てるが、受けるかどうかの確認だ。」
えっ僕に指名依頼?
そこまで僕は有名人じゃないと思うから、何かの勘違いじゃないの?
依頼票を見せてもらったら、確かに備考欄に、「テムリオ氏を指名。指名人以外には依頼しない」と書かれている。これって僕以外じゃだめって事だよね。
依頼人を見たら、『お屋敷清掃とネズミ駆除』を依頼したあの貴族のマダムだった。この次は指名したいって言ってたけど本当に指名依頼してくれたんだ。
今回の依頼は『中庭の整備とお話相手』と書かれていた。
依頼内容のところには、屋敷中庭の掃除、庭木の剪定、雑草の除去、東屋の清掃、および簡易な修繕などを含む環境整備作業全般。ただし「三時間で終わる範囲内で構わない」と明記されており、「残りの三時間は、食事をともにしながらお話相手として過ごしていただけたら嬉しいです」と書かれていた。
話し相手なんて、仕事抜きでいくらでもお相手しますって言っておいたのに、律儀に仕事として依頼してくれたみたいだ。
あの中庭は気になっていたから、ぜひ綺麗にしてみたいと思ってた。あそこの東屋で貴族のお茶会なんて開けたら、きっと素敵だろうね。僕は貴族じゃないから永遠にお誘いは来ないけど。
「わかりました。今日はこの依頼を受けたいと思いますので、よろしくお願いします。」
「他のパーティメンバーも一緒か? この料金設定は一人分の設定だから、パーティで行くのは正直きついと思うぞ。」
「えっ、パーティに所属していると単独依頼は受けられないなんて規則があるの? また知らずにトラブルを起こしたくないから、そのへんのこと教えてもらえる?」
あぶないあぶない。パーティは登録制で、一度登録すると登録消除しない限り単独依頼は受けられない、なんて規則があったら、また規則違反になっちゃうところだったよ。
「いいや、商会系ギルドなどと異なって、冒険者ギルドにはそのような縛りはない。誰でも自由にパーティを組めるし、パーティに参加しながら単独で別の依頼を受けることも自由だ。」
よかった。じゃあ商会系ギルドって、元の世界の「法人」みたいなものなのに対して、冒険者ギルドは、フリーランスの集まりって感じなのかな。
正式に依頼を受ける手続きをしたあとで、貸出窓口で必要な剪定道具一式を借りて、さらに全部入れる袋も借りて背負うと、依頼主のマダムのお屋敷に向かった。
お屋敷に到着したら、開けっぱなしの正門をくぐって、玄関アプローチを歩き、「ごめんください」といいながら玄関ドアを開けて中に入った。
足の不自由なマダムは、玄関まで出てこないので、中に入ってリビングの部屋のドアをコンコンと叩いて「失礼します。冒険者ギルドから来ました、テムリオです。ご依頼いただきました中庭の整備に伺いました」と挨拶した。
すると奥の方から「はあい」という聞き覚えのあるマダムの声が聞こえてきた。
「テムリオさん、お久しぶりね。来て頂いてありがとう。今日はゆっくり出来るのかしら?」
不自由そうに杖をついたマダムが笑顔で出てきた。
「はいマダム。今日は一日中お手伝いする予定で来ております。ただしお言葉に甘えてお昼のお弁当は持ってきていないのですが、本当に大丈夫なのでしょうか。大変でしたらお昼は外で食べますので。」
するとマダムは優しそうな声で答えてくれた。
「テムリオさんは気遣いのできる素敵な方ね。私はお料理が趣味ですから、全く苦にならないの。中庭の整備をしていただいている間に、美味しいものを作りますから楽しみにしていて頂戴。あらあら、お客様にお料理をお出しするのって、本当に久しぶり。胸がわくわくするわ。」
「マダム、僕はお客様じゃなくて、仕事人ですよ。」
そう、僕はこのお屋敷の中では自分の事を「僕」と言える。「俺」なんて使い慣れない不自然な呼び方してると、少しだけストレスを感じるので、このお屋敷の中では、たったそれだけのことなのに、すごく解放感を味わえる。
「では、いまから三時間、みっちり中庭のお手入れをさせていただきます。何かご希望とか、注意するようなこととかありますか?」
「いいえ、テムリオさんの思うとおりにして頂戴。長年働いてもらっていた庭師がやめてから荒れ放題なので、若いテムリオさんによって、どんな風に生まれ変わるのか、とっても楽しみよ。でも終わらなくてもいいの。三時間ってお約束だから、時間になったら終わりにして頂戴ね。そうすれば、また何度でもお願いする楽しみが増えるもの。」
マダムは、本当にいい人だ。物静かで、優しくて、とても生き生きとしている。
「それとハシゴや脚立がありますか?」
聞いてみたけれど、マダムはわからなそうだったので、勝手に庭師の住まいだったあたりを調べてもいいという許可をもらった。
早速作業を開始しようとヘリンボーンの豪華な床材のキッチンの横を通って、脇のドアから中庭に出た。
相変わらず雑草がひどかったので、まずは雑草置き場にちょうど良さそうな一角を刈り取った。
あとは、その場所に刈り取った雑草を持っていって山積みして捨てるだけ。
穂先についてる白い小さな玉が上下に揺れている、あの幻想的な雑草は、刈り取った瞬間に崩れ落ちて消えたのにはびっくり。魔草だったんだね。
でもこのトゲトゲは厄介だ。貸出窓口で長手袋を勧められるままに借りてきて本当に良かった。これがなかったら血だらけになるところだったよ。
頑張って刈り取ったら、かなりの早さで中庭の雑草はみるみる少なくなっていった。
雑草刈りの目標は一時間くらいにしていたので、少しだけ急がなきゃ。この家のどこかにある時計が三十分ごとに鐘をならしてくれるので時間は把握しやすい。
雑草を刈っていたら、お屋敷側の奥の方にドアがふたつ見えてきた。あそこがマダムの言ってた庭師の部屋かもしれない。
そちらの雑草を刈り取っていったら、ようやくドアのところまでたどり着いた。ひとつめのドアノブを回してみたら鍵は掛かってなく、すっと開いた。
部屋の中は埃をかぶっていたけれど、家具類には布が掛けられている。飾り気のない部屋からは、ここが使用人の部屋だったことはすぐにわかる。
もうひとつドアも鍵はなく、開けたら思った通り庭師用の道具部屋になっていて、ハシゴと三脚もいくつかあった。
よし、これで高いところの剪定も出来るな。
確認が終わったので、また中庭戻って雑草刈りを続けた。
おおよその雑草を刈り取ったら、地面から芝生が現れた。次に来たときは芝刈り機で整えよう。ここまでで一時間経過したので、雑草刈りを終えた。
次は手入れしないまま大きくなりすぎた庭木だ。これの剪定は難しそう。プロの庭師なら何とかするんだろうけれど、素人の僕には結構厳しい。
高くなりすぎた木は、一番長いハシゴを持ってきて木に立てかけ、ノコギリで3mくらいの高さに乱暴に切って整え、周りの枝も切りそろえた。
ここまで二時間ほど。結構時間がかかった。素人仕事だからかなり大雑把だけど、何回か通っていれば、そのうち綺麗に剪定できるだろう。
今日は高い木のせいで中庭に日が差さなくなっていたのが、だいぶ明るくなったから、それでいいことにした。切った枝葉は、さらに細かく切ってから、雑草置き場の上に重ねて置いた。
次は中くらいの木。こちらは太い枝が飛び出してるところだけノコギリで切り落としてから、すこし丸く丁寧に剪定していった。
そして最後は低木。こちらは僕の腰の高さを基準に刈り込みばさみで、平らに刈ってから、縦方向も真っ直ぐに直線で刈り込んで、全体を四角く整えていったら、何となく幾何学模様っぽい中庭が完成した。
最後に東屋を丁寧に道具小屋にあったモップで水洗いしたら、かなり大雑把だったけれど、三時間の範囲内の中庭の整備が終わった。
三時間じゃここまでしか出来ないな。あとは刈り取った雑草や枝が枯れて軽くなったら、ギルドにゴミ回収に来てもらおう。
服を軽くはたいてからキッチン横のドアを開けて、マダムに終わったことを告げたら、とっても美味しそうな匂いがキッチンの方から漂って来た。
「まあ素敵。三時間でこんなに綺麗にしていただいたの? 驚いたわ。雑草を半分も刈り取ってもらえたらいいと思っていたのに。」
「今日はざっとやっただけですから、まだ整備するってところまでは行ってません。美しく整えるには、まだまだ時間がかかりそうです。」
庭の手入れって、思ってた以上に時間がかかるね。
「いいえ、これだけでも大満足よ。でもまた来て欲しいから、しばらくしたらまた続きをお願いしてもいいかしら。」
「ええ、とっても楽しかったので、またぜひ依頼してください。僕はこういう仕事が性にあってるみたいです。」
これは本音だ。一人で黙々と植物を相手にする仕事って、僕は好きかもしれない。
「お疲れ様でした。それではお食事にしましょうね。」
あらためて井戸端で手と足を洗って、お屋敷の中に入った。
「ごめんなさいね、足が悪くてダイニングに持って行けないの。お手伝いして頂けるかしら。」
二台のワゴンに乗せられた料理と四角い箱を、キッチンからダイニングに運んだ。どの料理も整ったお皿の上に綺麗に盛り付けされている。料理が趣味というのは本物だったみたいだ。
見た目で判断しても高級レストランのシェフ並みの腕を持っている。ふたりのテーブルにはマダムがワゴンから取り出して前菜とスープを並べた。貴族のマナーを熟知したマダムならではの美しい並べ方で、カトラリーも綺麗にそろえてサーヴされた。
元の世界のブラック企業ではなぜか新人研修の時にマナー講習会があって、フランス料理のフルコースのマナーを教わったので、このマダムの料理とテーブルのサーヴはフランス料理に酷似しているから、たぶん間違えることはないと思う。
ワゴンにはデザートまで乗せてあって、本格的な昼のフルコースだ。
マダムが祈りを捧げたので、僕も真似てから食事は静かに始まった。
「あら、テムリオさんは、お食事の作法がとても自然で美しいわね。言葉遣いといい、貴族のおうちの方なの?」
「いいえマダム、前にお邪魔したときも申しましたが、僕は南外門の近くにある、平民のパン屋の息子です。言葉遣いや食事のマナーは……えっと、そう日曜学校と図書館で覚えました。」
マナーも日曜学校と図書館で覚えたことにしてしまった。どんな日曜学校や図書館なんだろう。自分でいいながら苦笑してしまう。
「そうお伺いしていたかしらね。最近は忘れっぽくていけないわ。」
マダムは、そんなものなのかなという顔で簡単に納得してくれた。
「それで今日は、マダムの若い頃の話を聞かせてもらえるって、とっても楽しみにして来たのですが……。」
これは本当だ。この溢れる気品がどこから来ているのか、その原点のお話をぜひ聞いてみたい。
「そうね、私もテムリオさんにお話を聞いていただけるのをとても楽しみにしていましたわ。」
マダムは、「ごめんなさいね、お客様自身に給仕させてしまって」と笑いながら、前菜とスープの容器を、ワゴンの上から順に変えてほしいと僕に言って、自ら横にあるワゴンから見本をみせてくれた。
次は何かのお魚料理だ。領都近くに海は無いから、どこかの川魚なのかもしれない。白身魚の皮目を焼いたものにバターソースを添えたもので、香草の香りがよい緑色のソースで飾られていた。
「私は、王都の、とある伯爵家の娘でしたのよ。まだ15歳の頃のお話。そうね、私の人生はそのころの出会いから始まったわね。」
優雅に食事を楽しみながら、マダムは遠くを見つめる目で、ほんの少しだけマダムの物語の序章に触れてきた。
魚料理が終わると、テーブルに置いた四角い容器を指差して、
「ごめんなさいね、無作法で。テムリオさん、ここの中からソルベを出して頂けないかしら。」
と言ったので容器を開けてみたら、なんと中からオレンジ色のシャーベットが現れた。
「えっ、これ本物のソルベですよね!」
思わず失礼なことを言ってしまったことに気づいて、あわてて謝罪したけれど、マダムはさも楽しそうに笑っていた。
このお屋敷には魔力で動く冷凍庫があるのかな。かなりうらやましい。
ソルベを堪能した後は、ワゴンの下の段にあった肉料理をテーブルに並べた。
「鶏肉ですね。さっぱりしていて美味しいですが、脂身を取り除いたのですか?」
「ええ、そうよ。羊皮紙に包んで蒸し焼きにするの。よく気づいたわね。」
マダムの料理は本格的だ。これだけ料理が上手だと、下手な使用人などいらないって気持ちになるんだろうな。
「ごめんなさいね、デバレまで手伝わせてしまって。」
マダムは、さっきから上機嫌で笑っているけれど、よくわからない言葉も時々でてくる。聞いても失礼じゃないかな。
「マダム、デバレって何のことですか?」
「食器を下げる事よ。ご招待したお客様にお願いするなんて、本当はあってはならない事よ。」
「ああ、それなら全く気にしないでください。僕は平民なので、むしろ、こうするほうが自然に感じます。」
ワゴンの次の段には、サラダとチーズとパンが乗った一皿があった。
とても柔らかなパンで、美味しかった。うーん悔しいけどパン工房エルでも、ここまで柔らかいパンは作れない。もしかしたらリュミちゃん以外にパンを発酵させる酵母みたいなのがあるんだろうか。
「最初の出会いは覚えていないの。そのくらい最初の印象は薄い人だったのよ。」
マダムの物語の序章は、ほんの少しずつ語られていった。
「その方が、えっと…アルフェルド伯爵様だったのですか?」
「いいえ、別のお方よ。テオフィールは若くして王立癒術士の資格を取り、その頃は、若き天才治癒師と呼ばれていたわ。」
うわっ、伯爵と出会う前の初恋の相手のお話か!
一気に胸が高鳴ってきた。食事が通らなくなるので、続きは終わってからにしてもらおう。
最後の段には、マダムの手作りデザートがあった。透き通ったジュレの中にカットされた小さなフルーツがいくつか入っている、涼しそうなデザートだ。
マダムが、デザートによく合うハーブティを用意してくれた。
そうだ。僕は思い出して、ウエストバッグから、今朝お母さんからもらった『魔鳴猫の巻き舌』を出して、マダムに一個勧めた。
「これは、僕の母の手作りお菓子です。」
「あらっ! これもしかして魔鳴猫の舌かしら。懐かしいわ。ここでも作れる人がいたのね。テムリオさんのお母様はパティシエールなの?」
驚いた。魔鳴猫の舌を知ってる人に初めて会った。
「いいえ、普通のパン屋です。こういうのを作るのが好きみたいでいろいろと作って、お店で売ってるんです。」
「そうなの、一度お店のお菓子をいろいろと食べてみたいわね。」
食事のお礼に、次は他のも持ってきてあげよう。
楽しかった食事が終わって、後片付けを手伝ったら、いよいよマダムの物語の本編が始まった……。




