47.蒼の誓(2)
子供の頃、ホールケーキをカットしたものをショートケーキ(短いケーキ)と呼ぶのだと信じていました。
特にこれからの予定は何もなく、いまから領都の中を探検といっても中途半端な時間だったので、まだ早いけれど、家に帰ることにした。
ちょっとへこんだ気持ちのまま井戸端から家のドアを開けると、「ただいま」と誰もいないダイニングに向かって小さくつぶやいてから、あらためて井戸端で手と足を洗ってダイニングに入っていった。
「おっかえりぃーーお兄ちゃん!」
僕が帰ってきた気配を感じたのか、二階にいたらしいエルが飛び跳ねるように降りてきた。相変わらず明るい声に、救われた気がして、両手を広げて「エルただいま!」とハグしようとしたら「きゃーー」と逃げられた。
ダイニングの椅子に座って、お土産話を待ち遠しそうにしていたエルに、今日の依頼の魔狼の話をしたら、エルもそんな魔物は知らなかったようで、キャッキャと笑いながら楽しそうに聞いている。やっぱりエルの明るい笑顔には癒やされるよ。
ひとしきりエルとお話したら、だいぶ気持ちが軽くなってきたので、お店の方に行ってみた。
「お母さん、お菓子の評判はどんな感じ?」
「思ったより好評だったわ。下町の人にはちょっと無理のある値段だから、難しいかと思ったけれど、パンを買いに来たついでのお客さんが物珍しさで買ってくれたので全部売れたわ。」
それは上々の滑り出しだね。
「お昼時にはマルグリットさんの案内でソレイヌさんも来てくれたのよ。それもソレイヌさんのお屋敷の馬車できたものだから、どこのお姫様が来たのかとご近所さんがみんな集まってきてしまい大変だったわ。」
「へぇ、ソレイヌさんのお屋敷には馬車があるんだね。どこに移動するにも馬車なのかな。」
「たぶん今日は特別だと思うわよ。図書館の仕事を抜け出してきたから、大急ぎで帰らなければって言ってたもの。ベイクドチーズケーキをホールで欲しいと言われたけれど、今日は試作したものしかなかったので、8分の1カットを4個で我慢して頂いたの。マルグリットさんが絶賛してくれたみたいで、どうしても食べたくなったんですって。」
滑り出し順調だね。今のところお付き合いで買ってくれてる人ばかりだから、一段落したあとが勝負だね。でもお母さんが楽しそうなのが一番嬉しい。この家はいつも明るくて好きだよ。
しばらくの間お店のお手伝いをしていたら、お客さんが一段落したので、早めの夕飯にしようという事になった。
お母さんが台所に来たので、アゼリアの『蒼の誓』クランのアジトに行った話も軽く打ち明けた。
「……そういうわけで、アジトの中にも入れてもらえなかった。たぶん俺はからかわれたんだと思う。そもそも本気にして出かけて行く俺の方がどうかしてたよね。俺には到底場違いなクランだったのに。」
エルは「なにそれ!」とおかんむりだったけれど、お母さんは穏やかな表情を少しも変えることなく聞いていた。お店の方にいたお父さんもダイニングとお店の仕切りドアのあたりで聞いていたけれど、何も言わずにお店の方に戻っていった。
「お兄ちゃんアゼリアの家なんかいっちゃだめだよ。ああいうのは呼びつけるんでいいんだから。」
呼び捨て?
ま、まあ市場での出来事や、家に訪ねてきたトラヴィスのイメージがいずれも最悪なので、エルにとっちゃ呼び捨てたくなる相手なのかもね。
「そうだね、呼びつけるのはできないけど、アポなしで訪問して会ってもらえるような人じゃない事はわかったよ。」
「『あぽなし』って意味わかんないけど、そうだよ、お兄ちゃんがわざわざ、あってあげることはない。」
うん、ちょっと違うけど、いずれにしても、もう行かないよ。
もし今度ギルドで行き会うようなことがあったら、軽く断っておくだけにしておこう。
いつものように早めの夕食が始まってから、さっきエルに話したのと同じ、面白い依頼を受けた話をお父さんとお母さんにも話した。僕が冒険者ギルドで楽しく依頼をこなしている様子をちゃんと伝えて安心してもらいたいからね。
僕が魔狼の声真似までしたら、エルは同じ話を二度聞いても、やっぱりお腹を抱えて笑ってた。
「テムリオ、聞いて不愉快ならお母さん謝るけれど、毎回そういう家政ギルドが受けるみたいな依頼ばかりで嫌にならない? テムリオは冒険者として探検に行きたいのよね。」
確かにお母さんは複雑な気持ちで聞いていたのかもしれないね。
「アゼリアさんに頼めば、それほど危険じゃない場所に行くときは探検に同行させてもらえるんじゃない? ほら冒険者のパーティには直接魔物と戦わないけれど、いろんな役割の人が一緒に行くって聞いたことあるわよ。」
お母さんは、本当は僕がそんな場所に行くのは大反対のはずだけど、さすがに僕が我慢して頑張っているように見えて、不憫でしかたがないんだろうな。
「お母さんありがとう。討伐に行くような冒険者にはなりたいと思うけど、今は、こういう仕事も楽しいので安心してね。我慢して、いやいや仕事してるわけじゃないからね。」
この体の前の持ち主は冒険者になるのが夢だったみたいだから、僕の本心は「冒険者なんて危険な仕事は嫌い」とは言えない。そんなこと言ったらエルがきっと傷つくと思うから。
僕自身は、冒険には何の興味もない。ただ、この体の元の持ち主の強い思いを無下にできないだけだ。
こういう暗い話題は、いつも明るく楽しい我が家の食卓には全然似合わないなと感じたので、強引に話題を変えてみた。
「ところでお母さん。お店に並べるにはベイクドチーズケーキと魔鳴猫の巻き舌だけじゃ物足りない気がするけれど、無理ない程度にあと一品くらいなら増やしてもいいんじゃない?」
「そうね、実は今日も試作したものがあるのよ。食べてみたい?」
お母さんが、その話題が出るのを待ってたのよと言いたそうな顔で、僕とエルが「食べてみたい」というより早く、台所から試作スイーツを持ってきた。
「これはね、『迷宮の金塊』という名前のお菓子よ。ちょっと金塊に似てると思わない?」
「無理だよお母さん。俺は金塊なんて見たことないもの。」
本当は元の世界じゃテレビなんかで何度も見てるけど、一応知らないことにしないとね。お母さんは知ってるみたいだ。
「あら、そうね、ごめんなさい。商人がこういう形の金銀銅などを、お金の代わりに使うのよ。よほどの豪商か、金融関係の商人しか扱っていないみたいだけど。」
確かにお母さんが持ってきた焼き菓子は、台形で、そういう雰囲気のお菓子だ。
元の世界の叔母さんも、ときどきこれに似たお菓子を作って持ってきてくれた。叔母さんのはフィナンシェ風って名前だったけど。なぜか「風」って必ずつけてた。
それにしても、偶然すぎない? お母さんが作るお菓子と叔母さんが作るお菓子。ことごとく一緒だよ。もしかしたら、異世界っていいながら、これほど似てるのは、神様の独自アイデアで世界を作ってるんじゃなくて、ただのコピーだから?
ベイクドチーズケーキを作るところを見るのは楽しかったから、この『迷宮の金塊』も、あとで作り方を教わろう。たぶん聞いても見ても、僕には作れる気はしないけど。
大きさは手のひらサイズで、ちょっと上品な感じがするお菓子だ。
香ばしく焼けた感じがしたけれど、表面がカリッとしているだけで、中はしっとりしておいしさが凝縮している感じ。少しだけアーモンドに似た香りと食感のあるものが入ってるみたい。
「お母さん! エルシェはいままでのお菓子の中で、これが一番好き!」
エルの素朴な感想だけど、僕も同感だ。バターを焦がしたような匂いがたまらない。
「お母さん、これ、明日からの試作品の棚に絶対に並べるべきだよ。ベイクドチーズケーキが貴族用なら、こっちは裕福な商人にぴったりの縁起物として売れると思う。」
お父さんも、なかなか美味しいねと笑っている。
「そうね、出してみようかしら。でも問題があってね、『魔鳴猫の巻き舌』と一緒で、この『迷宮の金塊』も、卵白だけを使うのよ。それに結構バターも使うし。だからどうしても高級品になっちゃうの。余った卵黄をどうするかも問題ね。」
うーん、卵黄を使うので真っ先に浮かぶスイーツはカスタードクリームだけど、残念ながら僕は作り方を知らない。カスタードシュークリームは美味しいよね。
値段をどうしようとか、余った卵黄を使ったお菓子はできないかとか、みんなでわいわいと、夕食を終えたあとの家族の団らんの時間を過ごしていたら、「ごめんください」とお店の方から聞き覚えのある女性の声が聞こえてきた。その声を聞いた瞬間、僕の心臓が跳ねた。
「えっ? あの声は……アゼリア?」




