46.蒼の誓(1)
「エード」とは、果汁を水で割ったものです。
たとえば「レモネード」や「ライムエード」は、レモンやライムを水で薄めていることを意味します。
一方、「ジュース」は、果汁100%でないと名乗ってはいけないことになっています。
たとえば「オレンジジュース」と表示していいのは、オレンジ果汁100%の場合だけ。
これはもともとそういう意味だというのもありますが、「ジュース」表記は業界の自主ルールでもあります。しかも公正取引委員会のお墨付きなので、違反すれば注意されたり、販売中止になることもあるそうです。
ですから、「レモンジュース」と書いてあったら、それはたぶんレモン果汁100%。
そのままぐいっと飲んだら……
今回の依頼は予定通り午前中で簡単に終わったので、冒険者ギルドに報告に行ったら、あとは自由になった。
ちょっとした隙間バイトみたいなもので、それでも外食二回分くらいの収入にはなった。面白い魔獣にも出会えたし、悪くない依頼だったな。
とりあえず、明日受ける依頼をどれにするか確認するのに掲示板の方に向かった。
相変わらずAランクからJランクまでの依頼には、『討伐』『捕獲』『壊滅』『攻略』といった、殺伐とした言葉が並ぶ。やっぱりここは冒険者ギルドなんだと実感した。
それに比べるとGランク掲示板の呆れるほど平和な依頼は、完全に浮いているけれど、こちらが僕にとっての主戦場だ。
今日のGランク依頼掲示板にも結構な数の依頼が掲載されているけれど、こちらは荷物の運搬、修理、配達、除草、点検、代理出席、動物の世話、行事手伝い、掃除など、家の中や周辺の雑用依頼が大半だ。
たいていは上位ランクの冒険者が、次の大きな依頼までのつなぎに小銭稼ぎ感覚で受けているんだろう。初心者の冒険者はGランクの依頼を一回でもこなせば、ほとんど次はJランクに昇格するので、Gランク依頼を繰り返し受けるのはたぶん僕だけだろうな。
今日はこれから中央広場のベンチでも借りてお弁当でも食べよう。そのあとは、領都の中を散策だ。目的もなしに貴族街をうろうろするのは、とがめられたときに面倒な事になりそう。貴族街は避けて、あと僕の家がある南外門のほうも避けて、東外門か西外門のどちらかの方角でも行ってみようかな。
そんなことを考えながら、掲示板をぼんやり眺めていたら、ふいに声を掛けられた。
「やあテムリオじゃないか。俺のこと覚えてるか?」
えーと、すいません全く覚えてません。こういうのが一番困る。元の世界でもあった。同窓会で「わかる?」って聞いてくる女子に限って全く覚えていないというアレだ。
でも今回はそういう、試されている系とは違いそうだから、正直に知らないと言っても大丈夫だろう。
「ごめん、全然覚えていなくて。誰だった?」
「ああ、そうだよな。取り囲んで一気に自己紹介じゃ、覚えている方がおかしいくらいだ。俺はアルフェリード。アゼリアの所のクラン員だ。」
思い出したよ。名前はたぶん教えてもらってないと思う。でも背中に弓を背負ってるのは、あのとき紹介してもらった中じゃ一人だけだ。
「中央市場で弓を引こうとしてアゼリアに怒られてた人?」
僕は思いっきり皮肉交じりに言ってやった。だって、もしあのときアゼリアが止めていなければ、僕とエルが串刺しになっていたかもしれないんだもの。
「そんなことあったかは忘れたけど、思い出してくれたか。そうだ俺がクラン員の中でただひとりの弓使いだ。」
皮肉は通じないタイプみたいだ。その弓使いが何か用かと、冷たく突き放してみたら、困った顔で、今日アジトに来られないかと頼まれてしまった。
「アゼリアがさぁ、テムリオを見かけたらアジトに招待しろって、いつも言ってるんだよ。だから見かけたのに通り過ぎるわけにはいかなくてさ。テムリオ、これから一緒にアジトに来てくれないか。アゼリアが言う招待って、拉致してこいって意味なんでね。」
そう言うと、さも面白そうに笑った。こっちは全然笑えないけど。
「いや、それは無理だ。今日はこれから先約がある。後で行くから場所だけ教えておいて。」
もちろん先約なんてない。このまま素直についていくのは癪なだけだ。
それにお母さんの美味しいお弁当を食べるって、アゼリアのアジトに行くより大切な先約みたいなもので、あながち嘘とは言い切れない。
アルフェリードは仕方なさそうに紙切れを取り出すと、僕が持っている炭のペンよりいくぶん高級そうな金属のさやつきのペンを取り出して、サラサラとクランまでの地図を書いて渡してよこした。
「じゃあ、用事が済んだらきっときてよ。アゼリアに言っておくから。きっとテムリオが来るまで、ずっとそわそわしながら待ってると思うぞ。」
うう、プレッシャーを掛けられた。思ったより用事が長引いたとか何とか言い訳して、ごまかそうとしていたのを読まれちゃったみたいだ。
でもとにかく、このまま強引に連れて行かれるのだけは防げた。
そんな気持ちで、とりあえず中央広場を目指して歩いていった。
中央広場に到着したら、屋台の食べ物屋の方から食欲をそそるような、美味しそうな煮物焼き物の香りがしてきて、お腹が鳴ったので、共同ベンチのような場所に座ってお母さんのお昼を広げた。本当は屋台が共同で出してるベンチなんだろうね。
お弁当は、お店の一番おいしいパンをスライスして、野菜とお肉の唐揚げをサンドしたもの。お肉が傷まないようにするには唐揚げが一番みたい。下味を付けて揚げたお肉は、そのままでも絶品だ。さらに、そこに少しだけ持ってきた一味唐辛子を軽く振りかけて食べたら言うことなしのおいしさ。
持ってきたお水には、ライムを搾ったものが少しだけ入れてあるってお母さんが言ってた。生水はそのまま飲めないから煮沸するけど、冷めるとまた腐敗が始まるので、酸性のライムは防腐剤代わりになるって考えたのだろう。
でもライムには栄養分もあるから、必ずしも腐敗防止にはならないような気がする。それでもお母さんの気持ちが入ってると思うだけで、すごく嬉しい。
お昼を食べ終わったら、せっかく中央市場まで来たんだから、数少ない知り合いの一人のところにでも顔を出していこうか。
「あーら、テムリオ坊やじゃない。お久しぶりね。どうしたの? 早速このマーガレット様に相談しなければならないような困ったことが起きた?」
相変わらず陽気な「マーガレットおじさん」だ。商売上手でブレスレット三本も買うことになっちゃったけど、今日はなにも買わないよ。
「いいや、ちょっと近くまで来たから、顔を見に寄ってみただけ。」
「そうなの? あ、そうそう、テムリオ坊やが名前を付けてくれたおかげで、『ぷくぷくストロー』は爆発的な売り上げよ、ありがとう。はいそういうわけで10本で10Gに負けとくわね。」
うう、やっぱり買わされた。それに10本で10Gはきっと負けてないし……。
「ところでマーガレット、今俺は『蒼の誓』というクランから誘いを受けてて迷ってるんだけど、どう思う?」
知り合いがいない僕には、他にこういう悩み事を相談できる相手がいないことを、今、痛切に感じている。よりによって相談相手がマーガレットなんて。
親友が三人いるらしいけれど、僕の記憶の中にはいない友なので、相談相手になってくれるかどうかは全くわからない。
「それって『蒼洞のアゼリア』のところのクランの事ね。確かにテムリオ坊やなら誘われるかもね。マーガレットに相談してくれてありがとう。じゃあ、きちんとお話しするけれど、ぜひそのクランに入りなさい。それはきっとアゼリアがあなたに助けてほしいことがあるからよ。アゼリアの相談相手になってあげなさい。テムリオ坊やの一番心強い相談相手が、このマーガレット様というのと一緒よ。」
うーん、一緒なのか。じゃあクラン入りはやめておこう……。というのは冗談。だけど、そうなのかも。何もなしに、僕なんかを必死に勧誘するはずないもの。心の相談相手くらいにはなれるかな。
「あんなに、誰からも最高の剣の達人なんて思われて持ち上げられていたら、弱さをさらけ出せる相手なんていないのかもね……。」
ポツンと言ってみたら、マーガレットはちょっとだけ首をかしげた。
「そういう意味じゃないわよ。まあそのクランのアジトに行ってみればわかるんじゃないかしら。悩むよりも、まずはちゃんと自分で確認してみることよ。」
そうだよね。僕のいつもの悪い癖だ。面倒な事はすぐ後回しにしようとして、考えるのを避けてしまう。
でも、そうはいっても、やっぱり僕が気に入られているのはペットとしてだよね。それ以外に考えようがないもの。
「それと、もしクランの仲間になるなら、必ず剣を持ちなさい。確か領主様直属のクランでしょう? 冒険者が、丸腰で領主様に謁見なんて、そんな失礼なことはできないわよ。謁見の場では剣を預けるにしても、最初から持っていないのとは全然違うわ。」
えっ、そういう決まりごとがあるの?
「そのときはこのマーガレット様が、腕利きの武器職人を紹介してあげるわ。普段はこのお店のアクセサリーを作ってる鍛治師なのよ。でも元は武器職人。今はわけあって作っていないけれど、マーガレットに惚れてるから、マーガレットの頼みなら断らないわ。腕は領都一と保証する。」
そういうことか。商売上手だよね。
僕は、いらないと言えずに押し売りされた『ぷくぷくストロー』をウエストバッグにしまい込むと、地図を頼りに『蒼の誓』クランのアジトを目指した。気が変わらないうちに行かないと、もう二度と行けないような気がしたからね。
そこは鉄製の格子の門を構えた中規模のお屋敷だ。しかも門の右側には警備員が立っていて、外観はどうみても中級貴族といった雰囲気。中級と下級の貴族の屋敷の違いなんて知らないけどね。そんなイメージというだけの話だよ。
「あのう俺テムリオっていいます。ここは『蒼の誓』のアジトで良かったですか。今日はアゼリアさんいますか?」
僕が門の前をうろうろしていても、何の反応もないので、仕方なしに僕の方から門番と思われる警備員に尋ねてみた。
でも門番は僕を一瞥しただけで、完全に無視している。
まあ、無理もないか。
アゼリアに10歳の子どもがいるなんて思わないだろうし、アゼリアのファンがサイン欲しさに押しかけてきたとでも見えたのだろう。
しょうがないから、少し待っててみよう。クランの誰かが通りかかれば、『珍獣』を見る目だったひとが、僕のことを思い出してくれるだろう。
そうして門番のいる反対側に移動して、塀にもたれかかって腰を下ろすと、誰を待つでもなく、前の通りを行き交う人を眺めて過ごすことにした。
門番はそんな僕を追い払うでもなく、まるでいないものとして扱っているように、相変わらず一点の方向を見ている。
たぶん30分くらいはそうしていたと思う。でも誰も来ないみたいなので、今日はいったん帰ろうと思い、「どっこらしょ」とオヤジみたいなかけ声で立ち上がると、お尻をパンパンしてから門番のところにもう一度行った。
「すいません帰りますので、アゼリアさんが帰ってきたら、テムリオが訪ねてきたって伝えておいて頂けますか。」
聞いているのかいないのか、全くわからないまま、門番にそう伝えて帰った。
結局、最後の最後まで無視されたままだった。




