44.魔鳴猫と、少女と、お母さんのお菓子(5)
日本では司書補は国家資格です。
「はい、マルグリットさん、ベイクドチーズケーキよ。食べてみて。それとね、こっちは、今日何年かぶりに作った『魔鳴猫の舌』というお菓子よ。できたら感想を聞かせてね。」
夢中で『農薬』や『唐辛子』について質問攻めしているマルグリットに、一呼吸入れるよう促すかのように、お母さんが試食用のケーキとお菓子を差し入れてきた。
あれっ? これはラングドシャだ。この細長い楕円形は見覚えがあるし、この白に茶色の縁取りがあるのも全く一緒。
あの何でも手作りが大好きな叔母さんが、こんなには形が良くなかったけれど、時々作っては手土産に持ってきてくれたので、見間違うはずがない。一口食べてみて確信した。まちがいないよ、これはラングドシャ、懐かしいなぁ。
ラングドシャの最大の特徴は、この白さ。この手のお菓子を作るときは全卵を使うんだけれど、ラングドシャは贅沢に卵白だけを使う。だから勿体ないので、叔母さんはラングドシャを作る日には、必ず卵黄だけで作るマヨネーズも一緒に作って持ってきてくれていた。
防腐剤が入っていないマヨネーズは、数日も持たないから、いっぱい作って持ってきてくれても、我が家じゃどうして良いかわからないまま、賞味期限切れになって大半廃棄してたのは内緒だ。
確かに今日の夕食には、やたら黄色い色をした卵焼きが出てきていたから、お母さんも卵黄の扱いに困ったんだね。
そうだ、叔母さんが、「このお菓子はフランスに昔からある伝統菓子で、ラングドシャと言って、フランス語で『猫の舌』って意味なんだよ。日本に入ってきて、これを四角い形にして二枚重ねし、間にチョコレートを挟んで北海道の有名なお土産品にしてたりしてるけど、元をたどればみなラングドシャ」なんて話していたっけ。
「へえ、面白い名前のお菓子ですね。それにしても、とっても上品な味のお菓子ですね。絶品です。」
「この色が、魔鳴猫の舌の色と全く一緒なのよ。白い舌の縁が茶色い色をしているところまでそっくり。きのうお店に魔鳴猫が迷い込んできてね、それで、そうそう昔よく作っていたって思い出したのよ。」
そうなんだ。お母さんは魔鳴猫を見て、ラングドシャを思い出したんだね。僕は当然ながら陶器製の招き猫を思い出したけど。耳が赤いところもそっくりだったから。
「下世話なお話をして、大変申し訳ありませんが、この『魔鳴猫の舌』なら、貴族の茶会の主役になること間違いありませんので必ず売れると思います、ベル……エルシェさんのお母様。」
「そう? ありがとう。マルグリットさんの太鼓判はとっても心強いわ。……でも」
「でも? でも、どうしたのお母さん」
何か問題でもあるのだろうか。こんな美味しいお菓子なのに。
「時間がたつと、こうやって堅くなるでしょう? これ、ちょっとした刺激でも端のほうが欠けちゃうのよ。家で食べるなら何の問題も無いけれど、お茶会の貴族には見栄えが悪いと思うの。」
なんだそんなことか……。
「お母さん、できたてのときは、このお菓子はしっとりしていてやわらかいんでしょ?」
たぶん間違いない、叔母さんが言ってたもの。
「そうね、できたてのまだ温かいうちは、しっとりしていて柔らかいわ。」
「そのときなら柔らかいから曲げても欠けないよね。だったら冷めないうちに、横長のあたりをくるくるっと巻いて、長い棒状にしたら?」
ラングドシャ・ロールのことだ。これなら、元の世界では洋菓子の詰め合わせセットの定番商品だから、知らない人はほとんどいないって言えるほど有名なお菓子だった。名前は売り出したメーカーが、みんな独自の名前をつけていたけれど、正式名称はラングドシャ・ロール。
丸めることで欠けにくくなるから、ラングドシャといえばラングドシャ・ロールのこと、というほどメジャーだった。
「まあ、テムリオは凄いわね。良くそんなことが思いつくわね。」
僕が思いついたわけじゃないけれどね。ちょっと後ろめたいけれど、それは言えない。
「もしかしたら、それも『威圧』で考えたのか?」
マルグリットが唐突にそう聞いてきた。なんだか『威圧』って言葉が聞こえるときって、いつも突然だね。
「その『威圧』って言葉は、何度も聞いたけど、何のことなの?
マルグリットは知ってるみたいだね。オダルティ村で知り合った、洗濯魔法が使えるおばあさんに、『それは魔法を使わないで奇跡を起こす力のことです。』って言われたけれど、そういうことなの?」
するとマルグリットは少し困った顔をしながら口を開いたのだけれど、そこから出てきた人の名前に、二度驚いた。
「悪いが私も本当の意味はわかっていない。でも図書館の先輩の人が、あの蒼龍を倒した蒼洞のアゼリアさんが、その直前まで、毎日図書館通いして古い書物を読んでいたって話をしていたのを聞いたんだ。」
おお、アゼリア! 気にはしてたけど、もしかしたらただの気まぐれで一時僕のことをペットみたいに可愛がっただけかもしれないから、あまり考えないようにしようって思ってたんだよ。
でも蒼龍を一刀で倒したってアゼリアのイメージと、図書館通いしていた勉強熱心なアゼリアとじゃ、どんなに頭の中で想像しても結びつかない。
「もし蒼洞のアゼリアさんが、蒼龍を倒した力を古い本で身につけたのだとしたら、私も調べてみたいと思い、ソレイヌお嬢様の護衛になったのを機会に毎日閉架図書にある古い書物を読みあさっていた。おかげで、本が好きなのかと誤解したお嬢様に勧められて司書補の資格を取ってしまったが。」
「司書補って正式な資格だったの?」
「何だと思っていたんだ。司書になるには司書補の資格を取って経験を積む必要があるんだ。ソレイヌお嬢さんだって元は司書補だった。」
話をそらしてしまった。ごめん、話を元に戻してって心の中で考えたら、マルグリットも気がついたみたいだ。
「それで、始まりの王について書かれた古い書物の中から『威圧』にたどり着いたんだ。だから魔力を持たないテムリオも『威圧』の力を使ったんじゃないかと思って、今日はテムリオに質問攻めしてしまったけれど、申し訳なかったな。」
「始まりの王について書かれた古い書物には、『威圧』って何だって書かれていたの?」
「始まりの王には、魔力を使わずに人々を幸せにする力があって、その力は魔物を『威圧』したと記されていた。でも、私にはまだ『威圧』が何か理解できていない。」
興味深い話にふたりが夢中になっているのを、お父さんとお母さんとエルが、テーブルの向こうで、ニヤニヤしながら眺めているのに気がついた僕は、話に夢中になってるマルグリットが、僕のほうに身を乗り出して大接近しているのにようやく気づいて慌てた。
マルグリットも、そんな僕の様子に気づいて、自分の格好がはしたない格好だと思ったらしく、急いで椅子に座り直した。大丈夫、僕はマルグリットの顔以外に目をやってなかったから、ゴミ目で睨まれることだけはなんとか避けられた。
ちょっと間の悪い空気が流れたのを感じたのか、エルが話題を変えてきた。
「マルグリットさんの貴族のおうちって、エルシェのおうちより大きい?」
「いいや、それほどの家じゃない。貴族と言っても騎士爵だから名ばかりだ。本来、騎士には爵位がないので、他領に行けば貴族としてさえ扱われない。だから平民の家とどこも違わないよ。使用人だって五人しかいない。」
五人もいるんだ!
比べてる平民の家って、たぶん豪商かなにかの家だよそれ。
「そうなのね。エラミス騎士爵様って、もしかしたら騎士団の役付の方かしら?」
お母さんも、おっとりと話の輪に入ってきた。騎士爵も騎士団も何も知らない僕だけが、話に入って行けなそうだ。
「はっ。第二騎士団の副騎士団長をやっております。」
マルグリットは、お母さんと話をするときは、元の口調に戻る癖があるよね。
「まあお父様は立派なお方なのね、マルグリットさんが真っ直ぐな人なわけがわかるわ。」
マルグリットは、恥ずかしそうに下を向いて、赤い顔になった。下を向きながら、なぜか僕の方をちらっと見てきた。恥ずかしいから見るなって意味なのかな。でもゴミ目への仕返しに、しっかりと見させてもらう。『マルグリットは超恥ずかしがり屋』と頭の中のメモ帳に書き込んだ。
「ところで、このお菓子、ベイクドチーズケーキじゃないほうですけれど、私は初めて食べましたけれど、エルシェさんのお母様は、これをどこで知ったのですか?」
うんうん、「エルシェさんのお母様」って言わないと、変な誤解の空気になるからね。「お母様」だけとか「テムリオのお母様」なんて言ったら、お母さんが「あら、わたしマルグリットさんから、お母様って呼ばれたわ」なんて、勘違いして喜びそうだもの。
「それはね、昔住んでいた家のお隣の方に教えてもらったの。私も知らないお菓子をいろいろと知っていてね、いつもお邪魔して一緒に作ったのよ。だから私のお菓子は全部その人から教えてもらったものよ。」
貴族って言葉は避けてるけど、その人は、お隣の貴族のお屋敷にいた専属のパティシエのことだねきっと。マルグリットをみると、たぶんマルグリットもそう受け取ったみたいに、納得顔で頷いてる。
「でしたら、貴族向けのお菓子をたくさん作ってお店で売ってください。私、仕事の帰りに毎日でも立ち寄りたくなるくらい、このお菓子を気に入ってしまいました。」
マルグリットの顔が、エルみたいに、お菓子大好き少女の顔になってる。
「司書のお姉さんも誘って一緒に来てね。」
エルも同じ顔をしてマルグリットに話しかけた。
ひとり増えただけで、いつも楽しいダイニングが、より賑やかになった。マルグリットが予想以上にドレッシーな格好をしていたのも、家の中を明るくしていたようだ。
マルグリットからは、今度一緒に古い書物を研究したいからぜひ図書館に来てほしいと、かなり熱心なお誘いを受けてしまった。圧倒されて思わず頷いてしまったけれど、エル、そこで変な笑みを浮かべるんじゃありません。
元の世界の人生もあわせて、女子から誘われたのは生まれてはじめてだよ。場所は図書館だけどね。これってやっぱり魔鳴猫の効果なんだろうか。
翌朝、お店には、試作品と断りの入った『魔鳴猫の巻き舌』という噛みそうな名前のロール状のお菓子が飾られていた。
お店が始まると、すっかり元気になったエルの親友のルシアが、お母さんと手をつないで笑顔でパンを買いに来た。お店から見える位置のダイニングにいた僕に気がついたら、はにかむように小さく手を振ってくれた。
一緒に誘われてきたらしいサラも後ろから入ってきた。サラは「魔鳴猫の飼主が見つかって帰っちゃった」と残念そうに話してる。
お母さんが試食用の『魔鳴猫の巻き舌』を、エルとルシアとサラに、ひとつずつプレゼントしてあげると、三人はお店の前の縁台で、なにやら楽しそうに話しながら、お母さんの新作お菓子で「お茶会」をはじめた。




