42.魔鳴猫と、少女と、お母さんのお菓子(3)
クリンソウは、芯の一本がすっと真っ直ぐ伸びていて、その凜とした気品有る姿が大好きです。
ご近所探検に出かけたけれど、特に収穫もなく家に戻ってきた。
お父さんはオーブンで午後用のパンを焼いていて、お母さんはお店が忙しいらしく、ダイニングは誰もいなかった。
お父さんのお手伝いは、忙しい時間にはかえって邪魔かもしれないと思って、お店の方に顔を覗かせて「お母さん、手伝おうか?」と聞いてみたけれど「ううん、大丈夫よ。テムリオは今日はずっとゆっくりしていなさい。」と気をつかわれてしまった。
やっぱり冒険者ギルドに行って依頼掲示板でもみてこようかな……。
こういうとき無趣味は本当に何していいかわからなくなる。せめて日曜大工の趣味でもあれば、あの棚がちょっと傾いてるのをなおしたり、壁の漆喰が剥がれかかってるのを補修したり、いろいろと一日潰せるくらいのものはあるのに。
お使いくらいならあるかもしれないけれど、残念ながら、日用品を売っているお店すら知らないから、今の僕には無理だ。
「ねえお母さん、オダルティ村のお土産で一味唐辛子をもらってきた話をしたけど、あれをいれて、料理の上に振りかけるって入れ物は家にある?」
ダイニングからお店のお母さんに話しかけた。
「なあにそれ、入れ物ならあるけれど。入れ物ごと料理のうえで振ると、料理に一味唐辛子がふりかけられるって意味?」
「そうだよ。そういう小さな入れ物があれば、テーブルの上に置いておくだけで、使いたい人が好きに振りかけられる。」
元の世界にいたころの僕は、一人暮らしだったけれど、コンディメントセットという香辛料入れを買ってきて食事の時はテーブルに置いたので、そのなかに七味唐辛子入れもあった。でも考えてみたらほとんど使わなかったかも。
「そうね、うちじゃ使わなかったからないけど、もしかしたらお店に売ってるかもしれないわね。あとで行ったら見てみるわ。」
はあ、売ってるかもしれないよね。竹のようなのがあったから、ないなら手作りでもしようかなって思ったけれど、やっぱりやめておこう。隙間からこぼれて悲惨なことになると思うから。
そんなことを考えながら、「はあ暇だー」と、テーブルの上に頭を乗せていたら、「お母さん、ただいま」というエルの声が聞こえてダイニングに入ってきた。図書館から帰ってくるの、結構早かったね。
「あ、お兄ちゃん帰ってたの? お母さん、お兄ちゃんがルシアを泣かせたって。」
えっ、何突然。
「あら、そうなの。最近お兄ちゃんはとってもおとなしくていい子になったから、乱暴はしなくなったと思っていたのに、困ったお兄ちゃんね。」
お母さんの声は、いつもの優しい声だったけれど、もしかしたら叱られるのかな。でもエルそれは勘違いだからね。まあどうでもいいけど。
テーブルに突っ伏したまま、エルのほうをみたら、エルが、あかんべーをしていた。この世界にも、あかんべーがあるんだね。
「おにいちゃん、ルシアの相談に乗ってくれてありがとう。サラの家に寄ったら、テムリオお兄ちゃんが優しくしてくれたって、ルシアがエルシェに抱きついて、わんわん泣いてた。サラが、お兄ちゃんが優しくしたから、余計泣きだしたって困ってた。」
ああそういう事ね。
「家に帰ったら、お父さんとお母さんに、ちゃんと謝って、自分の気持ちもちゃんとお話しするっていってたよ。」
「そう? なら、よかった。ルシアっていいこだね。」
するとエルが衝撃的なことを言った。
「うん、あとでお兄ちゃんがそう言ってたって話しておくね。ルシアはお兄ちゃんが『ハツコイ』の人だから、また泣いちゃうかも。」
……えっ! 聞いてないよ、そんなの。どおりで横に座ったら慌てていたはずだ。
ごめんねルシア、デリカシーの無い男で。
「あとね、今日図書館に行ったら、マルグリットさんに、お兄ちゃんのこといっぱい聞かれて驚いちゃった。あんなにお話しする人だったんだね。唐辛子の依頼が上手くいったのかって気にしてたから、あとで報告に行ってきたほうがいいよ。」
へえ、僕をゴミ扱いの目でみてたのに意外だな。
「そろそろお昼ご飯の支度するわね。ふたりともお手伝いしてくれる?」
お店の客が一段落したようで、パンを焼きながらのお父さんと交代して、お母さんがダイニングにやってきた。
僕が一人用の麻布でできたランチョンマットを置いてカトラリーを並べると、お母さんが、朝のうちに作ってあった肉と香味野菜のブイヨンスープを少し温めたものと、燻製肉のスライスを乗せたお皿、それにチーズの小皿を持ってきて、テーブルに並べた。
あとはエルがお店の堅焼きパンを切って持ってくると、お昼ご飯の準備は完了だ。
テーブルの中央には、食事のたびに、白い野草が一輪差しの花瓶にいけてある。
忙しそうに動いているのに、そんな手間を惜しまないのが、お母さんらしい。
食事をしながら、お母さんがきのうのベイクドケーキについて話を始めた。
「テムリオが言ってくれたので、いちどお母さんのベイクドチーズケーキをお店に置いてみようかと思うの。売れなくてもいいのよ。パンのお仕事の邪魔にならない程度に作って並べてみるだけだから。」
「お母さん、あれは間違いなく売れると思うよ。貴族相手でも売れるような気がする。」
「ええ、そこが問題なのよ。ここは下町でしょう。貴族が買いに来るようなお店じゃないもの。でもだからといって近所の人が駄菓子を買うような値段では売れないから、どっちつかずになっちゃう。」
するとお父さんが、お母さんの援護をした。
「いいじゃないか。売れ残るのを承知で貴族相手の値段で売って、残ったらパンを一杯買ってくれたお客さんに配ったっていい。安い値段で売り出して、売れるようになったら高くするなんてできないんだから、最初からこの値段で売れればしっかりと利益が出るという値段を決めておいた方がいいよ。あの味なら、それでも欲しいという客は必ず来るようになると思うぞ。」
エルも大賛成って言いながらパンを食べていた。僕も賛成だ。あれだけ美味しければ、絶対にお菓子好きな貴族のおばちゃんの耳に入る。そうすりゃ、いくら遠くたって貴族は買いに来るよ。
「じゃあ、一種類だけじゃ寂しいから、他にもいくつかベイクドケーキ作ろうかしら。」
「ああ、お母さん。それもいいけれど、大変じゃない?
日持ちしないケーキが売れ残ったら大変だから、売れるようになったら考える事にして、今はクッキーのような日持ちするお菓子を作ってみたら? それならケーキを買ったお客さんに、こっちもどうですかって勧められるよ。」
そう言ったら、すこしだけ考えている顔をしてから、「そうね」とお母さんは頷いた。
「実は、今朝急に若い頃作っていたお菓子を思い出したのよ。あれ、よく作っていたなって懐かしかった。今日試しに作ってみるから、夕飯の後で試食して感想を聞かせてくれる?」
「はあい!」と、食いつきのいいエルがさっそく釣れた。
そういえば、オダルティ村に依頼でいくことになったのは、図書館での出来事がきっかけなんだから、帰ってきた報告は図書館にも言いに行ったほうがいいかも。とエルの言葉を思い出して、午後は図書館に行ってみることにした。
「こんにちは。お久しぶりです。エルシェの兄のテムリオです。いつかは騒々しくして申し訳ありませんでした。」
図書館のカウンターで、司書のソレイヌさんにご挨拶をした。
相変わらず、ソレイヌさんの隣には、無表情のマルグリットが、僕がソレイヌさんに挨拶しても、こちらを向こうともしないで直立不動で立っていた。カウンターの向こう側には椅子があるのに、なんで立ってるんだろう。
「あら、エルシェさんのお兄さん、お元気ですか? 聞きましたよ、あの唐辛子の害虫駆除の依頼、無事完了して帰っていらっしゃったんですってね。マルグリットが、毎日心配して、そわそわしていたんですよ。」
すると、それまで無表情に立っていたマルグリットが、突然慌てたように両手を顔の前で振りながら叫んだ。
「お嬢様! それは言わないでくださいってお願いしたのに。別に心配したわけじゃなくて、唐辛子の害虫駆除を白色ギルドカードのテムリオ……さんが、どうやってやるのか、ぜひ知りたいと思って、楽しみにしていただけです。」
「えっマルグリットって、俺の白色ギルドカードの意味を知っていたの? 全く無反応だったから知らないのかと思ってた。でも『楽しみにしていた』って嬉しいなマルグリット。」
これでもあの詐欺師の影響で少しは口が達者になったんだよ。ちょっと得意げにマルグリットの方を見たら、途端にマルグリットは、直立不動に戻ってしまった。やっぱり僕には無理か。なら、これではどうだ……。
「そうだ、マルグリット。それなら『農薬』について詳しく話をするから、そのかわり、俺のお母さんが、貴族向けのお菓子を作る話をしてるので、持ってくるから、貴族として感想を聞かせてくれないかな。それとも夜俺の家に来ても大丈夫なら、一緒に夕食を食べた後で試食会に参加してくれればもっと嬉しいけど。」
「まあ素敵だわ、マルグリット。良かったわね。ベルティエラ様のお宅のディナーにテムリオさんから正式にお誘いされたのよ。絶対にお断りできないわ。おうちには私から使いを出しておくから、仕事が終わったら真っ直ぐベルティエラ様のお屋敷に向かいなさい。」
いや、そんな大げさなこと言ったつもりは……。お屋敷なんてどこにもないし。貴族の家の馬小屋より小さい家だし。
「はっ、お嬢様のお指図でしたら喜んでお誘いを受けますテムリオさん。お屋敷の場所は先日聞いたからわかります。」
えっと、嬉しいのか迷惑なのか表情からはまったく読めないけれど、たぶん喜んでくれてるよね、マルグリット。
でもそういうことなら、早めに帰ってお母さんに事情説明しないと、お母さんがパニックになっちゃうよ。
「でもマルグリット、ベルティエラ様のお屋敷では、決してベルティエラ様ってお呼びしちゃ駄目よ。おうちには、私からの大切な御用で遅くなります、もしかしたらお泊まりになるかもしれませんって伝えておくわね。」
ソレイヌさんが意地悪そうな笑顔でマルグリットに言ったら、冗談が通じないマルグリットが、真っ赤な顔で「お泊まりはしません!」と叫んだけど、声がひっくり返ってた。
思わず、エルと川の字で寝ているところを想像してしまい、首を振って消したけれど、マルグリットにその様子をしっかりと見られ、今日はサラに続いて二度目のゴミを見る目をされてしまった。




