40.魔鳴猫と、少女と、お母さんのお菓子(1)
新しい章です。
魔鳴猫が登場します。
久しぶりの我が家だな。
とはいうものの、よくよく考えてみたら、この家で過ごしていた期間とオダルティ村で過ごしていた期間は、ほとんど一緒なんだけれどね。
でも、やっぱり短い期間とは言え、もうすっかり感覚的にも我が家って実感があるから不思議だ。
「ただいま、お父さん、お母さん。冒険者ギルドの依頼は全部終えてきたよ。」
エルがお店のほうから家の中に入っていったので、つられて僕もお店の入り口から入ってお父さんと、お母さんに挨拶した。
「お帰りテムリオ。ご苦労様でした。荷物を置いて手と足を洗ったら、すぐにみんなで夕食にしましょうね。」
お母さんが優しく声を掛けてくれた。お父さんは、「よく頑張ったな」と、一言だけ褒めてくれた。
僕は「うん」とだけ答えて二階に上がっていった。エルはそんな僕にべったりくっついたままだ。
「エル、寂しかった?」
「ううん、ぜーんぜん。それよりお兄ちゃんほうでしょ、エルシェがいないって毎晩泣いていたのは。」
泣いてたんだね……。
久しぶりの家での夕食は、僕がオダルティ村での出来事をいろいろと話すのを楽しそうに聞いている家族の和やかな一時で過ぎていった。
「あのね、お兄ちゃん、今日ねエルシェはサラとルシアの三人でこの間と同じ所に薪拾いに行ってきた。もう八歳だからね。お兄ちゃんがいなくてもひとりで薪拾いに行かなくちゃね。」
えーっ、たった一週間で大人っぽいことを言うようになっちゃった。それは困るな。最低でも成人の儀式まで、あと二年は可愛い妹に甘えられてデレデレになっていたい。
前のお兄ちゃんと違って、今の僕は全く頼りがいのない何も知らないお兄ちゃんだし、自分がしっかりするしかないって思ったんだろうね。
ひとしきりエルの薪拾いの話題で盛り上がりながら、お母さんの美味しい手作り料理を堪能した。
「そういえば、テムリオ、魔玉オーブンが直ったのよ。久しぶりにベイクドケーキを焼いたのだけど、まだ食べられる?」
「うん、スイーツは別腹だから食べられるよ、お母さん。」
「エルシェも別腹で食べたい。」
「お母さんの焼いたベイクドケーキは絶品だからな。お父さんも食べたいな。」
ということで、夕食の後はベイクドケーキでスイーツパーティになった。
僕はお母さんのベイクドケーキを食べるのは初めてだけど、家族でよく食べているらしかったので、当然知っているふりをして出てくるのを待っていた。
やがて「お待ちどおさま」と言いながら、大きなお皿にまん丸のベイクドケーキが乗せられたものを持ってきた。
ベイクドケーキと言ってたから普通のスポンジケーキが出てくるものと思っていたら、これはベイクドチーズケーキだ。チーズの香りもするし、形も僕が知っているベイクドチーズケーキと全く一緒。
結構大きいけれど、お母さんはためらうこと無く四等分して、一切れずつお皿に載せ替えてデザート用のフォークを添えて配ってくれた。
「お母さんって本当にケーキが上手だね。お店で売ればいいのに。」
思わず感嘆の言葉が出てしまった。お母さんは、まあ、と言いながらまんざらでもなさそうな笑顔だった。
一口食べてみてさらに驚いた。これは本格的な味だよ。元の世界の記憶にある、どのチーズケーキより美味しい。特にとろけるほどの柔らかさは、スプーンが必要と思うほどだ。
ベイクドチーズケーキなのに、まるでレアチーズケーキのような柔らかさを感じる。
「お母さん、この爽やかな酸味はチーズの酸味じゃないよね。何を使ってるの?」
興奮して思わず聞いてしまってから、あっいけない、元のテムリオって、たぶんそんなに繊細な味のわかる少年じゃなかったような気がすると気がついた。
「あら、よくわかったわね、これは『すだち』の皮をすりおろしたものと、果汁をほんの少しだけ加えてるわ。」
ほっ、お母さんは疑ってはいないみたいだ。テムリオの中身が実は別人なんてバレたら、この幸せの光景は一瞬にして地獄になっちゃうからね。
僕が興味を持ったのが、よほど嬉しかったのか、お母さんはそれから延々と、ベイクドチーズケーキのレシピを教えてくれたけれど、ごめん全く理解できなかった。
翌朝。やっといつもの日常が帰ってきた気がする。
日課になっていた店先の掃除をしようと店のドアを開けた。
すると、開けるのを待っていたかのように、突然足元を白い物が通り過ぎたと思ったら、止める間もなくお店の中に入っていった。
「あっ、お母さん、何かお店の中に入った!」
慌てて追いかけたけれど、すばしこいその生き物は店の奥に入っていってしまった。
「あらあら大変。パンの上に乗ったら、パンが台無しになってしまうわ。無理に捕まえようとすると暴れるかもしれないから、上手にお店の外に追い払いましょう。」
お母さんが冷静に言ったので、僕はその生き物の向こう側にそっと回り込んで、お母さんと一緒に慎重にドアの方に誘導した。
「えっこれって猫じゃないの?」
真っ白い、ふかふかした毛並みの猫だった。それも、見るからに血統書がついているかのような、優雅な感じの猫で、なぜか耳の内側だけ赤い。暴れる様子も無く、静かにしていたので、ほらほらと手で追い払うようにしながら、少しずつドアのほうに追い立てていった。
「エルんちのおばちゃん、魔鳴猫がお店の中に入っていったでしょう!……わあ、いた!」
元気な声の女の子が、お店の中に入ってきた。
「あっ、だめだめ、静かに。」
僕が制止する間もなく、女の子は猫に向かって走っていくと、両手で簡単に捕まえて抱き上げてしまった。
「まあ、人にずいぶん懐いているのね。サラの家の魔鳴猫なの?」
お母さんが、その女の子の名前をサラと呼んだので、ああ、エルと薪拾いに一緒に行った仲良しの女の子の一人だと気がついた。エルには遠く及ばないけれど、まあまあ可愛い女の子だ。やっぱり八歳くらいなのかな。そりゃあ兄馬鹿だものエルが世界一可愛く見えるのは勘弁してもらおう。
「ううん、家の魔鳴猫じゃない。昨日突然サラの家に入ってきたの。お母さんは『迷い魔鳴猫』って言ってた。餌をあげてかわいがってあげていたら、急にお外に出て行ってしまって、追いかけてきたらエルの家のお店に入っていくのが見えたから来たのよ。」
さっきから、その呼びにくそうな魔鳴猫って何?
どうみてもただの猫だよね。『迷い魔鳴猫』なんて、余計呼びにくいし。普通に『迷い猫』でいいんじゃない?
「そうなのね。どこかのお宅の飼い魔鳴猫かしらね。どこのお宅の魔鳴猫か、サラも知らないの?」
だからお母さん、『飼い魔鳴猫』も言いにくいって。『飼い猫』でいいと思うよ。なにか言いにくいのをふたりして楽しんでない?
「魔鳴猫って、魔物なの?」
「魔」って付くからには魔物なんだろうな。でも魔物が街の中をうろうろしてるって、かなり物騒だし、可愛い女の子のサラが、魔物を抱っこしてる光景って結構カオス。
「えーっ、テムリオお兄ちゃん、魔鳴猫知らないの?」
サラが、思いっきり軽蔑したような顔になった。
「うん、知らない。初めて見たよ。魔鳴猫って猫だよね。」
すると、お母さんとサラが、交互に魔鳴猫について教えてくれた。
それによると、確かに魔物の猫の事で間違いなかったみたい。魔物じゃない普通の猫もいるみたいだけど、普通の猫は飼うと外からネズミや蛇を捕まえて家に持ってくるので、あまり好かれていないんだって。
それに比べて魔鳴猫は草食動物なので、そういったことはなく、おとなしくて人に懐くので、飼っている人は結構多いそうだ。
確かに放し飼いの飼い猫って、そういうのを捕まえてきては、「褒めて」といった顔で、飼い主のところに持ってくるよね。最近は本来の猫を飼う目的はなくなって、愛玩動物になってしまったから、放し飼いにする家はなくなったけれど。
「それで、魔鳴猫はどこが魔物なの?」
と続けて聞いてみたら、もうすっかりあきれ顔のサラが、自分より小さな子に教えてあげるような口調になって教えてくれた。
「それはね、魔鳴猫は、鳴き声が魔物だからよ。わかった? テムリオお兄ちゃん。」
うーん、正直言ってその説明じゃわからないよサラ。でもせっかく教えてくれたんだからお礼はちゃんと言わないとね。
「ありがとうサラ。よくわかったよ。サラは教え方が上手だね。」
そう言うと、「フン、あたりまえよ。わたしは成人の儀式を終えたら日曜学校の先生になるんだから。」とまんざらでもなさそうな顔になった。憧れの職業ナンバーワンなんだろうね。
でも、ちゃんとお母さんが補足してくれた。
魔物かどうかは死んだとき魔石になって消えるかどうかで判断するのだそうだけれど、魔鳴猫の『魔鳴』は、魔物だから付いた名前というのじゃなくて、鳴き方が人を襲うような恐ろしい魔物の鳴き方をするから、だって。
だから防犯になるので飼っている家もあるのだそうだ。よく吠える犬も番犬になるよね。
「昨日なんかね、お父さんが居酒屋で飲んで帰ってきたら、魔鳴猫が鳴いたので、あわてて逃げてったよ。お母さんが、お仕置きになったねって笑ってた。」
サラが、魔鳴猫を抱いて、思い出し笑いしながら話してくれた。
サラに抱かれて、首のあたりをなでられ、気持ちよさそうなゴロゴロが聞こえてる。
あれっ? 猫の目って、あんなだった?
大きな黒い瞳で白目のところが金色に光ってる。
「じゃあ、飼い主がみつかるまで、サラのところで預かるの? お世話は大変よ。魔鳴猫は気まぐれだから、急にいなくなっちゃうもの。」
「うん、お母さんがね、迷い魔鳴猫は縁起がいいから、置いといてもいいよって言ってくれた。」
どうして縁起がいいんだろう。
僕が不思議そうな顔をすると、それもお母さんが補足してくれた。
「魔鳴猫は、時々前足で顔を洗う仕草をするのよ。その仕草が、まるで『おいで、おいで』をしてるようで、商売をしている人には、お客を呼び込んでくれるので縁起がいいと思われているのよ。『招き魔鳴猫』って言われているわ。」
お母さん! その早口言葉みたいな言葉遊びはもういいから!
ためしにお母さんの真似して『招き魔鳴猫』って言ってみたら噛んだ。
「縁起物なら、この店でも飼わないの?」
「それは無理よ。うちは食べ物を扱ってる店だもの。ペットは飼えないわ。エルシェがこういうのが大好きだから、ちょっと可哀想だけど我慢してもらわないとね。」
「そういえば今日はエルはお留守?」
サラが魔鳴猫に頬ずりしながら聞いてきた。
エルの方が可愛い。エルの方が可愛い。と自分に言い聞かせるように心の中で繰り返した。
「ええ、今日も図書館に行ってるわ。薪拾いが無い日はたいてい図書館に通ってるのよ、あの子。」
「そうなんだ。じゃあ、おばさん、テムリオお兄ちゃん、また来るね。」
サラは、抱っこしてる魔鳴猫の前足をつまんで、魔鳴猫がやっているかのようにバイバイするとお店を出て行った。
「サラも魔鳴猫も可愛かったね、お母さん。」
あらためて店の前を掃除しようとホウキを取りながらお母さんに言ってみたら、何か勘違いしたみたいに、あらっと言って笑顔で僕にウィンクした。




