37.農薬を売る男と、愛の魔法(9)
村人から一斉に大きな拍手が聞こえてきた。確かに村にとっては重大な関心事だったんだね。
「村に農薬を売ってくださったヴァリオ=フェルンベルグさんは、どうしても離せない用事があるとのことで、ここにはいらっしゃいませんが、『農薬』の散布は、彼から使い方をしっかりと学んでいたリゼッタにやってもらうことになっております。」
ええっ、リゼッタにやらせるのか。夜中に僕の作った農薬を混ぜてなかったら、大変なことになってたよ。
「なお村長からの提案で、『農薬』は霧状に散布することになっておりますので、霧魔法の使えるサーシンにも手伝ってもらいます。さあふたりに拍手を。」
再び大きな拍手がふたりに降り注いだ。
拍手に笑顔で応えたリゼッタの手には、希釈した速効性農薬が入った容器があった。唐辛子畑には確かに効き目があったけれど、他の作物にも効果があるかどうかはまだ未知数だし、農薬の希釈加減がいまひとつ自信がないので、作物にどんな悪影響があるかもわからない。正直かなりドキドキする。
いよいよ農薬散布が始まった。広場の横にある、特に被害の大きいソラマメ畑で試されることになったようだ。
周囲を村人達に囲まれて、リゼッタがソラマメの葉の近くに農薬の容器を近づけると、サーシンが、ふわっとした手さばきで容器から霧を作り出し、ソラマメの葉の裏表にまんべんなく吹き付けた。
この繰り返しが容器の中の農薬がなくなるまで続けられた。
……やがて、固唾をのんで見守っていた村人の中から、不審そうな声が聞こえてきた。
「『農薬』を掛けると瞬時に緑虫が消えてなくなると聞いたけど、全く消えていないぞ。本当にその『農薬』に魔力はあるのか? それともサーシンの魔法じゃ駄目なのか?」
それをきっかけに周囲から不審がる声が次々と出てきて、やがて収拾がつかなくなってきた。
そのとき、その声を蹴散らすような声がステージの上から聞こえてきた。
「農民の皆様、わたくしヴァリオ=フェルンベルグでございます。その『農薬』を作りましたのはわたくしです。でも大変申し訳ありませんが、実はあれは魔法の農薬ではございません。ただの濁った水です。手品で皆様を騙したのです。
私は人を騙すのが仕事の詐欺師でございます。お困りの皆様の心をもてあそぶようなことをしましたことを、心から反省し、お詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。」
ヴァリオは、実に潔く自分の犯した罪を壇上で認めた。
あまりの潔さに、広場を埋めた村人は、声も無く、どう捉えて良いのかわからないといった戸惑いの顔で茫然としてヴァリオを眺めていた。
こんな重苦しい空気の中でも、全く似つかわしくない青空が広がり、そよ風は、やさしく人々の頬をなでていた。
しばらくして、空の容器を手に持ったリゼッタが、よろけるような足で壇上に登っていくのが見えた。
「ヴァリオさん、あなたは……、あなたは……、私や、村長や、長老や、村の人みんなを騙したのですか?」
「……はい、騙しました。何も言い訳はしません。リゼッタ、心から謝罪いたします。
あなたのおかげで、長いこと目を背けていた自分の過去の分かれ道を思い出すことができました。
あのとき、……たぶん、振り向いていれば私の人生はきっと全く違う物になっていた。
でも、いまさら振り返ってもそこには何もありません。
私と似た境遇のあなたには、同じ道を歩いていただきたくない。
それだけを伝えたくて、いま私はここにいます。」
村人の視線は、自分たちを騙した憎き詐欺師にではなく、誠実に罪を認める男に、次の言葉を何とかけるのか、リゼッタの方をじっと見つめていた。
「私は……、私には、この村にもう居場所はないのです……。ヴァリオさん、村の人達をあおったのはわたしです。……あなたの罪は、私も背負って、村の皆様の石つぶてを一緒に受けますから、どうぞ、私をこの村から、外に連れて行ってください……。」
リゼッタの目から、涙があふれてきた。
「リゼッタ、そんな寂しいこと言わないでおくれよ。」
広場の中から、女の人の震えるような小さな声が聞こえて来た。
「そうだよリゼッタ。この村の者は、みんなリゼッタの家族じゃないか。」
別の声も聞こえてきた。
広場中の村人が、リゼッタ、リゼッタと、力なく呼びかけ始めた。
ああ、この息苦しさは何なのだろう。村人の前にいるのは、純真なリゼッタの心をもてあそんでいる詐欺師じゃないか。どうして村人はリゼッタの前に立ちはだかってあの詐欺師を強引に村の外に追い払わないんだろう。
もういいか……。やっぱり早めに村を出るんだった。
背負った荷物が急に重たく感じて、僕は広場から背を向けた。
「おいヴァリオ! 本当に改心して人様を騙すようなことは金輪際やめるというのなら、責任を持ってリゼッタを、望む街まで連れて行ってやってくれ。」
振り向いて壇上をみると、いつの間にかヘルドがそこにいた。
「ヘルド……」
力なくリゼッタがヘルドの名前を呼んだ。
「いいか、リゼッタは成人の儀式の日から今日まで、ずっと都会に暮らすのを夢見てきたんだ。そのリゼッタの夢を叶えると約束するのなら、リゼッタはお前に託す。」
「ヘルド私は……、ええそうね、私の夢は都会で暮らす事よ。いま夢が叶おうとしているのだもの、私は……嬉しいわ。」
リゼッタの顔に喜びは少しも浮かんでいなかった。
「ありがとうございます。ヘルドさん。私は逃げようと思えばお金を持って昨日の夜のうちに逃げられたというのに、全くもって、詐欺師としては失格ですね。
リゼッタ、本当にその覚悟でいいんですね。リゼッタも分かれ道で、振り返らないことを選んだという事ですか?
なら、その覚悟を私も受け止めたいと思います。
私に『良心』などという遠い過去に捨てたものを、ほんのひとかけらでも思い出させてくださったリゼッタを、裏切ることはもうありません。
リゼッタが望むのであれば、夢のような大都会にお連れして、リゼッタの夢を全てかなえて、幸せにすると固くお約束いたします。」
「そうか、それなら信じよう。もし裏切るようなことをしてリゼッタを不幸にしたら、地の果てまでも追いかけていくからな、覚悟しろよ。」
「はい言葉は心に刻んで決して忘れませんよ。ヘルドさん。」
「リゼッタ、本当にそれでいいのかい。」
広場のほうから、聞こえてきたのはリゼッタの育ての親のミルダの声だった。
ミルダは心底悲しそうな顔を浮かべていた。
リゼッタは一瞬寂しそうな顔を浮かべてから、無理に明るい顔をしていると誰にでもわかるような作り笑顔で答えた。
「うん、ミルダ、私はこれでいいの。長年の夢が叶うんだもの、とっても幸せよ。」
「自分の心にだけは嘘をついちゃいけないよリゼッタ。でもリゼッタが選んだ道なら私は応援してあげるからね。」
「ありがとうミルダ。いままで育ててくれてありがとう。……花嫁姿を見せてあげられなくてごめんね。」
ミルダはその言葉に、両手で顔を包んで嗚咽し、そよ風が、優しく慰めていた。
そして、その風は野菜畑の葉を、まるで波音のようにさらさらと音を立ててなでて去って行く。
その音は村人達を誘い、風の音に気づいたかのようにソラマメ畑に歩いて行った人達によって、その重苦しい空気は破られた。
「……この緑虫、全然動いていないぞ。まるでみんな死んだみたいだ。」
サーシンが噴霧して農薬を掛けたソラマメの葉を、さっきから、あちらの葉、こちらの葉と、ひっくり返してみていた男が、驚いた声を出した。
それを合図に、広場にいた村の人達も、一斉にソラマメ畑の方に殺到した。
「本当だ。動いている緑虫はいっぴきもいない。これは全部死んでるぞ。ほら農薬を掛けていない方の葉の裏を見れば、一目瞭然だ。こっちの緑虫は、気持ち悪いほどうごめいてる。」
ああ、やっと農薬が効き出したんだね。プランター君の話じゃ、アブラムシの呼吸器官はとても小さいので、油で塞がれると一瞬にして窒息死するのだそうだ。表面は油を弾くようにできているけれど、洗剤でその効果を消されるので、洗剤と油で作った農薬にはひとたまりもないという話だった。
「良かったね、リゼッタ。これで心置きなく村を出ることができるね。」
そう僕が小さくつぶやいたら、隣にいた老婆に声を掛けられた。
「これが転生者様の『威圧』の力なのですね。」
「えっ、グラサ!?」
グラサが僕の隣に、背筋を伸ばして凜とした格好で立っていた。 ……腰はどうしたの?
「私も転生者様のおかげで、魔力の流れが良くなり、ほれこの通り、腰の痛みもすっかり消えました。ありがとうございます。」
えっ、あのブラック企業化した僕の酷使のせいで、血行……じゃなくて魔行が良くなって腰の痛みが取れたってこと? それは感謝されればされるほど後ろめたいんだけど。
「今日は、始まりの王、転生者オダルティ様が、初めてこの村に降臨されたことを記念するお祭りです。転生者オダルティ様は、村人の前に、まるで行き倒れの旅人のような格好で現れたそうです。」
まるでその場に居合わせたかのように、グラサの話は続いた。
「村人の献身で元気を回復された転生者オダルティ様は、その『威圧』の力で村を豊かにしたのだそうで、それ以来オダルティ村ではどのような旅人でも手厚くもてなす習慣がございます。旅人は村に幸運をもたらすと伝えられているからです。」
ふうん、だからあんなひどい旅人のヴァリオであっても粗末には扱わないんだね。
「村をお救いいただきありがとうございます、転生者様。あとは、そのブレスレットの愛の力で、あのふたりが救われるのですね。」
えーっ、そんな面倒な話はしないでよグラサ。農薬の効果が見られて満足したので、もう帰ろうって思ってたところだったのに。
※本作はフィクションです。
登場する農薬の製法・使用法は物語上の演出であり、現実での再現・利用を意図したものではありません。




