36.農薬を売る男と、愛の魔法(8)
依頼の仕事はこれで終わった。
僕は鞄から冒険者ギルドで受け取っていた依頼完了報告書の用紙を取り出し、サーシンに差しだした。
「ここと、ここに日付を記入して、ここに署名してほしい。
実費・旅費・宿泊費は依頼料とは別払いで預かってるけど、まだ帰りの分が確定していないから、精算金は冒険者ギルド経由で返金されると思う。急いでる場合は、誰かに頼んで領都に来たついでにギルドで受け取ってほしい。」
と事務的に告げたら、サーシンが一瞬驚いた顔で僕を見つめたけれど、「お、おお、わかった」といって指示に従ってくれた。
感動に酔っているところを大変申し訳ないけれど、こっちは仕事できているんだからね。仕事が終わったら、急いで撤収だよ。
荷物を片付けて、明日朝に村を出ると二人に伝えて宿に戻った。
明日の村祭りを終えてから帰ったらどうかと勧められたけれど、丁重に断った。グズグズしていると、なんだか面倒なことに巻き込まれそうだからね。
宿の食堂で、かなり遅めのお昼ご飯を食べた。宿に泊まっている僕がお昼に来ないことを、宿のおかみさんが気に掛けていてくれたらしく、帰ったらすぐに、今日の定食だよと言って、あたたかいスープ付きのお昼ご飯を出してくれた。
この村は本当に人情味が厚くて好きだな。
明日朝に宿を引き払って帰りますと話したら、明日は村のお祭りだから、あと一日遅らせて帰りなよと、ここでも勧められた。けれど僕は「予定がありますので」と、にこやかに断った。予定はないけどね。
部屋に戻ると、新しいメモ用紙を使って、遅効性農薬と即効性農薬の、それぞれの材料と製法を、殴り書きだったメモから丁寧に書き写した。
それと、たぶん灰汁と廃油で、『石鹸』というものが作れるという話。
噴霧器とはこういう物という絵。
あと木酢液の作り方と、分離させるのに、遠心分離させる方法も絵に描いて添えた。
このメモを、明日の朝、宿の女将さんに「サーシンが来たら渡してほしい」と頼もう。
少し長居したせいか、センチメンタルな気分になって、二階の窓から村の景色を眺めていたら、見たくない人の姿が見えてしまった。
リゼッタと詐欺師のヴァリオが、相変わらず仲良く通りをどこかに向かって歩いている。
リゼッタは、ああいう、ちょっと危なそうな男に惹かれるのかな。それとも、何処までも心地良い言葉に酔いしれてるのかな。
ああ、僕ってなんて間の悪い男だろう。この先あの二人がどうなろうと、僕には一切関わりのないことで、面倒の臭い以外なにもしないというのに、どうしても気になって、階段を下りて、ふたりの後を追った。
ふたりが向かった先には、広い空き地になっていた。ああ、ここが広場って言ってた場所なんだね。広場の隅には納屋があって、ふたりはそこに入っていった。外からでも二人の声は聞こえたので建物の壁に寄りかかって、聞きたくも無い話を聞いていた。
「これが、明日使う『農薬』で、こちらがその原液です。これでもう私の役目は終わりましたので、いつでも出立できます。
私は華やかな舞台は好みませんので、代金も頂きましたから、今夜にでもそっと村を出て行こうかと思っています。
リゼッタも、恋しい人に苦しいお別れを告げるくらいなら、私のように黙ってそっと村を出て行くほうがいいのではありませんか? リゼッタさえ良ければ、一緒に今夜出て行きませんか?」
どこまでもお人好しな村だね。明日の本番の結果も見ないうちに代金を支払っちゃったんだ。
真実を知った今は、ただ詐欺師が、受け取ったお金を持って夜中に逃げ出すのに、リゼッタをついでに誘惑しているだけにしか聞こえない。ひとりで黙って出て行けばいいものを。
「ええ、わかってます。思う人には出て行くことを話しましたけれど、何の反応もありませんでしたから。それでも、私はあの人が『農薬』の効果をみて、喜んでくれる顔を見てから去りたい。叶わぬ恋でもいいから……。
ヴァリオさん、華やかな所は、むしろ心が寂しくなるのは私もわかります。でも、もし良ければ、私の願いを聞いて、明日ちゃんと別れの言葉を、あの人に伝えるまで、村を出るのは待っていて頂けませんか?」
「……わかりました。では明日のお祭りが終わったら、一緒に村を出ましょう。」
ああ、リゼッタを誘惑できないと諦めて、今夜一人で逃げるって意味だよねこれ。
でも、まあ好きにすればいいさ。せめてリゼッタを諦めたのなら、僕も聞かなかったことにしてもいい。リゼッタは、たぶん全力で守ってくれる人がいるから大丈夫だろう。
僕はその場をそっと離れた。
その夜、部屋に常備されていた魔灯のランタンを持って、僕は宿を抜け出して、村長の家の裏木戸を通って作業場に忍び込んだ。
しかし、そこにはすでに先客がいた。
「やっぱり丸腰の勇者も来たじゃないか。」
ヘルドだった。
「すごいなヘルド、お前の予想は見事に当たったな。」
こちらはサーシンだ。
「どんな予想をしたんだ?」
僕が聞くと、サーシンは笑いながら答えた。
「何ね、本物の勇者は丸腰でも間違いなく敵に挑むってヘルドが言ったんだよ。あの偽物の『農薬』に本物の農薬を内緒で混ぜようと思って来たんだろう?」
「そうだな。あの詐欺師は今頃、もらった金を懐に入れて、全力でどこかに逃げてる頃だろう。そんなことは俺にはどうでもいいことだけど、後に残ったリゼッタには不幸になってほしくないからな。それじゃ寝覚めが悪すぎる。」
これは本音だ。少しでも寝覚めを良くしたいからね。自分の健康のためだ。
「ありがとう丸腰勇者。なら、もう準備はできてるから一緒に行くか。」
小脇に速効性農薬の原液が入っていると思われる壺と、正確に測ったらしい木灰の入った小袋を抱えて、ヘルドは笑っていた。
「使う直前じゃないけれど、木灰を混ぜても大丈夫かな。」
不安そうにサーシンが言ったので、軽く顔の前で手を振って見せた。
「大丈夫、大丈夫、希釈液の中に入れるんだったら、一日くらいじゃ効果は変わらないよ。」
本当は、たいして根拠はないんだけど、プランター君が、『希釈した液は二日以内には使ったほうがいい』って確か言ってたから、それはたぶん『二日くらいは持つ』って意味だろうと、いいように解釈しただけ。
広場の小屋の方に歩きながら、ヘルドに聞いてみた。
「俺にはどうでもいい話だけれど、詐欺師が持ち逃げした金は村の公金だろう。捕まえなくてもいいのか?」
「ああ、あんなはした金のためにリゼッタを傷つけたくない。あんなやつでも、リゼッタにとっては、憧れの都会に連れて行ってくれようとした、優しい男だ。真実を知って傷つくところなんか見たくないからな。」
すると横を歩いていたサーシンが、僕に向かって話しかけてきた。
「テムリオの努力は、報われないことになるけど勘弁してくれよ。この農薬を作ったのは詐欺師ってことになるんだからな。真実を知ってるのは、ヘルドと俺と、あの洗濯ばばあしかいない。」
「いや、俺は冒険者ギルドの依頼を受けて唐辛子畑用の農薬作りを仕事として引き受けただけだ。もう依頼は達成したんだから、その後、農薬を村のみんながどう使おうと、俺には何の関係も無いことだよ。」
「関係ないと言いながら、こんな悪さに付き合ってるけどな……」
三人で苦笑した。
そんな話をしているうちに広場の小屋に到着した。
「おい、小屋に鍵がかかってるぞ。」
あそうだ、詐欺師が村長に鍵を貸してくれと言ってたな。どこまでも用意周到なやつだ。
「合鍵ならあるぞ。」
突然後ろから声がした。振り返ったら村長がいた。
「おやじ、どうしたんだよ。」
「ここのところ、お前の様子が変だったからな。多分こんなことだろうと思って、小屋の鍵を持って後を付けてきたんだ。」
ヘルドは、村長から鍵を受け取ると「何も聞かないでくれ」とだけ言って鍵を開けて小屋の中に入っていった。
「濃度調整は大丈夫か? 少ないと効かないけど、多すぎると野菜には良くないぞ。」
「ああ、ちゃんと計算してきたから大丈夫だ。これを希釈用の樽に全部混ぜるだけだ。」
希釈用の樽に入った偽農薬の水の量を覗き込んで「これなら大丈夫」と、自分に言い聞かせるようにつぶやいたヘルドは、持ってきた原液を不安そうに少しずつ混ぜ入れ、小袋の木灰も振りかけるように慎重に入れると、持ってきた撹拌棒でしっかりと混ぜ合わせた。
「明日、これを撒くときに、もういちどしっかりと撹拌する必要があるんだ。おやじ、希釈した農薬を霧魔法で噴霧する役にサーシンの兄貴を指定してくれ。そうすれば、入れ物に移すとき、しっかりともういちど撹拌できる。」
村長は何も言わずに黙って頷いた。
そうやって目的を達成すると、ヘルドは村長に鍵を返して家に戻っていった。
「俺たちも帰るとするか。」
サーシンに促されて、僕も宿に戻った。なにせ10歳の体なので、夜は極端に弱い。着替えもせずにベッドにうつ伏せになったら、あっという間に寝てしまった。
翌朝は、太鼓や鐘の音で目が覚めた。ああ、今日はお祭りって言ってたな。何のお祭りだろう。農民のお祭りといえば収穫祭だけど、たぶんまだ半年も先のはずだ。
帰り支度は、あらかた終わっていたので、身ぎれいな格好になったら、すっかり軽くなったリュックを背負って一階に下りていった。朝食を食べたら帰る予定だ。お昼にお弁当を作ってもらう話もしてある。
食堂に下りていって僕は飛び上がるほど驚いて、大きな声を出してしまった。
「えっ、なんでヴァリオがここにいるの?!」
詐欺師のヴァリオが、食堂で優雅に朝食を食べていた。
「おやおや少年。その格好は、村を出立ですか。『なんでここに』と驚かれているって事は、私の事情をご存じの様ですね。やはり、ただの少年ではないと思いましたよ。」
ヴァリオは、相変わらず悠然と食事をしながら、にこやかに話しかけてきた。
「もしリゼッタを待っているのなら、今すぐにでも、あんたの素性を大声でみんなに話すが、いいのか。黙って裏から出て行くなら、俺にも温情くらいはあるが。」
「おやおや、そういう怖い顔は、優しい少年には似合わないですよ。大丈夫です、先ほど村長さんのところに行ってきて、何もかも全てお話しして、お預かりしたお金も返してきたところです。
リゼッタは全く何も知らなかったのだから許してあげてほしいと頼んだのですけれどね、『今日はめでたい転生者様のお祭りだから見逃してやる。黙って村から去れ』と叱られてきたところですよ。食事が終われば、私もただの旅の男です。」
は? まさかね。
昨日まで、生まれながらの詐欺師みたいだった男が、突如正直者に大変身するなんて、とても信じられない。それも、もっと大きな詐欺の仕掛けじゃないかと、逆に疑いたくなる。
どこまで本当の話なのか、さっぱりわからない。でもまあ、僕には関係のないことだ。リゼッタさえ不幸にならなければ、それでいい。
僕はヴァリオのことは無視して、用意してくれた朝食を食べ始めた。まるでリゾットのような、小粒の豆が入ったスープが、空腹の胃にはちょうどいい。本当なら毎食絶品の宿の食事を堪能したかったのに、ヴァリオのせいで、ひどく味気なく感じてしまった。
朝食を終えて席を立つと、ヴァリオの姿が目に入った。何やら読みながら、ハーブティのようなものを優雅に飲んでいる。メモの話はここではできないから、村長の家にでも持っていこう。
女将さんからお弁当を受け取り、宿代を精算した僕は、長いことお邪魔しましたと挨拶して宿を出た。
宿の外は、この村にはこんなに人がいたのかと驚くほどのたくさんの人が通りを歩いていて、賑やかな楽器の音も聞こえてきて、お祭り一色のようだった。
遠くからリゼッタが辺りを見回しながらこちらに近づいてきた。宿の中には入らない方が良いだろうと思ったので声を掛けた。
「おはようリゼッタ。いい天気になったね。お祭りをやってる広場って、何処なんだい。俺は今日この村を出るんだ。話の種に村祭りを見て帰りたいから、案内してもらえないかな。」
何とかリゼッタをヴァリオから遠ざけないとね。広場にはあまり行きたい気がしないけれど、しかたがない。
多分ヴァリオを探していたのだろうリゼッタは、少し困った顔をしたけれど、すぐに気を取り直したのか、明るい笑顔になって僕を広場に案内してくれた。
広場にはステージが作られていて、壇上で、ついさっきまで若者達が踊ったり歌ったりしていた様子だったけれど、今は村長と長老達が椅子に座って並んでいる。
「では、皆さん、今日は皆さん一番の関心事、畑の緑虫を一瞬にして退治する魔法の『農薬』の披露をしたいと思います。」
とうとう始まるんだ。
※本作はフィクションです。
登場する農薬の製法・使用法は物語上の演出であり、現実での再現・利用を意図したものではありません。




