35.農薬を売る男と、愛の魔法(7)
こし布に使う、さらしの布は、生地屋さんではなく、戌の日のお祝い用として赤ちゃん用品店に売られています。
翌朝、食事の後、サーシンが迎えに来なかったので、ひとりで村長の家に向かい、裏木戸から作業場に入ると、ヘルドとサーシンが、何やら難しい顔をして向き合っていた。サーシンの前には、昨日作っていた唐辛子の粉の残り8kgが置かれていた。
「どうしたの? そんな難しい顔して。唐辛子の粉は完成したんだよね。」
するとサーシンが、ヘルドに「言ってもいいか」と確認を取ってから驚くような話を始めた。
「実は昨日の夜、あのヴァリオって男が持ってた『農薬』を鑑定魔法が使える農業ギルドのギルド員に鑑定してもらったんだが、魔力は全く感じられないと言われたんだ。それどころか、水の成分は小麦粉を少し混ぜただけの、ただの濁った水で、魔力を流すのはそもそも不可能なんだそうだ。
それなりのレベルのCランクが言っている話だから間違いない。
肥料や水質の鑑定などで遠くの村から依頼が来て、出かけて行くほどの男だ。」
僕はしばらく言葉が出なかった。
「じゃああれは? 目の前でアブラムシが確かに消えたよね。」
「その男が言うことには、そんなのはかなりの魔法の使い手でもできない。無理にやれば野菜がちぎれて吹き飛ぶそうだ。」
マジックか……。
「村長には報告したの?」
聞いてみたらサーシンは口ごもってしまった。代わりにヘルドが話し始めた。
「あいつを詐欺師として捕まえても、今は証拠がないからな。偽の農薬だって、明日魔力を注ぐつもりだったなんて、いくらでも言い訳して逃げられてしまう。
明日の村祭りで、どんな手品を使うのかわからないが、みんなの前で暴いて、とっ捕まえようと話していたところなんだが……。」
「でもそれにはリゼッタが、あまりにこの件に関わりすぎてるって言いたいんだよね。あれが詐欺だってわかったら、リゼッタだって立場が苦しくなる気がするよ。」
僕は言葉を継いだ。
「丸腰、お前それ……」
「ああ、相当な鈍感でもわかるぞ。リゼッタを助けてあげたいんだろう?」
ヘルドは、僕の話に素直に頷いた。
「でもなぁ、村長に正直に伝えたとしても、神聖な長老会議をリゼッタが汚した事実は消えないだろうな。リゼッタが強く推さなければ、長老達も、もう少し慎重になっていたろうから。」
サーシンが続けた。
「とにかく、明日の村祭りで、みんなの前で、あいつの嘘を暴いて捕まえるだけだ。リゼッタも騙された被害者だってことを、みんなに知ってもらわなきゃ。今の段階で、長老達が知ったら、リゼッタがつるし上げられてしまう。」
ヘルドは自分に言い聞かせるかのように、自分の言葉にいちいち頷きながら話した。
「よし、そうと決まったら……早速だが、にんにくをおろしてくれ……」
僕が言うと、「うっ」、と現実に引き戻されたふたりが、途端に苦虫をつぶしたような顔になった。
正直には言えないけれど、僕の本音は、こういう面倒事には関わりたくないって事だ。そもそも、余計なことにちょっと口を出したばかりに、巻き込まれるようにして、ここに来ることになってしまったけれど、かなり渋々来たんだ。
これ以上、何かに巻き込まないでほしい。さっさと農薬を完成させて冒険者ギルドの依頼を完了させれば、僕の仕事は終わるんだから、後のことは村の人達に任せて、僕は帰りたい。
「今日は昨日よりは少ないぞ、すりおろすのは、たったの1.6kgだ」
励ましたつもりだけど、ますます嫌そうな顔になった。
今日は昨日とは量が全く違うけれど、唐辛子の粉とおろしたにんにくを混ぜて煮出すのは一緒だった。
釜に10Lの水と、唐辛子の粉8kgとすりおろしたにんにく1.6kgを入れて、中火で沸騰寸前まで加熱したら、弱火にして約20分間煮出す。
釜の蓋を少しだけずらしてふきこぼれないよう注意しながら、ときどき底に焦げ付かないように軽くかき混ぜる。
火から下ろしたら、冷めるまで絶対に蓋を開けない。
ここまでは、昨日と全く同じなので、ヘルドに任せたまま口出しはしなかった。
でもこの先が少し違う。きのうは、漉さなくていいって言ったけれど、今日の工程は僕もかなり不安があるので、記憶にあるプランター君の話通りに作業したかったから、布で漉して、不純物を取り除いてもらった。
濾過した液体は、昨日のように樽に入れてもらったけれど、そこには何も混ぜないで、このまま大八車に乗せた。
それとは別の樽をもうひとつ用意して、そちらには食酢20Lを入れた。
あとは桐油10Lと木灰2kgも乗せて、さあ洗濯ばばあ……じゃなかった、グラサのところに行こう!
準備が整ったところで、ふたりとも元気ないよと、励ましながら大八車を押した。
実は今日の作業はグラサが主役だ。必死にプランター君の話を思い出しながら、何度も書き直したレシピだから、僕も絶対に成功させたい。
グラサには、今日もお手伝いしてほしいと頼んであったので、玄関先で待って、僕達を出迎えてくれた。なぜか少し歳に似合わないようなドレスを着ていた。
「転生者テムリオ様、お待ちしておりました。」
そんな、慣れない言葉使わなくていいよと三人で笑ったけれど、グラサは、昨日にも増して恐縮した態度で終始頭を下げ続けていた。
「それで、早速で悪いんだけれどグラサ、まず最初に、この樽に食酢20Lが入ってるので、昨日と同じように、洗濯魔法でぐるぐるかき回してもらえるかな?」
そうお願いしてみたら、「かしこまりました、早速」と言いながら、杖をかざして小さな声で魔法の詠唱をはじめた。
食酢の表面がわずかに白く濁ってきたので、グラサには、そのまま続けてほしいと頼んで、桐油をひしゃくですくいながら、慎重に酢に注いでいった。
このあたりの作業は、頭の中で何度もシミュレーションしていたので、僕がひとりでやることにした。
桐油全部を入れても、なめらかな乳白色のまま変わらなかったので、たぶんこれでいいんじゃないかな。ひとつ難関をクリアーした気分。撹拌はやり過ぎても、やり足らなくても、乳白色の状態が保てなくなるって聞いてたからね。
全部混ぜ終えたところで、「一休みしよう」と声をかけ、グラサには玄関の上がり端に腰掛けてもらい、僕たち三人は地べたに座って一息ついた。
「あと、どのくらいだ?」とサーシンが聞くので、「あとは、これに唐辛子にんにく液を混ぜれば完成だ。」と答えた。
一休みしてから作業を開始した。
グラサには、ふたたび、すすぎのイメージで樽の中身を撹拌してもらった。実はもうグラサの手を借りる必要は無くなっていたのだけど、撹拌も結構重労働だったので、単に肉体労働の代役をお願いしただけ。
少し、どろっとした感じの液が完成したところで、そこに、村長の家で作って持ってきていた、唐辛子にんにく液を、少しずつ混ぜて馴染ませていった。
全部混ぜ終わったら樽の半分くらいの量になった。
「これで全部終わりだ。グラサお疲れ様でした。少し長い時間頼んでしまって申し訳なかったけれど、おかげで『農薬』が全部完成したよ。ありがとう。」
「勿体ないお言葉でございます……。」
なぜかグラサのほうが涙ぐんでいた。
今日の代金も、受け取ろうとしないグラサに、サーシンが無理矢理押しつけて支払っていた。
「あれっ? まだ木灰が残ってるぞ」
サーシンが木灰の入った袋を指さした。
「ああ、それね。きのう『灰汁』を混ぜるところの手順を、『木灰』って書き直していたときに思い出したんだ。俺に作り方を教えてくれた人が、『灰汁は希釈するときに混ぜる』って話していたんだ。木灰もたぶん一緒だと思うけど、今入れちゃうと、効果が打ち消しあって良くないんだと思う。」
僕も全然意味がわからないんだけどね。せいぜい、酸性のものとアルカリ性のものは「まぜるな危険」って聞いたことがある程度だ。
木灰は、グラサの所では使わないけれど、袋を持ってきたのは、完成品をサーシンの畑で試すためだ。
「よし、これで終わりだな。ご苦労様。じゃあ即効性農薬の効き目を確認するために、このままサーシンの唐辛子畑に行くぞ!」
ヘルドが、晴れ晴れした顔で、勝利のときの声をあげるかのように叫んで、大八車はサーシンの畑に向かった。
「できあがったのは原液だから、絶対にこのまま畑には撒かないようにしてね。400Lに薄めて使うものだから、だいたい9倍に薄めれば使えるはず。1Lくらいなら木灰を小さいスプーン一杯分くらいいれて、よくかき回してから使えばいいと思う。」
畑に着いてから、そう説明したら、サーシンがもう一度よくかき混ぜ棒でかき混ぜて、1Lの容器に100mLほどすくいあげ、それを水で9倍くらいに薄め、家から持ってきた小さいスプーン1杯くらいの木灰を混ぜて、さらにもう一度よく振って混ぜた。
「散々臭いところで作業したせいか、すっかり鼻が麻痺して何も臭わないな。」
と笑いながら、希釈した速効性農薬の臭いを嗅いだサーシンは、さっそく霧魔法を使って、アブラムシがたっぷりついている唐辛子の葉に吹き付けてみた。
しばらく様子を見てみたけれど……、なにも変化はなかった……。
うう、失敗か。
これだけのことをして、何の効果も無いなんて、ちょっとつらすぎるな。
「おい、これを見ろ、アブラムシが全く動いていないぞ。」
10分ほど葉の様子をじっと見ていたヘルドが、声を上げた。
僕は慌てて農薬を掛けた葉についたアブラムシを凝視した。
確かに農薬を掛けたところのアブラムシは全く動いていない。
でも元々そんな活発に動く虫じゃないから、勘違いということがあるかもしれない。
期待と不安が混じり合ったまま、サーシンが、撒ける範囲いっぱいに撒いた唐辛子の茎や葉の裏を丁寧に観察していった。
「全部死んでる。」
サーシンがポツンと言った。
「勝ったな。」
ヘルドの静かな勝利宣言があった。
「はあ良かった」
僕は気が抜けたような変な声を出して、その場に座り込んで立てなくなってしまった。
それから、どのくらいの時間が経ったろう。サーシンがよくわからない茶色い飲み物を持ってきて、三人で乾杯して、静かに勝利を味わった。
※本作はフィクションです。
登場する農薬の製法・使用法は物語上の演出であり、現実での再現・利用を意図したものではありません。




