34.農薬を売る男と、愛の魔法(6)
欧米では水が貴重なので、少しの水で「たたき洗い」できるドラム式洗濯機が普及していますが、水がふんだんに使える日本では汚れがよく落ちる事を優先した「もみ洗い」の縦型洗濯機が馴染むのだそうです。
「都会者だからな、こういう飾り物が好きなんだろうよ。まあ洗濯ばばあにとっては転生者様でも何でいいか。むしろ協力してもらうには好都合なくらいだ。」
ヘルドは事もなげにそう言うと、僕と一緒に洗濯ばばあが起き上がるのに手を貸してあげた。
洗濯ばばあは「恐れ多い……」などと、ぶつぶつつぶやきながら、ようやく起き上がってくれた。
「それで、洗濯してほしいのはこれだ。」
サーシンが大八車から降ろしてきた樽を、洗濯ばばあの前に置いた。
「えっ、樽を洗濯するのでしょうか?」
洗濯ばばあは、狐につままれた顔で、樽と僕を何度も見比べながら、怪訝そうに言った。
「初めまして。俺はテムリオといいます。おばあさん、お名前を教えて頂けませんか?」
「は、はい。私はグラサと申します、転生者様。」
すっかり恐縮してしまっている。困ったな、そんな扱いされるのは生まれて初めてだから、どう扱っていいかわからなくなるよ。
「それでね、グラサ、洗濯してほしいのは、樽じゃなくて、中に入ってる水だよ。」
「水を洗濯?」
はいはい、意味不明だよね。僕だって意味不明だけど、ここは適当に理屈が通りそうな説明でもしておこう。
「水を洗濯するなんて変だと思うかも知れないけれど、グラサが、いつも魔法を掛けているのは、実は汚れた服のほうじゃなくて、水のほうなんだ。」
そう、洗剤を溶かすのは水のほうだからね。
「えっ、そうなのですか。わたしは少しも知らずに魔法を使ってました。」
「魔法が掛けられた水が、服に付いた汚れを剥がして綺麗にしてる。だから同じ事なんだ。この樽の中に入ってる水に魔法を掛けてくれればそれでいい。」
洗剤を混ぜてくれればいいって意味さ。
「は、はい。仰せの通りに致します。ではこの樽の中に汚れた服が入っていると思いながら、洗濯の魔法を掛ければよろしいでしょうか。」
ああ、そのイメージなら無理がないね。
グラサは、そう言うと、杖を樽の中の水に向けて、聞き取れないほど小さな声で何やらつぶやき始めた。おお、これがあの『詠唱』だよ。やっとこの世界に来てはじめてファンタジーを感じる出来事に遭遇した。
感動していると、樽の中の水がぐるぐると回転を始め、泡立ってきた。
えーっ、これって電気洗濯機ならぬ魔力洗濯機だ!
しかもちゃんと泡立ってる。これは洗剤と同じ効果の魔力がこの中に入ったってことだよね。
「渦巻きを逆回転できる?」
思わずリクエストしてしまった。
「あ、はい逆回転ですね。できますかどうか……やってみます。」
グラサは、手に持っている杖を逆回りに回して、渦をなんとか逆回りにしてくれた。うわーっ、これで完璧な自動洗濯機だ。手動だけど。あまりの嬉しさに、何度も逆回転のリクエストをして、結構な時間洗濯魔法を使わせてしまった。
疲れるのだろうか、心なしか、グラサの息が上がっているように感じて、あわて逆回転遊びをやめた。
そのうちに、樽の中の水が泡でいっぱいになって、かき分けると水面が乳白色になったので終わりにしてもらった。
サーシンが、不思議そうに樽を覗いた後で蓋を閉め、大八車にくくり始めた。
「あのう、それとグラサ、俺の汚れた服も洗濯してもらえると嬉しいんだけど。」
おそるおそる、背中のバッグの中から、溜まった洗濯物を差し出すと、グラサは、なぜか「ありがとうございます」と、僕に礼を言って服を受け取り、庭にあったタライに入れ、桶の水をその上に掛けると、先ほどと同じように魔法をかけ始めた。
「最初は洗濯魔法。次は水を替えて、すすぎ魔法を掛けます。」
と、手早く洗濯してくれた。絞る魔法はないみたいなので、手絞りして、持ってきた袋の中にしまった。宿に帰って干そう。
代金は僕の洗濯物の分も合わせてサーシンが全部払ってくれたけれど、グラサは、最後まで遠慮して受けとるのを渋っていた。
「丸腰、これで遅効性農薬は完成か?」
「ああ、濃縮液の完成だ。これを400Lに希釈して、霧魔法で野菜に掛ければいい。ただし、こちらはどちらかというと、アブラムシを退治する薬じゃなくて、退治した後にアブラムシがふたたび付くのを防ぐ農薬だから、すでにアブラムシの被害に遭ってる野菜には、明日作る予定の即効性農薬じゃなければ効かないと思う。」
「じゃあ、これはヘルドの家に持って行ってくれ。俺は唐辛子の粉挽きがどうなってるか見に行ってくる。」
そう言って家に帰っていったサーシンと別れて、ヘルドと僕は、ヘルドの家の作業場に戻った。
「この遅効性農薬は日持ちがするから、涼しいところに保管しておけばいいと思う。明日作る即効性農薬は、あまり持たないから、作ったら二、三日くらいで使い切るのが理想だと思う。」
そう伝えたらヘルドは、完成した遅効性農薬の原液が入った樽を作業場の奥の方の棚に保管して戻ってきた。
「ところで丸腰、お前の話で、どうも腑に落ちないところがあるんだが、木灰を用意するというのは灰汁を作るためだよな。」
「そうだよ。即効性農薬を作るには灰汁が必要だ。」
「だけど、液体に灰汁を混ぜるなら、木灰を直接混ぜる方が効果が高いんじゃないのか?一度灰汁にしなければならない理由ってあるのか?」
そう言われると、何と答えていいかわからない。そもそも灰汁に何の効果があるのかも知らないし。
「そ、そうだね。確かに混ぜる相手が液体なのに、木灰をわざわざ液体の灰汁にしてから混ぜる必要は無いかもね。じゃあ木灰を直接混ぜることにしよう。灰汁を作るなら、今日頑張らなくちゃって考えていたから、省略できた方が断然いいからね。」
本当に大丈夫かな……。少し心配だけど、ヘルドの農民としてのカンに掛けよう。
結局今日の仕事は、早々と終わってしまったので、僕も宿に帰ることにした。
グラサに洗ってもらった洗濯物を干さないと臭くなるしね。
裏木戸を通って表に回ったら、ちょうど、村長と長老達とヴァリオが、家の中から出てきたところだったので、みんながいなくなるのを待つことにした。
「では農薬を実際の畑で試すのは、あさっての村祭りの日ということにしますのでヴァリオさん、よろしくお願いします。『農薬』は散布できるよう希釈したものを、広場の納屋の樽の中に作って置いてください。」
長老がにこやかにヴァリオに話しかけた。
「かしこまりました。村の皆様にお披露目する場所は、先程お伺いした広場の隣の畑ですね。その納屋というのは広場の中にあるのですか? 貴重な物ですので、納屋の鍵をお借りしたいのですが。明日代金の決済が済みましたら、希釈した物と、原液の両方を納屋に納めさせていただきます。」
ヴァリオも契約が成立してご機嫌そうだ。
誰もいなくなってから、僕も宿に戻った。
宿には、長期滞在者用に部屋の中で使える洗濯棒が用意してあったので、それを借りて部屋に洗った物を全部干した。
もうお昼時は過ぎているけれど、簡単な食べ物くらいはあるだろう、と思って一階の食堂に下りていって聞いてみたら、大抵の料理はできるということだったので、お任せでお昼を用意してもらった。
出てきたのは昨日のお昼ご飯とあまり変わりなかった。
チャパティロール似の物がまた食べたかったので、名前がよくわからなかったから、身振り手振りで説明したら、すぐにわかったみたいで、山盛り出してくれた。いや、山盛りはいらなかったんだけどね。
それに、食べてみたら、中身はひよこ豆じゃなくて、何かのスティック状の野菜みたいなのが入ってた。まあこれはこれで美味しいから嬉しかったけど。
「おや少年は村長さんのところにいた少年ですね。」
不意に声を掛けられて振り向くと、……まあ振り向かなくてもわかるけど、魔法農薬のヴァリオが、今日は黒いステッキを持って立っていた。
「ああ、あのときの魔法使いか。」
僕は、やっと思い出したような顔で答えた。本当は何度も見てるけどね。
「いえ、魔法は使いますが、魔法使いではありませんよ少年。わたしの名前はヴァリオ=フェルンベルグ。農業の研究をしている学者です。どうぞよろしく。ところでその腕に付けたアームレットはとても素敵ですね。貴族の少年が、お忍びで農民の格好をしているとお見受けしましたが?」
うっ、なんだ、僕のブレスレットに興味を持って話しかけてきたのか。てっきり農薬の話をするのかと思って警戒してしまったよ。
「まさか。俺は見かけ通りの平民だ。これは領都に行ったときに露天で土産に買った安物だ。そうは言っても、そのとき持ってた小遣いが全部なくなったけどな。」
そうですか、ふむふむ、なるほどと、つぶやきながら、ヴァリオは隣に座って、僕のブレスレットをのぞき込むように見つめてきた。
すると給仕をしていた宿屋の女将さんが、隣から話しかけてきた。
「あら、やだよ、女の子みたいだね。この村じゃ、好きになった女に、男が木を彫って作ったアームレットを贈るんだよ。腕に付けてくれたらプロポーズを受けたことになる。始まりの王、転生者様がお妃様にそうやってプロポーズされたのが始まりって言い伝えがあるのさ。その転生者様はアームレットのことをブレスレットとおっしゃったそうで、女性への贈り物のアームレットのことは、この村ではブレスレットと呼ぶんだよ。だからこの村で腕にブレスレットを付けるのは、婚約中の女だけだよ。」
陽気に笑いながら話してくれた。
そ、そうなのか。じゃあ、僕は結構恥ずかしい格好をしていたんだ。
「それは素敵なお話ですねマダム。でも旅の男には木彫りのブレスレットを作る時間がありませんね。」
「あはは、旅の人は居酒屋のリゼッタにでも惚れたかい? でも無理だよ、あの子は惚れた男がいて、他の男なんぞ眼中にないからね。」
ヴァリオは、きのうリゼッタとここで難しい話をしていたからね。多分今頃、村中の評判になってるんじゃないかな。小さい村のことだから。
「ほう、そうですか……」
ヴァリオは、相変わらずの笑顔のまま、そう答えると、僕に、「それでは、またお会いしましょう」といって店を出て行った。
やれやれ恋バナって僕には無縁だな。
部屋に戻ると、灰汁を使うつもりで書いていたレシピを書き直した。といっても灰汁を作る工程全部にバツをつけて、「灰汁を混ぜる」と書かれたところを「木灰を振りかける」に書き換えるだけなんだけどね。ああ、やっぱり心配だから、木灰はしっかりふるいに掛けてもらおう。
※本作はフィクションです。
登場する農薬の製法・使用法は物語上の演出であり、現実での再現・利用を意図したものではありません。




