33.農薬を売る男と、愛の魔法(5)
さんざん怒りながら窓を開け放して、リゼッタは今日の長老会議の結果をヘルドに伝えた。ヴァリオを連れてきて村長に紹介したリゼッタは、長老会議に証人として呼ばれたのだそうだ。
長老達に『農薬』の良さを熱く語って、ヴァリオの後押しをした様子で、どうやらヴァリオの『農薬』を購入することが決まったようだ。たぶんこんなに早く長老会議の結論が出たのは、リゼッタの奮闘のおかげではないだろうか。
ヘルドは、リゼッタの話に、ほとんど無表情のまま、「そうか……」などと、他人事のように空返事を繰り返して、相変わらずにんにくをすりおろしていた。
たまらずリゼッタがヘルドに食ってかかった。
「ヘルド、あなたが一番喜んでくれると思ったから私頑張ったのよ。もっと喜んでくれてもいいじゃない。どうしてもっと素直になれないの? いい加減、ヘルデンおじさまと仲直りしてよ。」
生返事をしてリゼッタの話はあまり聞いていなかったみたいで、突然怒りだしたリゼッタに、何を怒ってるのかわからない顔で、にんにくから目を離してヘルドはリゼッタの方を向いた。
「ああ、悪い悪い。いまにんにくと格闘してたので、あまりよく話を聞いてなかった。
ああ、リゼッタはよく頑張ったよ。偉いな。それと俺、別におやじと喧嘩なんてしてないぞ。勘違いするなよ。」
農業の話ならあんなに饒舌に話すヘルドが、リゼッタにはぎこちない。やっぱりヘルドも寡黙な農民の一人なんだね。
「それと私、これから領都に行くと言ってるヴァリオさんと一緒に、村を出て行こうと思う。もしくは旅を続けるヴァリオさんと別の街に行って、気に入った街で暮らすつもり。出て行くのが遅かったくらいよ。もっと早く出て行くべきだったわ。」
「えっ! リゼッタ、村を出て行くのか?!」
驚いた声を出したのは意外にもサーシンのほうだった。ヘルドは、まるで知っていたかのような顔でリゼッタの話を聞いていた。
「ええそうよサーシンさん。もうミルダには昨日のうちに話してあるわ。」
ヘルドが何か言うのを待っているかのようだったリゼッタは、すこしそのまま黙っていたけれど、
「そういうわけだから、ヴァリオさんの農薬が畑に撒かれて緑虫が消えたのを確認したら、その日にヴァリオさんと一緒に村を発つわ。」
と言ってから母屋の方に戻っていった。
正式契約をするからヴァリオを呼んでくるようにと村長に言われたみたいで、これから迎えに行くのだそうだ。
昨日のリゼッタとヴァリオの会話って、そこまで話が進んでいたんだね。女性って、みんな一度決断すると思い切りがいいんだな。そんなにたくさんは女性を知らないけれど。僕だったら一月くらいグズグズ悩んでいそうだよ。僕の場合は悩んだ結果やっぱり現状維持なんてことになるけどね。
しばらくリゼッタ旋風に圧倒されていた三人は、また気持ちを切り替えて農薬作りの次の段階に進んだ。
次は、唐辛子とにんにくを煮る作業。大釜に10Lの水を入れて、唐辛子とにんにくを溶かしいれたら火にかける。
「ここは調整が難しいので、目を離せない。まずは中火でゆっくり加熱していって、釜のふちに泡が立ち始めたら弱火に落とすんだ。このとき絶対に沸騰させちゃだめ。にんにくの農薬成分がだめになるし、唐辛子の成分は蒸気と一緒に外に出てしまう。」
「丸腰、それを蓋をしたままやれったって無理だぞ。蓋を開けてみてなければ加減がわからん。」
確かに……。どうすればいいんだ?
「蓋は少しだけ開けておけばいいと思う。完全に締めたら泡を吹いてこぼれるかもしれないしな。」
サーシンが『妥協案』を出してきた。このひと、うまく妥協させるのが得意そうだ。
「じゃあそれでいこう。ただし完全に蓋を開けるのは無しだ。そして、吹きこぼれたり、底に焦げ付いたりしないように、途中で何回か、かき混ぜよう。それで何時間くらいこれを煮るんだ?」
決断の早いヘルドと、現実的な妥協ができるサーシン。このふたり、もしかしたら名コンビかもしれない。
「だいたい20分くらいかな。あまり煮過ぎても良くないんだ。火から下ろしたら、あとは蓋を絶対に開けないようにして粗熱を取る。」
村長の家の台所の釜で煮詰め始めたら、蓋を少し開けていたせいで、臭いが家中に充満してしまったらしく、村長が臭いを嗅ぎつけて何事かと台所に来た。
ヘルドは村長に向かって「気にするな」と一言言っただけで相手にしなかったけれど、村長は不審そうに僕を睨んでから戻っていった。
「おやじのことは気にするな。……それより、昨日、うちの方に報告が上がってきててな。おやじも頭を抱えてたけど、俺が調べた、ナス、ジャガイモ、キュウリ、スイカ、カボチャなんてのは、まだマシな方だったかもしれない。
ソラマメとかエダマメとか、葉が柔らかい作物の被害はかなり深刻でな。広場の横のソラマメ畑、昨日あわてて見に行ったら、葉の裏にびっしりアブラムシがついてた。
この分じゃ、村全体の作物がやられるのも時間の問題かもしれないな。」
今朝からヘルドの元気が今ひとつだったのは、そのせいか。リゼッタの話にだって気もそぞろだったものな。
「もしかしたら別の種類のアブラムシが発生したのかもね。」
「なにっ! アブラムシに種類があるのか。」
「よくわからないけれど、俺に教えた人が、いろんな名前のアブラムシの話をしてたから。」
でも僕が作ってるのは魔法で一発退治なんてものじゃないんだから、くよくよしてたって、どうにもならない。少し話題を変えようかな。
「そういえば洗濯ばばあは、ここに来るのか? それともできた濃縮液を持って、洗濯ばばあの家に行くのか?」
実は今日の僕は、『洗濯ばばあ』に会えることを、一番の楽しみにしている。だって、魔法で服が綺麗になっちゃうんだよ。そんなの生まれて初めての経験だもの、興奮しないはずがないよ。
農薬作りなんて、正直どうでもいいことで、魔法が見てみたいって期待でいっぱいだ。だから、ついでに僕の服も洗濯してもらおうと思って、着替えの服や下着を袋に詰めて全部持ってきている。
「洗濯ばばあは、少し腰が曲がってるから、ここまで来るのは大変なので、こっちから行くことになってる。昨日のうちに洗濯ばばあには話を通してあるけど、『あたしゃ、汚れた服を綺麗にすることはできるけれど、汚れた水を綺麗にすることはできないよ』って、不審がってたぞ。俺もそこは不思議だった。なんで洗濯ばばあが必要なんだ?」
ああ、それね。正直に告白すると、『知らない』。
でも、プランター君が「中性洗剤は絶対に必要」って何度も念を押してたから、「きっと必要なんだろうな」という程度にしか考えていない。
即効性農薬を作るときに洗剤が必要なのは僕にでもわかるよ。水と油を馴染ませるために必要なんだ。でも今日作っている遅効性洗剤には油は使わないから、馴染ませる必要はない。それなのにプランター君は、難しい説明をしながら、絶対に必要だって、何度も繰り返してた。
「俺は話が下手だから説明しずらいよ。洗濯ばばあの魔力を農薬に込めると、農薬が作物やアブラムシにくっつきやすくなるって程度の説明で納得しくれないかな。」
「確かに丸腰は説明が下手だな。それじゃ全然わからん。あの魔法農薬のヤツみたいに、すらすらそれっぽい説明をされても、かえって信用できなくなりそうだから、まあいいけどな。」
ふたりが笑ってくれたので、僕も笑ってごまかすことにした。
本当はプランター君は『中性洗剤を展着剤として使う』と言ってたんだ。でも僕には展着の意味が全くわからないから、まあだいたいこんな意味なのかもってイメージだけで説明しただけ。あってるかどうかは知らない。
火から下ろした釜の中身が、指を入れても大丈夫なほど冷めたので、濃縮液をいれる樽に移し替えた。
「噴霧器で噴霧するときは、本当はここで、こし布で漉す必要があるんだけど、霧魔法を使えば問題ないので省略する。」
魔法に頼らない農薬が欲しいと思ってるヘルドになら説明して置いた方がいいだろう。
「これに、持ってきた木酢液全部と、食酢1Lを入れて良くかき混ぜたら蓋をして、洗濯ばばあのところに行こう。」
いよいよ洗濯ばばあと『ご対面』だ!
「あれ? これって『大八車』?」
「おう、都会者がよく名前を知ってたな。
ヘルドが、ちょっと感心した風に答えた。
時代劇なんかでよく見たよ。これで曲者を追い詰めて挟んで動けなくさせるヤツだ。セリフで良く『大八車』って言ってたので覚えてた。
ヘルドとサーシンの二人で、樽を大八車の上に乗せて荒縄で縛って固定させると、三人はいよいよ村はずれから少しだけ離れたところにポツンと建っている洗濯ばばあの家に向かった。
洗濯ばばあの家は、こじんまりした、一人住まいの大きさの家で、庭では自給自足に足る程度の野菜を栽培していた。日用品を買うのに必要な現金収入のために洗濯屋をやってるんだろうね。
「おおい、洗濯ばばあいるか」
ヘルドが、相変わらず無遠慮な大きい声で、家の中に声を掛けた。
「ああ、少しお待ち。」
中から、いかにもそれらしい『全身老婆』が出てきた。あのマダムが持っていたのと同じような長い杖も持っていて、こっちのほうが本物の魔女っぽい。
「今日は服の洗濯じゃないって聞いたけど、どこにあるんだ洗濯してほしいものは。」
怪訝そうな顔で三人の顔を見比べた。
「おや、そっちの坊やは、村の者じゃないね。誰なんだい……えっ、まさか……転生者様!」
洗濯ばばあが、僕の素性を一瞬で見抜いてしまった。異世界転生後、僕の素性を見破ったのは、エルと、この洗濯ばばあの二人だけ。しかも転生者って見破られたのは初めて。
これはまずい。大変なことになりそうな予感がする。でも強い警戒感を覚えるけれど、どうしたらいいか全くわからない。
どうしていいかわからないでいると、とうとう洗濯ばばあは、僕の前に跪いてしまった。
「おい、洗濯ばばあ、どうかしてるぞ。こいつは転生者様なんかじゃない、領都から来た冒険者だ。今日の依頼を持ってきたのは、この男だ。ほら、そんなところに跪いたら膝を怪我するだろう。」
「でも、その腕に光る、威圧のブレスレットは、確かに転生者様の証し……」
ああ、「威圧」って言葉を使うのもマダムと一緒だ。お年寄り達には、僕が威圧感のある男に見えるんだねきっと。お年寄りにもかわいがってもらえるよう、鏡を見ながら笑顔の訓練しなきゃね。
……でも、えっ? 確か今、洗濯ばばあは、これのこと「ブレスレット」って言ったよね。みんな「アームレット」って呼ぶから、もしかして僕が間違って覚えていたんじゃないかって、少し不安になってたんだ。やっぱりブレスレットだよね。
「ああ、丸腰のアームレットのことか」
あ、やっぱりアームレットなんだ……。
※本作はフィクションです。
登場する農薬の製法・使用法は物語上の演出であり、現実での再現・利用を意図したものではありません。




