31.農薬を売る男と、愛の魔法(3)
セピア色のセピアって、元々はイカ墨から作られた顔料のことで、古代ギリシャ語で「コウイカ」って意味らしい。ちょっとムードを壊す話ですよね。
「さて、農薬作りの話に戻るぞ。そういうことだからな、俺たちは、あいつとは違う『農薬』を作るんだから意識する必要はない。まずは何から始めればいいんだ丸腰。」
「わ、わかったよ。じゃあ、とりあえず、これが無きゃなにも始まらないってとこで、重要な材料から順に調達をお願いするよ。まずは灰汁を作るのに……」
「おい!お前、何を言いだすんだ! 灰汁を畑に蒔く馬鹿がいるか!」
サーシンと全く同じ反応だよね。
約束だったから、なぜ灰汁が必要か、丁寧にきちんと説明した。
「俺はサーシンの唐辛子畑用の農薬を作ろうと思って来たので、村全体に被害が広がってるなんて言われても、持ってきた材料じゃとても足りないぞ。」
「どのくらい足りないんだ。」
そもそも、どのくらい作ったらいいのか、全く想像が付かない。
「農薬の入った水を、村中で被害に遭ってる畑の作物全部に蒔くとしたら、水はどのくらいの量が必要? 霧魔法で撒いた場合で計算してみてよ。」
「そうだな、村全体の畑は、7.2へクタールだから、そのうちの1割が被害に遭ってると計算して……」
ヘルドは頭で計算しきれないと思ったのか、紙を持ってきて、僕が持っているのとそっくりな、堅い炭を削っただけのペンで計算を始めた。計算ができるって、相当勉強してるよね。
「たぶん1平方メートルで300mLくらいの水が必要だと思うから、……2.16トンだな。まだ被害に遭っていない小麦畑なんかにも全部撒くならその10倍の21.6トンいる。」
「えっ!……」
まさか「トン」なんて単位が出てくるとは思っていなかったので、仰天した。50kgくらいは必要かな、なんて漠然と考えてたけど、スケールが全く違う。
「21.6トンなんていったら、2トン車11台分だよ!」
思わず叫んでから、あ、この世界に2トントラックなんてないことを思い出した。
「そうだな、荷馬車11台分だ。」
ああ荷馬車って手があったか。
あまりに衝撃的な数字だったので、冷静に戻れるまで少し時間がかかったけれど、ようやく気持ちが落ち着いてきたので、話を続けることにした。
「とてもじゃないけど被害野菜畑だけに撒く2.16トンの農薬だって俺には無理だし、材料だってとてつもない量が必要になる。費用だってかかるし、そもそも農産物より高い農薬作ったって意味が無いしな。どうすればいいと思う?
農業のことは全くわからないから、なにかいい方法をふたりで考えてくれ。」
「とりあえず、手持ちでどのくらいの量なら作れるんだ?」
僕も計算してみないとわからなかったので、背負ったバッグの中から紙と炭のペンを取り出して計算してみた。
「丸腰は計算ができるのか? それにしても変な計算方法だな。」
横からヘルドが興味深そうに僕が書いているところをのぞき込んできた。
「ええと、俺の計算じゃ、領都から担いできた木酢液は2Lなので、これを全部使ったとして、最大作れて遅効性農薬は400Lだ。即効性農薬には木酢液はいらないので、いまのところ絶対に入手不可能な材料はないが、やはり作れても同じくらいの量だろう。」
すると、今度はヘルドの方が頭を抱えた。
「おい、もう少し分かりやすく説明しろ、なんだその『もくさくえき』とか『ちこうせい』とか『そっこうせい』というのは。」
「ああ、悪い。木酢液は、あとで説明するけどこれのことだよ。遅効性というのは、『ゆっくり効く』という意味で、即効性とは『すぐに効く』という意味だ。農薬にはその二種類があって、どちらにも良い点と悪い点があるから、今回はその両方を作るつもりでいた。俺も正直違いがよくわからないから、両方作って、ふたりに判断してもらいたい。」
「遅効性と即効性だな。よくわからんが、とりあえずその二種類の農薬を作るってことだけは理解したぞ。それで遅効性は400Lが限度だって事だな。」
ふたりの会話についていけない風のサーシンは、僕がリュックから取り出した木酢液を眺めたり臭いを嗅いだりしていた。
「1軒あたり被害面積を……180平米として……、100平米30Lなら……、400Lで8軒分に足りないくらいだな。」
すごい。なにその計算の速さ。
その後、ヘルドとサーシンが真剣に話し合った結果、とりあえず被害の大きい4軒と唐辛子畑に使ってみようと話がおおよそまとまった。
「それで灰汁が必要なのはわかったが、他の材料はなんだ。」
「ええと、他には、ああしまった、にんにくがこれじゃ足りない……」
すると耳を疑うような衝撃的な話がサーシンの口から聞こえてきた。
「にんにくなら、にんにく農家に行けばいくらでもあるぞ、どのくらい必要なんだ?」
「えっ、にんにくを栽培してる農家があるの!? 先に言ってよ、2kgも担いできたんだよ。大変だったんだから。」
僕がへこんでいると、ヘルドが、さも愉快そうに笑いながら、器用に慰めてきた。馬鹿にしながら慰めるって器用だよね。
「わかった、わかった、大変だったなぁ。それで、どのくらい足りない?」
「ええと、全部で3.6kgだから、あと1.6kg足りない。」
本当言うと、そこまで細かく計算できてるわけじゃなくて、大体覚えてた割合に当てはめただけなんだけどね。これでも、かなり頑張って思い出したんだから褒めてほしい。
「なんだそんなものでいいのか。今日中に調達できるから安心しろ。」
サーシンまでも笑いながら慰めてきた。
「あとは、食酢が24L、廃油が10L、灰汁を作るのに汚れをきれいに取り除いた木灰2kg、乾燥させた唐辛子9.2kg。こんなところだ。」
「なんで木灰はきれいなのじゃないとダメなんだ?」
ヘルドって結構細かいよね。
「俺に農薬を教えたヤツは、噴霧器の目が詰まるからって言ってた。」
「霧魔法を使うんだから詰まらないだろう。」
「あっ、そうか。気がつかなかった。」
僕が聞いたのは魔法の無い世界の農薬の作り方だからね。
「でも混じり物はさけたいから、ある程度はふるいにかけてほしい。」
「了解だ。あとわからないのが唐辛子だ。確かアブラムシの大好物なんだよな。それでアブラムシが退治できるって、どういうことだ?」
指摘が鋭いのも研究熱心だからだろうね。
「ごめん、俺もよくわからない。理屈はあとで研究してみてくれ。いまはこれで農薬が作れるとだけしか言えない。」
「廃油は、なんで廃油なんだ? 他の油じゃダメか?」
うう、そんな質問攻めされても、答えられないよ。
「食用油じゃ高価だろうと思って書いただけだ。油なら何でもいい。」
「廃油じゃ何が入ってるかわからんからな。桐油じゃどうだ? あれなら安いし品質は落ちないから最適なんじゃないか?」
「桐油って、何?」
僕の知らない異世界の魔物から絞った油とか?
「アブラギリの種から絞った油で家の柱が腐らないように塗ったりする油だ」
なんだ。ちょっとファンタジーかもって思ったのに。
「でも桐油は毒じゃないか?」
サーシンが聞いてきた。
「まあそうだが、そんなこと言ったら唐辛子だって灰汁だって、みんな毒みたいなもんだからな、とりあえずこれでやってみないか。」
細かいようで大雑把。
「よし、じゃ俺は家の倉庫に行って唐辛子を持ってくる。10kg入りの一袋でいいな。」
「あ……」
僕は重大なことを忘れてたのに気づいた。
「どうした、まだ材料がたりないか?」
「いや、そうじゃない。唐辛子は、すりつぶして粉にしなければならないんだ。たぶんすごい時間がかかると思う。」
「おいおい、あんな猛毒を挽き臼使ってすりつぶしたら、挽き臼が他に使えなくなるだろう。」
「でもやらなきゃ。どこかの家で使ってる挽き臼を、ひとつダメにする覚悟で提供してもらわないと。
それと、たぶん粉が目に入ったり、口に入ったりしたら、かなり苦しいから、一人の人が最初から最後まで全部粉にするのはたぶん無理だと思う。何人かで交代でやらないと。
でも毒じゃないから安心して。唐辛子は辛いけれど香辛料なんだから。
それと、唐辛子は煮出すのに使うだけなので、そんなに細かくなくてもいいと思う。」
「おい丸腰、おまえ、さっき向こうの部屋にいたヤツに口調が似てきたぞ。『毒じゃないから安心して』って、それ、かなりうさんくさい言い方になってるからな。」
ひえー、勘弁して。やっぱり僕には人を説得する能力が無い。
「まあいい、挽き臼の手配と、手伝いを四人くらい連れてくるか。これはサーシンの兄貴の家でやったほうがいいだろうな。余れば香辛料として使えるみたいだから。」
「できあがるのは原液で、使うときに400Lに希釈するんだけど、400Lの容器2つと、原液用の容器2つがいるよ。それと、100Lが茹でられる鍋と、かまどが必要。あとは、にんにくをすりおろす道具。」
「ああ、みんな任せておけ。牛を飼ってたから100Lの樽がいっぱいある。鍋も、すりおろしもなんとかする。」
「思っていたより、大変そうだな。」
サーシンの目が少しうつろになってきた。
打ち合わせが終わったあとは、材料や道具がそろわなければ、僕にできることは何もないので、今日一日はのんびりさせてもらうことにして、荷物を宿に置いて、村の中を意味もなく歩いてみた。
そういう暇な人なんて、僕と魔法農薬のヴァリオくらいだよね。ほらすぐに行き会ってしまった。苦手なタイプだから、話はしたくないので、近づかないようにしたけど、ついリゼッタとふたりの会話を少し離れた所から盗み聞きしてしまった。
「街の中は美しい服で着飾ったレディと、清楚な居住まいの紳士が歩き、色とりどりの洋服が飾られた洋品店が並び、カフェの店先にはハーブティを楽しむ二人連れが楽しい一時を過ごし、…」
ヴァリオは目を細めて、まるで歌うように続けている。
「街角の小道には、花の香りが漂う。白と赤と青に染められたひさしのあるレストランの外には吟遊詩人が歌い、窓辺の鳥かごの色鮮やかな小鳥がそれにあわせて鳴く。」
右手をそっとリゼッタの前に差し出して、その手を取ると、さらに詩の朗読のように続けた。
「ほら、目をつぶってごらん。洋品店の笑顔の店主が『お嬢様とてもお似合いでいらっしゃいます』とリゼッタにドレスを勧めてくる姿が浮かぶだろう?」
そして、声をひそめる。
「夜は街灯が通りをセピア色に照らし、窓辺から漏れる魔灯の灯りが、恋人達を優しく包む。居酒屋ではワインを片手に皆が陽気に叫び、誰もが夢を抱いて暮らしている。都会とはそんな場所だよ。」
ほう……。
うっとりした顔で瞳を閉じているリゼッタのように、思わず僕までもうっとりしてしまった。いけないいけない。
※本作はフィクションです。
登場する農薬の製法・使用法は物語上の演出であり、現実での再現・利用を意図したものではありません。




