16.初めての依頼(1)
トラロープというのがあります。
トラ模様のロープのことですが、軽登山の際、これにつかまって登ってはいけないそうです。
この先は危険という警告用なので、登山用ロープのような強度はないとの事でした。
「お兄ちゃん、今日の予定は?」
ちょっとおませなマネージャーのエルが、朝ごはんを食べながら聞いてきた。
「午前中は冒険者ギルドに行ってこようかと思ってる。依頼掲示板を見てきたら、簡単そうな依頼があったから。」
「えーー。今日はエルシェがお付き合いしてあげるって言っても、いっちゃうの~?」
わざとらしい甘えた言葉で誘惑してきた。
「そ、それは魅力的だけど、今日は泣いて我慢するよ。」
「えーー。腕を組んで、一緒に市場に行ってあげるって言ってもぉ~?」
その幼児返りみたいな甘え方。絶対エルに免疫がない僕を、からかってるよね。
「うー、もの凄い強烈な誘惑だ! 助けてお母さん。冒険者ギルドに行けなくなる!」
すると、横で話を聞いていたお母さんが、ちょっと不思議そうな顔で話に入ってきた。
「テムリオは、昨日依頼を受けてきたんじゃないの?」
ホッ、エルの誘惑連打を強制リセットしてくれた。
「いや、きのうは、いろいろ教えてもらってきただけ。雰囲気に飲まれて依頼を受けられなかった。」
「『雰囲気に飲まれて』って、お兄ちゃんなのに…」
エルは拗ねている。確かに反論できない。
エルの本当のお兄ちゃんなら、雰囲気に飲まれるなんて、なかったと思うから。
「たぶん今日の依頼は午前で終わると思うから、その後、一緒に市場にいく?」
「えっ、本当? 約束だよ絶対!」
すねてたエルの機嫌が、一瞬にして治った。
椅子に座って浮いてる両足を、前後にぶんぶんして、嬉しそうにしている。
途中途中で、「エルシェ、かわりにお父さんが……」という空しい声が聞こえていたような気がする。
僕は少し早めに朝食を終えて、大急ぎで身支度すると、冒険者ギルドに向かった。
早速、昨日のうちに目を付けておいた、Gランク用依頼掲示板にあった依頼書を剥がし、左端の部屋のドアから中に入った。
受付は、別の人に変わっていた。どういうシフトなんだろう。
「あのう、これ……」と依頼書とギルドカードを差し出した。
「ああテムリオ君でしたね。今日は依頼を受けに来たのですか?」
昨日の、馴れ馴れしい態度の受付とは、打って変わって、今日の受付は丁寧なしゃべり方で応対してくれた。
この人が登録手続きしてくれた人かな。名前も覚えてたみたいだし。
「はい、あのときは本当にお世話になりました。」
当てずっぽうに言ってみたら、やっぱり当たっていたみたい。
「いえいえ、たいしたことはしておりません。それでは依頼承認しますので、少しだけお待ちください。」
といいながら奥の部屋に入っていった。
手持ち無沙汰で、待っている間、呼び出しリンちゃんに、そっと手を伸ばしてみたら、不愉快そうにギロッと睨まれたので引っ込めた。
他にすることもないので、部屋の中を見回したら、昨日は気づかなかったけれど、天井に、数人の冒険者が、火を吐く巨大な魔物と戦っている勇壮な絵が描かれていた。女性剣士は、どことなくアゼリアに似てる。
壁は、なんの変哲もない白い壁で、振り返ったら姿見に映った自分を見つけ、思わず「うっ」と声が出た。何度見ても慣れそうにない。
「おまちどおさまです。テムリオ君、それじゃGランククエスト、お屋敷清掃とネズミ駆除の依頼が承認されました。」
今回単独冒険者として依頼を受けるので、報酬200Gは全額受け取れるけれど、道具の貸出料として40Gを引かれるそうだ。
依頼者側は、これとは別に事務手数料を冒険者ギルドに払うらしい。
1Gがどのくらいの価値なのか全くわかっていないけどね。相変わらずこういう基本的なところで一般常識が全くわかっていない。今日はエルと市場に行って勉強しないと。
「掃除をする部屋は1部屋です。それ以上の部屋掃除を求められたら、引き受けても構いませんが、必ず証明書に記入してもらってきてください。」
余計な仕事を追加されても断るよ。これものんびり人生計画のひとつ。ブラック企業に自分で足を突っ込むつもりはない。
「完了しましたら完了証明サインをもらってきてください。ゴミは袋にまとめて門の外に置いておけば、収集作業員が巡回して収集します。ねずみ取りは同じく収集作業員が後日回収します。依頼場所までの道順と、道具の使い方は、貸出窓口の担当に聞いてください。」
受付は、手慣れた口調で、他の説明事項も少し早口に一気に説明してくれた。
知らない言葉が多くて、あまり頭に入らなかったけどね。
「では行ってらっしゃいませ。」
依頼先のお屋敷は、お城がある方角の貴族街の中にある分かりやすい場所にあった。
貴族街に来たのは初めてだったので、ヨーロッパの観光地の旧市街を歩いているような楽しさがあった。
依頼されたお屋敷は、かなり大きなお屋敷だったけれど、正門には他のお屋敷のような護衛は立っていない。開けっぱなしの門をくぐって、石畳の、やや長めの玄関アプローチを歩いた。
「誰も出てこないから勝手に開けて中に入るように」と指示されていたので、小さな声で「ごめんください」といいながら玄関ドアをそっと開けて中に入った。
結構広いエントランスだけれど、少し空気がよどんでいる。来客もないのか、床はうっすら埃が浮かんでいる場所もあった。
たぶんここがリビングだろうと思われる部屋の前に道具を置くと、開いているドアをコンコンと叩いてから、
「失礼します。お掃除のご依頼を受けた冒険者です」
と挨拶した。
「はあい」という声がして、奥から不自由そうに杖をついた老婦人が出てきた。
「ご苦労様。お掃除をお願いしたいのは、隣のキッチンよ。」
そういって、僕の顔をちらっと見てから、キッチンに案内してくれた。
「最近ネズミが出てきてしまってね。このままじゃ怪我をしてしまいそうだから駆除をお願いしたの。お願いね。」
「かしこまりました。少し埃が立ちますので、終わるまでリビングのドアは閉めておいて頂けませんか?」
そう伝えると、はいはいといいながら老婦人はリビングに戻っていった。
確かにキッチンは、これじゃ料理が作りにくいだろうと思われる程度にゴミの山だった。あの老婦人がひとりで台所に立って、自分の食事を作っていたのだろうか。
そのうち片づけようと、隅にまとめていたら、気づかないうちに山になってしまったんだろうね。
でも、元の世界のテレビでみたような、『ゴミ屋敷』を想像していたから、この程度なら拍子抜けだよ。むしろ『意外と綺麗』なんて思ってしまったほど。テレビと違って、鼻に残るすえた臭いだけはちょっと厳しいけれど。
無造作に放り投げているんじゃ無くて、きちんと分別もできていて、丁寧に重ねられている。増えすぎて、ひとりで持ち出せなくなっただけみたいだ。
まずは大きなのを、冒険者ギルドから持ってきた大きな紙袋にどんどん放り込んでいった。
すると突然中から、黄色と黒の縞模様の生き物が、勢いよく飛び出してきて、僕の足元をすり抜けていった。
超小型のトラ!?
驚いて飛び退いてしまったけれど、たぶんあれは、駆除依頼のネズミだろう。異世界生物はいつもながら想像の上を行く…。




