114.世界樹の妖精(4)
「マーガレットはここにはいないの?」
孤児院の子供達に聞いてみたら、今日は中央市場で仕事してるそうだ。
「サリちゃん、いいなぁ。」
リシアは、まだペットを独り占めしているサリのことをうらやましがってる。
「これは、おしごと」
サリ、その嘘は通らないぞ。
子供達の前ではブレスレットを使えないので、診療所の待合室の方に戻ってきたら、不安顔のアレックに、「テムリオこれはどういう事だ」と聞かれた。
そりゃあ、門番やってたのに、突然診療所に転移されて、しかも目の前には重傷の蒼の誓メンバーがいるって状況じゃ、誰でも混乱するよ。
だけど、説明している時間がもったいなかった。
「屋敷に置いとけないので、アレックも連れてきた。あそこに放置したら、突然マダムが消えたって大騒ぎしそうだからね。詳しくはマダムに聞いて。そして手伝えることがあったら手伝ってあげて。」
「マダム?」と、アレックも宰相と同じ顔で首をかしげたけれど、その顔は放っておいて、全身麻酔の魔術を掛けている最中の領主の後ろの方に回り、ブレスレットの青いラインを回した。面倒だったからマダムって言ったけど、伯爵婦人って言えば良かったのかな。
中央市場に向かって歩いているうちに、ふと気がついた。何でまだサリは僕に抱っこされてるんだろう。もうここが定位置のカンガルーの子供みたいに、ここにいるのが当たり前になっちゃってるから、うっかり、診療所に置いてくるのを忘れてた。まあいいか。
店先で笑顔をふりまいているマーガレットはすぐに見つかった。お店の横の路地に入ってから青いラインを戻すと、お店の前にいるマーガレットに声を掛けた。
「なあにその格好! 可愛い帽子をかぶって、女の子を抱っこして、面白すぎるわよテムリオ坊や。」
マーガレットはお腹を抱えて笑い出した。
あらためて、自分の今の格好を眺めたら、ああ確かにこれは人前に出ちゃいけない格好だと気づかされた。お店の周りにいるお客さん達も、指を差して笑ってる。サリは何を勘違いしたのか、みんなに笑顔で手を振って投げキッスしてるし。
「マーガレット、早く行こう、アゼリアが怪我をして、マダムがマーガレットを呼んでる。」
マーガレットが急に真顔になった。
「マダムって先生の事ね。わかったわ。店員にちょっと言ってくるから待っててね。」
準備ができたマーガレットを路地に連れて行こうと思ったけれど、面白い格好の僕の後を皆がついてきそうな雰囲気だ。
「どこか誰にも見られない場所はない?」
「威圧の力を使うのね。裏に物置部屋があるから、そこがいいんじゃない?」
マーガレットには、僕がやろうとしていることがお見通しのようだ。物置部屋に入ったら、マーガレットと密着状態になったサリが、「うえっ」と声を出したので、マーガレットに「なによ」と、脇の下をこちょこちょされ、ぎゃあぎゃあ騒ぎ出してしまった。
青いラインを奥まで回してから物置部屋を出ると、サリの悲鳴を聞いた店員が心配そうな顔でこっちに向かってくるところだった。
しまった、リアカー持ってくれば良かった。大きなマーガレットを背負うのは厳しい。もう、いろいろと忙しすぎて、うっかりしてばかりだよ。何かないだろうかと物置小屋を物色してみたら代車が出てきた。
「あっこれはいけるかも!」
マーガレットをよいしょと乗せて、ゴロゴロと転がしたら、丁度いい具合だ。このまま診療所まで押していった。
「ぎゃはは」
もうそばにマーガレットはいないのに、サリは診療所の待合室で時が戻った瞬間、最後の一騒ぎをして落ち着いた。
マーガレットはマダムの助手として凄腕らしく、マダムが必要としている手術道具を次々と手渡していく。きっと、いつこういうことがあってもいいように、マーガレットは、手入れを欠かさずにいたみたいだ。
領主はけが人全員に全身麻酔の魔法をかけるのが終わったらしく、宰相と待合室の椅子にどっかと座った。
あとはマダムを信じて待つよりない。僕もサリを抱っこしたまま椅子に座った。なぜかいつも僕が椅子に座ると、サリはあわてて僕から離れる。どうしてなんだろう。
そういえば妖精達はどこに行ったのかな。ブレスレットを使ったときにしか見えないってことなんだろうか。
「サリ、妖精って見たことある?」
「ウケるぅ~。テムリオ兄が女子になってるし~」
そりゃあそうだよな。ウサギの帽子かぶって、妖精の話なんかするのはエルの友達の夢見る少女ルシアくらいだよね、たぶん。
しばらくして、マーガレットに幼児のように軽々と抱かれたアゼリアが待合室の長椅子に横たえられると、入れ替わりにエルヴィローネが手術室に連れて行かれた。
すぐにアゼリアの所に行って覗き込んだ。全身麻酔の魔法が効いているためか、とても穏やかな顔をしている。出血がひどかったので唇は紫色のままだけれど、マーガレットが手術室にエルヴィローネを抱きかかえて入って行くとき、僕に向かって小声で、「手術は成功したから、もう安心よ。」と教えてくれた。
良かった……
やりきった自分を褒めてあげなきゃ。目標を立てて完遂できたことなんて、僕の人生には一度もなかった気がする。どんなときでも、つらくなると先送りしたり、面倒は避けて通ったり、ろくな生き方をしてこなかった。そのあげくに階段から落ちて異世界転生だもの。
何だか、全部何かを使い果たしたような気持ちになって、横たわっているアゼリアの長椅子の前の床に、崩れるように落ちていった。
……
どのくらいの時間が過ぎたんだろう。
懐かしい小鳥のさえずりが聞こえてきたような気がして目が覚めた。
見覚えのある天井だ。
しばらくは、ただぼーっと、その天井を眺めていた。
コトリと、静かにドアが開く音がした。
薄緑色の下地が透けて見える真っ白いドレスにたくさんの刺繍をちりばめた艶やかな格好のマルグリットが何かを手に部屋に入ってきた。
「……おはようマルグリット。素敵なドレスだね。妖精になったの?」
ガチャンという大きな音がして、ようやく頭がはっきりしてきた。
あれっ?
ここは僕の部屋だ。
そして枕元に立っているのは、本物のマルグリット。
体のラインに沿って黄色やピンクの小花の刺繍が垂直にいくつも飾られていて、所々には大胆な赤いダリアの刺繍もあしらってある。清楚なドレスも素敵だったけれど、これは今まで見たなかで一番豪華で艶やかなドレスだ。
マルグリットは、静かにかがむと、僕の胸の上に頭を乗せてきた。
「どうして泣いてるの? マルグリット」
「な、泣いてなんかいるか!」
涙でぐちゃぐちゃになった顔で怒られてもね……。
どうやら僕は二日間も昏々と眠っていたみたいだ。蒼の誓のクラン員が連れてきてくれたそうだから、たぶんアレックが背負って連れてきたんだろう。涙でぐちゃぐちゃになりながらマルグリットが説明してくれた。
「エルシェちゃんは、さっきまでずっとテムリオのそばにいたんだぞ。眠ってしまったから、子供部屋に運んで寝かせて来たところだ。あんまり驚かせるから、せっかく作ってきたオルゾスープを落としてしまったじゃないか。」
聞いたことのないスープだ。確かに床にぶちまけてしまったようだ。
「ご、ごめん。せっかく作ってきてくれたのに。ところでオルゾスープって何?」
「麦つぶのように小さいパスタで作ったスープだ。消化にいい病人食で、風邪を引いたときはいつも乳母が作ってくれたから、テムリオにも食べさせたくて作ったんだ。全然起きないから、体力が弱らないように、口移しで食べさせてあげようと思って持ってきたのに、まったく。」
「えーっ、また寝るから、ぜひその方法で食べさせて。」
「ば、馬鹿。冗談を真に受けるな。サーベルで切り刻まれたいのか。いまの腕ならテムリオだって切れるかもしれんぞ。早く元気になって稽古相手をしろ!」
なにその焦った声は。もしかして本当に口移しをやろうとしてたとか?
「たぶん、ただの寝不足だよ。もう大丈夫。心配掛けてごめん。起きるから肩を貸してくれる?」
マルグリットの肩を借りて起き上がると、少しだけ足がふらつくけれど、何ともなさそうだった。
「ここは、あとで自分で片付けるから、このままにしていいよ。せっかくのドレスが汚れちゃう。それにしても今日のマルグリットは、ため息が出るほど素敵だね。本当に森の妖精かと思ったよ。どうしたの?」
淡い緑色のドレスは、本当に森の妖精みたいだ。大樹から下りてきたと言われても、全然疑問に思わない。
「うっ、テムリオに褒められると、死ぬほど恥ずかしいな。」
たちまち顔から湯気が出るほど真っ赤な顔になってしまった。
大きな音を聞きつけて、お父さんとお母さんが部屋に入ってきた。お母さんはマルグリットにドレスが汚れると言って一階に行かせると、こぼしてしまったオルゾスープを掃き取って綺麗に片付けてくれた。
一階に下りていったら、すでに別のお皿にオルゾスープが入って置いてあった。まるで雑炊のパスタみたい。
「これ全部マルグリットさんが作ってくれたのよ。このドレスで作るって聞かないんだもの、汚れないよう、お母さんは、はらはらしてたわ。」
「そうなんだ。マルグリットありがとう。とっても美味しいよ。それで、さっきも聞いたけれど、そのお似合いのドレスはどうしたの? 舞踏会でもあったの?」
するとお母さんが楽しそうに教えてくれた。何でもエルが「マルグリットさんがきれいなドレス姿になれば、それを見たくて、きっとお兄ちゃんは飛び起きる」と言ったので、屋敷に使いをやって、持っている中で一番気に入っているドレスをすぐに運ばせたのだとか。これだけ艶やかなら、びっくりしてたちどころにテムリオは起き上がるって皆で話していたそうだ。
「うん、確かに素敵なドレス姿でいっぺんに目が覚めた。マルグリットって凄いね。令嬢から騎士までなんでもパーフェクトだよ。」
「だから、恥ずかしいから褒めるのはやめろ」
マルグリットは、うつむいて顔を隠したまま、相変わらず真っ赤になっていた。
「そういえば、俺を運んだクラン員は、何か言ってた?」
クランで知ったことは家族にも言っちゃいけないって言われてたから、アゼリアが大けがしたことを話していいのかどうかわからない。
「いいえ、あのメイドの女の子は、なにも言わなかったわね。」
「えっ、俺をここまで運んだクラン員って、メイドの子だったの?」
「そうよ、蒼の誓クラン員のサリちゃんって名乗ってたわ。あんな小さい体でテムリオを担いできたんですって。蒼の誓のクラン員って、みんな力持ちなのね。怖い顔で睨まれてしまったけど優しい子みたいだったわ。たぶん疲れて眠ってるだけなので、好きなだけ寝かせておいて欲しいって、それだけ言って帰って行ったわよ。」
力持ちなんかじゃないよ。サリにそんな力があるはずない。きっと必死で歯を食いしばってここまでひとりで担いできたんだ、そりゃ怖い顔にもなるよ。どうしようサリに悪いことしちゃった。あとで、抱っこ倍返しかな。いや、それじゃ僕が一方的に得してしまうか。
でもサリも何も言わなかったんだね。つまり今回の討伐は極秘扱いってことなのかもしれない。それなら僕も黙っていなきゃ。
「それで、いったいどうしたんだ。お母さんの話だと、テムリオはアゼリアさん達と、また西の領界まで出かけるってことだったみたいだけど、次の日に帰ってきたというのは、中止になったのか?」
マルグリットの疑問はもっともだけど、説明できない。そうか、僕にとっては一ヶ月以上もかかった大遠征だったけれど、僕以外の人にとってはたった二日間の出来事だったんだ。
とてつもない無駄なことをやってきたみたいな感覚になって、途端に体中の力が抜けそうになった。また倒れると誤解したのか、隣に座っていたマルグリットがあわてて僕を抱きしめた。
うわっ、アゼリアと違ってマルグリットの胸の谷間は全然苦しくない。なんてことを一瞬でも考えたことは内緒にしよう。せっかくここまでイメージ回復したのに、一瞬でマルグリットのゴミを見る目が復活してしまうからね。
とっておきのドレス姿で、初めてぎゅっとしてもらって、これでも心臓が破裂しそうなほどドキドキしてるんだよ。本当だよマルグリット。
「ごめんマルグリット、ありがとう。もう大丈夫だ。遠征のことだけど、俺は覚えていないけど、たぶん俺が突然倒れたから中止になったんじゃないかな。あとでアジトに出かけたら聞いてみるよ。」
「危ない遠征が中止になって本当に良かったわ。皆さんにご迷惑を掛けたなら、ちゃんと謝るのよ。」
お母さんごめん、とんでもない危ないことを、もうしてきちゃった。これからは決してやらないから勘弁してね。
時間感覚がわからなかったけれど、今は朝みたいだ。ということはエルは寝ずに僕のことを看病していたのかな。僕の十歳の体でも寝ずに過ごすなんて絶対に無理なのに、八歳の子が寝ずの看病なんて、どれほど心配を掛けたんだろう。
「マルグリット、図書館の仕事の方は大丈夫なの? 俺の看病で寝ていないのなら、今日もお休みして子供部屋でエルと寝たらいいよ。」
「あ、ああ、昨日は臨時で休んだから、今日は行かないと。これでもソレイヌお嬢様の護衛騎士だからな。……それにしても、今週は朝から夜までテムリオの顔を全く見なかった日は水曜日だけだった。」
えっ、そうなの。僕としては一ヶ月以上会っていなかったから、ひどく懐かしいんだけど。
「臨時で休んだって、俺のことが心配だったから?」
「いや、あの……」
しどろもどろになってる。どうしたんだろう。
確かに僕はすっかり忘れてたけど、マルグリットが話してくれたことで、ようやく思い出した。
今週は日曜日に図書館にマルグリットに会いに行ったところから始まって、その日マルグリットは家に泊まった。
星曜日……つまり日曜日の次の日に一緒に川トカゲを捕まえに行き、マルグリットはまた一泊。なかなかこの星曜日という言い方には慣れない。この異世界の空には月がないんだよね。それなのに、なんで一年が十二月という単位はあるんだろう。
火曜日にマルグリットは家から出勤。その日に僕は体感十六日かけて領界に行ったけれど、皆の時間はほんの数秒間。山賊を捕まえたり、子供狩りをしていた誘導者を捕まえたりといろいろなことをやった。
水曜日は一日中、領界の村で過ごしたから、この日は確かにマルグリットに会っていない。僕にとっては半月ぶりの休日だった。
木曜日は蒼龍を討伐し、体感十六日かけて領都に帰ってきたけれど、皆の時間ではやっぱり数秒。そして診療所で倒れ、家に運ばれて、その夜は、いつものようにお泊まりにきたマルグリットがつきっきりで看病してくれた。
金曜日、マルグリットは図書館を休んで、一日中僕の看病。
そして今日が土曜日だ。
確かに今週マルグリットに朝から夜まで一日中全く会っていなかったのは水曜日だけだ。
僕の体感と、あまりに違う現実の時間進行に、ただただ驚いた。
【オルゾスープ(アヴゴレモノスープ)】
《材料(4人分)》
鶏むね肉または手羽肉 … 250g
水 … 1.2L
玉ねぎ … 1/2個(粗みじん)
セロリ … 1/2本(粗みじん)
にんじん … 1/2本(粗みじん)
オルゾパスタ … 120g
卵 … 2個
レモン汁 … 大さじ3(レモン1個分程度)
塩 … 適量
黒こしょう … 適量
《作り方》
<ブイヨンを作る>
鍋に水・鶏肉・玉ねぎ・セロリ・にんじんを入れて火にかけ、弱火で30分ほど煮て鶏肉が柔らかくなるまで煮る。
鶏肉を取り出し、身をほぐしておく。スープはざるで漉して澄んだチキンブイヨンを作る。
<オルゾを煮る>
澄んだスープを再び火にかけ、オルゾパスタを加えて10分ほど煮る。
<アヴゴレモノ(卵レモン液)を作る>
別のボウルで卵を溶き、レモン汁を加えてよく混ぜる。
ここに熱いスープを少しずつ(お玉1杯ずつ)加えて、卵液の温度を上げていく(テンパリング)。急に熱いスープを加えると卵が固まってしまうので注意。
《仕上げ》
卵レモン液を鍋にゆっくり戻し入れ、弱火でとろみがつくまでかき混ぜる。沸騰させないこと。
ほぐした鶏肉を加えて温め、塩・こしょうで味を調える。
《盛り付け》
器に注ぎ、好みでディルやパセリを散らす。




