113.世界樹の妖精(3)
半月ぶりに小鳥の声や町の騒音が耳に入ってきて、ひどくうるさく感じた。半月ぶりの音だもの、それはうるさいよ。僕には耳をつんざくほどの大きな音に聞こえる。
「マダム、僕です。テムリオ。」
マダムの前では「僕」を使えるので、そう丁寧に挨拶した。
すると足が不自由なのを忘れたかのように立ち上がったマダムは、僕の挨拶に返事をすることもなく、アゼリアの所に行くと鎧の隙間に手を入れてウンウンと頷いた。
「テムリオさん、そこに救急箱があるから、取ってくださらないこと?」
マダムは僕に端的に一言告げると、アゼリアの全身の様子を見回した。
急いで救急箱をマダムのところに持っていくと、中から包帯と短い棒を取り出して出血部位の鎧を避けて、グルグルと包帯を巻き始め、最後に棒を刺してくるっと回した。
ああこんな簡単に止血しちゃうんだ。
「テムリオさん、怪我人はアゼリアだけかしら?」
「は、はい、エントランスに六名。いずれも重傷です。」
「……わかりました。ではテムリオさん。いまやった威圧の力を使って、けが人全員と私を、診療所の手術室に転移してくださらない?
他にお願いしたいことがあるけれど、手術をしながらお話しします。」
「わ、わかりました。いますぐ転移します。」
あわててブレスレットの青いラインを目一杯奥まで回すと、アゼリアをカプセルに再び納めてから、リアカーにふたつと大八車に四つのカプセルを乗せて軽く縛っただけで、診療所に向かった。
ええと、マダムの屋敷からだと診療所の場所がよく思い出せない。でも中央通りに行けば思い出せるはず。とりあえず中央通りを目指してリアカーと大八車を引いていった。
通行に邪魔な人を道路脇に移動させ、通路を作りながら、中央通りまで来たけれど、「あれっ?思い出せないよ。」と立ち止まってしまった。
すると、ふわふわと飛んできた妖精達が、こっちこっちと、僕を誘導してくれる。
「さっきはどこにいってたの?」
まあ聞いても答えてはくれないけれどね。
妖精についていったら、ようやく診療所にたどり着いた。手術室を覗いてみたら手術台がふたつあったので、僕なりに重傷と判断したアゼリアとアルフェリードのふたりをそこに乗せ、他のけが人は待合室の長いベンチの上に寝かせ、手術室の入り口付近に置いた。
もう一度マダムの屋敷に行くときは、通行人がみんなどいていたので、あっという間に到着した。残りのカプセルと、マダムと、何かどうなったのかわからないという混乱した顔の三人の子供達と、ついでに守衛のアレックを大八車に乗せて、ふたたび診療所に向かった。
診療所に到着したら、三人の子供達は孤児院の方に連れて行って、アレックは待合室に、そしてマダムとサリを手術室に運んでから青いラインを戻した。
すると、目の前にいた妖精達が、ふただひフッと消え、時間が動き出したように見える手術室で、マダムが「まあ」とひとことつぶやくように言った。
「本当に凄いわね。ではテムリオさん、みんなの処置をしながらお話ししますので聞いてくださる?」
そう言うやいなや、確か足が不自由だったはず……と、首をかしげたくなるほどピンと背筋を伸ばしたマダムが、次の指示を出した。
「ではお城に行って領主を連れてきてくださらない。私の名前を出せば、決して嫌とはいわないわ。」
「えーっ! 領主とか無理!」
隣で何が起きたのか理解できずにポカンとしているサリの言葉遣いになってしまった。
「アゼリアを助けるためなら何でもしなさいね。」
優しいのか厳しいのかわからないマダムの笑顔だった。
思わずサリの顔を見たら、言いたいのが伝わったのか、「せっかく抱っこしてあげたのに~、落とした。」と言われてしまった。
そうだよね、サリにしたら、ぴょんと飛びついた途端に木陰とか、棺桶の中とか、診療所の手術室とか、それぞれ一瞬のうちに次々と寝かされたんだから怒るのは当然か。
「じゃあ、サリが一緒に行ってあげよっか~?」
なんて言葉を期待するのはとても無理そうだ。
「わかりましたマダム。ではマダムの名前を出して、ここに領主を連れて転移してくればいいんですね。僕は領主誘拐の罪で裁かれたりしないですよね。」
「大丈夫よ。むしろ連れて行けって言われるわ。」
「もぉ~びびりじゃんテムリオ兄。ほらぁ。」
サリが渋々顔で両手を広げた。サリにとっては「抱っこしてあげた」ことになるんだろうか。どうみても抱っこするのは僕の方なんだけど。でも何とかこれで勇気が出そうだ。ぴょんと僕の首に両手で飛びついて胴体に足を絡ませるいつもの抱っこスタイルにサリがなったところで、ブレスレットの青いラインをぐいっと回した。
ブレスレットに手をやるとき、サリをぎゅっと抱きしめる格好になるので、どうしても「うっ」と声を出されてしまう。毎回のことだから、それ以上サリは何も言わなくなった。
ええと、領主を連れてくるなんて簡単に言うけど、リアカーで領主の部屋までは行けないから、えっ、まさかここまで背負ってくるのか!?
大変な事を思い出してしまった。サリを前側に抱っこして、領主を背負って、果たしてここまで来られるかな。サリに「一緒に行って」と懇願した目を向けてしまったのは失敗だった?
まあ、いまさらだ。サリがついて行ってくれるというから決心できたんだから我慢しないと。
せめてお城からここまでくらいはリアカーを使おう。リアカーを引いて領城に向かった。いつの間にか、僕の肩やサリの頭の上には妖精が座っていた。
「今までどこに行ってたの?」
聞いてもこちらを見てにっこり笑顔になるだけだった。
南側にある正門は開いてない事を知ってるから、東門の方に直接回った。ここはアゼリア達と通ったことのある門だ。ここも締まっているけれど、脇に立っている衛兵の後ろにある小さな木戸が開いていたので、そこから中に入ってかんぬきを外したら簡単に開いた。意外と警備が雑だよね。衛兵を倒せば中に簡単に入れるじゃん。僕の場合は倒す必要さえ無い。
リアカーを建物入り口の所まで転がしていったけれど、そこから先には階段があって中には入れない。建物に権威づけをしようとすると、すぐに必要もないのに入り口に階段をつけようとするよね。
元の世界でも田舎の方の古い役所に仕事で行ったことがあるけど、中二階くらい高さまで階段があって閉口した記憶がある。バリアフリーなんて、どこ吹く風みたいな建物だった。ほとんどの人が正面入り口は使わずに、横の方にある通用口から地下一階に下がっていって、そこからエレベーターで一階にあがって行くって、面倒な事をしていた。正面は帰り専用出口扱いだった。
リアカーを、建物出入り口を警護する衛兵の目につかないよう、横の方に置いて、建物の中に入って行った。わずかな記憶をたどって領主のいた部屋にやっとたどり着き、ドアを開けると、領主が机に向かって何やら執務中だった。横にはあの宰相が立っている。
長いサーベルを腰につけてるから、突然僕が目の前に現れたとき、宰相がどんな反応をするかわからないので、ずっとブレスレットからは手を離さずにいよう。そうだ宰相の前に長椅子を持っていってバリケードを作っておこう。これで宰相が襲ってきても少しは時間稼ぎができる。最悪縛っちゃってもいいかな。
それと騒ぎを聞きつけてドアの外にいる衛兵まで入ってきたら大変なので、こちらにもバリケードをしておこう。
長椅子を宰相の前とドアの前に置くと、できるだけ宰相と出入り口から遠い位置に移動して、ブレスレットを戻した。
「こんにちは。」
「ちわ~、領主げんきぃ?」
僕の挨拶にかぶせてサリが領主に手を振って挨拶していた。
思った通り宰相が腰のサーベルに手をやったけれど、領主がすぐにそれを手で合図して止めてくれた。
ふう、第一関門突破だ。これから領主を説得しなきゃ。それよりこの状況の説明から必要かな。
「おお、アゼリアのところの少年か。本当に転移できるんだな。聞いてはいたが、実際に目の前で見ると驚くな。なあ宰相。」
宰相は、サーベルに掛けた手はそのままに、警戒して僕を睨みながらも「御意」と返事した。
よかった転移についての説明は省略できそうだ。さてどうやって説得しよう、こういう人の前では、あがり症の僕は絶対にしどろもどろになっちゃうんだよね。
「領主ぅ~、アルフェルド伯爵婦人が、今すぐ来いって。」
えっ、サリそんな言い方でいいの?
それにサリなのに、「アルフェルド伯爵婦人」なんて、なんでスラスラでてくるの?
サリなのに……。
「わかった、少年、儂をそこに転移させてくれ。」
えっ、そんな簡単で良かったの?
何の説明もしていないよね。
「私も一緒でなければならぬぞ少年。」
宰相が慌ててその言葉に続いた。
「連れてくのはいいけどさ~、宰相ぅ~、その格好こあいよ~」
僕に抱っこされたままのサリがすっかり仕切っていて僕はなにも話す必要が無かった。確かにあのサーベルに掛けた手を何とかしてもらわないと、怖くてとても連れて行けない。
「宰相、この少年は心配しなくていい。アゼリアの軍師だ。」
「はっ、心得ております。少し動揺いたしました。」
「魑魅魍魎の貴族どもを前に、一歩も引かない宰相が、少年に動揺するとはな。まあわからんでもないが。なにしろ王にもなれる器の少年だからな。」
うーん、よくわからないけれど、勝手に勘違いしている分には無害だからいいか。……まあ、この際、そんなことはどうでもいい。
「では今から転移しますけれど、いきなり領主様が消えたら大騒ぎになると思うので、メモか何か残しておいてもらえませんか。それと、いきなり場所が変わっても、またサーベルに手をかけないようにお願いします宰相様」
サリのおかげで、落ち着いて話ができた。サリ様々だよ。
領主と宰相の準備ができたようなので、ブレスレットの青いラインを奥まで回した。今回はサリの腰に手をやる前に、もうサリは腰を引いていた。毎回ブレスレットに手をやるたびに、よっぽどくすぐったかったみたいだね。
まずは領主をサリの頭がないほうの肩に乗せて、よいしょと担いでみた。案外軽いね。前がよく見えないのでサリの髪の毛をかき分けたら、サリのうなじのあたりに顔が当たってしまった。うわ、この格好はサリに絶対吊り橋がどうのと大激怒される格好だよ。
やっとの思いでリアカーに領主を乗せると、戻っていって宰相も一緒に乗せ、診療所に向かった。
まずは手術室に診察用の丸い椅子を持って来て、領主をそこに座らせてと。
座った状態から連れてきたからね。ここで椅子なしで立たせたら、椅子を引いて落とす、あのいたずらみたいになって、後ろに転けちゃう。
あとは領主のすぐ後ろに宰相を立たせて……。
ようやく準備が整ったので、ブレスレットの青いラインを元に戻した。
僕の周りをくるくる飛び回っていた妖精がふたたびフッと消えると同時に、いろんな騒音が耳に飛び込んできた。
「来たわねフィリップ。説明は後。今すぐアゼリアに全身麻酔の魔術。それと私に回復魔術。」
マダムのきびきびした声が手術室にこだました。
「はい伯母上!」
領主は片手をアゼリアに、もう片手をマダムに向けて、何やら詠唱をはじめた。気のせいかもしれないけれど一瞬二人が青白い光に包まれたような気がした。
「終わりました」
「わかってるわ。私も詳しい鑑定ができるようになりましたもの。ご苦労様。うしろの患者と、外の患者にも全員全身麻酔の魔術を使って頂戴。治癒魔法はいらないわよ。魔力がもったいないから残しておいてね。」
あのどこまでもおだやかだったマダムが、今は全く別人のように領主に指図をしている。
「テムリオさん、これから手術が始まるから、部屋の外に出てくださる?
それと、孤児院のほうにマーガレットがいたら呼んで、いなかったら呼びに行ってきていただけないかしら。どこにいるかは子供達に聞いてもらえればわかるわ。」
「場所は知ってますから大丈夫ですマダム。」
「マダム?」
宰相が怪訝そうな声で反復してきたけれど無視した。
すぐに奥の孤児院のほうに行くと、先ほどの三人の子供のそばに孤児達が集まっていた。
「うわぁ、可愛い帽子!」
子供達が僕のそばに走ってきた。
「帽子?」
頭に手をやって、初めて自分がずっと帽子をかぶっていたことに気がついた。
ああ、これは森に入っていったときに足元にいたウサギみたいな魔物だ。全く動かないからすっかり忘れていた。これって男の僕がかぶってるのは、かなり恥ずかしいんじゃない?
思い出せないけれど、多分エルのお土産にいいかな、なんて考えてかぶったままにしていたんだと思う。
いまここで脱いだら、きっと子供達の取り合いになっちゃうよね。しかたがないからこのままかぶっていよう。
「サリちゃんいいなぁ、テムリオお兄ちゃんに抱っこしてもらって。」
ああ、この子はアゼリアとペットの僕を取りっこしてた女の子だ。
「アゼリア姉からもらったんよ~。いいっしょ。あげないよ~」
「えーっ、ずるーい。リシアも欲しかったのにぃ」
やっぱりただのペットの取り合いだ。
こんな時じゃなかったら、微笑ましくて笑顔になれるのに、いまはこわばった顔がどうにもならない。




