110.蒼龍と誘導者(9)
朝。といっても時間が進んでいる感覚が全くないから、目が覚めたときが朝なんだけれど。二日目のお弁当を食べると、もはやただのオブジェにしか見えなくなった蒼龍の足をぺちぺち叩いて朝の挨拶をしてから、リアカーの所に行った。
まずは目印用に買ってあった紐を持って、オブジェの足元にある木に縛られている誘導者の女の人に、これで目隠ししておく。奥の方にいる集団に目隠しとして服を掛けておこうかと思ったけれど、あっちはあのままでいいや。突然の自分たちの状況にパニックになってオブジェの方に気を回す余裕なんて多分ないだろうからね。
それに森の中からはオブジェははっきりとは確認できなかったから、たぶん目隠しなしでも、状況はあまりよくわからないはずだ。
次に誘導者達を縛った残りの麻縄を取り出して、結び目をつけた。
昔トラック助手のバイトのとき教わった結び方がここで役立つ。風車修理のときは、麻縄に染みた油で体がスポッと抜けて失敗したけど、今回はその失敗を繰り返さない。
今回の結び方は「二重もやい結び」だ。
まずロープを二つ折りにして、普通のもやい結びを作る。ここまでは定番。
で、その二重になった輪をぱっと開くと、両足がすっぽり入るスペースができる。
よし、足を通したらロープを引っ張り上げる。すると両太ももががっちり固定される。
あとは真ん中のロープを肩口から脇に通す。これで太ももと脇の二点で体が支えられる。
うん、これなら落ちても絶対にすっぽ抜けない。縄結びが趣味だったトラック運転手が言ってた「身体縛着」の完成。練習していたときはピンとこない表現だったけれど、いまならよくわかる。体全体を包み込んで守るための縛り方という意味だ。これで完璧。
アゼリアの剣を背中のロープの間に鞘ごと刺し、残ったロープを輪にして肩に掛けると、オブジェの尻尾側に移動した。
「これから君の名前はオブジェだよ。」
軽口を叩きながら、オブジェの尻尾の先まで来ると、その中心部から落ちないようにゆっくり登っていった。
初心者の軽登山で一番安全なのは尾根歩きだ。一見すると両方が崖で一番危険な登山方法に思えるかもしれないけれど、一番危険なのは沢登り。最初は緩やかな上りが続くけれど、沢登りは最後に急峻な登りが待っている。
それに比べると、最後まで傾斜が緩やかな尾根歩きは、素人向きだ。尾根伝いに山に登っていけば、楽に山頂に到達できる。山で迷ったら無理に下山しないで尾根に向かって登れと言われているのはそのためだ。
このオブジェだって理屈は一緒。軽登山を趣味にしていて良かった。こういう当たり前なことだって、実際に登った経験が無ければ実感できないからね。
油が掛けられていたのは両前足だけだったみたいで、背中はむしろしっかりと足が吸い付くようなざらざらとした感触がある。しかも意外と尾根の上は広くて、すいすいと登れる。
あっさりと登頂に成功してしまった。ここがオブジェの一番高いところ、頭の上だ。地上をみると、ちょっと下半身がきゅんきゅんするけれど、それほど恐ろしい感覚はない。
蒼の誓のメンバーの誰がこの役をやったのか知らないけれど、命がけでここまで登って釣り竿の先につけた肉の塊をこいつの目の前にぶらさげるんだ。
そうするとその餌を食べようと首を持ち上げるから、その一瞬を狙って足の裏から胸付近まで登っていたアゼリアが突く。これが、始まりの王オダルティの宰相だった転生者アルケジの考えた蒼龍討伐方法だ。僕とマルグリットの二人はこれを古書から発見したけれど、アゼリア達も古書からみつけて実践した方法だ。
でも今回の僕はちょっとやり方が違う。川トカゲにくつわを作っていたときに発見したんだけれど、オブジェの頭から背中に掛けては中央に段々がいくつもあって、ロープをそこに引っかけることが可能なんだ。今回はそれを利用する計画。
身体縛着の反対側のロープの先で輪を作ると、オブジェの口先に垂らして何とか口を通し、そのまま首の方まで輪っかを移動させ、アゴのすぐ下あたりまで来たら、結び目を縛っていく。
アゴの下はギザギザになっていて、頭のてっぺんにも段々があるから、両方がそこに引っかかってガッチリと固定されている。
これで僕はオブジェから振り落とされる心配は無い。落ちても首の下あたりでぶら下がっているはずだ。安全ロープってやつだね。
こうやって安全を確保してから、釣り竿で肉をぶら下げる計画だったけれど、アゼリア達が使ったはずの釣り竿はとうとう見つからなかった。オブジェに飲み込まれたのかも。
村にいたときに、釣り竿に使えそうな棒を探してみたけれど、真っ直ぐに伸びた棒なんて都合のいい物は簡単には見つからなかった。アゼリア達は森を進みながら竹のようなのでも見つけて作ったのかもしれない。
もしかしたらセルディオの槍を釣り竿代わりに使ったのかもしれないけれど、あんな刃先が尖った武器は僕には危ないし、釣り竿には少し短い気がするので断念した。
だから僕は、そんなのを使わずとも、こっちのが確実に思えたから、自分を餌代わりにしてロープの先に垂らすことに決めたんだ。もちろんみすみす食べられたりはしないけどね。
両腕のブレスレットとミサンガを交互に眺めた。この二つが、いまの僕の相棒だ。この二つがあれば、なんとかなるだろう。
まだ弛んでいるロープをつかむと、オブジェの目のすぐ上あたりまで降りていった。ロープを手放したらオブジェの口先に落ちてしまうので、それはまずいから途中で縛り目をつけて弛みをなくした。
さあこれで準備は整った。あとはブレスレットの青いラインをゆっくり戻すだけだ。あまり長くはできない。ほんの一瞬だ。そうしないと村に置いてきたアゼリアの出血がひどくなってしまうからね。
緊張しながらも、冷静に青いラインをゆっくり戻していった。
オブジェの目玉がゆっくり動きだすのが見えた。その目は、両目の中間にいる僕の方に向かってきている。結構動きが速いね。目の両側が膨らんでいたので腰を落とすと、ずり落ちないように両手でしっかりとつかんだ。
オブジェの少し出っ張った眼球は、両方とも器用に僕を捕らえている。やがてゆっくりと顔を上に上げ始めた。さあここからだ。絶対に頭の後ろに落ちないようぎりぎりまでここで粘らなきゃ。
最初は頭を上げるけれど、その次は顔にたかっている僕を振りほどそうと、下を向くか頭を左右に振るか、いずれにしてもそこまでいったらおしまいだ。頭を上げきったところが勝負。
どんどんあがっていく頭に耐えきれずに、ついに頭の上から後ろにずり落ちそうになった。もうちょっとの辛抱。目の上のこぶに必死にしがみついていたけれど、ほぼ垂直に頭が上がったところでとうとう足場がなくなって後ろに落ちてしまった。
でもここまでは計算通り。この瞬間を待っていたんだ。ブレスレットの青いラインをまた一番奥まで回して、オブジェをこの位置で止めた。完全にオブジェの口は真上を向いている。成功だ。僕が落下する速度も遅くなったので、オブジェのうろこのひとつをつかむと、飛び出ているうろこを足場にゆっくりオブジェの首の下に回り込んだ。
「開いてる!」
思わず叫んだ。
首を真上まで持ち上げたせいで、顎の下の鎧のように固いうろこが開いて、その下から、川トカゲでみた、あの白い柔らかそうな皮膚が見える場所が現れていた。あそこだ。
慎重にうろこを這っていって、その場所まで移動した。
周りが止まって見えるのは、僕だけが活性化しているからだ。だから時間停止状態に見えても、活性化した僕の体だけは何もない場所ではゆっくりでも落ちることは落ちる。だから足を滑らせないように慎重に行こう。
つかんだうろこになんとかつかまりながら、オブジェの柔らかな部分のところまでたどり着いた。
うわっ嫌だな、ここにアゼリアの剣を刺すんだよ。僕にできるだろうか。川トカゲに針を刺すんだって絶対無理って僕とマルグリットはふたりとも首を振って断念したんだ。ここまできて怖じ気づいてしまった。
うろこに乗った状態で、そのまま動けなくなっていた。うろこは外側にみんな立っていたので、足場は安定していたけれど、そんなに長いことここにいられるだろうか。
悩みに悩んだ末に、いつもの僕みたいに、嫌なことは先延ばしにしてスルーすることができないことを悟って、背中に背負ったアゼリアの剣を鞘から抜くと、オブジェの白く柔らかな所に当てた。
でも当てただけで、刺すことがどうしてもできない。考えれば考えるほど手先の震えが止まらなくなった。
「うー、ごめん、オブジェは何も悪くないんだ。悪いのはオブジェをダンジョンから追い立てて戦争の道具に使おうとした人間だ。ごめんよ、ごめんよ。」
涙が急に溢れてきた。自分のために誰かの命を奪うことなんて、もう二度としたくない。これで絶対に最後にしよう。
僕のしようとしていることは、あまりに許されないことだ。目をつぶることすら許されない。カッと目を開いたまま、剣を強く押し当てた。重い感触が腕に伝わり、ついに深く沈んでいった……。
ほんのわずかブレスレットの青いラインを戻してみた。
本当に一瞬のことだったけれどオブジェの姿がモノトーンの灰色に変わったと思ったら、淡い砂の粒子にほどけていった。
ひどい嫌悪感が頭をよぎった。何の罪もない生き物を自分の都合だけで殺めてしまった罪悪感。胸の奥に重い石を押し込まれたみたいで、息がうまくできない。考えようとすると、思考がどこか深いところに沈んでいくみたいに鈍くなる。……いまは、ただ自分の呼吸を確かめることで精一杯だった。
でも、ここで立ち止まっているわけにはいかない。急いで青いラインを奥まで回して砂が崩れ落ちるのを止めると、アゼリアの剣を引き抜き、虹色に光っている剣を鞘に収めた。まだ手の先は小刻みに震えている。
ロープを伝って砂の形のままのオブジェを崩さないよう気をつけながらゆっくりと首の後ろにまわり、首のロープを引っ張ってまとめ、背中から下に降りていった。
そういえば黒猿の時も、黒猿は一瞬にして砂になったけれど、あの砂は停止状態で空中で動かなかった。だから僕は砂の上に立っている限り下には落ちなかった。あのときと一緒だ。あのときは青いラインをゆっくり回すことで砂が崩れるのに合わせ一緒にゆっくり下に降りることができたけれど、いまはアゼリアのことがあるから回すのはやめよう。
背中から降りる途中で、砂をかき分けてみたら、案の定、剣を突き刺した奥のあたりに、大きな魔石が見えたので、これを掘り起こして、抱えて下に降りた。オブジェが生きていた証しだ。せめて大切に持っていって供養しよう。
なるべくオブジェのことは考えないようにした。そうしないと涙が止まらなくなってしまう。抱えた魔石をリアカーに載せると、ロープをほどいてアゼリアの剣もリアカーに乗せ、周囲に置き忘れた物がないか確認してから、淡々とした気持ちでリアカーを引いて村に戻った。
心の中のもやもやは、これから先もずっと晴れないままだろうけれど、一応これで蒼龍と誘導者の両方が片付いたことになる。そうだ、そんな感傷に浸ってる場合じゃないよ。ほんのわずかな時間でもブレスレットを戻したことでアゼリア達がどうなったのか心配。
急いで大樹の下にいる仲間のところに駆けつけた。
ああ、全員大丈夫みたいだ。少しだけ姿勢が変わってる気がする。空に向かって上げたままだったエルヴィローネの手が、今は両手でアゼリアを抱きかかえていた。サリがその場に座ってキョトンとした顔になってる。サリから見たら、抱きついた瞬間に僕が突然いなくなったんだからね。驚くのはわかるよ。
「良かった。ありがとうね、皆を守ってくれていて。」
木陰を提供してくれていた大樹を見上げてお礼を言ったら、突如大樹の枝がサワサワと風に揺れる音が聞こえて波を打った。
「えっ!」
どうして?
もしかして、ブレスレットの効果が切れたってこと?
そうなったら大変。僕のこの先の計画が全部台無しになる。慌ててアゼリアを覗き込んだ。でも今のところ大丈夫そうだ。
そうだ、ブレスレットのチート効果が切れたのなら神の国のセシルフォリアさんに直してもらわないと。……でも神の国に行くにはブレスレットを逆方向に回さなければならない。それはできないよ。
どうしていいか途方に暮れて辺りを見回したけれど、どうも時間が進み始めたような様子が見られない。大樹の枝が揺れたのは気のせいだったのだろうか。いや多分気のせいじゃない。でも魔法がある謎だらけの異世界で、いちいち首をかしげてばかりはいられない。気を取り直して、この次の作戦の準備をはじめないと。
僕がここに来た一番の目的、アゼリアの命を救うんだ。それに比べたらここまでやってきたことなんて小事だ。救った後でアゼリアが悲しむ顔を見たくないから頑張っただけの話。
もちろんアゼリアを救出すれば、他の皆もオマケで救出することになるんだから、皆のことなんていちいち言わなくてもいい。救うのは、あくまでもアゼリア。頑張ろうねアゼリア。僕も頑張るからね。




