10.子供の日々との惜別
挿話です。
エルがよく意味もわからずに「ここはイシクトオリ」と言ったことで、そこが石工職人が働く職人街であることがわかった。
あの石材は、たぶん城壁用なんだろう。ほぼ均一の大きな一枚岩が、どの工房の前にもたくさん置いてある。
「おおい、坊主、あぶねえからよけろ。」
さほど早くもない荷車を引いた石工が後ろから怒鳴ってきて、同時に「プフォー、プフォー」という間の抜けた警笛も聞こえた。
ああ、荷物の石材が重いからスピードがなくてもすぐに止まれないのか。
あわててエルの手を引いて側溝の外によけたら、荷車が警笛ラッパを「プフォー、プフォー」と鳴らして通り過ぎていった。すれ違いざまに警笛ラッパがこちらをチラ見した。目があるし。
「エルあの警笛ラッパはなんて言うの?」
「警笛アヒルだよ。餌あげないと怒ってうるさいんだって。」
少し埃っぽい道を歩いて行くと、石材工房が並んだ一角にある、ヴィロルドの家に到着した。
「ここだよ。エルシェは会いたくないから外にいるね。」
不機嫌に言うエルだけれど、石を載せた荷車が時々行き交ってあぶない。
「ヴィロルドの顔はみなくていいけど、ここは危険だから中に入ろう。」
嫌そうにしているエルを促して工房の扉を開いた。
奥に向かって声を掛けたら、石を削った粉をかぶった筋肉質の大男がぬっと現れた。
手にはタガネのような道具を持っていて、なぜかその頭の所に黒い丸い玉がリズミカルに上下している。あれも魔道具なのかな。石の上にタガネを立てると、あの玉が勝手にコンコンと叩いてくれそうな感じだ。
「おっ、テムリオじゃねぇか。良くなったのか? 悪かったなぁ、うちのヴィロルドの馬鹿のせいで、大変な思いさせちまったな。なんだ今日はエルも一緒か。」
この大男がヴィロルドかと思って一瞬構えてしまったけれど、その親らしい。ホッとした。
「うん、なんとか。……そのことをヴィロルドに伝えようと思って来た。」
ここは相手が大人だからといって、ひるんじゃいけない。エルが見てるからね。
ちゃんと素っ気なく言えたかな。
「そうかい、そうかい、わざわざ来てくれてありがとな。ヴィロルドのヤツ、あれからすっかりいじけて、ほとんど部屋から出てきやがらねぇ。テムリオとエルで、ガツンと言ってやってくんねぇか?」
玄関先で帰るつもりが二階のヴィロルドの部屋まで行くことになってしまった。
意を決したような顔でエルも黙って後ろからついてきた。
「おいヴィロルド、俺だ。開けてくれ。」
部屋の前で声を掛けたら、ドカドカと中から音が聞こえてきて、ヴィロルドが顔を出した。父親に似て大柄だけど童顔で、僕よりひとつふたつ年上のようにみえる。
「テムリオ……」
ヴィロルドは僕の顔を見て絶句した。
僕の斜め後ろでエルが怖い顔でヴィロルドを睨み付けている。
どうしよう、笑顔もいいけど怖い顔の方が可愛い。
ええと、何しに来たんだっけ。
そんなエルの横顔をチラッチラッと見ながら、ようやく本題に入った。
「もう大丈夫だから。それだけ伝えに来た。」
本気で怒っているように見えるよう、それだけ伝えたら帰るつもりだった。
そうしたら、まったく予期していない事が起きた。
ヴィロルドが僕を見ながら、大粒の涙をぽろぽろ流し始めたのだ。
「よかった。」
それだけ言うのがやっとの顔だった。
ぼさぼさの髪で、泣きはらしていたのか顔まで赤かった。
しばらくそのまま涙を流し続けて、ようやく重い口をひらいた。
「あのときは本当にごめん…。お前が『つまらないことで喧嘩するな』って言ったとき、俺は……家の仕事を馬鹿にされて喧嘩してたから、お前にも家の仕事がつまらないって馬鹿にされたと勘違いして……」
ああ、そういうことか。巻き添えを食って落ちたと思ったけど、ちゃんと僕に怒ったんだ。自分から落ちた間抜けな前世の僕よりはマシか。いや死んじゃったら同じ事だけど。
「じゃあ、俺も良くなかったのか。でも謝らないけど事情が知れて良かったよ。なにしろ俺はあのときのことを何も覚えてないから。だからあれは事故ってことにしようぜ。恨んだり嫌ったり、俺、そういうの苦手だからさ。」
「……! お前……優しいんだな。覚えていないことにするなんて……。」
ヴィロルドは再び肩をふるわせて、泣き顔になった。
「本当は……、今日まで怖くて怖くて……。やっと楽になれるよ。」
何かいいたげに口を開きかけたエルを僕は優しく止めた。きっと「お兄ちゃんは忘れても、私は一生忘れない。」なんて言いたいんだろう。こんな小さな肩に誰にも言えない重いものを背負って。
ヴィロルドは嗚咽しながら、途切れ途切れに続けた。
「親に言われたんだ。テムリオが元気になったら、ちゃんと詫びろって……。そして、その日を子供が終わる日にしろって……。明日からは、大人として頑張って生きろって……」
「そっか。」
「……うん。だから、今日までは子供だから、全部泣いて、明日から大人になる。」
「泣けばいいよ。俺が、全部見ててやる。」
ヴィロルドは、その言葉をきっかけに堰が壊れたかのように、大きな声でわんわんと泣きだした。
帰り道。それまで一言もしゃべらなかったエルが「お兄ちゃん」と言ってそっと僕の手を握ってきた。
「お兄ちゃんも、もうすぐ子供が終わる?」
「……そうだな。あのくらいわんわん泣けたら終わるな。」
石を叩く音と、重い荷を運ぶ荷車のゆっくりした音だけだった石工通りを抜けると、人の話し声や、ガラガラと軽めの甲高い荷車の何台もの音が急に耳に入ってきた。中央通りの雑踏は重い心を癒やしてくれる気がした。この街ってこんなに賑やかで活気のある街だったんだね。
「さあ、一度家に帰ろう。時間が経っちゃったね。もうお昼ご飯の時間かな。そのあとで冒険者ギルドに行ってこなきゃ。」
気持ちを切り替えて冒険者ギルドに行こう!




