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公爵夫婦と巻き込まれたエリー

作者: 南方


 あまりの騒がしさに目を覚ましたエリーは、どうしてこんなに煩いのかしら? と寝台から身体を起こした。

 なぜか目の前には仁王立ちで立ち尽くす男がいる。その男が、「今すぐ出て行け」と言う。


 ――ん、ん? 出て行け?


「離婚は成立したんだ。昨日のうちに出て行くのが道理だろう? 人として最低限の礼儀じゃないのか?」


 いきなり何を言っているの? とエリーは男の顔を見つめる。

 それに寝ていた自分を起こし、急に出て行けとか、そっちの方が最低限の礼儀を欠いているのに……、と小首を傾げた。

 何が何だか分からないわ、とエリーはふるふると頭を揺らすと、胸元で揺れる髪を見て、「え?」と声が出た。

 寝すぎると髪色が変わる病気かしら? と思いながら、金髪の髪をひと撫でして見る。


 ――私の黒髪は何処へ?


 わけが分からないまま、取りあえず寝台から下りると、周りにいる侍女らしき人間がエリーを見て、ほぅと溜息を吐いた。

 先ほどまで〝出て行け〟と騒いでいた男も、ぽかんと口を開けてこちらを見ているが次の瞬間、弾かれたように男は言う。


「どうしたんだ、その腑抜けたような顔は……」

「腑抜けた顔と言われましても……?」

「いつもなら、目を吊り上げて文句を百ほど言うだろう」

 

 ――いったい、何なのこの人? 


 エリーは訝し気に皆を見ながら、いつものように聖職者が着るローブを手に取ろうとしたが、自分の部屋とは様子が違うことに目を丸くした。


「ここ何処⁉」

「は……、何を言ってるんだアリッサ、もしかして気が狂ったふりをして居座るつもりか?」

「居座る……? アリッサって誰ですか?」


 部屋の様子よりも、この見知らぬ人間達の方が問題だわ、とエリーは男の顔をまじまじと見た。

 青い髪に青い瞳に整った顔立ち、どれだけ目を凝らしても見覚えのない男に困惑していると、侍女らしき人間が、「奥様、取りあえず、お着替えを――」と言う。


「奥様って、私は結婚した覚えないのですが……?」


 それ以前に神に誓いを立てた聖職者は独身でいなければならない、いいえ、そうじゃなくて、この状況が問題よ! とエリーは更に困惑する。

 侍女に連れられるまま、鏡の前に座らされ、ピカピカに磨かれた鏡に映る姿を見て心臓が飛び出そうになった。

 

 ――この人……、昨日、教会に懺悔に来ていた。


 そう、目の前の鏡に映る女性は、昨日の早朝に懺悔に来ていた貴婦人で、確か今までの数々の罪を告白した人だった。

 毎日が億劫で精神的に休まらないと言い、それを発散させるために仕方なく、宝石店の宝石を買い占め、美味しい焼き菓子を買い占め、それだけでは飽き足らず、王都一と言われる洋服店を店ごと買ったと、懺悔なのか自慢なのか分からない話を聞いた。

 とはいえ、話を聞くうちに、ちょっぴり羨ましく思ったのも事実で、聖職者にあるまじき妄想を抱いた。

 一度くらいは贅沢をしたいという些細なことだ。決して彼女になりたかったわけではない。それに贅沢と言っても一度くらい結婚してゴロゴロして見たいという程度の可愛い要望だ。


「はあ……、こんなの望んでないのに……」


 エリーが独り言を呟くと、侍女が口を開いた。


「奥様が離婚を望んでないのは承知でしたが、旦那様は我慢の限界を越えられたのです」


 いや、そうじゃなくて! と言いたいのを堪え、「ちょっとお聞きしたいのですが?」と侍女に話を聞くことにした。


「何でしょう?」

「私って、どんな人ですか?」

「は……?」

「あ、何て言いますか、記憶がちょっと薄れて? いや、ここで暮らしている間の記憶が無くなってしまったようで……」


 侍女は呆然としたが、「やはり……」と何故かしんみり落ち込み出す。


「離婚の衝撃に精神が崩壊されてしまわれたのですね!」

「え、いや、まあ……、そうなのかしら?」

 

 お可哀想に……、と嘆く侍女は、つらつらとアリッサについて話し出した。


「我儘で傲慢で暴れ出すと手が付けられず、屋敷中の物が破壊されてしまい、本当に片付けも大変で……、あ! も、申し訳ございません! お許しください!」


 ぶるぶると震える侍女を見ながら、「大丈夫ですよ」と声を掛けた。

 凄まじい人ね、と鏡に映るアリッサを見ながら、エリーは顎に手を置くと、どうしてこんな事が起きているのかを冷静に考えた。

 昨日、懺悔を聞いてあげた。それだけなのに……、と鏡に映るアリッサを見て「あぁ?」とエリーは思わず声が出た。

 

 ――ま、まさか……?


 昨日、懺悔が終わったアリッサは、話を聞いてくれたお礼だと言って、エリーの掌に輝く指輪を置いた。

 こんな高価な物を寄付としてもらえないと返そうとしたが、貴婦人はくすっと笑うと、「ここに来る途中の出店で買ったおもちゃの指輪よ」と言った。


「おもちゃですか……」

「ええ、六十を過ぎた老婆が開いてた出店で売っていたのよ。私が買ってあげなきゃ、飢え死にしそうな気がしたから――」

「優しいのですね」

「何処がよ? まあ、とにかく貴方にあげるわ。ああ、そうそう、老婆が何か言ってたわ……」


 くいっと顎先を揺らした貴婦人は、「ひとつだけ、心から願いごとをすれば叶うらしいわ」と言いながらクスクス笑うと、教会を出て行った。

 彼女が出て行ってから、おもちゃなら少しくらい身に着けてもいいかしら? と指にはめた事を思い出した。


 ――うそでしょ? もしかして、私の願い?


 一度くらいは贅沢をしたいと確かに思ったが、心からの願いでは無かったし、それに、こんな夢物語のようなことが起きるはずがない。

 呆然としながら視線を彷徨わせていると、ふと視界に妙な小瓶を目にした。邪悪な気配を漂わせる小瓶に手を伸ばし確認をする。

 

 ――これは〝毒〟? こんな所に置いてあるという事は自分で用意したのね。


 昨日の彼女を思い出すが、晴れ晴れとした様子だったのに、死んでしまいたいほど悩んでいたのだと知ると同時に、あれ? と頭を傾げた。


 ――え、ちょっと待って、(エリー)は、どうなったの? 


 エリーは慌てて立ち上がった。


「急がなきゃ!」

「きゃっ、お、奥様?」

「あっ……」

 

 慌てて立ったせいで、侍女が持っていた(くし)が首筋に当り、軽い擦り傷が出来てしまった。


「も、申し訳ありません!」

「ああ、いいのよ、このくらい」


 そう言って、エリーは自分の首に手をあてて治療をした。驚いた顔をする侍女に、「あなた怪我はしてない?」と聞けば、ふるふると顔を左右に振った。

 それならいいわ、と言い残すと、支度も中途半端なまま、慌てて公爵邸を出て教会まで走った。


 ――痛っ……。


 履き慣れない靴のせいで足が痛い、仕方なく靴を脱ぐと、裸足のまま街中を歩いた。

 ちょっとした傷など後で自分で治療すればいい、今はそんなことに構っている場合じゃなかった。ようやく見慣れた教会が見えてくると、信じられない光景を目の当たりにした。


 ――え……、私がいる? 教会前をほうきで掃除している私……、じゃなくて誰? 


 普通に考えれば、この身体の主がエリーに成りすましているのだろう。とにかく、彼女と話をしないことには、どうにもならない。そっと近付き、彼女に声を掛けた。

 

「ちょ、ちょっと! これはどういうことですか?」


 ぎょっとした自分の顔を客観的に見て、我ながら変な気分になる。


「ああ、貴女、わざわざ来るなんて……」

 

 実に面倒臭そうに溜息を吐く彼女に、「昨日のご婦人ですよね?」とエリーは身元の確認をした。


「そうよ」

「なっ、ど、どうしてそんなに冷静なんですか? って言うか、私の身体返して下さい!」

「……返せって言うけど私にだって分からないのよ、どうしてこうなったのか」


 彼女は、やれやれと両手を広げてから、あら? と不思議な顔をしながら言う。


「変ね、どうして(わたくし)が生きているのかしら」

「やっぱり……、この毒を飲んだんですね?」


 エリーは公爵邸を出る時に持って来た毒の入ってた小瓶を彼女に見せた。


「そうよ、せっかく楽になれると思ったのに、目が覚めたら、まさかこんな貧相な女の姿で目が覚めるなんて……」

「なんてこと言うんですか、失礼な! と言うか私がこの身体に乗り移ってなかったら、本当に死んでいたんですよ?」 

 

 エリーは教会のシスターをしているが、元々は聖女候補だった。それが、ちょっとした事情から候補からはずされたのだ。その理由は――、


〝聖女とは光輝く美貌の持ち主でなくてはいけません〟


 ええ? と思ったが、確かに民が崇める聖女が、平凡な女ではガッカリ感が漂うのも分かるし、国からの援助金も減るかも知れない。

 どうせ多少でも治療出来ればいいのだから、エリーのような膨大な魔力はいらないのだろう。

 というわけで、そんな聖女候補だったエリーが毒程度で死ぬわけが無いのだ。だから、逆を言えばこの状態は幸運と言っても過言ではない。

 それなのに、はぁ、と大きな溜息を吐いたアリッサは、「だから何?」と言う。


「だから何って……、命を粗末にしてはいけません!」

「まあ、……確かにそうね。それに関しては、そうだと思うわ、この身体で目覚めて思ったの〝私の求めていた物が手に入った〟って」

「え……?」


 彼女はリフォロ伯爵家の長女で、生まれた時から何不自由なく暮らして来たが、それは逆を言えば自由が無かったと言う。

 幼い頃から爵位ある男の元へ嫁ぐために教育を受け、親からの使命を全うし、公爵家へと嫁いだ。

 やっと自由になれると思っていたが、結局は公爵夫人として立ち回る苦痛に苛まれていたと言う。

 社交界ならではの皮肉やら、貴婦人の嗜みやら、しかも夫は非協力的でアリッサがどんなに苦痛を訴えても、『自分の立場を考えて公爵夫人らしく振る舞うように』としか言わない。荒んでいく心、結局、周りに当り散らすしか無かったと言う。


「貴女はいいわよね。毎朝、硬いパンに冷めたスープ、小生意気な子供達に囲まれて、礼儀なんてあったもんじゃないし、それに薄汚い教会の掃除……、自由だわ!」


 ――酷い言われよう……、それと、それは自由とは言わないのですが?


 と暴言を吐くアリッサに向かってエリーは目を細めた。


「とにかく、アリッサさん、元に戻りましょう」

「嫌よ!」

「私だって嫌ですよ!」


 しようがない子ね、と言わんばかりにアリッサは口を動かす。


「いい? 貴女は死ななきゃいけなかったのよ。夫に離婚を言い渡されたのは認識している?」

「アリッサさんが離婚したのでしょう? 私が離婚した見たいなこと言わないで下さいよ」


 こちらを見ながら、はぁ……、とアリッサは溜息を吐くと、このままでは実家に戻されて、何処かの太った年寄りの後妻として嫁がされるわよ、と脅してくる。

 聞けば聞くほど残念な人生が待っているが、ここで思うのは一つだけだった。


「いや、だから、アリッサさんが元に戻ってくれたら……?」

 

 アリッサがぽろっと涙を流し、ふぇっと泣き出す。


「良いじゃない! 少しくらい代ってくれたって!」

「……アリッサさん……」


 泣きじゃくる彼女を見て、「仕方ないですね」とエリーは少しだけなら代ってあげても良いかな? と同情心を抱いた。


「分かりました。少しだけですよ? ですが! 太った年寄りの後妻なんて嫌ですからね!」

「そうよねぇ、分かるわぁー」


 パンと両手を合わせて共感するアリッサを見て、舞台女優になれるのでは? と思う。

 さっき流した涙は何処へ行ったのか、と恨めし気に彼女を睨みながら、「それで、どうすれば、その太った年寄りの後妻にならずに済むのですか?」と不貞腐れ気味に聞いた。


「うーん、そうね、公爵より身分が上の男を惚れさせると言うのはどうかしら?」

「……アリッサさん、ご自分の評価をご存じで?」

「知ってるわよ、でも、見なさい、その美貌があれば大抵の男は誘惑出来るわ」

「誘惑って、私は神に誓いを立てた聖職者ですよ?」


 ぷはっと吹き出し笑いをする彼女は、「今はアリッサでしょ?」と指摘してくる。まったく、あー言えばこう言う、なんて人なんだろうと思う反面、今はアリッサだという言葉に、ちょっと心が揺らいだ。

 

「でも……〝我儘で傲慢で暴れ出す〟という評判を聞いていない人がこの国にいるのでしょうか……」

「……言ってくれるわね、まあ、この国じゃ駄目かも知れないわね」

「はぁ……、初めての結婚が後妻なんて……絶対に嫌ですからね」


 うーん、と顎に手をあてたアリッサが、「隣国の王子でも落として見る?」 と言って来る。

 何と恐ろしいことを言うのだろうか、普段、庶民としか交流のないエリーが王族と対等に向き合えるわけがない、ぶるぶると顔を左右に振り無理だと訴えた。


「やってみなきゃ分からないわ、あ、そうだ公爵邸を追い出されたのでしょう?」

「……だから、それはアリッサさんです……、ああ、つまり私ですね……、はい」


 もう何でもいいわ、とエリーはうなずいた。


「ふふふ、私の実家には傷心旅行に出かけたと手紙を出しておくから、しばらく私と一緒に過ごしましょう? 社交界のこと色々教えてあげるわ、それに我が家に帰ったら最後よ。問答無用で再婚させられるわ」


 ――それは嫌だ。


 エリーは仕方ないな、とアリッサの提案を受け入れることにした――――。




 ゴートン公爵家では、公務に精を出すイーサンが悶々としながら仕事を片付けていた。

 朝からアリッサの相手をしたことで疲れたのだ。とっくに出て行ったと思っていたが、まさか悠長に寝ているとは思っても見なかった。


 ――忌々しい……、なんだ、しかも、あのだらしのない格好……、いや、まあ、それはいいが、いや、良くない……!


 確かに彼女の見目が良いのは分かっている。我が国で彼女の右に出る女はいないほどの美人だが、あの性格だ。見た目が悪ければ、とっくの昔に離縁を叩きつけていただろう。

 イーサンは僅かな希望を抱き過ぎたのだ。彼女もいつかは改心して良い妻になる努力をするだろうと思っていたが、やはり、時間の無駄った。

 

 ――ふん……。くだらない事に時間を割いたな、さっさと仕事を片付けよう。


 山のように積み上げられた書類に目を通していると、コンコンと扉を叩く音が聞こえる。


「失礼します」

「ん、エリックか、どうした?」

「はい、この侍女が奥様についてお話があると仰いまして……」


 おずおずと入って来たのは、アリッサの身の周りの世話をする侍女だが、何やら言いたそうにしている。その態度は見慣れた物で、また何かしでかしたのか? とイーサンは少々うんざりした。

 離婚してまで周りに迷惑をかけるとは、どうしようもないな、と思いつつ、「今度は離婚は無効だと言い出したか?」とお道化た様にいえば、侍女は頭を振った。


「あの……、奥様は聖女様なのではないでしょうか?」

「……何を言うのかと思えば……、よりによって聖女などと、悪魔の間違いだろう?」


 呆れたように侍女に言い放つと――。


「いいえ、私、見たのです。こちらの不手際で奥様の首に傷を付けてしまい。私は死を覚悟しましたが、気にしなくていい、と優しい言葉をかけて頂いて、それから掌からパァっと白い光を放ちながら、傷をご自分で治療されました」

「…………」


 そんなことがあるはずがない、イサーンは子供の頃からアリッサのことを知っているし、一度だって治療する所を見たことは無い。


 ――彼女に怪我させられた人間なら、山のように見て来たがな。


 侍女が懸命に訴えるのを聞き、それならば本人を呼んで聞いて見ようとしたが、どうやら支度も中途半端なまま出て行ったと言う。


「はぁ? 出て行った? 宝石も付けず、髪も整えずに……?」

「はい……、大変お急ぎのようでした」


 おそらく、何処かの店へ買い物をした品でも取りに行くのだろう、アリッサは毎日のようにドレスや宝石を買わなければ気が済まない女だ。

 どちらにせよ、何だかんだ理由を付けてここへ戻って来るだろうし、荷物も置いたまま出て行くわけがない、とイーサンは侍女の話を聞き流すと、仕事を続けた――。



 それから数十日後――。


「お呼びでしょうか?」

「エリック、どうしてアリッサは帰って来ないんだ?」

「……離婚なさったからでは……?」

「……そ、そうか」


 そうなのだ、離婚したのだ。

 頭では分かっているのに、何故か心のモヤモヤが晴れない。

 彼女と離婚することを心から望んでいたと言うのに、何故だろうか? と頭を捻っていると執事のエリックは、「たまには街を散策なさってはいかがです?」と言う。


「私はアリッサとは違い、買い物で憂さを晴らしたりはしない」

「ですが、お仕事ばかりでは気が滅入ってしまいます」

「……それもそうだな」

 

 イサーンは出かける準備をし、馬車に乗り込んだ。執事の言う通り散策するものの、気分は晴れなかった。

 噴水のある広場で足を止め、少し休憩をしていると、庶民の主婦の集まりを見かけた。

 上流階級であろうが、庶民であろうが、女が噂好きなのは一緒だな、とイーサンがその場を立ち去そろうとした時、教会の前で子供達と遊ぶアリッサを見かけた。


 ――何故こんな所にいる? 家に帰ったんじゃないのか?


 コソコソと建物の隙間からアリッサの動向を伺っていると、実に楽しそうに子供の相手をしている。それにしても、久々に笑顔を見たな、と彼女の笑みにほっこりしていると、背後に人の気配がした。


「何してるのです?」

「あ、あっと……、怪しい者では……」 


 ジーッとこちらを睨む女性は、聖職者が着るローブを羽織っており、教会のシスターなのだと分かった。


「シスター、少しお伺いしたいのですが、あちらの女性は……?」

「ああ、あの美しい(・・・)女性は聖女アリッサ様です」

「はぁあああああ?」

「……」


 酷く冷めた目で見られ、「聖女様に御用ですか?」と聞いて来る。


「聖女って、彼女は……、私の妻だ!」

「……」

「あ、いや、元・妻だった人だ。聖女どころか悪魔のような女だ」

「……」


 何だろう、この親近感は……、と目の前にいるシスターから投げかけられる目が、幼い頃から知っているかのように感じた。

 イーサンは軽く咳払いをしつつ、「シスター、彼女と少し話をしたい」と申し出て見ると、鼻で軽く笑った彼女は、「御遠慮下さい」と言う。


「元・夫だ。彼女だって私との会話を望んでいる」

「いいえ! 元・夫は妻に関心がなく、冷酷な人間であり、あんな男なら、吠えるしか脳の無い犬の方がマシだったとお聞きしております」


 グサっと、何かが胸に刺さったが、気のせいだろう、とイーサンは崩れ落ちそうな膝を何とか立て直す。


「あー、シスター何が誤解があるようだが、妻は私のことを愛して……、いや……、愛してたのだろうか?」

「……私に聞かれても困りますが、愛の無い結婚でしたでしょう? お忘れですか?」


 シスターに言われて、そうだっただろうか? と結婚を決めた日のことを思い返した。

 揺らめく木々、燦々と降り注ぐ光の中、どこの誰よりも優雅に微笑み、まるで世界が彼女中心に回っているかのような錯覚を起こさせた日、イーサンだけが彼女を幸せに出来ると思ったから彼女と結婚したのだ。

 だから、つい「愛の無い結婚だったわけじゃない、少なくとも私は――」と本音が零れた。


「……そうですか、どちらにせよ、あの方は二度と公爵邸には戻りません」

「……そうだな」


 そうだ離縁を叩きつけ、彼女に出て行けと言った。

 イーサンも既に限界だった。毎日のように届く請求書に、屋敷内の怪我人、たかが使用人とはいえ、怪我をさせるなどアリッサはやり過ぎていた。

 いや、もう終わったことだと、過去の出来事に蓋をし、「あー、シスター、良ければ支援をしたい」と申し出ると、ニッコリ微笑んだ彼女の口が動く。


「100万ペタです」


 ぴしりと金額を言われて、一瞬思考が固まったが、とりあえず懐にある金貨を取り出し、数えようとした。


「貸しなさい」

「え……」


 ――なんだろう、昔から彼女にお金を渡していたかのような、しかも彼女の慣れた手つきに見覚えがある……。


「公爵ともあろう方が、このような、はした金でうろつくとは……」 


 唾でも吐きそうなくらい、げんなりした顔で言われて、流石にイーサンは反論した。


「私に現金など必要ない」

「ええ、そうでしょうね、ですがここは庶民街です。現金しか取り扱ってない店ばかりです」


 確かに彼女の言う通りだが、こちらとしても気分転換に散歩に来ただけなのだ。

 最初から寄付する気でいたのなら、まとまった金を持って来ていたことを彼女に伝えていると、騒ぎを聞きつけたアリッサがこちらへ向かって来るのが見えた。

 このままでは見つかってしまうと思ったイーサンは、「失礼する」と言い残し、慌ててその場を立ち去った。


 ――なんて無礼な女なんだ……。


 無礼だと思うが、腹が立ったわけでは無く、不思議と嫌な感じはしなかった。庶民は貴族を毛嫌いしているが、それでも堂々と意見を言う人間は少ない。

 だから、シスターのようにハッキリと物を言われた方が逆に気分が良かった。


「まるでアリッサのような女だな……」


 言いたいことは言わないと気が済まない性格のせいで、社交界ではつまはじきにされることも多かった。

 彼女の性格上、間違ったことは言ってないのだと思う。以前、公爵夫人らしく振る舞えと言ったら、『いいえ、私らしく振る舞います』と言ってたな、とイーサンは笑みを浮かべた。


「仕方ない、今度はもう少し現金を……」


 そこまで口に出したあとで、せっかく厄介な妻を追い払うことが出来たというのに、今度は違う厄介な女に捕まろうとしているのでは? と危機感を感じながら、イーサンは屋敷へと帰ったのだった――――。




公爵夫婦と巻き込まれたエリー~END.



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