かわいいと呼ばれる者
「お名前は?」
「かわいいです」
「そっか~」
ペットとして生命を終えたものの中には、与えられた名を自分の名と思わず、呼ばれた回数の多いフレーズを自分の名前だと認識しているものがいる。天寿を全うした動物たちを判別するために名前の聞き取りをしているのだが、割合多くのものがこのように答えてくる。飼い主の愛情の深さを推し量れるが、こちらとしては「かわいいさん」が多発して大いに困惑する。
彼らの魂の送り先を仕分ける、諸動物の楽園審査官が私の役目。多くは問題なく天国へ逝かせることができるのだが、本人への聞き取りがこの調子なのだから、骨が折れる仕事でもある。
自らを「かわいい」と名乗るのは多くは犬や猫。牛や馬もいるし鳥もやってくる。その次に多いのは意外と爬虫類、そして人。
「ちょっと待て!? そこの! 人!? おい、お前だよそこの人間!」
「え?」
「『え?』じゃないが!? おいおっさん、なに、しれっとペットの逝く先に混ざってんの!? おま、ちょ、人だろ!? 人用の天国か地獄はあっち、あっち逝けよ!?」
「はぁ……」
人間のおっさんは判然としない生返事をした。何でだよ。自分がペットであることに何も疑問を持っていないのかよ。人としてプライドを持ってほしいわ。
というかこのペット天国までの道のり、いくつか関門があったはずだけど素通りしてきたのか?
「なんでこんなところまで来ちゃったの……とりあえず、服を着なさい」
「そりゃあ私、ペットでしたから。ええ。服なんて持ってませんよ」
「服を取り上げられて、虐待されていたのか」
「いえいえ、とても可愛がられていましたよ」
「かわいがられていたのか」
「かわいがられていましたよ」」
「かわいいさんなんですか?」
「ええ、かわいい、と呼ばれておりました」
「そんなわけなかろう!」
言われるならまだわかるが、呼ばれるはないだろう。ああ、前からこの仕事、なぁんかイヤだったんだよなぁ。基本的に動物は自分勝手でこっちの言う事なんて全く聞かないし、割合と躾されている良い子なんだけど、人間基準で相手するにはやっぱり会話が成り立たない。世界観も個体それぞれで違う。自分が中心と思っているのも多数派だ。そんな相手を「間違わずに」送らねばならないのだから、慎重に対応せざるを得ない。神経を使う。いつも仕事を終えると妙な疲れがどっと押し寄せてくるのだ。
そしてこのおっさんである。イレギュラーにも程がある。ペット扱いされた人間、それは区分としてどこに逝かせれば良いのだろうか。そしてなぜ、こんな低次元な問題で頭を悩ませなければならないのか。
この仕事にはあまり納得していないけれど、大主神さまから任命されたからには任期までは全うせねばならない。ご迷惑をおかけするわけにはいかないのだ。行き先をなくしていた私を拾ってくれた御恩、仇で返すわけには行かない。ましてやこの不審者を天国へ侵入を許すなどあってはならないのだ。
「帰れ! ここは人間の来るところではない!」
「だ、ダメなんです! 私は、ペットなんですから、ペットとして天命を全うしなきゃ、だめなんです!」
このおっさん、いやに強情であった。変に姿勢が低くうつむき加減で自信なく話をするのに、ペットの天国に入ることだけは諦めてくれない。
「何でここに入ろうとする! 人間の逝くところは決まっているだろう!」
「や、約束なんです!」
こんなことをしている間に足元には、天国行きの審査を待つ動物たちが集まってしまった。わんわんにゃーにゃー、小鳥も幾羽か羽ばたいている。こんなやかましい状況にもかかわらずおっさんは続けた。
「『私のペットでいてありがとう、あの世でも天国で幸せにね』と言われ送られてきたんです。彼女との約束を違えるわけには、いかないんです!」
「い~やアンタをペットにしてる女、何者だよ」
「私を『かわいい』と呼んでくれる人です」
「そうじゃない。知りたい所はそこじゃない」
「僕の名前は『かわいい』だよ」
「うん、わかったから、猫の君はあとにしてもらえる?」
審査待ちの動物も好きに話しかけてくるので、カオスが極まって来た。動物たちが銘々、好きなように話をしてる。そんな中、なんとかおっさんから根気よく聞き取りを続けた。
おっさんは生前、事業を起こしたのだが失敗し大きな借金を抱えてしまった。その際に嫁に逃げられ、その状態で子どもを二人育てなくてはならなくなった。どうにも首が回らなくなったとき、知り合ったのがその「飼い主の女」だそうだ。借金の肩代わりと彼ら三人の生活を保証するかわりに、おっさんに人間としての尊厳すべてを奪う、ペット契約。背に腹を変えられないおっさんはその契約を受けたのだった。
「彼女の目は、とても寂しそうに見えたので……」
家族のいない金持ち女との、歪んだ人間関係。それでも子どもたちは不自由なく学校に通えるようになり、おっさんはペットとして女が喜ぶように振る舞い尽くした。そんな生活は数年続いたが、終わるときはあっさりだった。
「風邪をこじらせてしまいまして……」
「裸だもんな」
流行り病も地上で猛威を振るってたろうに、むしろよく続いたほうだよ本当に。おっさんは自身がペットとして振る舞う限り、女の目に寂しさが映らなくなったことで安心し、非人道的な生活の中に満ち足りたものを感じていたそうだ。
「マゾでなく?」
「マゾ……で、なく!」
「言い淀んだなおっさん」
「ほら、崇めるといえばわかるでしょう!?」
「ま、まぁ、そこは……わからなくもないが」
いやわかってはダメだ、自分。でも一人の存在に熱狂することは、身に覚えがある。その対象が笑顔でいてくれるなら、我が身など惜しくないと思える。
「でしょう! なのでここは通してもらいます」
「いやいやいやいやいや、でしょうじゃないよ。ダーメーだ!」
「私は『あなたって、本当かわいいわよね』と言われて、飼われてきたペットなんです! ここを通る資格がありますよね!」
「だからなんでここに拘る! 頼むから人として逝ってくれ!」
さっき「約束」と口にしていた。ペット契約に関係するものだろうか、それにしても生者が死者の行く末を知るすべはない。こちらとしても通知を送ることは禁じられているし、そもそも手段もない。約束を違えてもバレない。そう伝えようとするより先におっさんが口を開く。
「彼女は私の死に際に『天国でも幸せにね、私のかわいい子ちゃん』と言ってくれました。私は、彼女のペットです。そのことにある種の誇りすらあります。彼女との約束、違えるなんてできません!」
それはおっさんの矜持だった。理不尽なペット契約の中であっても、おっさんは女の「情」に触れた。歪な人間関係の中に、確かな心の交流を感じていたのだ。その思いがおっさんをペットの天国へと突き動かす。
なんて迷惑な話だ!
「プライドがあるというなら、私にもある! 大主神さまより賜ったこの諸動物の楽園審査官、任官に違わず全うするのが我が使命! 断じて貴様を通すわけにはゆかぬ!」
終わりの見えない押し問答と動物たちの鳴き声が鳴き乱れる。混沌とした状況に澄んだ涼風のような声がした。
「変わらず職務に忠実なのですね」
「大主神さま!?」
まさかの大主神さまが顕現なされた。その神々しさに動物たちも静まり返った。まさか私の仕事の至らなさを察知されてやってこられたのだろうか。非常にまずいタイミングを見られた。血の気が引いたのだが、大主神さまは私の顔を見るなり、にっと目を細めてくださった。
「大丈夫ですよ、あなたを咎めに来たのではありません。用があるのは、そちらの……」
私はとっさに、おっさんに自分の上着を被せた。見苦しものをお見せするわけにはいかない。私は事情を大主神さまにお伝えした。
「この者は生前の境遇のためにこちらへ迷い込んでしまった様子で、今から人間の逝く先へ送り届けようと……」
「待ってくれ! それでは約束が!」
この期に及んで悪あがきをするおっさん。頼むから、大主神さまの前でこれ以上見苦しい真似はやめてほしい。ついに土下座まで繰り出すおっさんに、大主神さまは微笑みを絶やさずに柔らかに告げた。
「あなたが逝くべきところはここではありません」
「そんな……」
ほぅら、やはり人間はこちらに入ってはいけないのだ。ほくそ笑んでいる場合ではなく、連行すべくおっさんの首根っこを捕まえた。だが、大主神さまは私を制した。
「心配に及びません。あなたが逝くべきところはちゃんとあります。そこは、あなたが大切にする約束を違えるような場所ではありませんよ」
「ほ、本当ですか!?」
私も、そのような逝く先を知らない。このようなレアケースに対応した先があるのか。
「あなたの行く先は、飼われたる男の天国です。道はあちらです」
「そんな天国、あるんかい!」
ピンポイントすぎないか! しかし敬愛する大主神さまの告げることだ、間違いではないのだろう。おっさんも、飼われたる男、つまりペット扱いされた者の天国と理解して、安堵の笑みを浮かべている。大主神さまは微笑みを絶やさぬまま、おっさんを送り届けるために行ってしまわれた。
ここに残るのは私と、審査待ちをしているたくさんの動物たち。大主神さまが去った今、またしてもみな好き好きに走り回り鳴き荒らすようになった。これからまた、一匹ずつ聞き取りを進めていかなければならないのだ。やはり大主神さまから賜ったこの仕事ではあるが、早いところ辞めてしまいたい。