マヒロとハルタカ
ハルタカのところにマヒロが来て、二人で再会を喜んだ日から、早十日あまりが過ぎていた。
マヒロの看病や世話をするハルタカの過保護っぷりはなかなかのもので、お風呂に入りたいと言ったマヒロを自分が介助して入れると言ってきかなかった時には閉口した。
「もう、お風呂くらい、だいじょぶだよ」
「‥なぜそう言い切れる?急に意識を失ったらどうするんだ?」
目覚めたら横でマヒロが死にかけていた、という経験は、ハルタカになかなか深い心的外傷を負わせたようで、マヒロの「大丈夫」を全く信用してくれない。
「二度と、あんな状態のマヒロを見たくない」
苦しげな顔で思いつめたようにそういうハルタカを、マヒロは重ねて拒絶することができなかった。
その結果。
ハルタカに目隠しの布をぐるぐるに巻きつけ、浴場の隅に座らせておきながらマヒロが風呂に入るという不思議な光景が出来上がった。
「ねえ見えてないよね?絶対見ないでよね?まさかタツリキでどうにかなるとかないよね?」
繰り返しそう尋ねるマヒロに、ハルタカは柔らかく微笑みながら答えた。
「タツリキを使えば問題なく見えるが、マヒロが嫌がるなら見ないでおくことはできる。心配するな」
「ああああああ!もぉぉぉ!」
マヒロは羞恥心と風呂に入りたい欲との間でぐぬぬと悩みながらも‥風呂に入りたい欲の方を取った。
出来る限りの速さで身体を洗い、大きな岩風呂に身体をゆだねれば何とも言えない心地よさが広がった。
「ああ‥‥やっぱ日本人‥風呂最高‥」
そう言いながら風呂のふちの岩に腕をのせ、その上に頭を持たせかける。身体を温かな湯がほぐしていくのを感じつつ、目を閉じてリラックスしていると
「‥マヒロ?マヒロ倒れてないか?」
というハルタカの焦ったような声が聞こえた。
「倒れてない!大丈夫リラックスしてるだけだから見ないでよ?」
「そうか‥」
中腰になっていたハルタカが、しぶしぶ腰を下ろす。その光景を見て、マヒロはくくっと笑った。
夢のようだ。
また、ハルタカとこうやって軽口を言い合えるなんて。
マヒロが意識を取り戻した日に、ハルタカに頼んでアーセルやルウェンたちに連絡を取ってもらった。その後、ルウェンとタムは無事に山を下りて、ちょうど帰ってきたばかりくらいの頃だったらしい。アーセルが心配のあまり憔悴しきっていたらしく、それを聞いたマヒロは自分の計画を強行してしまったことを申し訳なく思った。
とにかく、ハルタカが目覚めマヒロも無事であることに、屋敷の人々は安心してくれたようだった。ただ、ハルタカは「完全にマヒロが回復してから出ないと山を下りない」と固い声でマヒロに言い、アツレンの人々にもそう告げたと言っていたが。
温かい湯が、身体も心もほぐしてくれるような気がする。
あの、身を切るような寒さの高山で半ば絶望した滑落の瞬間、テンセイではない野生の飛竜だったら、と考えた上空での瞬間などを思うと、今自分がここでこうしていることが嘘のようだ。
そんなことをぼんやりと考えているとまたハルタカの声がした。
「マヒロ?寝てしまってないか?湯の中で寝ると身体に悪いぞ。寝てるのか?」
そう言ってまた椅子から立ち上がろうとするので、マヒロは仕方なく湯舟から身を起こした。
「起きてるってば‥もう、ゆっくりお風呂にも入れないよ。今から上がるから絶対見ないでね!」
「わかった」
湯舟から上がって、脱衣所に行き身体を拭いているとハルタカが大きなタオルを持ってマヒロの身体を包んできた。目隠しの布は巻きつけられたままだ。
「‥‥ねえ、なんで私のいる場所とか正確にわかるの?」
「‥‥‥気配が、何となくわか「見たよね」‥‥」
ハルタカがタオルでマヒロの身体をくるみ込んだまま、黙って立ち尽くす。そのままそおっとマヒロの身体を抱きしめた。
「すまぬ」
「もう!全然いう事きいてくれない!」
「でもマヒロの身体などは見ていない!どこにいるかを探っただけだから」
「もおおお!」
口ではそう文句を言ってハルタカの厚い胸を叩きながら、マヒロは笑っていた。
「結局、『国王選抜』はどうなったのかな?そんな話もした?」
「ああ、あの領主騎士が今のところ一位だそうだ。‥そう言えばそろそろ期限が終わる頃だな」
マヒロはハルタカが淹れてくれた温かく薫り高いお茶を飲みながら、じゃあこのままアーセルが国王になるのかな、ルウェンの気持ちはどうなるのかな、と考えた。
気持ち。
目覚めて、ハルタカの看病を受けて心穏やかに過ごしてきたが、そう言えばハルタカに自分の気持ちをしっかり伝えていなかった。
まあ、ヒトの身でこんなところまで登ってきた、という事実からもマヒロの気持ちはわかっているとは思うが、はっきりと言葉にはしていなかった。
お茶を飲み干して、薄い陶磁器のカップを置く。
「ハルタカ」
「なんだ?」
優しい、金色の瞳でマヒロを見つめてくれる。
異世界に来てから、ずっと見守っていてくれた、この金色の瞳。
「私はハルタカが好き。‥愛してる」
ハルタカの目が、大きく、ゆっくりと見開かれる。その背が自然と伸ばされ、まっすぐと座る形になった。
それを見ながら、マヒロは少し笑って、そして、思い切っていった。
「ハルタカの、番いにして」
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